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隷属の少女 06


 結局雨はあれから、数日もの間止むことはなかった。

 そのため再開発区画の調査はまるで出来ず、やれたことと言えばアヴィの旅装であったり、首都を離れてから必要となる保存食を買い揃えるくらい。

 どうやらこの長雨はリグーにおける夏の風物詩らしく、宿の主人などは毎年のことであると笑い飛ばしていた。


 役人も雨の中で作業をさせる気はないらしく、ボクらが休息を摂っていることを咎める様子もない。

 単純にただでさえ少ない人手だ、これ以上減らすのを好ましく思わなかったのだろうけれど。


 そうして5日にも及ぶ長雨が明けて早朝、ボクらはぬかるんだ地面を踏みしめながら、前回扉を発見した場所に立っていた。



「クルス君、開けられそう?」



 その扉を前に、サクラさんは取っ手から手を離し問う。

 一歩下がった彼女と入れ替わるように前へ行くと、鍵穴を覗きこんだボクは細い棒を挿し入れる。


 廃墟となった建物へ、一見して自然に在るよう装われた扉。

 サクラさんが蹴破ろうとすれば簡単にいくのだろうけれど、奥には何が有るかわかったものではない。

 そこでボクが錠を解除するべく、こうして小細工を弄するのだ。


 当然騎士団に属する召喚士にとって、こんなものは必須の技能ではない。

 こいつは以前、カルテリオで暇を持て余していた時、酔っぱらった細工師に気に入られ頂戴した技術と道具。

 その時はこんなもの使う機会などないと思っていたのだけれど、なにがどう転ぶかわからないものだ。



「もう少し待ってください。…………よし、これで大丈夫」



 覚えた感覚を思い出しながら、しばし鍵穴と格闘。

 そうして数分が経過したところで、なんとか開錠に成功する。


 数歩離れて待機し、サクラさんが扉を開くのを凝視。

 彼女が取っ手を引き開くと、中からは湿った冷たい空気が漏れ出てきた。



「数日がかりでようやく入れるわね」



 地下へと伸びている真っ暗な通路を見て、サクラさんは肩を回し意気を上げる。

 腰には短剣。この狭さでは使う機会がないとは思うけれど、背には愛用の大弓。

 まだここからでは、地下に何があるかは窺えない。けれどサクラさんは万が一が十分にあり得ると考えたらしく、万全の戦闘準備を行っているようだった。


 ボクもまた緊張しながら、再び地下へと視線を向ける。

 ただそんなボクの横に立っていたアヴィが、ちょっとだけ困惑した様子で問いかけてくるのだった。



「わ、わたしはどうすればいい?」



 彼女は一応護身用にもらっている腰の短剣に触れながら、緊張を色濃く滲ませる。


 ここ再開発区画で奴隷が大量失踪しているということだけれど、今のところアヴィがどうこうなる気配は感じられない。

 とはいえこれまで行方を眩ましたのは、何十人という数に上る。

 主人の監視の目が無いのをいいことに、奴隷たちが逃走したという可能性はあるけれど、国軍が散々探し回って発見出来ずとなれば、何がしかがあるのは否定できなかった。



「そうか、どちらかが残って見ていないと……」


「ならこれまで通りにクルス君がお願い。私が中に入って探ってくるから」



 アヴィが巻き込まれる可能性がある以上、彼女をここに独り置いてはいけない。

 そこでサクラさんはここまでと同じく、ボクが残り彼女の様子を見ておくよう告げ、一人で扉の向こうへ進んでいく。


 反論する間もなく暗闇に消えていくサクラさん。

 残されたボクらは互いに顔を見合わせると、手近な日陰に在る瓦礫に腰を下ろした。


 いかにも怪しい扉が、どういう存在なのかは不明。

 けれどこの場所が、元々国軍の施設が在った場所に疑いはなく、ここが黒の聖杯に関する手掛かりに最も近いはず。

 兵士の監視が無いというのを若干怪訝に思えるけれど、案外あまりにも古い場所であるため、国軍側も把握しきれていないのかも。



 そんな楽観的な思考をしながら、一応誰かが近づいて来ないか周囲を警戒しつつ、サクラさんが戻って来るのを待つ。

 時折水筒に入った水を飲みながら、静まり返った再開発区画と扉を交互に眺める。

 ただ次第に空は重い雲で満たされ始め、終いにはパラパラと小雨が降り始めてしまった。



「参ったな……。ようやく晴れてくれたと思ったのに」


「どうする、あいつを呼びに入るか?」


「いや、それは止めておこう。中がどうなっているかもわからないし、もし入れ違いにでもなったら大変だ」



 またもや降り始めた雨に、アヴィは辟易しながら扉の方を指す。

 今は小雨であるため、半分崩れかけた廃墟の壁でもなんとか雨から身を護れているが、これ以上勢いを増せばきっとずぶ濡れに。

 それを嫌ったらしく、彼女は自分たちも中に入って捜索を手伝おうと言い出した。


 一瞬そいつが良案に思えてしまいかけるも、すぐさま首を横に振る。

 ここが国軍の保有する何がしかの施設であったというのは、サクラさんが図書館で漁った史料に記されていた。

 ただわかってはいたことだけれど、流石にこの地下室に関しての資料は見つからなかったそうだ。

 故に地下がどれだけ入り組んでいるかも不明で、下手をしなくてもサクラさんと合流は叶わないかも。


 加えて単純に、内部が狭そうであるため邪魔になるだけ。

 その部分も補足するように伝えると、アヴィは不承不承ながら同意。軽く空を見上げながら、静かに待つことにしたようであった。



「そういえば……」


「どうした? やはり相棒と一緒でないと寂しいか」


「そんなんじゃないよ。ちょっと思い出したことが」



 ただボクも倣って空を見上げ、降り始めた雨を眺めてみたところで、ふと小耳に挟んだあることを思いだす。

 揶揄してくるアヴィを適当にあしらって掘り起こした記憶は、つい2日ほど前に偶然どこぞやの店に居合わせた、国軍兵士が話していた内容だ。


 この再開発区画に投じられ、突如として失踪した奴隷たち。その大部分が雨の降り始めた頃合いに姿を見せなくなったのだと。

 居合わせた兵士は同僚らしき男に対し、そう告げていた。

 ただそいつはあくまでも個人的な感想というか、明確な記録のない話。

 案外雨に乗じて逃げ出したのではと、苦笑しながら話していた兵士の言葉を、今まさに降り始めた雨を見て思い出したのだった。



「なんと間の悪い時に思い出したものだ」


「我ながらそう思うよ。でもものは考えようだ、今を特に気を付ければいいんだから」


「ではお前には、この哀れな奴隷が連れ去られぬよう、主人らしくしっかり見張ってもらわ――」



 確かに思い出すにしては、最も嫌な時なのだと思う。

 アヴィはボクの言葉に肩を竦め、若干おどけた調子で自身を見張っているように言い返す。

 いや、言い返そうとした。


 彼女は突然ハッとした様子を浮かべ、恐る恐る自身の足元へ視線を落とす。

 そして一瞬の沈黙を経て、顔だけをボクに向き引き攣った表情を浮かべた。



「……少し、遅かったらしい」



 その混乱と焦燥が混ざったアヴィの顔は、再度自身の足元へ向けられる。

 ボクは少しだけ身を乗り出し、瓦礫の陰に隠れていた彼女の足を覗き込んだところで、目を見開き絶句した。

 なにしろ地面を踏むアヴィの足は、瓦礫の間から伸びた細く黒いひも状の物体によって絡め取られていたのだから。


 すぐさまその正体が、ボクの頭へ克明に刻まれる。

 ドス黒く、光の一切を受け入れぬ艶のない、闇を凝縮したような色。

 そしてこの場に現れたという、最も根拠足りえる要因から導き出した答えは。



「黒の聖杯……」


「く、クルス。助け――」



 これまで何度となく見てきた、魔物を発生させる大本と推測される、ヤツのドス黒い粘液状の物質。

 その時々で形が異なってきたため、こういった触手状の物体となっていてもおかしくはない。


 ボクはその正体を口にし、混乱し助けを求めるアヴィに手を伸ばそうとした矢先。彼女の身体が一気に空へと跳ねた。

 いや跳ねたのではない。彼女の足に絡みついたそいつによって持ち上げられたのだ。

 空へ向かうアヴィへ無意識に手を伸ばすも、逆さに吊られた彼女には届かない。


 数階建ての建物が見下ろせるほどに高い位置まで運ばれたアヴィ。

 小さな悲鳴だけを残し、彼女はすぐ近くの瓦礫向こうに引っ張り込まれてしまう。

 その姿が消えようとしたところでハッとし追いかけるも、ボクが瓦礫のところまで行った時には、既にアヴィの姿は影も形も無かった。



「アヴィ! どこ!?」



 叫ぶも彼女の返事は返ってこない。

 一瞬最悪な展開が頭に浮かぶも、ボクはすぐさまその考えを振り払った。

 これまでも黒の聖杯は人の命を奪って来たけれど、その多くはヤツが生み出した魔物による結果。

 黒の聖杯そのものが直接人に危害を加えた例というのは、実のところそこまで多くはなかった。


 なのでまだアヴィが生きている可能性は十分にある。

 半ば強引にではあるがそう考え、彼女がどこに行ってしまったのか懸命に探そうとしたところで、小さくカラリと建材の破片が転がる音が聞こえた。

 そちらへ急ぎ振り返ってみると、半分崩れて建物に寄りかかっていた壁が、僅かに振るえているのに気付く。


 条件反射的に駆け寄り、渾身の力を込めてその壁を押す。

 すると少しだけ動いたそいつの陰に、地下へ伸びる別の通路が姿を現した。



「…………行くしか、ないか」



 人という存在にとって脅威そのものな黒の聖杯に、ボクだけで立ち向かってどうにか出来るとは思えない。

 けれど今ここで追いかけなくては、きっとアヴィはどんどん悪い結果に近付いてしまう。

 そう考え震えそうになる脚を自ら殴りつけ、ボクは意を決してその暗い通路へ飛び込むのだった。


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