隷属の少女 05
前日からずっと、シトシトと降り続く雨。
宿の窓から見える空はどんよりと暗く、肌に纏わりつく重い湿度も相まって、どことなく陰鬱な空気が漂う。
本来であれば目にも鮮やかな街路の花も、今は葉先を下に向けている。
もっともこの雨が上がり陽が差せば、一転して元気に空へ向かうのだろうけれど。
ボクはそんな雨の降り続く首都リグーの宿で、窓の縁に腰かけぼんやりと外を眺めていた。
国境を地下から越えこの国に来て、もう1ヶ月以上が経過する。けれど考えてみれば、見てきた光景の多くが雪。
ただ地熱による暖かな空気のおかげか、ここ首都リグーではゆっくり舞う雪を見ることもなくなっていた。
もっとも既に季節は夏だ。高地の国とは言え、雪が降る方が珍しくなりつつあるのかもしれないが。
「……暑い。これはちょっと想像していなかった」
ボクはそんな外の景色を眺め、雨の静けさに対してではなく、肌へ触れる不快な感触についてを呟いた。
暖かいのは良いのだが、雨が降ると少々高い湿度に辟易しないでもない。
とはいえ湿度に関しては、ボクらが本来居を置くシグレシア王国南部の都市カルテリオの方が酷く、それを思えばまだ楽であると言えるのだけれど。
そんな不快感満点なボクが発した言葉へ、呆れたように返すのはアヴィだ。
「当たり前だろう。ここをどこだと思っている、万年雪の残る北部ではないのだ」
彼女は部屋の隅で腰を下ろし、手にした木片を短刀で削って何かを作っていた。
さっきまで集中していたというのに、ボクの言葉に反応したらしく、少しだけこちらを一瞥し方を竦めるのであった。
昨日。サクラさんとアヴィと共に再開発地区を探ったボクらは、崩れかかった古い建物で気にかかる物を発見した。
それは一見して、ただ古ぼけただけの扉。
けれどそいつを見つけたサクラさんには、不自然さが真っ先に目についたようだ。
パッと見た限りでは、打ち捨てられた建物に相応しい、汚れきった古い金属扉。
けれどよくよく見てみれば、そいつが意図的に煤や土によって汚されたというのがわかった。
あまりにも不自然なその扉は、おそらく地下に向けて伸びている。
まさかこいつが当たりなのだろうかと、息を呑んで開こうとしたのだけれど、その時になって急に雨が降り始めたのだ。
すぐに止むだろうと思っていたそいつは、意外にも長く続いてしまい、ボクらは不測の事態を考え一時撤収。
ただ翌日再度調べに行こうとするも、今に至るまで雨は一度として止むことなく続いていた。
という訳で本日は作業もお休み。朝から宿にこもって食事を摂り、惰眠を貪ることしか出来やしない。
疲労の溜まりつつある身体には丁度良いけれど。
「そう言う君だって、首都に来たのはつい最近じゃなかったけ?」
「だがお前たちよりは先だ。いわばこの町における先輩と言ってもいい」
「なにが先輩だよ。ボクらより1週間先に来て、その間町を歩くことも出来なかったのに」
「し、仕方がないだろう! 鎖に繋がれた奴隷が、自由に市井の見物など出来るか」
自身を奴隷らしく扱わないことに、当初こそ逆に不審さを持っていたアヴィ。
けれど数日を経て言葉を幾度となく交わす内、段々と打ち解けつつあるのか、彼女の固い口調の中にはどことなく緩さが見え隠れするように。
自治都市"アマノイワト"で出会った、勇者であるリアと同じ齢の頃である彼女も、ようやく歳相応な反応を見せてくれているように思えた。
「まあ、それもそうか。奴隷市に居る間は当然か」
ボクは彼女の言葉に折れるといった態度を取り、窓の縁から降りて静かに閉める。
ただ窓を閉めたのは、なにも入り込んでくる湿気を嫌ってではない。
折角得たこの暇な時間、コイツを利用しアヴィに聞きたいことがあったからだ。
彼女はそいつを察したか、窓を閉める音を聞くなり静かに息を呑む。
けれどそんなことはお構いなしに、ボクはスッと身を乗り出し問うたのだ。「そろそろ素性くらい教えてくれてもいいんじゃないかな?」と。
「お前はなにを……」
「ただの興味本位って訳じゃないんだ。実を言うと、少しばかりボクらの仕事にも関わる話でさ」
彼女がおそらく、それなりに良い育ちをしているであろうことは想像に難くない。
そしてアヴィを見る限り、彼女の出自はおそらく他国。
あくまで推測ではあるけれど、どこぞやの国の富豪の出身。いや、下手をすれば貴族筋である可能性も。
今回アバスカル共和国に来た主な目的は、黒の聖杯に関する手掛かりを探すため。
ただそれとは別にもう一つ。ボクらはゲンゾーさんから、密かにとある任務も任されていた。
もしもここアバスカルに居る奴隷の中に、他国の人間が居れば詳細を調べるようにというものだ。
つまり他国の人間を攫い奴隷にしているという、アバスカルにとって隠しておきたい事実を。
こいつもサクラさんが言うところの、外交上のカードとするための情報。
そして目の前に居るアヴィは、探していたその他国出身の奴隷である可能性が高い。本当にこれはただの偶然ではあるけれど。
「あ……、相棒は一緒でなくてもいいのか?」
「サクラさんには、後で伝えれば済むからね。それにあの人が居ると、君が緊張するだろうし」
どうもあまり素性については話したくないようで、少しでも引き延ばそうとするアヴィ。
でも彼女には悪いけれど、むしろ今話して貰わなくては。
そのサクラさんは現在、調べものが有ると言って宿を離れている。というのも、こうしてアヴィから話を聞き出し易くするため。
サクラさんは最初からアヴィを気に入ってはいるけれど、残念なことにその逆は若干微妙であるというのが理由だ。
決して嫌ってはいないのだろうけれど、たぶん自分に対して向けられる、好意的な感情を少々苦手としているのかもしれない。
そんなサクラさんが居ないことが、功を奏したのかはわからない。
けれどアヴィは渋々ながら、一定の義理を果たそうとするべく身の上を話し始めるのだった。
「わたしは……。アバスカルより北に在る国で、騎士団に所属していた」
「騎士団? 個人的にはどこかのお嬢様だと思っていたんだけど」
「まったく、勘の鋭い男だ。そうさ、わたしは国の地方領を治める貴族家の出だ。もっとも上に4人の兄と3人の姉が居るという、居ても居なくても同じような扱いだったがな」
遂には抵抗を諦めたアヴィは、一旦口を開くとアッサリ自身の素性を暴露していく。
それなりに良いところの生まれどころか、他国の貴族であったらしい。
これはまた随分と多い兄弟であるが、案外貴族というのは子が多い傾向も有ったりする。
アヴィはその中でも末の子、それも愛妾との間に出来た子であるらしく、あまり家の中でも重要視されていない立場であったようだ。
自分の価値を測りかねていたアヴィであったけれど、ある時商人へ金の無心をしようとしていた当主によって、その商人の愛妾となるよう告げられる。
彼女はそれに反発するかのように、自ら騎士団へと志願。以後は貴族としての立場など無かったように振る舞い、国境付近の警備に就いていたとのことだ。
なんだかどこかで聞いたことのあるような話だけれど、ともあれそもそもが貴族出身の娘であるアヴィ、騎士団内でも仲間と言える相手には恵まれなかったらしい。
「だが訓練中の事故で、森の中を彷徨ったのがマズかった」
「つまりそこで偶然出くわした奴隷商に攫われた、と」
「噂には聞いていたが、アバスカルの奴隷商が本当に国境を越えていたとはな。しかも騎士であるわたしが捕まるなど、笑い話にもならん」
彼女は自嘲するように笑うと、投げ槍に脚を組む。
もっともボクとサクラさんなどは、勇者と召喚士でありながら国軍の兵士に拘束され、結果奴隷商に売り飛ばされたのだから人のことを言えやしない。
ともあれその時の彼女は、不慮の事態によって怪我をし武器も失っていた。
そのため碌な抵抗すら出来ず数人の奴隷商によって拘束。秘密裏に造られた道を使って越境、奴隷市に流されたのだと言う。
奴隷市で鋼鉄の枷を嵌められて以降は、ボクらが既に知っている通り。
この町に来て早速奴隷を求めたサクラさんの目に留まり、こうして協力者とするべく買い取ったという流れだ。
「これで満足か? 一応話せる部分は全て暴露したぞ」
「十分だよ。……大変だったみたいだね」
「別に同情して欲しいなどとは言わん。あくまでも奴隷であるわたしに、主人であるお前が話すよう強制したからだ」
軽く言い放つアヴィは立ち上がってこちらへ近寄ると、ほんの少しだけ窓を開き雨の降り続く外を眺める。
実際本当に気にはしていないのだと思う。
というよりは自身の国に、故郷に対する未練の薄さと言っていいだろうか。
つまり彼女にとって故郷とはあまり良い感情のない場所。そして攫われた末に連れて来られたこの地もまた同様。
きっとアヴィは諸々が済んで奴隷という立場から解放されても、その後にどうしてよいのかわからないのだ。
故郷に帰る欲は無い。かといってこの国に留まるのも気に食わない。
そうとわかっていてもあえて、ボクはこの質問を投げかける。
「奴隷から解放した後、帰ろうと思うかい?」
「さっきの話を聞いて、まだそれを聞くのか」
「あくまでも念のためにだよ。君の意思次第で、ボクらも取る行動が変わるかもしれない」
ゲンゾーさんから依頼されたもう一つの目的。それを果たすために最も最良なのは、うってつけの存在であるアヴィをシグレシアに連れて帰るというもの。
そうすればもし黒の聖杯に関する手掛かりが入手出来ずに終わった場合、多少の手土産になると考えたため。
彼女を道具のように扱うという気分の悪さはあるけれど、是が非でも果たしたい目的であるのに間違いはない。
「もし国に帰りたいのなら、あるいは他国に渡りたいのであれば、ボクらは多少なり協力が出来る。どちらにせよその場合、ある程度の見返りも求める」
「碌な目的でない気はするが、お前たちがそう言うなら構わん。なにせわたしは奴隷なのだからな、拒否はできないさ」
「……卑屈もそこまでいくと面倒臭いよ」
どこか投げやりなアヴィの態度だけれど、彼女の辿ってきた経緯を思えばそうなるのもわからなくはなかった。
我が家で鬱屈し、騎士団に入っても貴族のお嬢様ということで腫物扱い。さらに負傷し他国に攫われ奴隷となった。
まだ少女と言える齢でこのような経緯を辿れば、嫌でもひねくれようというものだ。
「わたしはここから見える花と同じさ。ずっと鉢の中で育てられ、ようやく家を飛び出したかと思えば、根はまだ鉢の土に向け這ったまま。植木鉢ごと運ばれていたも同然だ」
彼女はそう言って、雨を受ける花壇やその周囲に置かれた植木鉢を眺める。
ある意味において、奴隷という立場であっても国を離れられたのは彼女にとって行幸。
けれどその本質はまだ古郷に居た頃と同じ。鬱屈し、苛立ちを抱え自暴自棄であるのは変わらないようだ。
なのでアヴィにとってはある意味、ここリグーの光景と言うのは自身を象徴しているようにすら思えているらしい。
ボクもまた立ち上がると、彼女の前にある扉を閉める。
そして部屋に観賞用として置かれた植木鉢へ歩み寄ると、植えられた花の茎を荒々しく掴んだ。
「なら植え替えようか。遠く、南の地まで」
そう呟き、鉢から生えた花を引っこ抜く。
ボクは抜いた花を根ごとアヴィに放ると、彼女の旅装を買い求めるべく、部屋の扉を開くのだった。