隷属の少女 04
ガツリ、ガツリと鳴り響く硬い音。
立ち並ぶ建物からは人の気配が感じられない、ひたすらにだだっ広い再開発区画。
そこへ立つアヴィは手にしたツルハシを、一心不乱に瓦礫へ叩きつけていた。
奴隷市でアヴィを買い、役人によって再開発区画の工事へ協力要請をされてから早4日。
初日の早朝から早速再開発区画へ赴いて以降、アヴィはこうして空き家を取り壊す作業にかかり、サクラさんは区画内の至る所を探る作業に移った。
そしてボクはアヴィの姿を窺える位置で、それとなく周囲を探っていく。
ここに来た奴隷たちが大量に失踪しているため、アヴィに何かがあれば駆けつけられるように。
ボクは手近な瓦礫を掴んで退かしながら、チラリとアヴィへ視線を向ける。
彼女は初日以降、毎日一心不乱にツルハシを振り降ろしている。別に本気で行う必要はないというのに、律儀なものだ。
とはいえこの場に居る奴隷というか、作業員は彼女ただ一人だけ。
そんな状況であるというのに、目の前に聳えるのはあまりにも多量の廃屋。奴隷を抱える人々が、自らの資産を失っては困ると出し渋っているためだ。
人がたった一人で壊していくには広すぎる区画、アヴィだけではこの先10年20年をかけても、到底終わるとは思えない。
「結局今日も他に加勢は無し、と。たったこれだけの人数で終わらせると考えるのは、無謀と言うよりもいっそ笑い話かも」
「余計な口を開いてないで手を動かせ。でないと宿に戻ってからケツを蹴飛ばしてやる!」
人の気配が微塵もない区画を眺め、ついつい漏らしてしまった感想。
それに対し少しばかり遠くにいたアヴィは、耳ざとく聞き付けボクへと罵声を浴びせてくるのだった。
アヴィはここで淡々と、他に作業をする奴隷が居ない中で動き続けている。
ただある意味で当然のことながら、彼女一人にそれをさせるのは心苦しく、ボクもまたいつの間にか彼女を手伝うハメに。
周囲の探索をしながらなのだけれど、それでも手伝いをしている以上、手加減することなくこき使ってくるアヴィ。
一応ボクは奴隷である彼女にとって主人であるはずなのに、既にそこは認識の範疇外であるらしい。
……まあ、そこは別にいいんだけれど。
「それで、肝心の物は見つかったのか?」
彼女の叱咤を受けながら、視界へ捉えつつも手を動かし続ける。
ただ一瞬目を離した隙にアヴィはこちらへ近づき、手近な瓦礫に腰かけて状況を問うた。
朝からぶっ通しで作業をしている、いい加減疲れてきたため小休止を取るつもりのようだ。
「全然。痕跡の欠片もありはしないよ」
「そうか……。いったい何を探しているのかは知らんが、早く済ませて貰いたいものだ」
彼女の向けてきた言葉へ、静かに首を横に振って返す。
するとアヴィはどことなく落胆した素振りを見せるのであった。
彼女には、ボクらが何を探しているのかを伝えてはいない。
話しても信じて貰えないかもしれないし、そもそも下手に余計なことを知って、妙な事態を引き起こすのを避けるため。
それに知っているが故に態度や素振りに現れ、なにかの拍子でアバスカル国軍にアヴィが目を付けられるとも限らないのだから。
「善処するよ。早々に見つかれば、それだけ君が解放される日も早まるからね」
軽く言い放つ彼女へと、ボクは倣ってその本音であろう部分を口にして返す。
ボクとサクラさんがなにを探しているかは知らずとも、彼女にとって重要なのはそこの部分ではない。
なによりも大切なのは、ボクらが目的を成した後、奴隷であるアヴィの役目は終わるという点だ。
つまり彼女は解放される。解放され、元居た自身の故郷に帰れるのだ。
もっとも事が終わった後、奴隷として再度売り払われるという可能性が当人の頭にはあると思うが、そこに賭けようと考えているに違いない。
「それもこれも、わたしがここで失踪しなければの話だ。お前が見張りを怠らない前提の話だな」
ここまでの数日を経て、思いのほか気を許してくれているのかも。
腰を下ろしたまま、若干偉そうにふんぞり返り言い放つアヴィ。
口調こそ固っ苦しさが残るものの、ボクよりも若干年下な彼女は、臆することなく気安い調子で軽口を叩いていた。
そんなアヴィの様子に、外に漏れぬよう心の内でだけ笑む。
手近に置いてあった鞄へ手を伸ばすと、中に入れておいた昼食の入った包みを掴んで、腰を下ろす彼女の横へ置いた。
「そっちも善処するよ。では奴隷のお嬢様、集中力を欠かさぬよう、今の内に食事を摂りたいのですがよろしいですか?」
この再開発区画へ入るため、首輪を着けたままである彼女へと、ボクは嫌味さを前面に押し出して食事休憩を提案する。
すると無言ではあるものの、アヴィの表情から柔らかな笑みが覗き、置かれた食事へ手を伸ばそうとしていた。
宿の人に用意して貰った食事をしながら、それとなくアヴィを窺う。
砂埃にまみれた彼女は、地熱によって温暖な土地で大量の汗をかいたせいもあって、滝に飛び込んだかのような有り様だ。
サクラさんが大暴れでもすれば、辺り一帯の建物も相当数が破壊され、解体作業は随分と楽になるのだとは思う。
けれど流石にそれでは色々と悪目立ちをしてしまうため、もう少しばかり苦労を強いるハメになってしまいそうだ。
風の通り抜ける場所で食事休憩を摂ったところで、立ち上がり周囲を窺う。
ほんの少しだけ昼寝をし、体力を回復させようとするアヴィが見える範疇で動き、建物の壁へ手を着き探索を再開した。
現在ボクらが居る首都という都市は、外界から閉鎖された国であるのに反し、なかなかに内では住みよい部分もあるようだ。
町中の一角には図書館が存在し、そこで古い資料をあさってみた結果、比較的古い町の地図なども残っていた。
そいつを見た限りだと、今居るこの辺りにはアバスカル国軍が使っていた施設が存在したようだ。
具体的にどういった施設かは明記されていなかったけれど、そこが逆に期待感を煽ってくる。
「あー……、暑っつい。クルス君、私の飲み物はどこ」
周辺の建物を虱潰しにしようかと考えるボクであったが、不意に背後から聞き馴染んだ声が。
振り返れば声の主はアヴィと同じく、全身をぐっしょりと汗で濡らし、置かれた手荷物の場所へ。
休憩のため戻ってきたであろうサクラさんは、水筒を煽り喉を鳴らして水を飲む。
彼女は何本か持って来た水筒の1本をアッサリ空にすると、納めてあった弁当を取り出し、パンへ齧りついていた。
「アヴィは?」
「そっちで昼寝中です。午前中からずっと動きっぱなしでしたからね」
「あら優しい。ていうかクルス君、女の子には基本そうよね」
水を飲み、少しばかりの食べ物を胃に納め一息ついたサクラさん。
日陰で横になり、既に寝息を立て始めていたアヴィを確認すると、ニヤリとしボクへ揶揄する言葉を向けてくる。
普段のボクが女の子に対し優しいかどうかはともかく、サクラさんにとってみれば格好のからかう種となっているらしい。
この町に来て以降のサクラさんは、一見して平然とした様子を崩してはいないけれど、まさに敵地のど真ん中であるのに違いはない。
警戒続きで相応に心労を溜めているのは想像に難くなく、こうしてボクをからかって気晴らしが出来るのなら、いっそ乗っかるのも手かも。
「残念なことに、サクラさんのお世話が忙しくて、相手を探す暇もないですからね。常にそういった相手は探しておかないと」
「また心にもないことを。もしその話が本心だったら、これまで君が振ってきた子たちはどうなるんだか」
「はて、記憶にありませんね」
ニヤつくのを隠そうともせず、弁当に入った果物に手を伸ばしながら喋るサクラさん。
アヴィのように大人しく横になって休憩でもしていればいいだろうに、そうしないのはこれが彼女なりの休息手段だからか。
もっともサクラさんとてもっと疲労した状態となれば、流石に口も利かず横になったりするので、今はまだ少しばかり余裕があるのかも。
そんなサクラさんであったけれど、ひとしきりやり取りをして満足したのか、ボクの方に水筒を放って本題へ入る。
「で、なにか手掛かりは?」
「今のところ皆無です。その様子だと、そっちも芳しくないようで」
「残念なことに。お土産無しの帰宅が続くのは好ましくないわね」
さっきまでの笑みは鳴りを潜め、一転して真面目な表情となるサクラさん。
彼女はこちらの状況を問うのだけれど、残念ながら期待に沿えるような返答は持ち合わせていなかった。
もっともサクラさんとて、進展があったとは思っていなかったようだが。
「この調子だと、延々工事をするだけで終わってしまいそう」
「別にそれでもいいんですけどね。なにも絶対に成果を上げろとは言われていませんし」
少々険しい表情を浮かべるサクラさんは、今回わざわざ危険を冒してまで国境を越え、こうして首都にやってきた甲斐が無いと漏らす。
気持ちとしては理解できる。なにせ同じく国境越えを試みた他の勇者たちは、依然として消息が知れない。
しかも道中では大幅な寄り道を強いられ、何日も足止めを喰らってしまったのだから。
ただボクはそういった苦労や心配を除いた部分では、案外気楽に構えていた。
というのも今回の任務、ゲンゾーさんからは無理に結果を出すことを求められていないため。
探った結果、成果が無ければそれでもいいのだ。
けれどサクラさんの方は、そんなゲンゾーさんがしていた言葉の裏を見通していたらしい。
「おっさんは良くても、たぶんお偉方は不満でしょうね」
「と言いますと?」
「おそらく今回の任務、国の上に立っている連中が、交渉材料を欲して出したんだと思う」
サクラさんは一瞬だけアヴィを見て、彼女がまだ眠っているのを確認すると、コソリと考えていたことを呟く。
今回の任務、つまりこの場所に在ると思われる、黒の聖杯が最初に召喚されたとされる手掛かりの捜索。
幸運にもそいつが残っており、上手く見つけることが出来た場合、それを外交上のカードにしようということだ。
サクラさん曰く、これはあくまで予想にすぎないとのことだけれど、案外これはあり得そうな気がしてくる。
「つまり私たちが手ぶらで帰った場合、怒られるのはあのおっさんだけって話。確かに問題はないわね」
「少々寝覚めが悪いですが。それなりに世話にはなっていますし」
「世話になった以上に世話をしていると思うけど。どちらにせよ、あの人にはちょっとだけ泥を被ってもら――」
とはいえ発見が出来なければ、どのみちお説教の一つも覚悟しなくてはいけない。
ボクらはその程度で済むだろうけれど、ゲンゾーさんは少々立場が厳しいかもしれないと、彼に申し訳なく思う。
ただサクラさんはそれもどうしようもないと肩を竦めるのだが、その時丁度視界になにかが映ったのだろうか。
彼女は言葉を中断させ、怪訝そうに一点を指さす。
「ねえ……、アレって何かな?」
弓手にしては細い指を向ける先へ、ボクも振り向いて凝視する。
そして彼女が示す場所がどこであるか察するなり、咄嗟に立ち上がり駆け出したのであった。