隷属の少女 01
着実に、ゆっくりと。
交互に手を掲げ、簡潔な言葉で数字を呟くことによって、少女につけられた金額は吊り上がっていく。
顔に大きな傷を持つ少女を取り合うのは、サクラさんと一人の男。
その両者は時折相手の方をチラリと窺いながら、奴隷市の会場で密かに火花を散らしていた。
「1200」
「せ……、1250だ!」
淡々と値を口にしていくサクラさんに対し、男の方は歯軋りせんばかりの形相。
とはいえ相手となっている商人らしき男、本当に欲して張り合っているという雰囲気ではなさそうだ。
てっきり売主が値を釣り上げる為の当て馬かと思うも、この様子を見る限りだと、人が手に入れようとした対象を欲しがってしまう気質なのかもしれない。
その証拠と言うべきか、さっきも他の客へと競うように参加していた。
「仕方ないわね……。1500」
このままでは延々じわじわと値が上がっていくばかりと考えたサクラさん。
彼女は小さく嘆息すると、少しばかり思い切って提示する額を上げる。
予算としては一応もう少々余裕はある。けれどどれだけの期間、この都市に滞在しなくてはならないかの見通しが立っていない現状、可能な限り残しておきたいところ。
けれどあの男がどこまで粘るとも知れない以上、ここで突き放した方がマシであるのかも。
するとサクラさんの思い切りが功を奏したか、あるいはいい加減意地で張り合うのも止め時であると考えたのかもしれない。
下手をすればそこまで欲しくもない奴隷に対し、自身が口にした額を払わねばならないというのがチラついたようで、男は無念そうに席へ腰を下ろしていた。
そんな棄権を態度に表した男の様子を見て、進行役は卓上へ木槌を打ち付ける。
「そちらのお客様、1500で落札です」
固い音が天幕内に響き渡り、進行役がそう告げると拍手がパラパラと沸き起こる。
これであの舞台上に立つ少女、サクラさんが落札したということになるようだ。
続いて次の奴隷が舞台上に上がってくるのを見届ける間もなく、サクラさんは立ち上がる。
ボクもまた彼女について客席を離れ、会場の裏手へ周り係の者へと落札したことを伝えた。
係の人間に案内され、会場のすぐ側に在る建物へ。そこで待合室らしき部屋に通されると、しばし待つよう告げられるのだった。
「まさかあんなに目立つ子を買うとは思ってもみませんでした」
「むしろある程度目立った方が、今回の目的を果たすのにうってつけでしょ?」
「それはそうかもしれませんが……」
待合室の席に着いて一息。ボクは室内に人が居ないのをいいことに、思考へ忠実に口を開いた。
すると嫌味たらしく聞こえるであろうその言葉へ、サクラさんは軽く笑いながら返す。
今回ボクらが奴隷を求めたのは、なにも諸々の雑用を任せる為ではない。
ある目的を成すために、"奴隷を手に入れた"という、その結果だけが欲しかったのだ。
そのためには別にさっきの少女である必要はない。男でも女でも、齢さえ若ければ別に誰だってよかった。
そして目的のためにはサクラさんの言うように、少しばかり人目につくというのが必要であったのは確か。
ただああも目立っては、多少は不安にもなろうというものだ。
「それになんだか、私はああいう子って嫌いじゃないのよね」
「まだ直接会ってもいないのに。落札した瞬間、ものすごい形相で睨まれていましたけど……」
「ああいう点も含めてよ。あとはそうね、跳ねっ返りを大人しく仕込むのは大好き」
「……当人の前では言わないであげて下さいね。なんだか可哀想になるんで」
久々にサクラさんから漏れる恐ろしい言葉と、背筋を寒くさせる薄い笑い。
勇者たちの間では、こういうのを"ドエス"とか言うらしい。
ボクはここのところ鳴りを潜めていた、彼女本来の気性であろうそれから視線を逸らし、部屋の扉を窺う。
確かこの部屋へ案内してくれた係の男は、落札した少女をここに連れてくると言っていた。
ただ少しばかり手続きにでも時間がかかっているのか、まだ姿を現さないことに多少の安堵を感じつつ、椅子の背もたれへ身体を預ける。
「それにしても、なんだかとんでもない悪党になった気分です。奴隷を買う日が来るとは思ってもみませんでした」
「こういった感覚は、育った土地による違いが大きいわね。実のところ、私もまだ抵抗がある」
「正直アルマに合わせる顔がありませんよ。口が裂けたって言えやしない」
さっきは少し面白そうであったサクラさんだけれど、案外奴隷を買うことそのものは乗り気ではなかったようだ。
向こうの世界における良識や常識は、この点においてボクらと同じ。
それにカルテリオで待つアルマのことを思えば、奴隷売買に消極的になるのも致し方なかった。
それでも今回の目的、首都の南東部に在る地区を調査するための前段階として、誰かしら奴隷を買ったという事実が必要だった。
買ったあの少女には悪いけれど、そのために少々利用をさせてもらう。
ただこの部分さえこなし、上手くこちらの考える通りの展開に持ち込められれば、買った少女に関してはその場で解放してもいいくらい。
少なくとも、危険な目に遭わせるつもりはなかった。
そんな事を考えながら待っていると、ノックを経て部屋の扉が開かれる。
見ればそこには係の男が。そして男の隣には、さきほど奴隷市で競り落とした少女の姿。
彼女は襤褸のローブを纏い、手かせを嵌められ無言で立っている。
「お待たせいたしました。申し訳ございません、少々連れてくるのに手間取りまして……」
少女を連れてきた男は、丁寧に頭を下げ謝罪を口にする。
男の口振りからすると、どうやら遅れたのは手続き云々の問題ではなく、単純に少女をここへ連れてくるのに悪戦苦闘していたからのようだ。
見れば彼女の頬には、僅かながら赤く染まった跡が。屈服させるために殴られたのかもしれない。
既に人の手に渡ると決まっている奴隷は、彼らにとっては"商品"であろうに。
こういった扱いのぞんざいさが、やはりこの国における奴隷の地位を如実に表しているようだ。
「ですがこの奴隷でよろしいのですか? かなり調教には苦労なされるかと思いますが」
「構わない。もしダメそうならまた買いに来るわ」
係の男はおずおずと、サクラさんへ確認するように問う。
どうやらかなり御するのが難しい娘のようで、後でその点について文句を言われては堪ったものではないと、釘を刺そうという意図であるらしい。
ただそんな男に対し、サクラさんはこの少女にそこまで執着をしていないという空気を装う。
今のボクらはあくまでも、少々金を持て余し奴隷を買おうと思い至った客。あえてそう思わせておく方がいい。
すると男は最終確認として書面を差し出してくる。
ボクはペンを手にすると、適当な偽名を綴っていく。サクラさんが勇者であるのは明らかで、辺に勘繰られ調べられては敵わないから。
その反面、勇者の相棒である召喚士の方はあまり気にされない。若干物悲しい気はするけれど、ここはボクが代表しておくのが無難。
前もって用意しておいた大ウソの必要事項を記し、少女の代金分が納められた麻袋を手渡すと、男は深々と礼をした。
ボクらはその男に見送られ、少女の枷へと繋がった鎖を握り、若干荒っぽく引っ張りながら建物を跡にする。
そのまま真っ直ぐに深夜の大通りを抜け、道に沿って建つ宿へ。
宿の主人に少女分の宿賃を追加で支払うと、ひとまずサクラさんの部屋へと移動し、腰を下ろしてようやく緊張を解いた。
「それで、お前たちはあたしを買って何をさせる気だ?」
ボクらが椅子やベッドへ腰を下ろすと、すぐさま少女は鋭い目を向けてくる。
そして攻撃的な声で、警戒感と攻撃性を露わとさせた。
奴隷市で鎖を握って、夜の街を歩いて宿に移動するまでの間、彼女はこれといって言葉を発することはなかった。
一応視線は合わせていたし睨まれてもいたけれど、宿に来るまでは自制していたようだ。
けれど宿に来たからにはもう遠慮はしないとばかりに、どことなく挑発的な雰囲気で、少女にしては固い言葉を発する。
「労働を求めるか? それとも憂さ晴らしに殴る? あるいは"お相手"でもしろと?」
まるで善からぬ行動に出ようものなら、こちらの喉を噛みきってやると言わんばかり。
ボクはついさっき彼女に対する印象として、まるで戦士のようであると思った。けれどそいつは訂正しなくてはいけないようだ。
彼女の纏う空気はもう一つの印象がより色濃い。つまり獣、それも獰猛な肉食獣のそれだ。
頬に深く刻まれた傷と鋭い視線、それに猥雑な雰囲気漂う言葉。それらがなお齢に似合わぬ迫力を醸し出している。
ただサクラさんはそんな少女の言葉を聞くも、一瞬だけキョトンとした後、くつくつと小さな笑いを溢す。
「だってさクルス君。遣いっ走りをさせても殴ってもいい、おまけに夜の相手もしてくれるみたいよ」
「折角ですが遠慮しておきます、特に最後のは。気が付いた時にはベッドがボクの血で染まっていそうなので」
「それが賢明かもね。……悪いけれど、私たちは貴女をどうこうする気はないの。だから最後のは絶対に無しかな、このお子様は私のだもの」
毒気を抜こうという意図だろうか。サクラさんは攻撃的な意志を向ける少女に対し、おどけた調子で返す。
それに乗っかり率直な感想と言うか予感を口にすると、彼女はカラカラとひとしきり笑った後、立ち上がり少女の前へと歩く。
サクラさんの行動に警戒し、低い体勢を取る少女。
当然武器を持ってはいないのだけれど、腰に手を伸ばそうとする素振りが見えたため、案外彼女はどこかで戦いの訓練を受けたことがあるのかもしれない。
「見ての通り私は勇者だから、下手なことはしない方が無難だと思うけど?」
「そのようだ。では奴隷を買った下衆な勇者殿、そろそろどうしたいのか教えてもらおうか」
「とりあえず最初はそうね……。貴女の名前を聞いておこうかな、なにせ会話がし辛いもの」
ヒリつくような空気が、宿の部屋を満たす。
けれどサクラさんはそんなものお構いなしに、暢気な調子を一切崩そうとはしなかった。
そのおかげか少女は微妙に毒気を抜かれたようで、ポカンと口を開く。
そしてサクラさんの促すがまま椅子に座らされると、呆気にとられた様子で静かに自身の名を口にするのであった。
ボクは彼女らの様子を眺めながら、人数分のカップに湯冷ましを入れる。
それにしても気になったのは、彼女が奴隷を買うという行為を下種と言い放ったこと。
買われる側としては堪ったものでないのは確かだろうけれど、そこから滲む空気感は、奴隷売買が一般的なアバスカルの国民が抱くモノとは異なるように思えた。
……これは色々な面で好都合かもしれない。
ボクらがこの国へ来た目的は、"黒の聖杯"最初の出現場所とされる、首都リグー南東部の探索。
けれど実のところ、それとは別にもう一つ、ゲンゾーさんからはとある指示を受けている。
あまり優先度が高くないはずなその指示も、上手くいけば同時に消化できるのではと思い、ボクは僅かに表情が緩みそうになるのであった。