花壇の都 05
夜闇の中で浮かび上がる、城塞の如き巨大な天幕。
囁きを交わす人々の声が、ざわざわという大きなうねりとなって、首都リグーの夜を彩っていく。
大通りに沿うように立つ松明は、それこそ無数に。
そんな人の喧騒と大量の明かりで満ちる大通りを、ボクとサクラさんはゆったりと歩いていた。
向かう先にある大きな天幕は、夜毎開かれる奴隷市の会場。
昨夜のボクらは、首都南東部に在る黒の聖杯最初の出現場所、現在は再開発のため閉鎖されていく区域へ赴き、ある程度外から様子見を行った。
そしてその翌日、ボクらはとある目的を果たすため、あの奴隷市へ向かう事にしたのだ。
意外なことに、この奴隷市に客としてもぐりこむのはそう難しくはなさそう。
てっきり許可を受けた人間や、名のある富裕者くらいしか入れないと思っていたのだけれど、実際には誰であろうと自由に参加が可能。
入場待ちの列に並ぶ人々とて、存外至って平凡な格好をしている人も多く、一般庶民も普通に集っている。
この光景をあえて言い表わすとすれば……。
「まるでお祭りですね。まさかこんなのが毎夜?」
ボクら他国人の感覚であれば、到底声を大にして言えやしない奴隷売買。
しかし首都リグーの住民たちにしてみれば、夜毎開かれるこの市は、ただの日常であり一種の娯楽でもあるらしい。
人々が集う理由は様々であろうが、中には冷やかしで来る者も居れば、奴隷が競り落とされていく様子を観覧に来る人間も多いと聞く。
実際普段は下手な演技混じりな笑みを浮かべる首都住民たちも、今ばかりは自然体そのものだ。
「今から奴隷を買いに行こうとしているようには見えません」
「この国において奴隷売買ってのは、そこまで大層なものではないってことね。日常の買い物の延長線上……、とまではいかないにせよ、人目を憚るような行為とは言えないわけか」
「なんと言いますか、俄には信じがたい光景です。子供まで居ますし」
サクラさんがそれとなく盗み聞いたところによると、この国の奴隷というのはそう大層なモノではなく、下手をすると一般家庭ですら奴隷を買うことがあるという。
大抵は家事をさせたり、子供のお守をさせる目的で買われるそうで、こうなればもう使用人と変わりはしない。
ボクら他国の人間には理解できずとも、これはこれでアバスカル共和国という社会を構築する、一端となっているようだった。
それを証明するかのように、客たちの中には幼い子供まで居る。
隣に立つ親へと、どんな奴隷が欲しいか駄々をこねる姿は、他国と言うよりも異なる世界に紛れ込んだかのような錯覚すら覚えてしまう。
「今の私たちは、アバスカルの国民。あまりキョロキョロしてると、不審に思われるわよ」
「……わ、わかりました」
軽く背を叩き告げるサクラさんの言葉に、ハッとし視線を前に戻す。
これではまるで首都に出てきたばかりの人間か、それこそ他国人にしか見られない。
下手をすれば不審者として、国軍の兵に呼び止められる可能性すら。
ボクは緊張を極力抑えこんで、リグー住民のフリをすると、奴隷市が開かれている巨大な天幕の入り口をくぐる。
照明は灯っているが微妙に薄暗い中を進んでいくと、ズラリと並べられた無数の席が。
その一角へ陣取り大人しく座って待っていると、少しして前方に設置された舞台上だけが強く照らされる。
と同時に沸き上がる会場。どうやら今宵の奴隷市が始まったようだ。
早速舞台上へと、首輪や手かせで繋がれた一人の奴隷が連れて来られる。
「なるほど、オークション形式なのね」
「オークシ……、なんですか?」
「見ての通りよ。客たちが欲しい商品に対し、より上の値を提示していく。そして……」
連れてこられた奴隷に関し、司会者らしき男が大まかな紹介を済ませると、一斉に会場に集った人々が挙手。口々になにやら数字を口にしていった。
しばらくそれが続いたかと思うと、舞台上に居る男が手にした木槌を卓上に打ち付け、それと同時に拍手が沸き起こる。
「最も高い値を付けた者が落札する。この後で料金を支払えば、晴れて落札者の手に渡るって方法」
サクラさんが小声でする説明を聞きながら、舞台上で次々と入れ替わっては値が付けられる奴隷たちを眺める。
確かに現れる奴隷によって、値がかなり上下しているのがわかる。
具体的には若く筋肉質な男や、まだ年若い少女などは高額に。こちらはどういった扱われ方をするのかが容易に想像がつく。
その一方で齢を重ねた人間や、若くとも線が細そうな者は安く買い叩かれていく。
「なるほど……」
「競り落としてからの流れも、完全に向こうのそれと同じ。たぶんコイツも勇者が持ち込んだに違いないわね」
どうやらこの奇異な取引方法、あちらの世界から持ち込まれたやり方のようだ。
この世界へ勇者が召喚され始めてから既に数十年。最初に召喚を果たしたアバスカル共和国だけに、諸々あちら式のやり方が広まっているのかも。
その後もボクとサクラさんは、続々と奴隷たちが現れては競り落とされていく光景を、ジッと観察し続ける。
ただ見ている限りでは、高額な値が付けられる奴隷たちに関しては、そこまで悲観的な表情をしていないことに気付く。
それもそうか、高い値で買い取られる以上、ある程度丁寧な扱いをされると言われたも同然。
下卑た欲望を向けられる恐れは多分にあるけれど、安価で売られ酷使されるであろう者たちに比べれば、遥かにマシと言った心情になるのも頷ける気がする。
一方で安値が付けられた奴隷たちは、一様に沈んだ空気を発している。
どこぞやの家で家事や子守りを任されるくらいであれば幸運。下手をすれば物同然の扱いをされ、五体満足で居られるとも限らない。
彼らがどうして奴隷という身分に身をやつしたかはわからない。けれどこの光景を見れば、アマノイワトに居た鉱夫たちのように、反乱を企てるというのも理解の出来る話であった。
「クルス君、どうしたのよ。そんな険しい表情をして」
ボクがそんなことを考えていると、突如サクラさんの声が頭の上から降ってくる。
彼女はいつの間にか席を離れ、会場内で売っていたであろう果実水のカップを手にしており、片方をこちらに差し出していた。
見れば舞台上でも一時売買が中断され、次の準備らしき作業に取り掛かっている。
周囲の客たちも思い思いに休息を摂っているようで、ボクはいつの間にかぼうっと思案に耽ってしまったようだ。
サクラさんの差し出してくるカップを受け取り、小さな声で謝罪を口にする。
「す、すみません。ちょっと考え込んでしまって」
「わからないでもないけどね。気疲れするのも当然か」
「なんと言いますか、圧倒されてしまいます」
隣の席に座り直すサクラさんは、他の客たちに聞かれぬよう顔を寄せ、ボクの言葉へ苦笑いを浮かべる。
こうして人に値が付けられ所有権が移っていく光景というのは、どうにも生理的な部分で落ち着かない。
ただそいつはボクがシグレシア王国で生を受けたからであり、会場内に居る他の客たちにとって、これは平常の光景でしかないようだ。
サクラさんにしても、あまり好ましい光景ではないのだと思う。
けれど彼女はここに至ってもう割り切っているのか、普段通りの表情を崩さず、ただ平然とし身体の力を抜いていた。
「おおよその感じは掴めた。この休憩が終わったら、次から仕掛けるわよ」
「大丈夫……、なんでしょうか」
「問題ないって。引き渡し時にも落札者の身許は問うていないみたいだし」
開幕からここまで、飛ぶように売れていった奴隷たち。
しかしボクらもまた今から、その一端に混ざる。つまりここで売られる奴隷たちの中から一人を選び、金銭と引き換えに入手を試みるのだ。
それはとある目的を果たすための手段なのだけれど、不安がまるで無いとは言い切れない。
競り落としたはいいが、ちゃんと疑われずに居られるだろうかという。
ただどうやらサクラさん、休憩に入ってから飲み物を買ってくるついでに、それとなく奴隷の引き渡しまで偵察してきたらしい。
ならば一応……、安心していいのだろうか。
あとは予算の問題だけれど、こちらはおそらく大丈夫。
さっきまでの感じであると、前もってイチノヤから受け取った額からしても十分許容範囲。
よほど高額な奴隷にでも手を出さない限り、この町で当面活動していけるだけの額は確保できるはず。
「でもゾッとしませんね。下手をすると、自分たちがここに並んでいたかもと考えると」
「そいつは言えてる、もしそうなっていたとしたら案外、2人一組で売りに出されたかもよ」
「笑えない話です。……出てきました」
ちょっとの緊張を誤魔化すべく口を開いていると、再び競売は開始され舞台上に照明が灯る。
そうして最初に出てきたのは年若い娘。それも顔の大半はフードに隠れて見えないけれど、かなり整った容姿をしていることが窺えた。
となればそれなりに高い値が付くであろうから、今回は見送りであろうかと息を吐く。
ただ司会の男がその少女が被っていたフードを剥がすと、観客席から感嘆ともため息ともつかぬ声が漏れる。
美貌。という言葉が脳裏に浮かぶ。
フードの下から現れたのは、かぶっている時に想像した以上に整った容姿。
肩まで伸びた、ここアバスカルよりもさらに北方の民に多いとされる、赤い髪を持つ少女だ。けれど……。
「あいつは無いな」
「ああ。折角の上玉だが、あの"傷"じゃ商品価値はかなり下がる」
すぐ近くへと座る、男2人組はその少女を見るなりガッカリとした様子を露わとした。
確かに舞台上に立つあの少女、人目を引く程にとても整った容姿をしている。
けれどその左頬には、遠目からでも見えるほどに深く刻まれた大きな傷跡が。客たちが感嘆の声と共に、残念そうな声を漏らしたのはこのためだ。
その傷に対する客たちの反応が気に入らないのか、あるいはこういった場に立たせられている反骨心からだろうか。
少女が客たちを睨みつける眼は、今にも喉元へ食らいつかんばかりにギラついており、獰猛な肉食獣の如き気配を漂わせている。
ただの少女というにはあまりにも剥き出しな、抜身の刃の如きその視線は、まるで敵を前に武器を構える戦士だ。
「サクラさん、あの娘は止めておきましょう。目立ってしまうかもしれませ――」
その少女を商品とし、早速競りが開始される。
けれどそんな鋭い雰囲気や顔の深い傷もあってか、なかなか客たちは値を付けようとはしない。
本来であれば見目麗しい少女だけに高値が付きそうなものだけれど、明らかに御するのが難しいとわかりきっているだけに。
ならばこそ、安く買いたたけるかもしれない。
そういう打算があるにはあるけれど、これだけ客たちを委縮させてしまった"商品"。競り落とせば奇異の視線を向けられる可能性も。
ボクはその点が気になって二の足を踏み、サクラさんにあの娘は諦めた方が良いだろうと口にしかける。
「500」
けれどそんなボクの考えなどどこ吹く風。サクラさんは挙手をし、最低価格よりも少しだけ上乗せした額を口にしたのであった。