花壇の都 02
自治都市アマノイワトにおける、諸々の出来事を終えて早数日。
ボクとサクラさんはアバスカル共和国の中南部、うっすらと緑の生える草原地帯を歩いていた。
向かう先は無論、アバスカル共和国の"首都リグー"。
国境を越えてから既に1ヶ月近く。ボクらはようやく本来の目的を果たすための道程に戻ることができたのであった。
けれど結局、イチノヤが着けてくれた案内人とやらも、同行してくれるのは途中まで。
なにせアバスカル共和国と敵対する、反攻勢力の人間だ。もし捕まりでもしたらただでは済まないはず。
そういう意味ではボクらも似たような物ではあるけれど、こちらはどうしても首都リグーまで行かなくてはならなかったのだから仕方がない。
経路としては、共和国の南部に向け走る鉄道の線路まで出て、そこを辿って一直線に北へ。ただそれだけだ。
どうしたところで迷うはずのない手段。警戒すべきは、日に一度ほどの頻度で通過する列車から身を隠すことくらい。
なのでボクらは小さな携行用天幕といくらかの食料を友とし、延々線路に沿って歩き続けていた。
その道中。陽もすっかり落ちたため野営を行うべく、天幕を張って小さな火を熾す。
簡単な食事を作ってそいつを平らげ、道中に見つけた泉で得た水でサクラさんが身体を拭いている間、ボクは焚火の火を頼りに紙へと向き合っていた。
「なによ、また手紙を書いてるの?」
ペン先を奔らせ、そいつに思い付いたことを綴っていく。
綴っているのは、時折お師匠様宛てに書いている手紙。
ただそれに集中していたためか、いつの間にやら身体を拭き終えたサクラさんが天幕から出てきて、手元を覗き込んでいた。
「なんと言いますか、定期的に書かないと落ち着かないというか」
「趣味、というのとは違うわね。さてはお師匠さんに会えなくて寂しいとか」
「そういうのとも違いますって。あえて言うなら習慣ですね」
ニヤリとするサクラさんは、背後からボクの頬を突きからかいの言葉を口にする。
確かに見ようによっては、お師匠様から離れられない子供のようにも見えるのかもしれない。
けれどこれは言ったように、半ば習慣によるもの。
手紙という形でしたためることによって、自分自身の思考を整理するというのが主な目的。
それに今書いたところで、どのみちお師匠様の下へは届かない。なにせ送る手段がないのだから。
「折角で悪いけれど、それは処分しなきゃダメよ」
「わかっています。なにが切欠で、素性がバレるとも知れませんし」
ボクはほどほどに書き終えたそれを、焚火の中へと放り込む。
どこの誰へ宛てか記してはいないし、自分たちがシグレシア王国の人間であると匂わす内容も書いてはいない。
けれど何を見落としているかもわからないし、もしアバスカルの国軍に目を付けられた場合、下手に勘繰られる恐れがあるので念の為に。
貴重な紙を使ってこのようなことをするなど、かなり贅沢な行為なのだとは思う。
ただこれがボクにとって数少ない、趣味と言うか気晴らしでもあるのはサクラさんもわかっているようで、彼女もこれに関しては見逃してくれるようだった。
燃えていく手紙が火の粉を巻き上げ、暗い夜の空へと消えていく。
そんな光景を、手にしたお茶の温かさを堪能しながら眺めていたボクであったけれど、突如カップを持つ手が掴まれるのに気付く。
「隠れて!」
サクラさんはそう叫ぶと同時に、ボクの腕を引っ張り草むらの中へと放り込む。
転がった先で呆気にとられながら見ると、彼女は焚火へと土を被せて消火し、天幕を乱雑に回収して駆けてきた。
「もしかして、列車が来るんですか?」
「まだもうちょっと後だけどね。念の為に、すぐ逃げられるようこいつを畳んでおいて」
だいたいの予想は付いていたけれど、案の定サクラさんが隠れようとしたのは列車の接近に気付いたため。
日に1度程度の頻度で通過する列車ではあるが、そいつがいつ通るかはまるで知れない。
ただボクにはまだ聞こえないけれど、どうやら遠くから走る音が響いているようだ。
グシャグシャになった天幕を押し付け、サクラさんは自身の弓を準備し始める。
星明りしか存在しない夜間。一応火を消し隠れてはいるし、向こうは高速で移動をしている。
それでも万が一発見され、戦闘になってしまった場合に備えて。
ボクも用心のために待機をしていると、徐々に耳が甲高い音を捉えるのに気付く。
サクラさん曰く、蒸気の噴き出す音であると言うそれは、徐々に近づいてくるのがわかる。
先頭部分には強い光源も着けられているようで、ボクはその光に当たらぬよう、深く身を沈めて草の中に馴染んでいく。
少しして轟音は近づき、黒く塗装された列車が勢いよく通り抜けていく。
その強い振動に眉をしかめつつも、列車を眺めるボクは頭に浮かんだちょっとの願望を口にした。
「それにしても、こいつに乗って行けるならどれだけ楽か」
「まったくね。歩いていくよりはずっと早いし、食料だって節約に――」
イチノヤの話によれば、こいつは道中幾度つかの拠点を経由しながら荷を積み、首都リグーへ向かうとのこと。
なのでもし密かにこの列車へ忍び込めば、こうして野宿をしつつ長い距離を延々と歩くというのを、リグーに着くまで続けなくてもいいのだ。
とはいえこの国に入ってすぐ、拘束されてこいつに無理やり乗せられたのだ。
そんな発想をしてもサクラさんは反対するだろうと思っていたのだけれど、むしろ彼女はしみじみとこの考えに同調する。
同調するだけで、冗談の範疇で済ますのであればいい。
けれどサクラさんは一瞬声を詰まらせると、口角を上げてよろしからぬ誘惑を口にした。
「……乗っちゃおうか」
「前回コイツに乗って、酷い目に遭ったのをお忘れで?」
「もちろん覚えてるわよ。でも悪いのは私たちを奴隷商に売り渡した連中であって、この列車そのものに罪はない」
なんだか強引な理屈にも思えるけれど、サクラさんは目の前を走る列車へ嬉々とした視線を向ける。
どうやら彼女はもう乗り気でるようだ。……乗り物なだけに。
すると有無を言わさぬとばかりに、ボクは再び腕を引かれる。
畳み終えた小型の天幕を小脇に挟み、サクラさんの身体と繋がるように高く舞い上がる。
助走無しで地面を跳ねたサクラさんは、ボクや諸々の荷物を軽々と列車の屋根へと運んだのだ。
着地したそこは、形状からして貨物用の物。
ドカリと大きな音がするも、中からは人の気配がないことに安堵すると、サクラさんはそのまま屋根の上で腰を下ろす。
「いやー楽だわ。最初からこうすれば良かった」
「とんでもなく寒いっていう点を除けば、おおむね同意です」
速度としては、サクラさんがボクを抱えて走るよりも、少しばかり早いといった程度だろうか。
けれど首都リグーまでは、徒歩でさらに数日はかかる行程。
その距離を自身の脚で歩かなくても良いというのは、サクラさんにとってこの上なく好ましい状況であるようだ。
とはいえ荷物の積み下ろしなどの時には、どこか別の場所へ隠れなければ見つかってしまうし、なによりもこの吹きつける風だ。
いくら夏の盛りな時期とはいえ、ここアバスカル共和国は全土が高地。風は冷たく徐々に体温を奪っていく。
進む列車によって巻き起こる風を受け、小さく身体を震わせたボクへと、サクラさんは取り出した上着を放ってくる。
一方で自身はさっき畳んだ天幕の一部を解き、大雑把に身体へと巻き付けていた。
確かにこれは案外温かいのかもしれない。
「ともあれ、これで首都まで一直線ね。あとは停車中に見つからないようにすれば完璧、ノンビリいきましょ」
「では移動が楽になった訳ですし、ノンビリとする前に諸々の打ち合わせでも」
あとはもう楽にしていればいいと言わんばかりに、貨物車の天井で寝転がるサクラさん。
気持ちとしては理解できるけれど、列車の速度を考えれば首都に辿り着くのはそう先の話ではないはず。
その前に今後の方針を確認しておかなくては。ボクはそう考え、横になるサクラさんへと大まかな予定を列挙していく。
まずは首都リグーへの潜入。これはそこまで難しくはないはずだ。
首都の近隣には小さな都市が点在し、そことの間を行き来する人が多いらしく、人の出入りの頻繁さもあって警備の兵もそこまで検査はしないとのこと。
次いで拠点の確保だけれど、こちらも問題はない。
元々一定量の大陸共通通貨は持っていたが、イチノヤがさらに用立ててくれたためだ。
適度に利用する者が多く、人に紛れるのに好都合な宿を見繕えばいい。
ただ問題となるのはその次。"嘆きの始祖塔"で発見した絵に描かれていた、都市内の一角へ標された場所。
おそらくは黒の聖杯が最初に召喚されたであろうそこの調査、こいつは少々厄介であるかもしれない。
なにせあれから何十年も経っている。けれどだからこそ、下手をすれば国軍の施設でも建っており、厳重な警備が敷かれている可能性も。
人の目を逸らすために、逆に更地とでもされわかり難くなっている方がまだマシだ。
「ありえない話じゃないか。そうね、もしあの場所が厳重に警備されていた場合は……」
「場合は?」
「諦めて撤収ね。気取られない内に、尻尾を巻いて逃げ出すのが正解」
なんとも単純明快。粘って好機を窺うよりも、早々に諦身の安全を図るべきだというのがサクラさんの意見。
それではこの国に来た目的を達せられないのではと思うも、これはこれでちゃんと状況証拠というか、推察する種にはなるとのこと。
「なんにせよ、行ってみないとなにもわからないけどね」
「では到着するまで、しばしの休息ですか。こんな場所で眠れるのであればの話ですが」
なるようにしかならぬというサクラさんの言葉に二の句を告げず、ボクも彼女に倣って貨物車の屋根でゴロリと横になる。
ただ一定の頻度で揺れるため、安眠できるとは到底言い難い。それに吹き付ける寒さもあるけれど、なによりも怖いのは落下。
かなりの速度で走る列車の下は、金属でできた線路や固い地面。ここに落ちればただでは済むまい。
嫌な想像に緊張は緩みそうもなく、ボクは睡眠を摂るというのを諦めた方がいいのかとも考える。
「もし落ちそうになったら、ちゃんと掴んで上げるからさ。それとも落ちないように抱き着いて眠る?」
そんな不安を滲ませるボクへと、サクラさんは横になったままで両の腕を広げ、冗談めかして告げる。ここに飛び込んで来いと。
きっとその方が安全なのだろうとは思いつつも、流石にサクラさんの冗談に甘えるのは気恥ずかしい。
ボクは彼女の言葉に苦笑を浮かべて誤魔化すと、身体に上着を撒き付け、天井の僅かな突起を掴みながら身体を丸めるのであった。