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愛しきその香り 09


 無音。狭く暗い坑道内で地面を蹴ったサクラさんは、瞬き一つする間にカガミとの距離を詰めていた。

 正確にはかつてカガミであった存在だけれど、ヤツへと一足飛びに接近した彼女は、手にした短剣の刃を狂いなく首元へ奔らせる。


 この狭い空間、彼女が得意とする弓は使えない。

 とはいえカガミとて、元々得意としていたであろう中剣は使えない。

 なにせ手にしていたそれは、身体を変異させた時に取り落とし壁際へと転がっており、その腕を振り回すことしかできないはずであった。



「避けろ嬢ちゃん!」



 そんなサクラさんへと突然叫んだのは、ボクの少し前で立ち塞がるように待機していたイチノヤ。

 何かに気付いたのか彼がハッとし叫ぶと、直後にその声へ反応しサクラさんは真横へ飛び退いた。


 直後、振り回される漆黒の腕。と同時になにか不可視の物が暗闇を切ったのに気付く。

 そいつはボクから少しだけ離れたところへ当たり、ガツリと硬質の音を立てた。

 唖然としながらそちらを見ると、置かれたランプの明りによって照らされた壁に刺さっていたのは、黒々とした数本の刃。



「ちょっと、冗談キツイっての……」



 ほんの一瞬だけこちらを振り返り、壁に刺さった刃を確認するサクラさんは、その光景に狼狽の声を漏らす。

 丁度掌を広げた程度の長さをしたそれは、カガミが持っていたはずの投擲ナイフとほぼ同じ大きさ。

 そいつは壁に刺さってから少しして、闇の中へ溶け込むように掻き消えていった。

 つまり本物の投擲用ナイフではなく、一種の魔物とも言えるモノで構成された擬似的な刃だ。


 その黒い刃、カガミが腕を振るう度に出現するらしい。

 今度は警告されるまでもなく、サクラさんは回避を行っていく。

 もっともほとんど見えてはいないようで、半ば感や反射によって辛うじて避けているといった状態だ。



「嬢ちゃんよ、加勢するか?」


「冗談! 私が撒いた種みたいなもんよ、一人でなんとかしてみせる」



 次第に後退り、徐々にカガミとの距離を離していくサクラさん。

 そんな彼女へと、イチノヤは加勢を申し出ていた。


 しかしサクラさんはこちらを振り返ることなく、すぐさまその言葉を跳ね退ける。

 あちらの世界で自身の部下であったカガミに執着させ、こちらの世界で悪意を振り撒くようになったのは、自身にも一抹の責任があると考えたようだ。

 決して彼女自身に責任などないはず。それでも自分でなんとかしようとするのは、やはり向こうの世界から続く相手への情だろうか。



 その後もカガミはやたら滅多に腕を振り回し、延々と黒い刃を放ち続けてきた。

 ひたすらに無言で、人であったことなどまるで感じさせぬ、無機質な気配と行動。

 もっともここは以前にも見た、カラシマが魔物化した時とほとんど同じだ。


 違う点があるとすれば、あいつはボクとサクラさんへ幻を見せてきた。

 しかしカガミはそういった、ある種特別な精神攻撃の類をしては来ないようだ。



「押し返しているな。この調子なら……」



 例の精神攻撃が来ないためか、それとも元来の実力が物を言っているのか。

 回避行動を取り機を窺っていたサクラさんが、徐々にその距離を詰めつつあると、イチノヤは満足気に呟く。

 目視が困難であっても、ひたすらにカガミの攻撃は単調。

 どうやらカラシマの時とは異なり、魔物化したカガミの方は、策略を巡らすという知能が上手く残ってはくれなかったのかもしれない。


 これが元来持つ勇者としての資質の差なのか、それとも取り込んだ黒の聖杯の差なのかは不明。

 けれどこちらにとっては好機だ。シグレシアで遭遇したそれよりも、一段か二段落ちる相手であれば、サクラさん1人でもなんとか討伐できるかも。



「悪いわねカガミ。これで終わり――」



 短剣を握るサクラさんは、カガミまであと一歩というところまで接近。

 ようやくその逆手に握った刃によって、向こうの世界からの繋がりへと奔らせようとしていた。

 ごくごく短い間に、サクラさんは簡潔な別れを呟く。


 だがサクラさんの向けた刃が、首元に相当する位置へ触れようとした時だ。

 突如として真っ黒な姿のカガミは、長くなった髪を振り回したかと思うと、大きく口を開いたのだ。それこそ人を呑み込めそうなほどに。

 開かれた口の奥、喉に見えるのは……、鉛色をした杯。黒の聖杯だ。

 なぜか暗闇の中でもクッキリと浮かび上がっていたそいつは、満たされていた黒い粘液を勢いよく噴き出した。


 すかさず回避のため後退するサクラさん。

 ただ黒い飛沫が僅かながら届きそうになっていたため、彼女は手にしていた短剣で防御。

 再度その距離を離してしまったのだけれど、サクラさんが防御に使った短剣を見たところで、困惑に目を見開く。



「酸だな。こいつはまた厄介な」



 その光景を目にしたイチノヤは、小さく舌打ちせんばかりの悪態をつく。

 なにせサクラさんが持っている短剣は、中ほどから折れてしまっていたから。いや、折れたのではなく溶け落ちたのだ。

 ほんの少しだけあの粘液を浴びただけだというのに、短剣がまるで使い物にならないほど溶かされてしまっている。



「ったく、折角クルス君がくれたってのに。ダメにするのはこれで2度目よ……」



 そんな自身の武器を見下ろし、サクラさんもまた悪態をついていた。

 あの短剣、ボクがつい最近彼女へ贈った代物で、確かにしばらく前に損壊したそれの代わりとしてあげた物。

 なので再びダメにしてしまった事に、サクラさんは落胆を禁じ得ない。


 ボクも若干ガクリとするものを感じるのは確かだけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。

 悲観に暮れている余裕などなく、サクラさんは短剣を足元へ転がすと、拳を握り腰を低くした。

 どうやらこのまま、素手での戦闘に移行しようというつもりらしい。



「む、無理ですって! 金属を溶かすんですよ!?」



 当然その行動、無茶としか言いようがない。

 ボクはイチノヤを追い越し、前へ駆け出そうとしてしまう。

 ただ彼によってそれを阻まれると、すぐさまその腕を掴み返し懇願を口にした。



「お願いします、サクラさんを……」


「お前がそう言うのなら、助けるのはやぶさかじゃないがな。だがあのお嬢ちゃん、俺の助けを求めてはいないようだぞ」



 聞いた限りではあるけれど、イチノヤはここアバスカル共和国において最強と称されるほどの勇者であるようだ。

 ならばこの場で最も強い存在である彼に頼めば、窮地を脱してくれるのではないか。

 そう考え助けを求めると、イチノヤはそんなこと簡単だと言わんばかりに平然とするも、加勢そのものには難色を示した。

 全てはサクラさんが望んでいないであろうという理由で。


 そしてそのことを肯定するように、こちらを振り向かぬサクラさんは、なおもされる黒い刃の攻撃を回避しつつ叫ぶ。



「その通り、悪いけど加勢は御免被るわ! ……とは言え武器が無いのは困りものね」


「なら俺のを使いな。そのくらいは受け入れてもらう」



 案の定、サクラさんの口から発せられたのは拒絶。

 けれど彼女も、武器を持たぬ今の状態では到底戦いにならないというのは理解していた。

 そこでイチノヤは彼女の同意を待つことなく、自身の腰に差していた大振りなナイフを抜き放ち、軽くサクラさんへ投げる。


 流石にそこまで拒否する気はないようで、彼女は振り返ることなく後ろ手に掴む。

 すると躊躇せず一気に突進。何度か小刻みに横へステップ踏みつつ回避をしながら接近すると、一刀のもとにカガミを真横に薙いだ。

 その一撃で、胴体が一刀のもとに斬り飛ばされ、地面へと崩れ落ちる。

 サクラさんの腕程な長さをしたイチノヤのナイフ。元々凶悪だとは思っていたけれど、想像していた通りの破壊力を秘めていたようだ。



「まだだ。ヤツはまだ生きている」



 しかし勝利に興奮しかけるボクを制したのはイチノヤ。

 つい無意識にサクラさんへ駆け寄ろうとしたところを、またもや制止した彼はこの戦いがまだ終わっていないと口にした。


 見れば斬り飛ばされたはずの下半身は、断面部分から再び生えようとしている。

 特定の生物が、身体の一部を切り離して囮とし、後からまた再生するかのように。



「まさに影だな。斬ったところでものともせんか」


「そんな、前はこんな再生なんて……」


「前に見たってヤツは、あんな酸を使ってこなかったんだろう? なら個体によって、その性質が大きく違うってことだろうよ」



 サクラさんの攻撃など物ともせず、すぐさまその身体を元通りにしようとするカガミ。

 だがイチノヤの言う通りなのかもしれない。魔物だってそうだ、外見が違えば持つ習性や能力だって大きく違う。

 黒の聖杯によって取り込まれた元勇者が、まったく異なる能力を得ていてもなんら不思議はなかった。


 けれど決して無敵などではないはず。

 そんな魔物など過去に一度として存在した例はないし、そもそもそのような存在が居ては堪らない。

 サクラさんもそう考えたか、再生を終えたカガミへと接近、さらにナイフを奔らせていく。

 ……でも効いているようには思えない。腕を斬ろうと、脚を斬ろうと何度も再生していく。



「ん……?」


「どうした?」


「いえ、なんとなくですけど、一部庇っているような気が」



 いったいどうしたものかと、ボクは暗い坑道の中でジッとサクラさんの戦いを凝視する。

 するとあるところでふと、カガミであった魔物の動きに妙なものが混ざっているように思えたのだ。


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