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愛しきその香り 08


「こっちだ、下がって見ているといい」



 サクラさんが手にした短剣を握り直し、カガミへと向ける。

 その直後、イチノヤによって身体を引かれ、ボクはランプのみを置いて少しだけ坑道の奥へ引っ込んだ。

 これから始まるのは勇者同士の戦い。ここでボクの半分だけ持つ力など無意味だと、そう言わんとする行為だ。

 けれど異を唱えることなど出来やしない。実際にそれは否定できないのだから。


 ボクは置いたランプの明りに照らされるサクラさんをジッと見る。

 するとその気配に気づいたのかどうか、彼女はこちらへ振り返ると、小気味よく片目を閉じて告げた。



「クルス君はそこで待っていて頂戴。こいつを終わらせたら、良い子良い子って言いながら頭を撫でてあげる」


「子ども扱いは、勘弁して欲しいんですが……」


「そう言わないでよ。君をからかうのは、私の数少ない楽しみなんだから」



 こんな状況だというのに、ニカリと笑みを浮かべるサクラさん。

 彼女はそれだけ告げると、再び刃をカガミに向ける。


 するとそんなサクラさんの姿を、カガミは虚ろな目で見ているのに気付く。

 なにか再び嫌な感覚を受け、身体に力を入れると、あの人は悲痛な声を漏らした。



「やめて……、くださいよ」


「止める? なにを?」


「なんでその子に笑顔を向けるんですか。さくらさんのそれは、わたしだけに向けないとダメなんです! だってわたしだけの、あたしだけの先輩なんですから!」



 突然激昂し、坑道内の全てへ響かんばかりの声で叫ぶ。

 鼻先へ自身の髪を当て香りを嗅ぎ、小刻みに腕を振るわせ強く動揺を露わとしている。

 これまで見たことが無い、とても大きな困惑、感情の揺らぎ。


 そんなカガミに、サクラさんはしばし押し黙る。

 けれどすぐに大きく息を吐くと、冷たく言い放つのであった。



「私は過去に一度でも、特定個人のためだけの先輩や上司になったことはない。全部貴女の想像、空想の世界での話」


「なんで、そんなことを言うんですか! あたしが、こんなに慕っているのに!」


「どうしてもなにも、事実だもの。でもそうね、あえて言うなら――」



 声は震え、目には涙さえ浮かべるカガミ。

 そんな彼女へと、まるで煽るようにサクラさんは淡々と言い続けた。

 突き放すかのようであり、自身の考えに微塵も揺らぎはないと言いたげだ。


 そんなサクラさんは最後に言い切る。これこそが確固たるものであると。



「とあるお子様の相棒に、その子だけの勇者になった覚えならあるのよね。……うん、コレだけは確信を持って言える」



 チラリと、背後のボクへと視線を向ける。

 そのサクラさんが発した言葉に、ボクは心臓を射抜かれたかのようで、思考が高速回転し声にする事すらできない。

 戦いの場に立つ緊張感のせいか、それともサクラさんの言葉による影響かも、断言できない程に。


 でもボクの方も、これだけは言えそうだ。

 サクラさんが発してくれたこの言葉は、十数年という自身の生において、もっとも響き精神を震わせるものであったと。


 けれどその一方で、カガミはそのサクラさんが発した言葉に唖然とする。

 そして伏し目がちとなると、再度拳を握りしめ身体を震わせた。



「あなたなんて……。お前なんて」



 そのカガミは小さく漏らすように、

 ただその声から漂うのは、サクラさんに向けていた信愛の情や過度に過ぎる執着ではない。

 どちらかと言えば、憤怒。あるいはボクに対して向けていたのと同じ、底冷えする悪意や敵意。



「あたしの大好きな先輩じゃない。お前は誰だ、先輩の皮を被った糞(アマ)!!」



 剥き出しの、感情の根底が発露したような声。

 いや声というよりも、叫びと言った方がよいだろうか。

 猛烈な憎念が混ざり込んだ、カガミがこれまでボクに抱いていたそれと、ほぼ同類の感情をサクラさんへ向けたのだ。


 そして、発露されたのはそれだけではないようだ。

 なぜかその時にゴポリと、カガミからは鈍い音がしたような気がした。

 それと同時に薄くランプで照らされたカガミの目から、そして耳や爪の先から、突然ドス黒い粘液状のものが涙のように滲み出す。



「おいおい、冗談だろう。あいつは――」


「ええ、……"黒の聖杯"です」



 その光景を見て、イチノヤはボクの前に一歩踏み出す。自身を盾とせんが如く。

 きっと彼は今の光景に見覚えがあり、カガミに何が起きたのかを瞬時に察した。

 そしてボクもまた、目の前に現れたそれの正体をすぐさま呟いた。


 小さなランプの明りのみで浮かび上がる坑道を、なおも黒く染め上げるような、漆黒そのものといった色。

 そいつはこの大陸における、最大の脅威。

 人を脅かし同時に恩恵ももたらす、魔物と呼ばれる存在を生み出す根源。

 黒の聖杯と呼ばれるそいつは、鉛色をした杯という外見ながら、満たされた黒い液体によりそう名付けられた。



「だが人の身体から現れるってのは」


「いいえ、そういう例はあります。それも勇者を取り込んだという例が」



 今まさにカガミから現れているのは、その黒の聖杯が溢す魔物の大元となるもの。

 ボクとサクラさんは以前にも、これとほぼ同じような光景を目にしたことがある。

 シグレシア王国の王都エトラニア。そこに居る王国最強と呼ばれる勇者の一翼、カラシマと呼ばれる人を黒の聖杯は取り込んだ。

 彼も相当に高い能力を持っていたけれど、それでも人格を上書きし、己が眷属の如く操ったのだ。


 そういえば彼もまた、家族を失ったことにより内へ黒い感情を抱えていた。

 カガミはカラシマとは異なるけれど、もしやそういった黒々とした憎悪や絶望を抱えた人間を選ぶというのだろうか。



「取り込んだら、いったいどうなる?」


「……魔物と化します。それも尋常でなく強力な、かつ人の知性を兼ね備えた存在に」



 次第に身体全体を覆っていき、憎々しげな表情すら黒く染まっていく。

 まったく同じであるとは言わないけれど、黒に浸食されていく様はカラシマとよく似ている。


 イチノヤへとその話をしながら、ボクは身体の奥底から恐怖心がせり上がって来るのを感じていた。

 王都で起きたあの一件によって、とんでもない大怪我を負ってしまったというのもあって。

 もっともそれは自らが行使した、半分引く勇者の血を発揮し、結果負荷に耐えかねた結果なのだけれど。


 あの時はゲンゾーさんという王国最強の勇者が居たおかげで、なんとかその場を切り抜けられた。

 けれど今この場に彼は居ない。その代わり居るのは、この国で有数の勇者であるというイチノヤ。そういう意味では救いと言える。


 考えてもみれば、そもそもボクらはこいつ、黒の聖杯の正体というか起こりを調べるべくこの国に潜り込んだのだ。なのである意味、念願叶ったり。

 後ろへ下がっているボクが、そんなことを考えている間。逆にサクラさんは一歩前に出る。

 そして変異しつつあるカガミを眺め、ちょっとだけ憐憫めいた声で呟く。



「ああ、そういう事ね……。加賀美、あんたもそれに取り込まれたってわけか」



 一応彼女とて、カガミに対し一切の感情を失っていたとは言い難い。

 けれどこれによってある程度の割り切りは済んだのか、手にした短剣をスッとカガミへと向けていた。


 対しカガミも何事かを発するのだけれど、その時には既に人としての在り様を失ったためだろうか。

 声はくぐもって聞き取れぬものとなっており、いったい何を言い返そうとしたのかすらわからなかった。


 そのカガミであった存在は、全身を覆う粘液によって、身体を黒く染め上げる。

 そして少しずつ人としての形を変えていくのだけれど、以前に見たそれとは少々様子が異なっていた。

 カラシマの時は人らしき形ながら、相当の巨躯となっていたのだけれど、カガミの場合は少々異なる。

 人としての形を保ちつつ、その大きさも人と同じ。ただ人の形をした真っ黒な影と言えるそれは、髪だけが長く変わっていたのだ。


 ボクはこの姿に、見覚えがある。



「サクラ……、さん?」



 間違いない。これはサクラさんの姿、それも今の髪が短くなった状態ではなく、こちらの世界へ召喚をした時の姿。

 髪の長さもだけれど、影だけとなった服装の形状が同じ。

 召喚した時、向こうの礼装であるという黒地の服を纏っていたサクラさんと、ほぼ同じ姿であったのだ。



「まったく悪い冗談ね。受け入れて貰えないのなら、自分自身が私になろうだなんて」



 サクラさんは変わり果てたカガミの姿を見て、誰へ向けているのかもわからない言葉を吐く。


 だがこうなったのも理解は出来るかもしれない。あの姿はカガミにとって、まさに理想の体現であろうから。

 サクラさんが言うように、黒の聖杯という存在に支配をされ、願望の奥底にある姿へと変異してしまったのだ。


 そんなカガミの姿を見て、サクラさんはグッと姿勢を低くする。

 手には短剣。この狭い空間で突進をし、その刃を奔らせようという意志の表れだ。例え向こうの世界に居た時からの知り合いであっても。

 こうなってしまった以上、おそらく助ける手段は存在しないために。



「悪いわね加賀美。この世界に召喚されたことを、慕う相手が私であったことを恨みなさい」



 サクラさんはそう呟くと、短剣を手に地面を蹴る。

 その刃は確実に、人の形のみを成した黒い影の首へ目掛け、鋭く振られるのであった。


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