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愛しきその香り 07


 全力で、ただひたすらに駆ける。

 小さなランプ一つを持って、真っ暗で足元はゴツゴツとし、ひたすら走り難いそこを全力で。


 時折体勢を崩し、坑道の壁に肩をぶつける。

 その度に鈍い痛みと衝撃が襲い、苦悶の声が漏れつつも、なお力の限り走り続けた。

 リアが作ってくれた僅かな隙と時間。長引けば長引く程に彼女が傷付くその時を、少しでも短くするべく坑道の外を目指して。


 しかし実のところ、どちらへ向かえばいいのかはわからない。

 途中で幾度となく道は枝分かれし、直感を頼りに進んではいるものの、こちらが正しく外へ向かうのかは定かでなかった。

 それでもあの場に留まるよりは、外に出られるという微かな可能性に賭けるしかないのだ。



「ハッ、ハッ、ハ……」



 息が上がる。

 リアによって逃がされてから延々走り続けたことで、脚は悲鳴を上げ裂けそうになり、肺は空気を渇望し破裂せんばかりに早鐘を打つ。


 なにが勇者の血だ。たったこれだけ走った程度で、もう泣き言を発する身体な癖に。

 ボクなど半分だけ引いた勇者の力を、片手でも数えられる回数発揮しただけ。それもただのまぐれで、自らの意志で行使したことなどまるでない。

 しかも勇者の片鱗が顔を出す度、自らの力に耐えきれずボロボロになる有り様。

 それでよくリアに対し、一緒に戦おうなどと言えたものだ。


 ボクは自身に対し悪態をつきつつ、真っ暗な坑道内を走り続ける。

 そうして遂には限界を迎えて止まり、手にしたランプを落としてしまいそうなほどに荒く息を弾ませ、冷たい岩の壁に身体を預けた。

 しかしものの数秒もせぬ内に、大きく息を吐くボクへ被さるように、その声は響く。



「あら、もうお終い?」



 呼吸を整えることすら忘れ、声のした方を向く。

 手にしたランプで照らす先、ものの10歩程度しか離れていない至近距離に立つのは、クスクスと愉快そうな笑みを浮かべたカガミの姿。

 彼女の手には、若干小振りで中ほどから折れた槍が握られている。……これは、リアが愛用している短槍だ。



「せめてどこかに隠れるまでは、追いついていないフリをしてあげようかと思ったのに。こんな所でヘタレちゃうんだもの」


「リアは……、彼女は」


「さっきの子? あの子なら今頃地面と熱い抱擁をしている頃。赤く赤く、情熱的に」



 リアの持つ槍がこの人の手にあり、ここに立っている。それはつまり、リアが敗北したことを表していた。

 その証明とも言える槍を、カガミはつまらなそうに背後へ放り投げる。意味深な言葉と共に。



「運が良ければ生きているかもしれないけれど……、まぁどうでもいいわね」


「どうして、どうして貴方はこんなことを!」


「言ったじゃない。君が邪魔なの、他に理由が要る?」



 リアが早々にやられてしまったことで、今の状況が絶体絶命であるのは明らか。

 ここからボクが独力で逃げ出せる可能性など、万に一つも無いと言っていいのだと思う。

 ならばと僅かな頼みの綱として、外の誰かに聞こえるよう大声を張り上げる。

 もっともここが外に近付いてなどおらず、もっと奥に進んでいたとすれば、それも空しい結果に終わるだけなのだけれど。


 その助けを求める声を、ただの質問の繰り返しであると受け取ったようだ。

 カガミは呆れた様子でボクを眺めながら、さっきと同じ言葉を口にしていた。


 ボクを排除し、慕うサクラさんの隣へ自身が収まりたいという、願望そのものに嘘偽りはないのだと思う。

 それにこの人が攻撃的で異質な思考を持ち、ボクの理解が及ばないというのは明らかだ。

 けれどなんだろう……、彼女の目的がそれだけであるようには思えない。

 この異質な行動原理の中に、どこか不可解なものが混ざっているように思えてならなかった。



「それだけじゃないですよね。ボクを始末したいだけなら、もっと他の機会があったはず。あえてココで行動に移した理由がある」


「……意外と感の働く子」



 適当にカマをかけてみると、思いのほかアッサリと別の真意も存在すると白状するカガミ。

 彼女は今まで表に出していた、愉快そうで恍惚とした表情を一旦収めると、さっきとはうって変わり冷静さを目に宿していた。



「さくらさんの隣に居るために、君を排除したいっていうのは本当。でもこうして片付ける機会を得られたのは、あの連中の指示を聞いていたおかげかもね」


「あの連中……? まさか」


「思った以上にここの連中は間抜けね。国軍が送り込んだ人間に、勇者が混じっているとは思わなかったのかしら」



 冷めた目のままで、くつくつと嘲笑を含んだ笑みを漏らす。

 ようするにこの人は、ここ自治都市アマノイワトに自らの意志によってではなく、アバスカル国軍からの命令によって来たのだ。

 そして善意の協力者であるよう装い、都市が混乱に陥るに最適な機会を窺っていた工作員であった。


 なるほど確かに、その可能性はあるとは思っていたけれど、本当にやってくるとは。

 なにせ勇者というのは絶対数が少ない。特別親しくなくとも、勇者同士召喚士同士で顔見知りであるなどザラ。素性が露見する危険の方が高いのだから。

 ということは、この人の相棒である召喚士もそうなのだろうと思っていると、カガミはボクが口にするより先に否定する。

 どうやらあの男性は、カガミに引っ張ってこられただけで事情を知りはしないようだ。



「ああ、けれどさくらさんを探すために、この都市に来たっていうのは本当。願ったり叶ったりだから指示に従ったけれど、まさか本当にこの土地であの人と会えるだなんて。命令してきたヤツらに、ちょっとは感謝しなきゃ」



 とはいえやはりカガミにとって、最優先はサクラさんに関するもの。

 本当にこちらの世界に居るかどうかも知れぬ相手を探すため、好都合と判断し工作員としての役割を受け入れたらしい。


 ということはきっと今回の落盤も、この人が行ったに違いない。

 目的は都市を混乱させる一因とするのに加え、鉱夫の救助という名目で入り込んだボクを排除するため。



「もっともさくらさんのことだから、勇者の中に敵が混ざっている可能性にはとっくに気付いてるはず。でもきっとわたしのことは疑わない。だって向こうの世界に居た時からの、かわいい後輩なんですもの」


「そう上手くいくとは思えませんがね。ああ見えてサクラさんは疑り深いですよ」


「信じてもらえるように、多少の小細工はするわ。……そうね、さっきの姉弟が本当は敵だったって事にしておけばいい。君は仲良くしていたあの子たちに裏切られ、わたしが駆けつけた時には哀れ冷たい岩盤に躯を横たえていた。どう、おあつらえ向きのお話でしょう?」



 再びカガミは笑顔を浮かべると、良案を思い付いたとばかりに手を叩く。

 その表情は、大人の女にしてはどこか無邪気で、それが逆に背筋を寒くさせる。

 童女のような傲慢と無邪気さが混ざった姿が、こうも恐ろしいとは思いもしなかった。


 ともあれこの人が、このような行動に出た理由がようやく定かになった。

 もっともそれを加味しても、まだ理論が破綻しているのは確かなのだけれど。



「さあ、お喋りは終わり。そろそろ死んで頂戴、でないとさくらさんに見つかっちゃう」



 手向けとしての話はこれ以上する気が無いということか。

 カガミは腰に差していた中剣をすらりと抜き放つと、滑らかな動作でこちらへ切っ先を向ける。

 ……本気でボクを始末しにかかるようだ。



「易々と譲れるほど、軽い命であるつもりはないんですがね」


「わたしとさくらさんの綺麗な未来のため、尊い贄となれるのよ? 召喚士なんだから、勇者のために身を粉にしないと。文字通りの意味でね」


「……つまり死体になって火葬されろと。冗談じゃない!」



 なにやら笑えない冗談を口にするカガミへ、悪態と共に短剣を投げつける。

 当然そんなものが効くはずはない。なのですかさず自身の鞄へ手を突っ込むと、ここまでの逃走中に割れずに済んでいた、いくつかの薬品を放った。

 手に触れた物を適当に掴んだので、投げたそれがどんな効果を持つかはわからない。

 案外中には傷薬や胃薬なども入っていると思うけれど、今はそんなことを考える余裕などなかった。


 カガミは投げつけられるそれらを、平然と掴み取り、あるいは払いのける。

 暗い中でも普通に目視できるのは、流石に勇者といったところだが、感心する間もなく鞄の中身を全て投げていく。

 終いには鞄も空となり、その鞄を投げつけた後は、手にしたランプまで振りかぶった。


 そいつを投げた後にでも、ヤケクソとわかりつつも全力で逃げてやろうと考えたのだけれど、振りかぶった腕は途中で停止。

 揺れるランプの明りが照らす坑道。そこに立つカガミのすぐ背後に、なにかが迫る気配を感じたために。


 当然のようにカガミも気配を察知。すかさず中剣を背後に向けて振る。

 しかしそれは迫る相手を裂くどころか、向けられた刃と打ち合い、激しい火花を散らした。

 その火花がうっすらと灯す相手の顔を見て、驚愕に目を見開くカガミ。



「……どうして。どうしてですか?」



 背後から現れた相手と距離を取り、中剣を降ろす。

 そのカガミはジッと暗闇を見て、小さく問いの言葉を向けた。



「そこまでよ。武器を置きなさい加賀美」



 対して現れたその人は、問いに対する答えを口にするでもなく、鋭い声色で警告を口にする。

 投げつけそうになっていたランプを向けるまでもない。この声はボクが求めていた、そしてきっとカガミも求めていた人のもの。

 ゆっくりと歩を進めランプの明りが届く範囲に現れたのは、短剣を逆手に持ち張り詰めた空気を発するサクラさんだった。


 そして彼女の背後から、さらにもう一人が姿を現す。

 手に武器こそ持っていないものの、小さく息を弾ませ走ってきたのはイチノヤだ。



「無事だったか!」


「な、なんで貴方まで……」


「お前たちが崩落の現場に入ったと聞いて駆けつけた。よく生きていたな」



 対峙するサクラさんとカガミを無視して通り過ぎ、ボクのそばへ駆け寄るイチノヤ。

 彼は近づくなりボクの肩をつかみ、ホッとした空気と表情を湛えていた。

 これまではただこちらを利用していただけなのに、この時ばかりは彼にも深い安堵の色が見える。

 なんだかこれまで見てきた彼の姿とは、少しばかり異なる印象を受けた。


 サクラさんとイチノヤが来たことで、気が抜けてしまいフラつくボクを支え、彼は囁く。

 曰く、彼は前々からカガミを国軍側の人間であると疑っていたそうだが、側にサクラさんが居たというか付き纏っていたため、あえてずっと泳がせていたのだと。

 そのイチノヤ自身は、坑道での崩落が起きた時には都市外の砦に居て、なかなか駆けつけられなかったようだ。


 なんとかその場を他の勇者たちに任せ来た時には、既にサクラさんが坑道の外へ出てきた後。

 だが出口を発見した時に分かれたため、外にカガミは居ない。

 そのため後からやって来たイチノヤは、事情をサクラさんに説明し急ぎ駆けつけたようだった。



「知り合いだからと目を曇らせていた自分を、殴ってやりたいところよ」



 カガミと対峙するサクラさんは、吐き捨てるように悪態つく。

 彼女にとってカガミは、向こうの世界との数少ない繋がりだ。少々付き纏われるのを煩わしく思っていても、実際にはそう簡単に突き放せるものではない。

 しかしだからこそ、彼女はカガミの本性を見落とした。



「最初にそこのおっさんから聞いた時には、まさかと思ったものだけれど。……実際にクルス君を斬ろうとしてたんだから、納得するしかないか」



 静かにカガミを凝視するサクラさんは、小さく嘆息を漏らす。

 やはり向こうからの知り合いが、潜り込んだ敵側であるという話を信じたくはなかったようだ。

 けれどボクが害されようとしている光景を見て、流石にそれを否定するのも無理と考えた。


 そんな彼女は、次いでボクへチラリと視線を寄越す。



「クルス君、あの2人は?」


「リクはやられました。リアは……、わかりません」



 この場に居るのはボクだけ。一緒にリクとリアが行動していたというのに。

 そこでまさかと思ったか、彼女は状況を確認するのだけれど、すぐさまあるがままを伝えると、苦々しい表情を浮かべる。



「そう……。加賀美、うちの相棒を始め、いたいけな子供たちが世話になったみたいね。でもどうしてこんな」


「何を言っているんですかさくらさん。それにどうしたんです? そんなに怒って。わたしはただ、一緒に居られるよう害虫を駆除しようとしただけなのに。どうして褒めてくれないんですか?」


「ああ、結局それがあんたの本性ってわけ……」



 ここに至って、カガミも自身本来の形を隠さなかった。

 これがあえて曝け出そうとしているのか、それともバレたことでその余裕がなくなったのかは定かではない。

 けれどそんなカガミの姿を見て、サクラさんは自嘲気味に笑う。



「私に好意を向けているのは知っていたけれど、まさかここまで歪んでいるとは思わなかった。人を見る目には少し自信が有ったってのに、よくよく無様ね」



 くつくつと含み笑うサクラさん。けれどそれは可笑しいというよりも、苛立ちを強く感じるもの。

 カガミの本性を見抜けなかった自身に対し。そしてきっと、自身の欲に駆られリクたちへ刃を向けたカガミに対し。



「さくらさん、わたしは――」


「もう口を開くな。お前の話を、これ以上聞く気はない」



 そのことを証明するように、鋭い口調でカガミの言葉を遮る。

 カガミが何を言おうとしたのかはわからない。けれど言い訳や弁明を聞く気などないとばかりに、サクラさんは自身の短剣を握り直すのであった。


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