愛しきその香り 05
慎重に、慎重に。ボクは坑道の中を進んでいく。
呼吸すら辛くなり、視界を遮る砂埃が舞う中。口元を押さえつつ、リクとリアの背を追って。
坑道内はもともとが真っ暗で、足元はおぼつかない。
けれどあまり多くの明かりを持つことは出来なかった。なにせ坑道内にはまだかなりの砂埃が待っており、それに火が着くことで大きな爆発を引き起こす恐れがあるため。
本来なら手にしたこの小さな明り一つだって危険なのだ。
その命綱であり、かつ命を散らしかねない劇物を手に、坑道の奥へ奥へと向かう。
最初の崩落発生から数時間、既に入口付近に居た鉱夫たちは助け出され、今は比較的安全な区域を守備隊員たちが怪我人捜索に奔走している。
一方のボクらはずっと奥へ。奥に居るかもしれない人の救出と、崩落の中心へと向かい本当にこれが人為的に行われたのかを確認するためだ。
「クルス、離れないで」
「わ、わかっているよ。こっちはほとんど見えないんだから、もう少しゆっくり……」
勇者たちは卓越した身体能力と共に、暗い中でも対象を捉える目を持っている。
けれど一方のボクはと言えば、半分勇者の血を引くとはいえ身体そのものは常人と同じ。
リクとリアの姉弟がひょいひょいと進んでいくのをなんとか追い、情けなくも裾を掴んで留めるという有り様だ。
袖を掴まれたことで振り返ったリアが、平坦で感情の薄い表情で呟く。
それに対しボクが懇願を口にすると、すぐ側を歩くリクは笑いながら、ボクの腰へ手を回してヒョイと担ぎ上げた。
「こうすりゃ遅れないだろ? 明りは持っててもらうけどさ」
「……やっぱりこういう形なんだ。もしかして世の召喚士って、皆こうやって運ばれるの?」
「他で見たことない。たぶんクルスだけ」
これまでも度々、サクラさんによって小脇に抱えられ運ばれてきた。
そんな話はこの姉弟にしていないはずなのだが、どういう訳か自然とこの体勢で運ばれるハメに。
てっきり他所様も同じかと思いきや、リアによると他の召喚士がこうされてるのは見ないと言う。
……ということはもしや、これはボクのみに起きる現象なのだろうか。
暗い坑道の中でランプを保持し、ただ運ばれていく様に少しだけ自身の意義を問いたくなってしまう。
そんな状態でさっきよりちょっとだけ素早く奥へ進むと、あるところで向こうからも小さな明りが見えてきた。
もしや残された鉱夫であるかと思うも、姿を現したのはサクラさん。……そしてカガミだ。
「ああ、居た居た」
「そっちはどうですか? こちらは誰とも会いませんでしたが」
「こっちもまったく。……って、まったく君はどうしてそんな格好で」
出くわしたサクラさんは、問いに首を横へ振る。
どうやらあちらも鉱夫と出くわしていないようで、案外既に坑道内には誰も残っておらず、全員が退避済みであるのかも。
あれだけ混乱した状況だ、人数の確認も儘ならなかったとしてもおかしくはない。
とはいえサクラさん、それよりも気になることがあったようだ。
すぐさまボクをジトリと見ると、呆れ混じりに今の体勢を指摘した。
「逆にこっちが聞きたいですよ。同じくらいの体格の相手に担がれて、密かに傷付いてるんですから」
「そうなのか? なら自分で歩いて――」
「いや、そこはお言葉に甘えるよ。自分で歩いていたら置いて行かれそうだし」
「クルスがそれでいいなら良いんだけどよ……」
指摘されるまでもなく、自身の姿についつい本音が漏れてしまう。
するとリクはボクを下ろそうとするのだけれど、すぐさまそこは否定。このままでいいと返した。
少々情けないのは確かだけれど、実際こんな暗い坑道内では、ボクだけ歩くのに時間がかかってしまう。
もっともこのままサクラさんと合流し行動するなら、彼女がボクを担ぐのだと思ったのだけれど、どうやらサクラさんとの同行は叶うべくもないようだ。
さっき外で感じたような、ズシリという振動が再び坑道内に響く。
もしやまたもや坑道内のどこかが崩落したのかも。となればこれを引き起こしたどこぞやの勇者が、まだここに居る可能性は高い。
「……入口の方ね。ちょっと確認してくるから、ゆっくり着いて来て!」
サクラさんはそう告げ、小さなランプ一つを手に駆け出すと、その場にはボクとリクにリア、それにカガミが。
どことなく嫌な感じを受けつつも、リクたちが居てくれることに安堵すると、この場に鉱夫は居ないであろうと推測し、様子を見に行ったサクラさんを追って歩くことに。
少し進んでいくと、再び向こうから明りが見える。
ランプを手にしたサクラさんが小走りで戻ってくると、彼女は肩をすくめ入口付近で起きた崩落のせいで、道が塞がってしまったと口にした。
「別の出口を探す……、というのは危険ね。いっそここで救助を待った方が無難かも」
「けれどそれだと、いつ出られるか知れませんよ」
サクラさんは今の状況を鑑みて、慎重な行動を提案する。
対してボクは急いで出口へ繋がる道を探し、早く外に出るべきではと考えた。
とはいえ確かに、この中では誰一人として坑道内部に詳しい者が居ない。なら下手に動き回るのは危険なのかも。
ならばサクラさんの言うように、大人しくしていた方が無難か。
そう考えを改めようとしたのだけれど、意外にもサクラさんの言葉に異を唱えたのはカガミであった。
「ではわたしたちだけで他ルートの探索を。彼が居る以上、あまり無茶はできませんし」
彼女はボクをチラリと一瞥すると、自身とサクラさんで脱出を模索するべきであると提案した。
向けられるその視線には、先日見たような恐ろしい物は潜んでいない。けれどやはりどことなく、嫌なものが混ざっているように思えてならない。
とはいえそのようなボクの予感など無関係に、カガミの提案は受け入れられた。
サクラさんはカガミと共に別の脱出経路を探るため、ランプ一つを手に再び奥へと向かっていく。
一方残されたボクらは、極力体力を温存するべく腰を下ろす。
念のために持って入った簡素な焼き菓子と水を口に入れ、徐々に粉塵の落ち着いてきた空気を吸って、グッタリと壁に背を預ける。
「本当にあの人が苦手なんだな」
「一度でもあの空気に晒されればわかるよ。得意な人なんて居ないと思う」
そんなボクの疲れた様子に、リクは首を傾げながら呟く。
彼は姉のリアからカガミとの一件を聞いているため、ボクがそれによって疲労感を覚えていると考えたようだ。
実際そういう面が多々あるのだけれど。
「すごく怖い。ホラー映画以上」
「そいつは酷いな。よくわからないけど頑張れよクルス」
いまいち意味の知れないリアの例えに、納得するリク。
彼はボクの肩へ重く手を置くと、妙に実感のこもった励ましを口にするのであった。
なんだかよくわからないけれど、一応激励しようとはしてくれているらしい。
釈然としないままその場で腰を下ろしたまま、ボクらはサクラさんたちを待ち続ける。
すると坑道内を吹き抜ける風に乗ってか、どこからともなくツルハシなどで岩を叩く音が聞こえてきた。
どうやら崩落した道を開こうと、鉱夫たちが作業を開始したらしい。
まだ中の状況も知れないのに、作業を始めるのは早すぎるのではと思うも、その音にちょっとばかり安堵感を覚える。
あとはここまで道が通じるのと、サクラさんらが新しい出口を見つけるののどちらが先か。
たぶん後者の方が早いのだろうと考えながら、この暗い場所から少しでも早く出たいと考える。
「それにしてもよ、結局どうして崩落なんてしたんだ?」
「入る前、説明した。たぶんどこかの勇者がやった」
「そいつは聞いたっての。だからなんでそんな事をしたのかって話だよ」
ただ待つだけというのは暇で仕方ないのかもしれない。リクはぼんやりと天井を眺めつつ、こうなった原因を問う。
リアはジトリとした視線と共に、弟へその理由を口にするのだけれど、なにも彼とてそこを忘れていたわけではない。
問題はどうしてどこぞやの勇者が坑木を破壊し、崩落を引き起こしたのか。
ここまでこの2人には、都市内に国軍の間者が入り込んで、扇動を行おうとしている事は話していない。
とはいえ既にサクラさんが何人もの間者を拘束したことで、国軍がこの町に間者を潜り込ませていることは知られつつある。
そこでもう言っても問題ないし良い機会だろうと、ボクはここまでの事情を説明することに。
「それじゃあ、クルスたちはそいつらを探すための餌ってわけかよ」
「一応はそうなるのかな。今更文句を言う気もないけれど」
「あのおっちゃんもヒデぇな。俺らは自分の考えで来ただけマシか」
その話をすると、憤慨というか呆れの入った様子を見せるリク。
彼の言うように自らこの地に来たのであればともかく、半ば強引に連れて来られたというのは、やる気を著しく損なうというのは理解してくれたようだ。
一方で姉のリアはある程度予想していたらしく、驚きめいた様子が見受けられない。とはいえ彼女は元々、感情の起伏が緩やかなのだけれど。
ボクらがサクラさんらを待つ間、そんな会話というか愚痴の応酬を続けていると、するとしばらくしてコツリコツリと固い足音が響くのに気付いた。
やはりサクラさんたちの方が早かったのだと、ホッとし立ち上がる。
「クルス。待って」
だが駆け寄ろうとしたボクを制止したのはリアだ。
彼女がどうしてそうしたのか怪訝に思いつつ、坑道の奥へランプの明りを向けてみる。
するとその先から現れた影は1人だけ。肩口までかかる黒髪の女性ではあるが、サクラさんとは異なる姿。
その人物、カガミは一瞬ボクらを見てニコリと笑んだかと思うと、口の端をおぞましいほどに吊り上げるのだった。