特別 02
豊かな草の香りを含む柔らかな風、そして少しばかり強さを増しつつある日差し。
なだらかな草原地帯に広がる濃い緑と共に、それは心地よい塊となって城壁の上へ立つボクらまで届く。
ボクとサクラさんが出会って早2ヶ月。まだ暦の上では春の半ばであるというのに、頬を撫でる風からは、強く夏の足音が聞こえてくるようだ。
ボクはこれから先、隣に立つサクラさんと共に夏の暑さをしのぎ、秋の哀愁漂う空気に心揺さぶられ、冬の寒さに身を寄せながら年月を重ねていくのだろう。
それもまた楽しみだと想い、彼女の横顔を盗み見る。
しかしサクラさんの表情はどこか呆れたような、……というよりも少しばかり絶句したと言えそうなものであった。
その原因は、少しだけ詩的な感傷を抱いたボクではない。
眼下で繰り広げられる、暑苦しさ満天の光景が原因であった。
「ふぅはははははははぁぁ!」
町を取り囲む城壁の外。広がる草原へと大量に沸くブレードマンティスの群れ。
その群れの中に嬉々として飛び込んで行ったゲンゾーさんは、大きく笑い実に楽しそうに愛用の戦斧を振り回していた。
「気を付けてくださいね、そいつの尻尾だけは危険ですから!」
「なぁに心配は無用! この程度の木っ端共、一撫でするだけで霧散させてやるわぃ!」
一応は一声必要かと、気の無い注意を飛ばすサクラさん。
それに対し眼下で大立ち回りをするゲンゾーさんは、実に愉快そうな調子で、言葉通り魔物を次々と屠っていった。
このような事になったのはつい1時間ほど前、巡回中の騎士が魔物の群れを発見したことに端を発する。
とりあえず状況を把握しようと、外壁に登ったボクらが見たのは、過去に見た事のない程に大量発生したブレードマンティスの群れ。
100や200では効かないだろうと思われる群れは、何というかこう……、気持ち悪かった。
確かに昆虫の類は、その時々の天候や気温などで大量発生することは儘ある。
寄り集まりカマキリ特有の首を捻る動きをしながら、カチカチと強靭な顎を鳴らす光景はグロテスクであり悪寒を誘う。
ボクなどは一瞬吐いてしまいそうになったし、サクラさんもかなり嫌らしく袖から覗く腕には鳥肌が立っていた。
一応カルテリオの城壁は、ブレードマンティスが飛び越えられぬ高さ。
しかしだからといって、下手に矢で射て刺激してしまうのもどうなのだろうか。
もし一斉に押し寄せて、他の個体を足場にして登ってこられたら一大事。
はてさてどうしたものかと魔物を眼下に見下ろしながら考えていると、話を聞きつけたゲンゾーさんとクレメンテさんが城壁へと登ってきた。
「おうおう、こいつぁまた随分と沸いたもんだな」
「あ、おはようございます」
ボクのした挨拶に対して片やチラリと視線を向けて手を上げ、片や丁寧な挨拶返してくれる。
そんな彼らは大量発生した魔物を見るなり、やれやれといった様子で肩を竦めていた。
「で、どうするつもりなんだ。これは?」
「一匹ずつであれば、問題なく処理はできます。しかし数が多すぎますし、下手に刺激して良いものかどうか……」
ゲンゾーさんの問いに、サクラさんはどうするべきか悩んでいると伝える。
すると彼は若干愉快そうに息を漏らすと、自身の戦斧をガチャリと鳴らしながら手に携え、隣に立つクレメンテへと声を投げかける。
「面倒臭せぇな。ちょっとワシが適当に蹴散らしてくるぞ」
「程ほどにして下さいよ、貴方もそろそろ歳なんですから。去年のように突然腰を痛めても知りませんからね」
「抜かせ! あんなもん気合で治してやるわい!」
そう言い放つゲンゾーさんは、刃の部分だけでボクの体重分はあろうかという巨大な戦斧を肩にかけ、外壁の上から魔物の群れのど真ん中へと飛び降りて行った。
ボクとサクラさんは呆気にとられ、止める間すらない。
あんな重そうな戦斧を担いで、建物の5階以上の高さである城壁から飛び降り落下していく。
だがハッとして縁に手をかけ降りた先へ急ぎ覗き込むと、平然と着地したゲンゾーさんは担いだ戦斧を片腕で軽々と振り回しながら、意気揚々と魔物の群れへと向けて吠えた。
「さあ来いや蟲共! 朝飯前の準備体操だ!」
というのがつい30分ほど前の出来事。
草原へと降り立った彼は今もなお、巨大な戦斧を振り回し次々と魔物の頭部を刎ね飛ばし続けていた。
「ぬるいぞテメェらぁ!」
草原中に響かんばかりの轟声は、城壁の上に立つボクらの鼓膜を強く振るわせる。
彼の戦斧は切れ味鋭く両断するというよりは、武器の重さを利用して潰し切るといった方が正確なのだろうか。
一振り毎に2~3匹の魔物が真っ二つになっていく光景は、どこか非現実めいたものさえ感じさせた。
横に薙ぎ払えば勢いで風を起こし、縦に振り下ろせば地面ごと抉る。
地を割り空を裂くという彼にまつわる噂も、あながち与太話でもなかったのだろうかと思えてくる。
本来頑丈であるはずなブレードマンティスの武器である尾も、彼の戦斧を前にしては陶器も同然の脆さを見せ粉砕されていく。
あの部分が換金できると知っているのだろう。クレメンテさんは尾が破壊される度に、小さく息を吐き肩を落としていた。
「加勢、した方が良いのかしら?」
「お気になさらず、彼に任せてしまって構いませんよ。もう数分もすれば片が付くでしょうし」
弓を構えながらも、困惑し手を出すべきか悩んでいたサクラさんの呟きに対し、クレメンテさんは苦笑しながら答える。
確かに多勢に無勢で苦戦するどころか、余裕の様子で薙ぎ倒していくのを見ると、こちらは眺めているだけで十分のようだ。
その言葉に彼女は番えた矢を筒に戻し、眼下の光景へと再び視線を向ける。
その頃ゲンゾーさんは、迫る二匹の魔物を屠らんとしていた。
振り下ろされる刃状の尾を素手で掴み止めると、その間にもう一方の魔物を戦斧で両断。
次いで掴んだ腕を振り回し地面へ叩きつけ、追い打ちとして戦斧の重みで頭部を叩き潰した。
愉快そうな気配通りの豪快さ、そして対照的な冷静さと技量。
"戦鬼"の名に恥じぬ戦い方に、ボクはつい目を見張ってしまう。
「あのおっさん、とんでもない化け物だわ……」
クレメンテさんに聞こえないようにだろうか、サクラさんは耳打ちするような距離で、小さくボクへ呟く。
昨日今日知り合った相手を、いきなりおっさん呼ばわりしたのを聞かれたくないらしい。
「でも武器こそ違いますけど、サクラさんだってその気になれば……」
「無理でしょ。私なんて単純に目の前に居る魔物の攻撃を避けるのが精一杯よ」
サクラさんは自信過剰ではないが、普段はあまり己を卑下する内容の発言をしない。
そんな彼女がゲンゾーさんに比べれば、自身は明確に劣ると断言した。
「でもあの人は違う。避けながら背後に居る魔物の動きを予測してるし、避けた動作がちゃんと次の動きに繋がってる」
ボクなどはただ単に彼の動きを見て、スゴイという感想しか持たなかった。
高い次元で戦う者同士であれば、自分に備わっていない相手の強さなどを敏感に感じ取れるのだろうか。
先程まで困惑していたサクラさんの視線は、今はジッとゲンゾーさんへと向けられ、その一挙手一投足をつぶさに観察し、自身の血肉としようとしているかのようだ。
「そんな大層な代物ではありませんよ。彼が持つ"スキル"が、ちょっとだけ強力なだけで」
「おっさ……、ゲンゾーさんもスキルを?」
「ええ。思考速度と膂力の強化、それがゲンゾーがこの世界で得たスキルになります」
感嘆の声を上げるサクラさんへと、クレメンテさんは強さの理由を語る。
そういえば聞いたことがある。ゲンゾーさんもまたスキル持ちであり、彼がシグレシア王国随一の勇者と言わしめる理由となった能力だ。
一見してただ豪胆に見えるも、その実は強力なスキルに裏打ちされた実力であるらしい。
特に思考速度の強化、これはとんでもない優位性となるに違いない。
「終わりましたね」
流石は当代一と言われる英雄と感心していると、唐突に聞こえたクレメンテさんの声にボクはハッとする。
いつの間にか下で行われていた戦闘が終わり、魔物の鳴く声が静まり返っていた。
草原には死屍累々と魔物の死骸が転がり、その中央ではゲンゾーさんがニカリと白い歯を剥き、笑いながらこちらに手を振っている。
結局あれだけ居た魔物全てを彼だけで、しかも数十分で片づけてしまったようだ。
向こうから勝手に向かってくるため、移動せずに済んでいたとはいえ。
その光景に少しだけ思考が止まるような感覚を覚えるも、ボクはすぐにこの後しなくてはならないことを思い出す。
「そうだ、死骸の処理をしとかないと」
「そういえばこの辺りには、死骸に集まる魔物が出るのでしたか。自分はゲンゾーと合流し、死骸の回収と売れる部位の採取をします。お二方は焼く場所の確保をお願いしていいでしょうか?」
「わかりました、お願いします」
ボクらは城壁を降り騎士たちから道具を借りると、急ぎ草原へ出る。
クレメンテさんたちが魔物を集め素材の採取している間に、草の少ない一角に魔物を焼くための穴を掘り進めていく。
ただ数があまりに多いため、それなりの広さが必要となりボクとサクラさんでは手が足りず、数人の騎士たちにも多少手伝ってもらうこととなった。
素材の採取をするゲンゾーさん達を見ると、その動きは澱みなく迷いを感じない。長い間こういったものを続けてきた熟練者の動きだ。
土を掘るために手を動かしながらも、サクラさんは先程と同じように彼等を観察する。
そしてたまたまボクが近寄った時に、ポツリと呟いた。
「さっきの見ると、自信なくしちゃうわね。あんなの到底できそうにない」
「そんなことは……」
「あるよ。今よりももっと強くなるつもりではいるけど、あそこまで強く成れって言われても難しそうね。この世界に来て2ヶ月くらい経つけど、毎日のように戦って自分の限界が見えた気がする」
サクラさんの口調は、一見して冷静に自身の実力を評価し、結果を淡々と告げているといった様子ではある。
しかしボクには彼女のそれが、一時的な悲観に思えてならなかった。
遥か高みに居る存在を見せつけられ、強い衝撃を受けたのであると。
ボクに彼女らのような、勇者の実力を推し量る眼力は存在しない。それでも……。
「ボクは、信じています」
「……信じるって、なにを?」
「サクラさんがこの国で一番の、いえ全ての勇者の中で一番強くなるって。誰よりも特別な存在なんだって、ボクは信じていますから」
動かす手を止め言葉に力を止め、ジッとサクラさんを見つめる。
こんな言葉は彼女にとっては押し付けのようなもので、いい迷惑なのかも知れない。
それでもボク自身が召喚した勇者である彼女を、誰よりも強い存在であると信じたい。
少しだけ沈黙したサクラさんは、僅かに息を吐くとボクの頭に手を置く。
「……なら少しは期待に応えないとね。子供の夢を壊さないのも大人の役割だしさ」
子ども扱いをするサクラさんは、頭に置いた手で優しく撫でる。
ボクは自身よりも身長の高い彼女の顔を見上げるも、その表情は逆光のせいでよく見えない。
サクラさんはどういった表情を向けながら、そう答えたのか。ボクはそれを見ることが叶わなかった。




