愛しきその香り 04
ここ自治都市アマノイワトへ連れて来られ、早1ヶ月近くが経過。
その間に幾度か国軍の接近を受け、その度に市街地での監視を行い、サクラさんは計3人もの間者を拘束するに至る。
普通に考えれば、日常などどこかへいってしまったと思える日々。
けれどそんなことを繰り返しているせいか、ここまでの間でボクはすっかり慣れ、これすら普段通りの光景として認識するようになってしまった。
けれど、最初にここへ来た時とは異なる状況もある。
例えば、あれ以降カガミからの接触がなく、ボクはそれが逆に恐ろしくビクビクしてしまっているという点。
例えば、徐々に市街地での犯罪発生率が上がっているという点。
前者は恐ろしいものの、今のところ実害が出ていないため、あまり人に相談が出来るような物ではない。
サクラさんもボクの態度を不審に思っているようだけれど、今のところはリアに口止めするに留めていた。
そして後者の犯罪発生頻度だけれど、こちらたった1ヶ月の間に数倍にも膨れ上がってしまった。
これに関しては、目下前に突き付けられた大問題。いくらなんでも異常だ。
なので速やかに対処を要するのは、市街地での犯罪抑止。
実害が出ているものであるだけに対策は急務。そのため国軍が攻めて来ぬ日も、連日ボクらは市街地の警戒に出ていた。
「こっちは異常なし……、と。次はどこへ?」
「鉱山区画。の手前」
この日も町中を巡回し、ボクらは市街地を順に見て周る。
それも粗方見合終わったところで、次に向かわなくてはいけない場所を、隣で歩くリアに問うた。
「手前? えっと、何があったっけ……」
「鉱石の仕分け場。そこが一番危ないから、勇者が行けって」
それなりにこの町にも慣れたつもりではあったけれど、一瞬具体的な地図が思い浮かべない。
すると彼女は小さな声で、次に向かう先が少々危ない場所であると告げた。
ここアマノイワトに住む住民の多くは元奴隷。それも鉱夫として働かされるため連れて来られた人々だ。
そのため自分たちに隷属を敷いたアバスカル共和国に対し、反骨心というか反発する感情が強く、ほぼ一枚岩と言っていい状態であったらしい。……今までは。
しかしこれまで大人しくしていた人々はここ最近、突如として声を大にし不満を口にし始めた。
それは暴動とまでは言わないものの、小競り合いに発展することもあり、守備隊は日々頭を悩ませている。
これから向かうのは、そんな鉱夫たちが日中の多く過ごす場所。
そのため普通の守備隊員ではなく、万が一の状態で自衛が出来る、勇者を向かわせようということらしい。
「でもよぉ、あの連中も何で急に文句を言い出したんだ? 今までは仲良くやってたんだろ」
早速その鉱山区画付近へ向かうべく歩いていると、背後から暢気な声が聞こえてくる。
ボクとリアは歩きながら小さく振り返ると、そこには後頭部で手を組み、面倒臭そうにするリクの姿があった。
普段から姉のリアと一緒に組んでいる彼は、この突然の治安悪化を怪訝に思っているようだ。
「凛久。もしかして、朝の話聞いてなかった」
「い、いや聞いてたって! アレだろ、たぶん国軍のヤツが喧嘩させてるんだろうって」
ジトリとした視線を向けるリア。
自身の姉が向けてくるそれに慌てたリクは、大きく手を振り口にした意図が別にあると返す。
今朝のことだ。守備隊の宿舎で朝食を摂ってしている時、突然イチノヤが守備隊員たちへとある話を始めた。
彼曰く、おそらく都市に入り込んだ国軍側の人間が、騒動を煽っているのであろうと。
ここまでにサクラさんが何人もの間諜を捕まえたことで、既にそういった話は広まっている。
きっとそういった噂話もあって、余計に膨らんだ不安感を突いているのだろう。
それに都市が独立を宣言し、自治を行い始めて数年。徐々に軋轢だって生じていてもおかしくない。
「ならどうして」
「ふつう奴隷だったヤツらが、降参したいなんて言うか? 前の苦しい時に戻るだけなのに」
「それは……」
言われてもみれば、少々おかしいと思わなくはない。
彼らの主張は、いつまでも自治を保つ事など出来やしないというモノに始まり、攻め落とされるくらいならば国軍にここを明け渡し投降しようというものまで。
その意見だって理解出来なくはない。なにせ戦力差は数十倍以上、まともにぶつかれば勝てるはずがないのだから。
いくらコルネート王国が支援しているとはいえ、そこは覆らないはず。
それにそのコルネートにしても、たぶん本格的な戦闘になれば、手を引くのではないだろうか。
そもそもどうしてあの国が、この自治都市へ支援を行おうとしたのかという疑問も残るけれど。
とはいえ仮に投降したとしても、彼らの未来は暗い。
一旦裏切った奴隷たちを、その後も元通り使い続けるなんて発想は、おそらく子供でさえしないはず。
良くてさらに過酷な環境が待つし、悪ければ命を失うなんてのも十分考えられる。
なので一部の鉱夫たちがそう主張することに、リクが怪訝そうにするのも当然であると思えた。
とはいえ今そこを考えても、ボクらでは碌な答えが出せそうにない。
そこでとりあえず坑道方面へ向かい歩いていると、すぐ隣を歩くリアが小さな声でソッと問いを口にした。
「ところでクルス。あれからなにもない?」
「まったく。だからこそ、余計に気味が悪くてさ」
いつの間にか前を行く弟に聞こえぬようにか、小声で彼女が問うのは言うまでもなく、しばらく前に深夜の宿舎食堂であった一件。
突然食堂へ顔を出してくれたリアによって救われたボクだが、あれ以降はカガミから接触は無し。
あんなにもサクラさんの隣という立ち位置へ執着していたというのに、まるでそれを忘れ去ったかのようだ。
あるいはこちらに断りを入れる必要がないと考え、無言で奪い取る気なのかもしれないけれど。
「……逃げた方がいいと思う。あなたの勇者と一緒に」
「それってあの人から?」
「うん。あとはこの町から」
ボソリ、ボソリと囁くように口を開くリア。
彼女はどことなく不穏な空気を感じ取っているのか、早々にこの都市から脱出を計った方が良いと告げた。
確かにカガミの件だけではない。間諜が扇動しているであろう都市内の治安悪化など、不安要素は確かに多い。
「可能ならそうしたいけどね。けれどそれらしい気配はなくとも、きっとイチノヤはこちらを監視しているから」
「逃げられない。ってこと?」
「今のサクラさんは、彼にとって色々と都合の良い存在みたいだから。なんやかや理由をつけて留めようとするだろうね」
イチノヤにとってサクラさんは、多方面に有用な駒。たぶん易々と手放したりはしないはず。
もちろん機を窺い色々と諦めれば、逃げることは可能なのだと思う。例えば首都リグーへ向かうのを諦め、坑道を通ってコルネートへ抜けるなどだ。
とはいえそれはそれで、今度はどうやって国境を越えたのかという話になるため、あちらで相当の足止めを食らうに違いない。
「だから今のところは難しいかな。あの人を諦めさせるのは、なかなかに骨が折れそうだし」
「それは同意。あの人はどこまでも追いかけてくる」
「この国の土地勘がない以上、今は大人しく嵐が過ぎ去るのを待つのみだよ」
リアと同時に、小さなため息をつく。
ボクよりも2つか3つ年下であるはずな彼女だが、どことなく枯れた雰囲気を感じてならない。
ともあれ今はこの町から逃げ出すことも出来ないというのは納得してくれたようだ。彼女は歩きながら、健闘を祈ると言わんばかりに薄い表情で親指を立てた。
ボクはそんなリアの仕草に苦笑し、当面はまだここで吹き付ける強風に耐え忍ぶしかなさそうだと考える。
しかし嵐は過ぎ去るどころか、なおその勢いを増しつつあるのかもしれない。
陰に隠れやり過ごそうとするボクを嘲笑うかのように、突如町中へ響くようなズシリという重い振動音が響き渡った。
「な、なんだよコレ!?」
「鉱山の方。……崩落?」
ビクリと身体を震わせ、周囲を見回すリク。
対して姉のリアは落ち着いたもので、腕を上げると山地の方を指さした。
そこではモウモウと砂埃らしきものが立ち、人々の悲鳴や混乱の声が響いてくる。
どうやらリアの言うように、いずれかの坑道で落盤事故でも起きたのかもしれない。
こうなると巡回どころではなく、ひとまずその現場へ向かうべく駆け出そうとするのだけれど、ボクの足は急に地面から離れた。
いったいなにがと思う間もなく、猛烈な速さで流れていく景色。
リクとリアの姉弟によって両腕を抱えられ、とんでもない速度で運ばれていたためだ。
度々サクラさんなどによってされる運搬ではあるけれど、今回は両脇を抱えられ2人がかり。
けれど流石このあたりは付き合いの長い姉弟と言うべきか、さして体勢を崩すこともなくどんどん坂を登っていき、あっという間に件の坑道前へ。
「おっちゃんたち、どうなってんだ!?」
辿り着くなり、リクは鉱夫たちへと駆け寄る。
けれど鉱夫たちは一様に混乱しているようだ。モウモウと煙だか砂埃が立ち昇る坑道の入り口前で、右往左往しつつ坑道を眺めていた。
「わ、わからん……。突然デカい音が鳴ったかと思えば、いつの間にかこの有様だ」
「おじさんたち。鉱夫なのにわからないの?」
ただ壮年の鉱夫は、リクの問いに首を横へ振る。
要領を得ない言葉に、ボクが逆に怪訝に思っていると、それを代弁するようにリアが口を開いた。
すると彼は渋い表情を浮かべ、本来ならありえないと言わんばかりに呟く。
「これでも何十年とやってんだ。それらしい事故の兆候があれば、見逃しはしない……」
「つまり、どういうことですか?」
「最初はただの落盤かと思ったがそうじゃない、あまりに前兆が無さすぎる。おそらく誰かが弱い岩盤の坑木を外したんだ」
どうもかなりの経験を積んでいるらしき鉱夫で、普通であれば落盤事故などが起きる場合、多少なりと異変を察すると断言した。
なのでこうなったのは、何者かによって坑道を支えていた坑木が外され、その影響で崩落したのではという予想。
しかしただ坑木を外しただけでは、簡単に落盤など起きやしない。そもそもそんな場所は、鉱石を採掘する場所として掘っていかないからだ。
つまりこの鉱夫がした予想が正しいとすれば、坑木を壊しその上で地盤に強力な振動を与えた人間が居るということ。
……そんなのは普通の人間に出来る芸当ではない。常人を超える力を持つ者、勇者による仕業であると疑いの余地はなかった。
「クルス」
ボクはその予想に至り、ジッと坑道入口を凝視する。
もしかしてまだこの中に、それをした人物が居るのかもしれないと。
そんなボクの背へポンと手を当てたリアは、ちょっとだけぼんやりとした表情で、諦め交じりの言葉を吐く。
「逃げ遅れた。……かも?」
彼女はついさっき話していた、都市からの逃走という内容を再び持ち出し、そいつがやはりかないそうもないと呟く。
ボクの方はといえば、そんなリアの発した言葉に対し、乾いた笑いを浮かべ頷くことしか出来ないのであった。