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愛しきその香り 03


 結局サクラさんに接触してきた輩とやらを、ボクらは発見できず仕舞いに。

 そこで早々に諦め、元来た道を辿ってリクたちと合流、その後は再び別れ都市内の警戒へと戻ることになった。


 その頃はまだ都市外の砦で睨み合っていた守備隊と国軍だが、夕刻となる頃には目的を達したとばかりに、国軍の側から撤収を始める。

 どうやら本当に、戦闘を行うというよりも睨みを利かせるのが目的であったようだ。


 とはいえそれも当然か。アバスカルの国内でも魔物の出現数は年々増えつつあり、あまり多くの勇者を動員し続けるのは困難。

 彼らにもまた国内各地に散らばり、そこで出現した魔物を討伐するという役割が存在するのだから。



 結果国軍が完全に撤退し、そこから既に2週間が経過。

 ボクらはその間にもずっと都市内の見回りを行っていたのだけれど、意外なことにサクラさんは幾つかの手柄を揚げることとなる。

 つまり実際に何度か国軍が潜入させた間諜による接触を受け、拘束するというものだ。



「いやはや、まさかこうも成果を上げてくれるとはなぁ」


「……もしかして期待していなかったんですか?」


「いやいや、ちゃんと期待はしていたさ。だが多くても1人かそこら捕まえれば上等だと思っていただけでな」



 自治都市アマノイワトの防備を担う守備隊。その宿舎。

 夜半過ぎにそこの食堂で腰かけるボクは、目の前に座りカラカラと笑う男へと、ジトリとした視線を向ける。


 彼はこの守備隊で最も強いとされる勇者イチノヤ。

 ボクとサクラさんをこの地へ連れてきた張本人であり、国軍の間諜をおびき出すために、ボクらを泳がせていた人物だ。

 ただその彼にしても、サクラさんが挙げた成果は想像以上であったらしい。



「しかしそのおかげで、町中には不穏な噂が広まりつつある」


「そこをボクらに言われても困りますが」


「わかっている。別に責めてるわけじゃない、むしろこいつは俺ら側の問題だ」



 ただ流石に何人も国軍の人間を捕らえたことで、その話は徐々に人々の間に広まっていく。

 主に情報の出所は守備隊の隊員たちからで、元々がただの一般人である彼らには、情報を秘匿しようという意識が少々薄い面があった。

 ここいらはイチノヤが言うように、彼ら自身の問題なのだろう。



「ともあれお手柄だ。あのお嬢ちゃんに、俺が感謝していたと伝えておいてくれ」


「それは構いませんけれど、いったいいつになったらボクらは解放してもらえるんですかね」


「もう少しばかりつき合って貰えると助かるな。なぁに、用が済んだ暁にはちゃんと送り届けてやっからよ。首都までな」



 彼はそう告げると、立ち上がり食堂からそそくさと出て行く。まるでこちらに二の句を次がせたくないと言わんばかりに。

 独り食堂へポツンと残され、小さな燭台の明りだけで照らされる。

 なんだか煙に巻かれたような気になり、ボクは小さく肩を落としながら立って、自身の使っていたカップを流しに置き自室へ戻ろうとする。


 ただそこでふと思うのは、さっきイチノヤが口にした言葉。

 ボクらを送り届ける先が"首都"であると言った。以前に話した時は、シグレシアへの帰還の手伝いという話であったというのに。

 ということは彼はボクらの目的が、アバスカルの首都リグーにあると云うことを知っている。

 ボク自身は話したつもりがないので、サクラさんに聞いたか、あるいは彼自身が推測を立てそう確信したか。

 けれどなんとなく、ボクには後者であるように思えてならない。



「どこまで見透かしているんだか……」



 なんだかあの人には、何もかもバレているような気がする。

 ボクはそんな考えを振り払うべく頭を掻くと、もう一度歩を進め自室へ戻ろうとする。


 しかしまたもやその進みは止まるハメになってしまう。

 今度はなにかを思い出したためではない。食堂から出ようとした自身の前に、人影が現れたためだ。

 ボクよりも高い身長に、肩口で切り揃えられた黒髪の女性。

 一瞬目の前にサクラさんが現れたのかと思う。けれどそれが勘違いであるとすぐさま気付き、ボクは声すら発することなく硬直してしまった。



「ああ、ここに居たんですね」



 ひと気のない食堂へ現れた勇者の女性。

 その人物、最初に会った時には長かった髪を、今ではバッサリと切ってしまったカガミは、ボクを見るなり小さく呟く。



「探しましたよ」


「……な、なんでボクを」


「少々話がありまして。お時間はよろしいですか?」



 現れたカガミは、ボクを探していたと告げる。

 彼女はつい先日、長かった髪を突然に切っていた。……それもサクラさんとほぼ同じ形に。

 そのせいで一瞬間違えそうになったのだ。


 突然現れたこの人物に対し、ボクはどうにも苦手意識を持つだけに、睡魔を理由に断ろうかと考える。

 しかしどことなく、その声からは有無を言わさぬものを感じてならない。

 彼女は既に手近な椅子へ腰かけており、不承不承ではあるがボクもその対面へ。


 短くなった髪をいじり、自身の鼻先へ当てるという癖を見せるカガミ。

 ああ、まただ。彼女がするこの癖は、顔を合わせるたびに見てきたけれど、どうにもコレからは嫌な感じを受けてならない。

 ボクがそんなカガミがする仕草に落ち着かぬ思いをしていると、彼女はジッとこちらを凝視した。



「ど、どんな用でしょう?」


「クルスさんは、さくらさんからわたしのことをどう聞いていますか」


「どう、と言われましても。ただ向こうの世界で、部下であったとしか」



 小さな燭台から発せられる光に照らされ、彼女の黒い瞳はボクを捉える。

 そんなカガミが問いかけてきたのは、サクラさんから自身についてをどう聞かされているかという、どうにも意図の掴みきれぬ内容。


 サクラさんからは、数少ない機会ながらこの人についてを聞くことがあった。

 曰く、あちらの世界で慕ってくれた相手であるらしく、当時は非常に救われたのであると。

 とはいえ仕事上を除いて付き合いがある訳でもなく、実のところこちらの世界へ召喚されて以降、その存在をすっかり忘れてしまっていたらしい。

 もちろんそんなことをカガミに言えやせず、ボクは言葉を選び好意的な内容を聞いていると告げた。



「そうですか……。よかった」



 ボクの話を信じてくれたのか、ホッとした表情を浮かべるカガミ。

 彼女は鼻先へ当てた髪に視線を落とし、ウットリとした目で何度となくサクラさんの名を口にしていた。


 ……やはり彼女がするこの仕草が、そしてサクラさんの名が口にされる度に不安感を掻き立てられる。

 ざわざわと、心の奥底が落ち着きなく駆けていくようで、大人しく座ってはいられない気にさせられるのだ。

 理由は解らない。なのでこれは生まれ持った本能が、なにがしかの警戒をしているのだと思えてならなかった。


 そのカガミは、ぽつりぽつりとあちらでの思い出を口にしていく。

 もしや想い出話がしたくてボクを呼び止めたのかと思うも、そこを問い質す勇気もなく、ただ彼女の話を聞き続けた。



「さくらさんは厳しい人。けれど同時に優しい人でもある。厳しさは優しさの裏返し、きっとそういう人よ」


「それはまあ、わからなくはないですが……」



 ボクの反応を聞いているのか否か、うっとりとした目で語り続けるカガミ。

 暗い食堂内で、蝋燭の明りによって照らされる彼女の瞳は怪しく輝いており、ぞわりと背筋が粟立つのを感じる。


 それになんとなく、彼女の声色からはさらに不穏な気配が漂っているような気がしてならない。

 これ以上は聞きたくはない、聞いてはいけない。この場から逃げ出したい、恐ろしい。

 そんな本能へ訴える警告が、さっきからずっと自身の頭に響き続けている。



「新人で右も左もわからなかったわたしを、さくらさんはずっと導いてくれた。だから憧れるの、あの人と同じになりたいって。そのために"あたし"って呼び方も変えたし、短かった髪も伸ばした」



 既にボクすら見ていない視線は揺れ、自身の発言に高揚しているかのように、声の調子を高めていく。

 どうやらこの人は、最初に一目見た時からサクラさんに心酔してしまっていたようだ。

 見た目、声、人間性。それらサクラさんを構成する全てが、カガミが昔から思い描いていた理想を体現していたのだと。

 つまり彼女は憧れであるサクラさんに近付くため、当時は短かった髪を伸ばし始め、自身の呼び表し方まで矯正したということか。


 しかしボクにはこれが、ただの憧れであるとは思えない。憧れというよりも執着、あるいは妄執と言い表わすべきモノだ。

 それにサクラさん当人曰く、あちらの世界に居る時はずっと人目を気にし、化けの皮を被っていたとのこと。

 けれどカガミにとって、サクラさんの纏っていたその鋼鉄の仮面こそが、自身にとっての理想そのものであった。



「わたしにとって、あの人は特別。だからあの人にとってのわたしも、特別にならなきゃいけない。だから……」



 彼女の言葉は白熱していき、瞳の焦点は定まらないかのように揺れる。

 それに伴ってガンガンと頭に響く、頭痛すら伴う本能の警告。そして苦しくなる息に、早まる動悸。

 以前に彼女から感じた恐ろしい気配と同じものが食堂内を満たしていき、次第に足が震え立ち上がる気概すら折られていく。



「さくらさんが望む部下になるために、さくらさんにとって大切な人間になるために努力をした。同期のヤツらがさくらさんを馬鹿にしたから、あいつらを辞めさせるために弱みも握った」


「え……、っと」


「わたしにはさくらさんしか居ない。さくらさんもきっとそう思ってくれるはず。だから、貴方にお願いがあるの」



 どんどんと、嫌な気配は強まっていく。

 独り言のように呟かれ続けるそれに口を挟んで止めることもできず、ただただ呆然とするばかり。

 しかしそんなボクへと、胡乱な目をしたカガミは突然に本題であろう内容を向けてきた。



「あの人の隣。わたしに譲って欲しいの」


「……自分が何を言っているのか、わかってるんですか?」


「もちろん。わたしは召喚士ではなく勇者、本来なら相棒たる資格はない。でも……、貴方の代わりは務まる」



 自身の髪を鼻先へ当て、スンと鼻を鳴らすカガミ。

 彼女は揺れる眼でボクを眺め、呼吸さえ忘れてしまうような声を発した。


 そこでボクはようやく、彼女の仕草についてあることに気付いた。

 この人が髪を鼻先に当てているのは、ただのクセであると思っていた。

 けれど彼女は今、明らかに自身の髪の香りを嗅いでいる。サクラさんと同じ長さ、同じ洗髪料を使い、同じ香りとなったそれを。

 そのことに気付くなり、今までとは比較にならないほどの寒気に襲われる。


 彼女がサクラさんに並々ならぬ執着を抱いているのは明らか。

 けれどまさかこんなにも、突拍子もない提案をしてくるとは思いもしなかった。

 召喚士と勇者は、リクとリアのように特別の例を除けば基本1対1。召喚士が何らかの理由で離脱しない限り、その座が入れ替わることはない。

 それはシグレシア王国のみならず、ここアバスカルでも同じであるはず。



「う、受け入れられるはずがないでしょう。確かに代わりは務まるかもしれません、……けれどサクラさんの相棒はボクだ」



 強烈な圧力に負けず、グッと力を込めてカガミの目を見据える。そして吐き出したのは、決して何が何でもその座を明け渡すつもりはないという意志。

 ずっと憧れ続けた、自分だけの相棒である勇者。そのサクラさんの隣を、まるで所有物のように明け渡すなど論外だ。

 同じ憧れという言葉でも、カガミの抱くそれとは違う形のモノ。それにボクの方がずっと長く、相棒を待ち焦がれていたのだから。



「どうしてもダメ、かな?」


「当たり前です! 第一貴女にも相棒が居るでしょう、彼はどうなるんですか」


「別に、あの人のことはいいの。さくらさんが隣に居てくれるなら、そんなことどうでもいいもの」



 どことなく困ったような顔をしつつ、カガミはなおも食い下がる。

 当然彼女に対し、本来その隣に居るはずであろう相手の事を指摘するも、すぐさま呟かれたのはなんとも悲しい言葉。

 この人の召喚士とは、あまり接する機会が多くはないけれど、それでもこんな扱いをされるというのは愉快ではない。



「彼が不憫でなりませんね。ともあれその提案には乗れません、サクラさんがボクの事を見限らない限りは!」



 絶対に、こんな提案を受け入れたりはしない。受け入れる理由が無い。

 ボクはそう断言し、震える脚に力を込めて立ち上がると、そのまま食堂から出て行こうとする。

 しかし背を向けかけたボクへと、カガミはポツリとため息交じりな声を発した。



「そう……。ならやっぱり――」



 彼女もまた立ち上がる。

 ただ強い意志を持って勢いよくというのではなく、どことなく脱力しているフラリとした立ち方。

 けれど力の感じない彼女が次に発した言葉に、ボクは硬直し背筋を粟立たせる。



「やっぱり君、少しだけ目障りかもしれない」



 その時に向けられた目は酷く冷たく、ボクを生き物としてすら認識していないように見えた。

 冷え冷えとした視線の反面、口元だけは笑みに形作られており、その全く異なる在り様に身体の芯が凍える。


 あの時と同じだ。最初にこの人から、異質な空気を感じ取った時と。

 敵意や害意、悪意などが入り混じった、何故か無邪気さすら感じさせる圧力。

 カガミの手には武器が握られてはいない。けれど剥き出しの刃を突き付けてくるような、鋭い空気に晒される。



「なに、してるの?」



 今はなによりも、踵を返し食堂から逃げるべきだと判断する。

 しかしそうしようとする直前、背後から聞こえてきた声にハッとした。

 振り返ってみれば、そこに居たのは眠そうに目を擦るリアが、欠伸交じりに立っていた。



「……なんでもありません。わたしはこれで失礼します」



 混乱するボクを余所に、リアの言葉へ返したのはカガミだ。

 彼女は平然とボクの横を通り過ぎると、会釈だけして食堂から出て行ってしまう。

 さっきまで発していた、異質で濁った気配など微塵も感じさせず。



「クルス。ああいうのをヤンデレって言う。凛久(りく)が言ってた」


「……言葉の意味はよくわからないけれど、聞いてたんだ」


「トイレに行こうとした。そうしたら食堂にクルスが居た」



 そのカガミが去ったのを確認し、ぼそりと呟くリア。

 どうやら彼女、密かに陰で聞き耳を立てていたようだが、不穏な気配が漂っていると判断し顔を出してくれたようだ。

 正直助かった。あのままであれば、ボクはいったいどうなっていたことやら。

 具体的に何かをされなくとも、自ら心臓が停止していたようにすら思えてくる。



「あの人、近付いちゃダメ」


「みたいだね。……その忠告は素直に聞いた方が良さそうだ」



 食堂内に置かれた湯冷ましを飲むリアは、振り返りボクへと警告を発する。

 勇者である彼女にしても、やはりカガミの異質さはヒシヒシと感じていたようで、その目は真剣そのもの。

 ボクはそんなリアの言葉に頷くと、脱力し床にへたり込んでしまうのであった。


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