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愛しきその香り 01


 ボクはこの時を境に、しばしサクラさんから極力距離を置くことにした。

 サクラさんの側には常にカガミが居る。案内役という役割を得た彼女が、常に離れようとしないためだ。


 イチノヤから警告されたというのもあるけれど、ボク自身もまたあの人から、強い恐怖を感じてならない。

 どうにもあの人からは、嫌な感じがする。

 それは具体的にどうこうというよりも、本能へ訴えかける危険信号とでも言うべきか。



「さくらさん、今日は武具店へ行ってみませんか?」


「今日も町の案内? 熱心ね」


「それはもう。毎日だってお付き合いしますよ」



 早朝の守備隊宿舎食堂。その隅に座るボクは、少し離れた壁際に座るサクラさんへ視線を向けた。

 そこでは食事を摂るサクラさんが、この日もカガミによって案内の申し出を受けていた。

 今日で3日目。初日は都市内の拠点、昨日は町の外に在る砦を、そして今日は商店を周る気であるようだ。


 彼女は自身を誘うカガミの言葉を聞くなり、チラリとこちらへ視線を向ける。

 たぶん近寄ろうとしないボクの事を気にしてだろうけれど、あえて彼女の視線に気付かぬフリをし、ボクはそれとなく視線を逸らした。



「……さくらさん、どうかしましたか?」



 そんなサクラさんの視線がボクへ向いているのに気付いたか、カガミは静かな声を発する。

 少し離れた位置であるというのに、ハッキリと届く声。

 周囲の人たちはこれといって反応を示さない。けれどボクにはあの人の声が、どこか嫌なモノを含んでいるように思えてならない。


 けれどカガミを見ている限り、基本的には品行方正で人当たりが良いのだとは思う。

 少々サクラさんへの執着が強いだけで、そこ以外には至って普通の人であるのだと。

 実際今の彼女からは、あの時に感じたような異質で背筋を寒くするような気配はなく、ただひたすらに慕う後輩といった素振りしか見えなかった。



「いいえ、なんでもないわ。行くなら早く行って済ましてしまいましょ」



 カガミはサクラさんの言葉を待つ間、自身の髪を鼻先に当てる。

 時折あの人が見せる仕草だが、特にあの仕草をしている時だ、ボクが最も不安感を掻き立てられてしまうのは。

 なんだか心をザワつかせるような、居てもたってもいられないような。


 ただそれもサクラさんが立ちあがり返事を返したことで、空気と共に霧散する。

 上機嫌となったカガミは、先に食堂を出ようとするサクラさんを追って小走りに。

 ただ彼女が出入り口で一瞬立ち止まり、小さく振り返った視線をまともに見てしまう。

 もっともそこで見せた目は、あの時のそれとは大きく異なっていて、ボクが見た光景がただの気のせいであったのではと思わせられてしまうほどに普通なものだった。



 いつの間にか強く緊張をしていたらしく、あの人が食堂から出て行ったところで、ボクはひとり荒い息を吐く。

 精神を削り取られるような時間に、ドッと疲れが押し寄せテーブルへ突っ伏した。



「クルスー。今日もヤンデレの監視かー?」



 するとそんなボクの名を呼ぶ声が、すぐ隣の椅子へ腰かける音と共に聞こえ、顔を横へ向け声の主を見る。

 ボクの隣へ腰かけ覗き込んでくるのは、ひとりの青年。

 いや青年というよりは、どちらかと言えば少年の域だろうか。ボクよりも2つか3つ齢が下であろうその人は、疲労に満ちた様子を見てカラカラと笑っていた。



「ヤン……、なんだって?」


「気にすんなって。オレたちの世界で、ヤベーヤツのことをそう言うんだよ」



 彼の発した言葉に、ボクは突っ伏したままで首を傾げる。

 黒髪に黒目の少年。勇者としての特徴を備えた彼の言葉が、どういった意味を持つのか理解しかねたために。


 この年下の勇者は、ボクに対しイチノヤが着けてくれた案内役だ。

 てっきりカガミの召喚士が担うと思っていたのだけれど、彼は彼で色々と忙しいらしい。

 そこでまだ子供であるという理由で、これといって重要な役割を任されていなかった彼が、案内役に任じられたようだった。


 その彼、"リク"はボクの疑問に、簡単な説明とも言えぬ内容を答えるのであった。



「でもさ、いまいち信じらんないんだよな。あの姉ちゃん、いつも結構優しいぜ?」


「そう……、なんだろうけれど」



 カガミを不審に思っているボクの態度に、リクはどこか怪訝そうだ。

 あまり口外出来るような内容でもないため、彼には具体的にどうこうというのは話していない。

 けれどあまり好ましいとは思っていない旨だけは口にしているため、彼はボクがどうしてカガミに対しそう考えているかを測りかねているようだった。

 もっともリクにしても、カガミがサクラさんに執着しているのは理解しているようだけれど。



「ていうかさ、相棒を取られてムカついてるだけなんじゃねえの」


「そういう訳じゃ……」


「あんな年上よりもさ、もっと齢が近い子を狙おうぜ。出来ればオッパイ大きい子」



 一瞬、彼の言葉を否定できなくなる。

 案外リクが言っていることが真実で、ボクは気付かぬ間にただ嫉妬に駆られ、カガミを不必要に警戒しているのではないかと。

 とはいえイチノヤもあの人には不審めいた言葉を発しているため、たぶん気のせいということはないはず。


 ただリクは自身の口にした内容が、ボクの警戒感の理由であると確信しているようだ。

 彼はニヤニヤとしながら、食堂に居る比較的若い女性勇者たちを眺め、好みに合う相手を物色しようとしていた。

 しかしそんな彼の頭に、コツリと軽い音が響く。

 見ればリクの頭の上にはいつの間にか木皿が置かれ、それが当たったことによる音であったようだ。



凛久(リク)、ダメ。クルスに失礼」



 彼の頭を襲った木皿は引かれ、テーブルの上に置かれる。

 その皿を持っていた人物はソッとリクの正面へ座り、彼を嗜める言葉を吐いた。


 リクとまるで同じ。対面に座った人物にボクが抱いた印象は、その一言に尽きる。

 黒髪に黒目、ボクよりも少し年下。顔の造形もほとんどリクと同じその人は、彼にとって姉に当たる存在。

 "リア"と呼ばれる彼女は、最初一瞬リクと双子であるかと思ったのだけれど、聞いてみれば年子であるとのことだった。

 姉弟で揃って召喚されるというのは非常に珍しいが、過去に無いわけでもないらしい。



「わたしは、クルスの行ってること、わかる気がする」



 どうやらボクらの会話を聞いていたらしき彼女は、リクを嗜めた後で向き直り、ボクの抱えていた印象に同意を告げる。

 いったいどうしたのだろうかと思うと、彼女は昨日偶然にカガミの独り言を聞いてしまったようだ。

 そこであの人が口にしていたのが、自身の髪をサクラさんとまったく同じにしようとしているというものらしい。



「あの人、好きじゃない。なんだか気味が悪いから」


「ハッキリ言い過ぎだろ凛麻(リア)……」



 淡々と、細切れな言葉を紡いでいくリア。ただ彼女はどうやら、ボクと似た感想を抱いていたと見える。

 もっとも静かで平坦ながら、どこか毒を孕んだその言葉に、弟であるリクは呆れ混じりだ。


 とはいえそう感じていたのが、ボクとイチノヤ以外にも居たことに少しだけ安堵する。

 いや決して良いことではないけれど、ブレかけていた考えを落ち着かせてくれたような気がした。

 でもサクラさん自身は、どうなのだろうか……。



「ともかくオレらも行こうぜ。あんまりあの姉ちゃんと会いたくないんだろ、だったら今日は砦だ」



 妙に毒が溢れる自身の姉による発言を、ちょっとばかり気まずく思ったのかもしれない。

 早々に食事を口へ詰め込んだリクは、忙しなく立ち上がり出発を告げた。

 そういえば今日も彼らに、都市内を案内してもらうのだったか。



 彼に倣って急ぎ朝食を平らげると、小さな荷物だけを持って食堂から出る。

 ボクとリク、それにリアの3人揃って守備隊の宿舎を出て都市市街を歩き、断崖にも思える傾斜地を幾度となく折り返しつつ下る。


 ボクがこうして歩き回るのは、早く都市の構造やらを把握すると言うのが第一。

 けれどそいつはあくまで表向きで、本当の理由は方々を歩くことで、不審な輩が接触するのを待つことにある。

 これはイチノヤから受けた指示によるものだけれど、ここ"自治都市アマノイワト"へ潜伏しているであろう、アバスカル国軍の間者を炙り出すためだ。

 もちろん他の人間に言っていない。カガミにも、リクとリアの姉弟にもだ。


 本当に国軍側の間者が接触して来るか、それはまだ未知数だ。

 とはいえ接触してこなければ来ないで、ボクとしては逆に助かるというのが本音。

 どうか是非ともそんな状況に至らず、可能な限り心労のかからぬようにあってくれればと、信仰すらしていない神に祈りたい気分となる。

 けれどそんなボクの切実な願いを、聞き届けてくれる神は居なかったらしい。



「これは……?」



 市街地を抜け坂を下る最中、突然耳には甲高い鐘の鳴る音が響く。

 聞いたことのない調子でけたたましく鳴らされるそれだけれど、ボクとてシグレシアでは騎士団に属する人間、これが警報の類である事くらいはわかる。



「なんだ、また来たのかよ」


「……めんどくさい」



 激しく鳴らされる鐘の音に反し、リクとリアの姉弟はゲンナリとした反応をするばかり。

 なのでこれが何なのかと思うと同時に、彼らの反応を見る限りあまり深刻な物ではない気がしてくる。

 けれど一応聞いてみれば、この鐘はやはり敵襲を表すもの。ここ自治都市アマノイワトにとっての敵とはつまり、アバスカル国軍のことだ。


 この都市は数年前に武力によって蜂起し、以後は独立状態を保っている。

 だがアバスカル共和国としてはそれを看過できず、時折こうして武力をチラつかせに来るようだ。



「にしては随分と落ち着いてる気が」


「どうせオレらには出番がねーもん。まだ子供だからって言って、戦いに出してくれないんだよ」


「ちょっと不満。わたしたち、戦えるのに」



 周囲からは喧騒が響き、守備隊の隊員たちや鉱山夫の男たちが武器を手に砦へ向かう。

 そんな人の流れにあって、リクとリアは不満気だ。

 まだ少年少女と言える齢ではあるが、彼らとて勇者なのだから一般の隊員よりはずっと強いはず。

 それでも都市防衛の場へ出して貰えないのは、大人たちのなけなしの良識によってであるようだ。



「て訳だから、オレたちは他の場所へ遊びに行こうぜ。砦に行ったら怒られちまう」


「違う。町の見回り」



 くるりと回れ右をするリクは、ふてぶてしい表情で砦の見学中止を口にする。

 ただその彼を止めたのは自身の姉。彼女は弟の頬をつねり、今の状況で別に役目があると告げた。

 なるほど、アバスカル国軍との睨み合いには参加できずとも、都市内の警戒監視という役割はあるらしい。


 弟の頬をつねったまま警戒に向かおうとするリアに続き、苦笑をしながら再び市街へ向け歩く。

 ただ歩を進めるボクは、サクラさんがどちらに向かったのだろうかと、そればかりが気になっていた。


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