アマノイワト 04
思ったよりもずっと強い陽射しが照り付け、奪われる視界に目を細める。
手をかざし陽射しから目を守ろうとするも、代わりとばかりに手の甲へ当たる熱へ、ボクはここが高地であることを忘れそうになる。
基本的に標高が高く寒冷なアバスカル共和国においても、南西部は比較的暑い傾向があると聞く。
国境を越えてすぐに広がっていた、雪国然とした光景を思えば雲泥の差。
この陽射しの下であれば、たぶん坑道内の方がずっと楽に違いない。
そんな気候である自治都市"アマノイワト"を、ボクらはゆっくりと歩いていく。
そこまで大きな都市でもなければ、広い道を確保し商店を並べるにも適さない地形。
けれど道行く人々は思いのほか多く、7000人ほどであるという都市規模の割には、かなり賑わっているように思えた。
「以前にさくらさんが使っているシャンプーを教えてくれたの、覚えていますか?」
「ああ、なんかそんな事もあったわね。それがどうかしたの?」
「あれ、結局使い切らないままこっちの世界に来ちゃったんですよね。それでこの国にある香草とかを色々探して、似た香りの物を作ってみたんです」
ボクの前を歩く2人、サクラさんとカガミは談笑をしながら大通りを進む。
もっとももっぱら口を開いているのはカガミの方で、サクラさんの方がそれに対し相槌を打ち、軽く返すばかり。
それでもカガミにとっては満足なようで、主にあちらでの思い出などを喋り続けていた。
本当であれば、この町に関する説明をするのが役割であろうに。
「ある程度ストックが有るので、よろしければお譲りしますよ。こちらの世界のは、あまり良い香りとは言えませんし」
「そいつは助かるわね。旅の最中なんて頭を洗えない場合の方が多いし、使えるなら良い物が欲しい」
「なら今夜にでも持っていきますね。楽しみにしていてください」
嬉しそうに、サクラさんが発する言葉の一つ一つに反応するカガミ。
彼女の相棒である召喚士から聞いたところによると、カガミがこの世界へ来てからまだ数か月。けれどこの様子だと、体感としてはもっと長い月日に思えていたに違いない。
どうやらカガミは"そちらの趣味"を持つ女性であるようなので、サクラさんが召喚されて以降は、色々と鬱屈していたのだろう。
そう考えれば、こうも喜んでいるというのが理解できなくもない。
……けれどなんだろう。彼女らの交わす会話からは、どうにも嫌な感じがしてならない。
具体的にどうとは言えないので、直感や第六感の類、もしくは疲れからくる気のせいという可能性もある。
それでもボクには彼女らがするやり取りに、ざわざわと不安感を掻き立てられてならなかったのだ。
「クルス君、どうしたの?」
ただそんなボクの言いようもない不安感を察したか、それとも表情にでも現れていたのか。
サクラさんは突然立ち止まって振り返ると、怪訝そうに首を傾げ問う。
「ちょっと疲れてる? あんまり無理はしないでよ、何だったら宿舎に一旦戻ろうか?」
「い、いいえ。なんでもありませ――」
とはいえこれは口にして確認するようなものではない。
おそらくサクラさんの言うように、張り詰めた緊張が今頃になって、変な形で表に出ているだけなのだと思う。
そう内心で結論付けたボクは、なんだか今日は優しいように思えるサクラさんへと、極力笑顔を浮かべ平静であると告げた。
……いや、次げようとした。
振り返った彼女の向こうに立つカガミがこちらを振り返った途端、ボクは過去に感じたことが無いほどの、猛烈な寒気に襲われた。
振り返るサクラさんからは見えぬ位置に立つその人は、一見してさっきと変わらぬ表情で、自身の髪へ触れて鼻先へ当て、視線をこちらへ向けている。
ただそれだけだ。これといって強張った表情でもなく、鋭く睨みつけてもいない。ただただ胡乱な視線が向けられているだけ。
けれどボクは、どこか澱んだカガミの視線に、射殺されるかのような錯覚に陥った。
サクラさんも視線だけで相手を委縮させることはできる。けれどそれとはまったく性質の異なる、不穏な空気すら漂わせる眼。
バクリバクリと不規則に鳴り強くなっていく動悸と、猛烈な吐き気に襲われる。
心臓を鷲掴みにされ、臓物という臓物を引っ掻き回されたような感覚に、強い眩暈と共に白く染まる視界。
「クルス君、やっぱりおかしいわよ。ごめん加賀美、私ちょっとこの子を宿舎に連れ帰ってくる」
ふらりと体勢を崩してしまうボクへと、短い距離を駆け寄るサクラさん。
でもボクは辛うじて彼女の前へ手を掲げると、なんとかその必要はないと口にした。
いけない。危険だ。
何故かはわからないけれど、今この時を彼女と接していてはいけない。
そんな警告が、本能から強く発せられる。
「大丈夫、です。サクラさんは……、見て周ってください」
「見るからに体調悪そうじゃないの。放っておけるわけないでしょ」
「少し休んだら一人で帰れますから。行ってきてください」
ボクはそう告げると、サクラさんが差し伸べる手を取ることなく立ち上がる。
ぐらぐらと視界が揺れるような感覚に陥るも、なんとか歩きその場を跡にした。
背後からは、サクラさんが追いかけてくる気配は感じられない。
たぶんボクの強めに発した、追いかけるのを善しとしない意図を込めた言葉に、感じ取るものが有ったのかもしれない。
逃げるようにしてその場から立ち去り、弾む息と猛烈な吐き気を抑え大通りの角を曲がる。
人通りのまばらとなったそこへ辿り着くと、ボクは手近な商店の壁に背を預け、大きく息を吐いた。
そんなボクへと、商店の人間であろう青年が声をかける。
「オイにいちゃん、大丈夫か?」
「お、お気になさらず……。ちょっと休めば大丈夫ですので」
「そうか? まぁいい、とりあえずこいつでも飲みな」
彼はそう言うと、商品であろう果実水を差し出してくる。
そいつをありがたく受け取り、すぐに懐の財布を出そうとするだけれど、彼は「別にいいって」と告げ店へ引っ込んでいった。
……どうやら彼から見て、ボクは相当に酷い顔をしていたらしい。
青年のご厚意で貰った果実水を口にし、再度大きく息を吐いてから深呼吸。
そうして少しばかり落ち着いたところで、ボクは先ほどのことを思い出す。
……間違いなく、あれはカガミの向けてくるものによる影響だ。
カガミの向けてきた視線そのものは、無機質かつ胡乱であった。けれど焦点を当てて発せられた気配には、強烈な敵意や悪意の塊が込められていた。
勇者という常人を越えた人たちが発するそれは、時として精神の弱い者であれば卒倒しかねないほどの迫力を持つ。
さきほどのボクは、それに当てられてしまったのだ。
「あの人、なんでボクをあんなに敵視して……」
たぶんあの圧は、サクラさんには届いていないのだと思う。
ある程度実力や戦いの経験を持つ勇者ならば、発する気配に指向性を持たせるのくらい訳はない。
軽々とそのくらいは出来るだろうし、きっとカガミはサクラさんに気付かれるのを善しとしないはず。
あの人が向こうの世界に居る時から、サクラさんを慕っていたというのはわかる。
こちらの世界に来た今にあっては、"慕う元上司"というものを超越した感情を、サクラさんに対して抱いていることも。
けれどそういった面を差し引いても、カガミのサクラさんに対する執着は異常だ。
サクラさんの相棒であるボクに対し、ドス黒い敵愾心を発してしまうほどに。
もしかして次に会った時も、同じ目に遭ってしまうのではないだろうか。
そんなことを考えると、どうしても陰鬱な気分となってしまい、ついつい深いため息が漏れてしまう。
すると漏らした空気とほぼ同時に、いつの間にか隣へと人の気配が生まれ、困ったような声が静かに響く。
「案の定暴走しやがったか」
我ながら意外なほどに驚きもなく、チラリと横目でそちらを向く。
するとすぐ隣には、腕を組むイチノヤが壁に背を預けていた。
彼は眉間に皺を寄せ、ボクが持っている果実水とまったく同じカップを啜りながら、ボクを見下ろす。
「……その口ぶりだと、あの人がああいう人だってわかっていたんですね」
「わかっていたというよりも、さっきので確認できたといったところか」
ついさっきの衝撃的な経験のおかげか、彼が現れたことに微塵も動揺せぬボクは、発せられた言葉を確認するように問う。
彼はその内容へと否定をするどころか、半ば肯定するように得られた結果を口にした。
間違いなくこの人は、カガミがああいった異様とも言える執着を、サクラさんに向けていることを知っていた。
朝の食事時もそれらしい話はしていたけれど、実際に勘付いていたのはもっと深い部分。
それこそさっきボクが受けたような、強烈な悪意というか、おそらくは嫉妬心を勘付いていたのではないか。
「知っての通り俺たちは、なによりも信用のおける仲間が欲しい。そこら辺を探るための露払いとして、あのお嬢ちゃんには期待しているって訳さ」
「ではボクは身内の本性を暴くための、都合の良い撒き餌ですか。良かったですね、あの人の本性が知れて」
「あの異様な執着さえなんとかなりゃ、実力もあって頼れるヤツなんだがなぁ……」
この人がサクラさんに求めていたのは、戦力となることに加え都市内に潜伏する敵のあぶり出し。そしてもう1つ、身内の本性を曝け出すというのもあったようだ。
もっとも3つ目に関しては、カガミ限定の役割であるようだけれど。
ともあれそういった複数の役割をこなすよう求められた結果、ボクらはこの人に上手く利用されてしまっているようだ。
数日分の疲労や心労を一瞬で受けたような状況に、ボク個人としては不満しかない。
とはいえそこを嫌味として返しても、彼は意に介さず困ったように頷くばかりだ。
「詫びと言っちゃなんだが、お前さんにも専任の案内役を着けてやろう」
「それ、本当に真っ当な人なんですよね……? また人間性を暴く材料にされるのは御免被ります」
「たぶん大丈夫だろ。そっちは俺がある程度信頼してるヤツだ、少なくとも人間性は」
「……失礼を承知で言わせてもらいますと、まったく信用なりません」
ボクが不満を全力で込めてそう告げると、イチノヤはガハハと大きく笑う。
この嫌味やら不満を一切受け付けぬ、豪胆さというか気楽さは、シグレシアの地でボクらの帰還を待つゲンゾーさんとそっくり。
……やはり最上位級の勇者というのは、こういった性格となる傾向でもあるのだろうか。
ただひとしきり笑った彼は、そこで少しばかり真剣な色を込めて呟く。
「あまりあの女には近づくなよ。対処は俺とお前の勇者に任せておけ」
それには賛成だ。正直カガミからは、さっきの恐ろしい悪意以上の嫌なものをヒシヒシと感じてならない。
イチノヤもそれとなく対処してくれるとは言うので、彼とサクラさんに任せ、ボクは大人しく別行動を取るのが無難であるようだった。