襲撃者 01
両手は後頭部に当て、腰には細い紐を結ばれ、ただひたすらその体勢で雪の上を歩く。
着ている衣服を除き持ち物の全ては奪われ、寒さに悪態つくことすら許されない。
前を見れば、全く同じ体勢となったサクラさんが、同じく無言のままで雪原を歩いていた。
彼女の腰に結ばれた紐の先には、軽装の鎧と白い毛皮の防寒着を纏った男が居り、これまた無言で紐を握りしめ歩いている。
そして周囲には統一された格好をした男たちが十数人。
「いったいどこまで連れて行くつもり? もしかして、このままどこかで始末されたりするのかしら?」
「……黙って歩け」
サクラさんは一定の速さで歩きながら、その男たちへ淡々と問いかける。
けれど男らは感情の色が薄い声で、簡潔に命令をしながらサクラさんを剣の柄で打った。
洞窟を抜けたボクとサクラさんの前に、こいつらは突如としてその姿を現した。
格好からしておそらくは騎士。……いや、アバスカルにあるのは騎士団ではなく軍なので、軍人と言うべきか。
そのアバスカル国軍の兵たちは国境監視の任を帯びているらしく、どうやら洞窟での騒ぎを聞き付け、駆けつけたところでこちらと遭遇したようだ。
とはいえ全員がただの人であり、この中にアバスカルの勇者が混ざっているということはない。
なのでサクラさんが一暴れすれば、易々と蹴散らし自由の身となれる。
それでもここで彼女が抵抗しなかったのは、ひとえに危険な侵入者の存在を喧伝することで、アバスカルに過度の警戒をさせぬため。
今はただ好機を待ち、極力連中に害を及ぼさぬよう逃げ出さなくては。侵入者を逃したという失態を、自ら隠そうとさせるために。
「す、すみません。せめて水を……」
ボクは荒く弾んだ息の中、男たちへと水を懇願する。
すると男たちは一瞬だけ顔を見合わせると、ボクらの荷物の中から水筒を取り出した。
「仕方ない、早く飲め。だがおかしな真似をすれば、すぐに斬り捨てる」
男のする忠告を聞き、ボクは一時的に手が自由となる。
見ればサクラさんもまた、剣先を突き付けられながらではあるけれど、一時の水に有りつけたようだ。
ただなにも、これは本当に喉の渇きを覚えたためではない。
手段はなんだって良かった、ただサクラさんと視線を合わせることで、彼女がなにかを考えているか確認するためだ。
水筒を煽る時にサクラさんを見れば、彼女もまた同じことを考えていたのか、ボクへと意味深な一瞥をくれる。
明確な意図を纏った視線。この様子だと、サクラさんも策を弄そうとしているようだ。
けれど逃げ出す隙を窺うには、少々遅すぎたのかもしれない。
どこからともなく、連続した重い音が響き始めたかと思うと、遠くから何かの影が接近してくるのに気付く。
「やっと迎えが来たか」
「これで歩かずに済むな。もっと早く寄越してくれりゃいいものを」
不安に心をざわつかせるボクに反し、アバスカルの兵たちは一転して気楽な声を発する。
ということは近づきつつあるのは、連中の仲間であるに違いない。
その影が近づいてくると、正体が馬車に相当する物であると判明する。
ただ荷車は車輪ではなくソリであるし、引くのも馬ではなく鹿に近い動物。
サクラさんは小さく「乗ってるヤツが赤い服なら完璧ね」などと、よくわからない言葉を呟いていた。
「早く乗れ」
そんな乗り物が近くで停止すると、アバスカルの兵はまたもやぶっきら棒に告げる。
ここで反抗するのも無意味かと、ボクは大人しくソリの上に乗ると、簡素な席に腰かけた。
素早く移動を始めるソリの上で、案外この乗り物を奪取すれば、一番手っ取り早いかもしれないなどと考える。
けれどサクラさんからは、"止めておきなさい"といった意図らしき視線が。
揺れる中でも剣先を突き付けられているため、今の状況で抵抗するには、危険の度合いが大きいということだろうか。
大人しく彼女の目に従い、ボクは一瞬だけ力みかけた身体から力を抜いた。
そこからしばし、ボクらは無言のままで荷物のように運ばれていった。
ただ少しすると、地面が雪に埋もれているのは同じでも、徐々にその景色が変じて来るのに気付く。
ひたすらに白い平原から、小高い丘が並ぶ丘陵地帯へ。
前方に見える丘を回り込んだところで、進行方向に幾つかの民家が立ち並ぶのが見え始める。
「降りろ。それと荷物を持て」
小さな村と思わしき場所へ着くと、今度はソリから降りろと指示される。
ただ今回はどういう訳か自身の荷物を持って。もちろん武器の類は返して貰えず、アバスカルの兵士が持ったままではあるけれど。
兵士の言葉に大人しく従い、背嚢と薬品類が入ったカバンを持つ。
そうして雪の上へ降り、簡素な建物が並ぶ村の中を兵士について進んでいくと、一件のボロ屋の前へ辿り着いた。
緊張しながらそこへ入ると、中は非常に薄暗く、雪明りに慣れた目ではほとんど何も見えない。
けれどそこに男が一人居るのは確認でき、そいつはこちらの姿を見るなり揉み手しながら近づいてきた。
「これはこれは、随分とご無沙汰を」
「珍しく掘り出し物に出くわしてな。こいつらを頼む」
兵士はその胡散臭い男と、気安そうに接しながらいくらかのやり取りを行う。
どこか不審な、妙に嫌な予感をする空気。
そうして兵士が一瞬だけこちらを振り返り、なんだか妙に嫌な印象を受ける笑みを溢したかと思えば、男から小さな袋を受け取りその場から去っていった。
「……売られたか」
「えっと、どういうことですか」
「さっきの袋、音からしてかなりの額が入っていたはず。確かこの国って、奴隷売買が合法だったわよね」
サクラさんは吐き捨てるように呟くと、鋭い視線を男へ向けた。
……そうだ、ここアバスカル共和国は、大陸でも唯一と言っていい奴隷売買が公に行われている国。
首都リグーでは国営の奴隷市場が存在し、国内各地から集められた人々が、日夜高額で売買されていると聞く。
そしてシグレシアなどでは違法なそれも、アバスカルにおいては合法だ。
サクラさんの予想が正しければ、この胡散臭い男は奴隷商ということになる。
てっきりあの兵士たちは、ボクらが他国からの間者であると察し、どこかの監獄にでも連れて行くのだと考えていた。
間違いなく他国の人間であることはわかっているだろうが、よもや兵士が奴隷商に、捕虜を売り渡すとは思ってもみなかった……。
どうやらこの国、あまり末端の兵に対する統制が行き届いていないらしい。
「さあ、これからお嬢さん方には、祝宴の会場に移動してもらいますかねぇ」
「知らなかったわ。この国では人に値を付けるのを祝宴と言うのね」
「少なくとも、我々にとっては。なにせ多額の金が舞い込んでくる」
サクラさんの発する嫌味にも動じず、奴隷商らしき男は引き笑いとなる。
なにやら妙に苛立ちを覚える態度に、飛びかかって殴りつけてやりたい心境に駆られるも、兵士は去り際にボクらの手を再度拘束している。
サクラさんなどは、勇者であるためか鋼鉄製の器具を嵌められており、抜け出すことは易々と叶いそうもない。
けれど拘束された状態とは言え、奴隷商だけしか居ない今は好機。
そろそろ兵士たちもそれなりの距離に離れている頃だろうし、素早く奴隷商を沈黙させられれば、上手く逃走を計れるのではないか。
ボクはそう考え、同じく反攻の体勢に移ろうとしていたサクラさんと、目線だけで意思疎通を行う。
「お、今回はご同郷も居るじゃねーか」
しかし目の前の奴隷商へと体当たりでもしようとした矢先、この簡素な建物の扉が開かれた。
背後を振り返ると、そこに立っていたのは一人の男。
こいつも奴隷商の仲間であるのに間違いはなく、こちらもついでに倒さねばならないのかと考え、ボクは力を込める。
けれど後ろ手に拘束されたままのサクラさんによって、ボクの準備は妨げられた。
いったいどうしたのかと思うも、彼女が止めさせた理由はすぐ明らかとなる。
新たに現れた男をよくよく見てみれば、その髪がサクラさんと同じく真っ黒であるのに気付いたからだ。
つまりは勇者。サクラさんらと同じく"ニホンジン"と呼ばれる、あちらの世界から来た者であるということだ。
「そうそう、大人しくといた方が身のため。手荒な真似はしたくないんだよ、面倒だし」
そいつは軽く笑いながら、小さな短刀を抜きボクらへと向け、抵抗をするのは無駄であると言い放つ。
勇者たちの故郷において、奴隷売買は禁じられていると聞く。
なのでまさか勇者が奴隷商に加担するなんてと思いはするけれど、考えてもみればこの国においては合法。中には気にせず組む者が居たとしてもおかしくはない。
たぶん男とサクラさんでは、こちらの方が強いとは思うけれど、流石に拘束をされた状態では抵抗も難しい。
なのでボクらは数少ない好機を、不覚にも見逃してしまったという事になる。
国境を越えてから、いや洞窟に入ってからか。ずっと上手くいかず空回りしっぱなしだ。
どんどんと悪化していく状況に、内心では強い焦りによって、心臓が早鐘を打ち続けていた。
「さてと、とりあえずあんたらには首都に運ばれてもらう」
新たに現れた勇者はそう告げると、ボクらへと強引に金属製の首輪を嵌め、鎖によって繋ぐ。
まるっきり虜囚の如き姿に、強い屈辱と焦燥感が沸き立つも、今はそれどころではない。
首都に連れて行かれる。それはつまりアバスカルの首都リグーに在ると聞く、奴隷市場に出品されるという意味に他ならない。
どうにかして、どうにかして逃げなくては。
首都に向かうというのは予定通りではあるけれど、どこかで逃げ出さなければ、任務を達成し帰還するどころではない。
一生をこの国で、道具として使われ続けるハメになるのだから。
ならばいったいどうすればいいのかと、鎖を引かれ歩きながら思考する。
ただ建物の裏口から外に出たところで、ボクは逃走手段の模索を中断し、無意識のうちに眉をひそめていた。
「……なんですか、これ」
何よりも優先するはずな逃走。それすら追い払い思考の中心へ据わったのは、目の前に見えた光景。
小村の隅にあたる場所であるそこは、ここまで同様雪に覆われた光景が広がっている。
ただ降り積もった雪の中へと真っ直ぐに、金属らしき長い棒のようなモノが置かれていた。
そいつは人の数倍どころではなく、建物の数十倍どころですらなく、ひたすら延々と横たわっている。
右を向けば見えなくなるほど遠くまで、そして左を向いても同様。
そんなまるで長さが掴めぬ、長大な金属の線が2本、並んで横たわっていたのだ。
「……ちょっと、これってまさか」
「サクラさん、何か知っているんですか?」
そんな光景を前に、さっきまで逃走の算段をしていたであろうサクラさんは、唖然とした様子で呟く。
彼女は目にした金属の長い塊に対し、険しい表情で凝視する。
サクラさんは明確に、こいつが何かを知っている。それも反応からして、あちらの世界に関わるモノであるに違いない。
「線路、ね」
ボクの問いに、彼女は小さく得体の知れぬ単語を呟く。
ただそれは答えを口にしたというよりも、自身の記憶に在るそれと照らし合わせ、確認をするかのよう。
そして彼女の唖然とし呟く言葉へ覆いかぶさるように、どこからともなく甲高く激しい音が響いて来た。