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暗水踏破 05


 荒れ弾む息に、足元で跳ね飛ぶ冷たい飛沫。

 ボクはランプで限定的に照らされた暗い洞窟の中を、必死に走り続けていた。


 流れる自ら上がり、休息を摂るボクら6人を襲った魔物。

 そいつは最初こそ1体だけであったものの、暗い中で対処に悪戦苦闘する間に、次々と数を増していった。

 上から降ってくる蝙蝠の如き翼を持つ魔物に、道の奥から涌き出る蜘蛛の魔物。そして終いには、滝壺から沸き出てくるヤツまで。

 無数に発生するそいつらの殲滅を諦め、結局ボクらは逃走という最も現実的な手段に縋るハメになったのだ。



「ど、どうするんですかサクラさん!?」


「さて……、いったいどうしたものやら。なにか案とかない?」


「なにを暢気な!? 今は逃げる他ないでしょう!」


「なんだ、答えは決まってるんじゃない」



 そんな逃走の最中、ボクは息を切らせながらサクラさんへ問う。

 すると彼女はこんな状況であるというのに、どこかノンビリとした空気で、顎へ手を当て思案していた。


 実のところ今現在、大量の魔物に追われていた状況からは一変、ボクらを追う影は1つだけとなっている。

 突如として現れた1体の大きな魔物によって、他の魔物が軒並み蹴散らされ、あるいは食われてしまったためだ。

 ただ問題があるとすれば、今度はその魔物がこちらを新たな餌と認識してしまったという点。そして道中の分かれ道や落盤によって、他の人たちとはぐれてしまったことか。


 足をもつれさせてしまったボクは、サクラさんによって荷物ごと抱えられる。

 走る速度を上げる彼女に抱えられるボクは、代わりとしてランプを持ち前方を照らすのだけれど、その時に一瞬だけ背後を振り返った。

 目に映るのは、広く天井が高いはずの洞窟を、ギリギリとなって駆ける巨大な魔物。

 サクラさん曰く、「まるでキョウリューみたい」と評されたそいつは、斧の如き無数の牙と生暖かい息を向け、捕食者としての力を見せつけながら迫っていた。



「流石にあいつを倒すのは厳しいわね。ていうか倒せる気がしない」


「な、何でこんな場所にこうも強力な魔物が……」


「さてねぇ。でもあながち不思議でもないかもよ、なにせ私たちが向かおうとしているアバスカルは、魔物が最初に現れた国なんだし」



 逃走の最中であるというのに、変わらず暢気なサクラさんの声。

 彼女の様子に反し、今はなかなかに切羽詰った状況だ。なにせ追いかけてくる巨大な魔物は、こちらの手に余る存在なのだから。

 サクラさんの大弓であれば、たぶん相応には傷を負わせられるのだとは思う。

 しかし狭い洞窟と言うこともあって、こちらは弓を有効に使えない。かと言って短剣で挑むには、あまりにも不利だ。



「それはそうですが……」


「たぶんもうとっくに国境は超えているだろうし、出現する魔物の傾向も変わってるかもね。意外にも、こんなヤツが普通に跋扈してるかもよ」


「考えたくない可能性です。今からでも逃げ帰りたい」



 これまであんなヤツは見たことが無いけれど、サクラさんの言うようにここはもうアバスカル領内に当たるはず。

 未知の魔物が存在するというのも、あながち不思議は話では。


 ボクはアバスカルの国土中へ、こんな凶暴な魔物がウヨウヨしているのを想像し、震えと共に肩を落としてしまう。

 あくまでも想像でしかないけれど、もしそうであれば任務など放り出して逃げ帰ってしまいたいというものだ。



「救いがあるとすれば、この道が上り坂だってことね。もう既にかなり上まで行ってるはず」


「では上手くいけば、このまま地上に……」


「極端に楽観視を突き詰めればね。でも今はそう考えておきましょう!」



 見れば確かに、ゴツゴツとした道ではあるけれど、着実に先は上へ向いている。

 サクラさんに抱き抱えられたことで、一気にその速さを増して駆け上がっているため、たぶん最初に襲われた場所よりはかなり上っているはず。

 もちろんこれが、地上へ繋がるとは限らない。

 けれど一抹の望みに縋る他なく、ボクはサクラさんの言葉を盲信しようと努めた。


 ただ彼女の楽観的な思考、意外にも正解と言えたのかもしれない。

 巨大な魔物に追われ続けながら走る先に、小さく明りらしき物が見えるのに気付く。

 背後からは轟音の呻り声も聞こえるけれど、それすら無視しサクラさんは光の差す方へ駆け抜ける。


 大きく強くなっていき、身体を飲み込んでいくかのような光。

 ランプによる明りがまるでわからなくなるほどの強いそれへと、サクラさんは大きく跳躍。洞窟の道よりもずっと狭い穴へ飛び込んだ。



「ぬ……、抜けた……」



 暗い空間に慣れた目へと、強い陽射しが刺さる。

 ただそんな中でもなんとか片目を開けると、映ったのは真っ白な世界。

 白く、冷たく、寒々とした冬の大地。今が夏も近い季節であるということを、一切忘れさせる光景がそこには広がっていた。


 地面に降り立ったサクラさんの腕の中、ボクは目の前の光景に唖然とする。

 これがアバスカル共和国。高い標高によって、多くの季節を冷たい大地に閉ざされる凍土の国。

 洞窟内を逃げ回っている内に、いつの間にやら随分と高い位置にまで登ってきていたらしい。


 ただ一面の銀世界に見惚れていると、突如背後からズシリと重い音が。

 驚いて振り返ってみれば、そこには巨大な魔物が狭い穴へ鼻先を突っ込み、必死にこちらを食らおうとしていた。

 けれど思いのほか岩が固いせいだろうか、岩を砕く事も出来ずにいるようだ。



「運が良かったです。こんな広い場所で追われたら、すぐに喰われていたかも……」


「案外その前に、あっちが寒さで倒れたかもよ。爬虫類はそういうのに弱いらしいし」



 洞窟の中は狭いからこそ、あの大きな魔物は走るのに難儀していた。

 反してこのだだっ広い平原では、早々にボクなどは食われていてもおかしくはない。

 けれどサクラさんは周囲を見回し、これはこれで有利ではないかと言った意図を口にする。


 彼女に言われて気付く。ここが洞窟の中よりも遥かに低い気温であると。

 洞窟内は冷涼なものの、気温そのものは一定を保っていたようで、外の方が遥かに寒さが厳しい。

 それはこの積もった雪を見れば明らかなのだけれど。



「でも帰る時はどうするんです。きっとまだ居ますよ?」



 いまだ諦めずこちらを食らわんとする魔物を一瞥し、入ることの叶わなくなった洞窟を眺めた。

 幸運にもアバスカルへの道は通じた。けれど首都リグーで調査を行った後、当然報告をするため帰還せねばならず、その経路をどうしたものかと考える。

 もう暫くすれば、きっとこの魔物も諦めてはくれる。

 けれど再びここへ入るとなれば、また遭遇するのは目に見えていた。


 サクラさんはそんなボクの言葉に、腰へ手を当てあっけらかんと答える。



「その時はその時に考える。というかどのみちこの洞窟は使えないわよ、水流のせいでほぼ一方通行なんだから」



 となるとシグレシアへ戻る際には、また別の手段を考えねばならないと言うことか。


 まず真っ先に浮かぶのは、西のコルネート王国領を経由するというもの。

 他国と街道で繋がっているのはここだけで、2か所だけ国境越えの可能な場所が存在するとのこと。

 けれどそこへは当然のように監視の目があるため、通行は容易くないかもしれない。


 もっとも帰路を考えるよりも先に、まず首都へ移動する手段の確保が先だ。

 そう考えたのはサクラさんも同じであったらしく、彼女は自身の頬を軽く叩いて気合を入れると、手を目の上にかざし遠くを眺める。



「とりあえず移動しないと。いつまでもこんな所に居たら、寒さにやられてしまうっての」


「他の人たちはどうするんですか? まだ中で迷っているはず」


「彼らには悪いけれど、生きているかどうかも不明な状況で探しには行けない。元々そういう前提で行動していたんだから」



 こうして地上に、そして目的の場所に出られた以上は行動を開始しなくてはいけない。

 けれど気になるのは、いまだ洞窟内に居るであろう他の勇者たち。

 最初に水流によって離れ離れになった4人に、魔物から逃げる最中に別れてしまった4人。彼らがどうなったかは不明だけれど、戦力として居てくれた方が遥かに心強いのは確か。


 けれどサクラさんは、彼らを捜索はしないと告げる。

 彼女の言う通り、ボクらは洞窟に潜る前、万が一の時に取る行動について打ち合わせていた。

 その内容に、もし不慮の事態によって離れ離れになってしまった場合でも、国境越えと首都リグーに向かうのを優先するというのが含まれている。



「私たちはこのまま首都に向かう。割り切って頂戴」



 サクラさんからすれば、自分と同じ故郷から召喚された勇者たちだ。助けることが出来る物ならそうしたいに違いない。

 それでも今は任務の遂行を優先する。彼女はそう決意しているようだった。


 ならばこれ以上口を挟むつもりはない。共に居る召喚士たちだって覚悟の上だろうし、彼らが倒れたとも決まった訳ではないのだ。

 運が良ければ首都で合流できるかもしれない。ボクはその僅かな可能性に賭けることとし、一旦同行者たちの存在を記憶の隅に追いやった。



「……わかりました。ですがまずは体力の回復です、出来るだけ風を避けられる場所を探しましょう」



 そう言って、周囲をグルリと見回す。

 一面の雪景色ではあるけれど、辛うじて所々に木が生えており、暖を取る手段には困らなそうだ。

 廃屋やちょっとした洞穴でも助かるし、人里などがあればなお良いけれど、ただ雪や風を避けられるだけ十分。


 そこでひとまず荷物を背負い直すと、いまだ暴れる大型の魔物を尻目に雪原を歩く。

 けれど視界のほぼ全てを埋め尽くす白によって距離感が掴めず、まるで一歩も動いていないかのような錯覚に襲われる。

 振り返ってみれば、洞窟の入り口は徐々に遠ざかっているのだけれど、いったいいつ人里に着くのか不安になってしまう。



「確か首都のリグーって、ほぼアバスカルの中央部に存在するのよね?」


「そのはずです。大抵の国はどういう訳か、国土の中心付近に首都を据えていますね」



 ザクリザクリと雪を踏み進めるサクラさんは、周囲を窺いながら問いかける。

 ここアバスカル共和国もまた、シグレシアやコルネートと同様にほぼ中心部に首都を置いていると聞く。

 大陸でも有数の国土を誇るだけに、まだ国境付近でしかないここからでは、相当に時間を要するに違いない。

 さらにこの雪だ、いったい到着するのはいつになることやら。



「ノンビリ、……とはいかないけれど、慎重にいきましょ。幸いにも期限を指定されてはいないことだし」


「でもボクとしては、早く終えて帰りたいところです。またアルマに寂しい思いをさせてしまっていますし」


「そこは心苦しいところね。正直このまま、また教会に預かってもらった方がいいんじゃないかって思うくらい。当人としては、私たちと一緒に居たいんだろうけ――」



 実のところ今回の任務、ゲンゾーさんによると別段急ぐ必要はないとのこと。

 おそらくこの件を計画した国の中央は、何がしかの理由によって成果を焦っている節はあるけれど、慎重に進めるのが第一であると言っていた。

 なのでボクらとしては、時間はかかってでも極力安全策を採りながら、情報を集め確実に帰還を果たせばいい。


 難点があるとすれば、カルテリオで待たせているアルマだろうか。

 結局は家族を失ってしまったあの幼い子供は、現在あの町の教会を管理する、メイリシア司祭に預かってもらっている。

 一応彼女にも懐いてはいるけれど、やはり今は家族同然となったボクらと離れるのは、かなり寂しいであろうことは想像に難くない。


 サクラさんもそれはわかっているようで、ちょっとばかり申し訳なさそうな口振りでそれを告げる。

 ただ彼女が言葉を言い終えようとした時、突然に声と歩を止めたのに気付く。



「……クルス君、止まって」


「どうしたんです? まだもう少しであれば歩けますよ」


「いいから。それと、腰の短剣を地面に置きなさい」



 突然に、サクラさんは妙なことを言い出す。

 いったいどうしたのかと見れば、サクラさんは自身の得物である大弓を雪に刺し、静かに両手を上げていた。

 それはまるで敵を前にした時にする、降伏を示す動作。彼女が突然に行ったそれにハッとし、ボクは周囲を見回す。


 一見して、周囲には何かが居る様子はない。

 けれどサクラさんがこのような行動に出たということは、きっとボクらは何処からか狙われている。

 それもこうして降伏を表す姿勢を取っている。つまり相手は魔物ではなく、人であることを示していた。


 サクラさんは抗おうとする様子が無い。

 つまり抵抗をしても無駄だという意味であり、ボクは彼女の顔に一筋伝う汗を見て、無言のまま腰の短剣を雪の上へ放った。


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