暗水踏破 04
轟音を立て、高くから落下する水流。
それが落ちた先に在る、人の数倍に及ぶ深さを持つ滝壺。そして回転する視界と狂いに狂った平衡感覚。
ボクは延々自身の身体を振り回すそれらに翻弄された状況から、馴染んだ手に引かれようやく固い地面へ辿り着いた。
「し、死ぬかと思った」
「……というか半分死んだ気がします。もしかしてここって、天国とかじゃないですよね?」
荒い息を吐きながら、ボクとサクラさんは地面に両手足を着く。
水に浸かって奥へと進んだボクらであったけれど、次第に勢いを強めていく水によって、結局は流されてしまうハメに。
いったいどこまで行くのかと思っていると、辿り着いたのはさきほどの大瀑布程ではないけれど、相当な高さをした空中。
身を投げ出され、世界が止まったかと思って僅かの後に着水、ボクは溺れる寸前となってしまった。
なんとかサクラさんによって助け出され、今は揃って生を実感している真っ最中。
しかし真っ暗でほとんど何も見えぬ空間、本当に生きているのかすら疑わしいと思えるほど。
というかサクラさんもよくこの暗さで、ボクを助け出してくれたものだと感心するばかりだ。
「天国にしては随分と辛気臭い場所だこと。せめて陽射しの浴びられる場所であって欲しいところね」
息を整え、なんとか放さずに済んだ鞄の中を探り、着火器具を取り出そうと悪戦苦闘する。
そうしてようやくランプを点けたところ、サクラさんは周囲を窺いながら、ゲンナリと肩を落としていた。
「それに、ここまでで何人もはぐれてしまいました……」
「途中で枝分かれしているところがあったから、そっちに流されたのね」
共に水流の中へと入っていった勇者と召喚士たち。
総勢で10名居たこの一団だけれど、今見ればこの場に居るのは6人。
各々の相棒と一緒には居るようだけれど、2組はサクラさんの言うように別の場所へ流されてしまったようだ。
この高さな上に強い水流だ、戻って探しに行くことなど出来やしない。
ボクは離れ離れになってしまった彼らの心配を一旦打ち切ると、もう一度ランプを掲げて周囲を窺う。
随分と奥の方まで流されてしまったけれど、残念ながら目的のアバスカルへ通じたとは言い難いようだ。
なにせまだ他に明りも無い真っ暗な洞窟の中で、現在地もおおよそどの辺りであるのかすらわからない。
むしろ状況は悪化気味であり、前途多難と言われても否定する言葉は持てなかった。
「たぶん、かなり下ってますよね。もしかして逆に遠ざかってるんじゃ」
「確かアバスカルって、比較的標高の高い地域なんだっけ?」
「はい。国土そのものは平野部が多いそうなのですが、標高が高く寒冷な土地であると聞いたことが」
目的地であるアバスカル共和国は、大陸の中央部から東部にかけて広がる、巨大な台地の上に存在する国だ。
つまり下へ下へと流されている以上、目的地からは遠ざかっているという事に他ならない。
かといって今更戻るのも叶わない。見たところ、歩いて登れるような道は存在しそうもないためだ。
「とりあえず、前に進むしかないか。今回はちょっと休んでからにする?」
「そうして貰えると助かる。かなり身体が冷えてしまった」
サクラさんはボクからランプを受け取ると、奥の方を照らす。
そちらはさっきのように、水流の中を進むハメにはならなそうだけれど、いったいどこまで続いているか定かでないのは同じ。
ひたすらに真っ暗な空間が延々と伸びており、今はまだそこへ踏み出す勇気を持てそうもなかった。
そこで離れずに済んだ勇者たちへと向き直ると、一時の休息を提案する。
ボクの身体にはさっきから震えが奔っており、濡れた服はひたすら重いばかり。
このままでは体温の低下を招き、それこそ身動きすら取れなくなってしまいそうだ。
きっと彼らにしてもそれは同じ。サクラさんの提案に対し、大人しく頷き腰を下ろしていた。
「とりあえず服を脱いでなさいな。火を熾すから」
そう言ってサクラさんは濡れた背嚢を開くと、中から数本の水筒を取り出す。
そいつは多めに持って来たランプ用の燃料なのだが、こいつを燃やすことで焚火代わりにしようという考えらしい。
なにせ水の中を進んできたために、持って来た薪はずぶ濡れだ。
やはり元々の体力差だろうか。サクラさん自身も全身が濡れているというのに、平然と火を熾していく。
それに甘えて手をかざすと、自分で思っていた以上に身体が冷えていたのか、強く身震いをした。
とりあえず来ていた服の多くを脱ぎ、下着とシャツ一枚だけに。気恥ずかしさはあるけれど、今はそれを言っている場合ではない。
「って、なんで脱いでるんですか!」
「なんでって……、クルス君は私に風邪を引いてしまえと?」
「そうではありませんが、せめて上に何か」
しかし横に視線をやれば、サクラさんも同じく服を脱ぎ放っていた。
1枚2枚を脱ぐのであればいいのだけれど、彼女は恥ずかしがることも無く、平然と服のほとんどを脱ぎ放つ。
上下1枚ずつの下着姿となった彼女は、ボクの視線などものともせず、濡れた服や持って来た荷物を乾かし始めた。
「今更恥ずかしがるような仲でもあるまいし」
「いや、ボクとしては恥じらいを持ってくれると嬉しいんですが……。っていうか他にも人が居るのに」
「今は恥ずかしさよりも体温の保持が優先。いいから君も脱いじゃいなさい」
普通であれば人目を気にするような格好で、大きく伸びをするサクラさん。
けれど確かに、今はこの冷たい地下水で濡れた身体を、早急に温める必要があった。
見れば他の勇者や召喚士たちも、男女問わず割り切って服を脱ぎ、下着だけとなって火に当たっている。
なのでこの場で顔に熱を帯びているのは、ボクだけであるようだ。
これ以上の文句を口にすることもできず、仕方なしに火へ手をかざす。
けれどサクラさんの方を向くのは気恥ずかしく、半裸の彼女から視線だけは逸らした。
とはいえ考えてもみれば、カルテリオの我が家では、度々半裸となったサクラさんを目撃している。
庭に作った風呂から上がった彼女が、下着姿で家の中をウロついているなんてザラだからだ。
というか時折、人が見ていないのをいいことに、下だけしか穿いていない姿ということも。
どうやらボクの事を男として見ていないのは相変わらず。
そこはもう諦めるしかないのかと思うと、一抹の寂しさを感じずにはいられない。
「……服、乾いたら来てくださいね」
「なにを恥ずかしがってんのよ。顔なんて真っ赤だし」
「ひ、火が当たってそう見えてるだけです!」
ニヤリとするサクラさんは、グイと顔を寄せてくる。
今の状況が、ボクをからかう絶好の機会であると考えたようで、肌を見せつけるように扇情的な体勢となっていた。
けれどその姿を直視し、一点に目が留まる。
そこを見ると彼女の挑発的な行動に対し、少しばかり冷静になれる気がしないでもない。
「ちょっと、どこを見てその表情をした」
「胸ですね。他に何処があると」
「……クルス君も言うようになったわね」
サクラさんは手を伸ばし、ボクの両頬を抓る。
そうしてからかいを継続するかのように引っ張ると、笑いながら小さな小鍋へと水を満たし、燃える燃料へかざして全員分の湯を沸かし始めた。
下着姿のままで、愉快そうに茶を淹れようとするサクラさん。
ただ思い出してみれば、今までは彼女の少々寂しい胸を揶揄するような言葉を口にすると、非常に苛烈な報復が襲ってきたものだ。
なので一見して平然としているように見えて、案外今の状況に焦りを感じ、余裕を持てていないのかもしれない。
そう考えたボクは、サクラさんの真横へと座り直す。
他の人から見えぬように手を伸ばし、剥き出しとなった彼女の手へと触れ強めに握る。
「なに、励ましてくれようっての?」
「頼りないのは自覚しています。けれど、居ないよりはマシと思ってくれれば、……嬉しいです」
すると他の人に聞こえぬようにか、サクラさんは小声でささやく。
同じく声を潜めたボクは、彼女へと自信が支えになろうとしている意志を口にした。
目的地へと通じているかの確証すらない洞窟。得体の知れない国。後戻りのできぬ状況。
そんな不安要素満載な中、気丈で居ろという方が無茶だ。
ならばボクはサクラさんの相棒として、多少でも支えになりたいと考えるのは当然だった。
この行動によって、どれだけ気が休まってくれるかはわからない。
けれどこれくらいしか思い浮かばず、具体的にどうすればいいと決める間もなく、衝動的にしてしまった行動。
とはいえ僅かながら、マシと思える程度には思えてくれたらしい。
サクラさんは小さく表情を綻ばせると、普段の彼女がする言葉の一端を呟く。
「一応言葉に偽りはないみたいね。だって――」
「だって、なんです?」
「善からぬ考えを抱いていないってのは、見ればわかるもの」
彼女の言葉の意味をすぐさま理解し、咄嗟に触れていた手を離す。
そして視線を自身の下腹部へと移し、そこが自己主張をしていないのを確認して、ホッと安堵の息を漏らした。
唐突に発せられた言葉に、動揺がなかなか抜けてはくれない。
そんなボクの姿を見て笑い声を上げるサクラさんは、湿気た茶葉を使って淹れたそれを、カップに移して寄越してくれた。
温かな茶を受け取り口を付けると、さっきの動揺がまだ糸を引いているせいか、多くを口に含み過ぎて軽い火傷をしてしまう。
「本当に、からかい甲斐のある子ね」
「いったいいつまで、この役回りは続くんですか」
「ずっとじゃないの? もしくは私が飽きるとか、クルス君がもっと大人になるかするまでは」
まだまだ乾燥には程遠いけれど、表面だけは徐々に乾きつつある木材を火に放り込むサクラさん。
彼女によると、この立ち位置が終わりを告げる日というのは、まだまだ先の話であるようだ。
けれどそれはそれで悪くないようにも思える。こうしてサクラさんが楽しそうにしてくれているのだから。
そこから暫しの時間を、この場に居る6人は休息に当てた。
揃って表情からは笑顔が抜け落ちてはいないけれど、それでも身体が冷え切っていたのに変わりはない。ただでさえ冷たい地下水なのだから。
徐々に乾いていく衣服を纏い、持って来た燃料を燃やし火を強め、足の速い食材を調理し口に入れていく。
そうしてようやく乾いた毛布に包まり、疲労感から徐々に思考を霞ませていると、ふとサクラさんがボクを揺り起こすのに気付く。
「起きて。静かにね」
「ど、どうしたんですか?」
「全員、荷物を纏めて武器を準備して。何かが近づいてくる」
さっきとはうって変わり、緊張感を強く纏ったサクラさんの声。
彼女の発する鋭い気配に、全員が瞬時に意識を覚醒させ、告げられたままの行動へと移る。
焚火を消す代わりにランプを灯すサクラさんは、意識を集中するように周囲の音を窺う。
ボクの耳にはまるで聞こえないけれど、彼女がそういうのであれば間違いはない。
そして勇者たちの持つ常人より遥かに優れた聴覚は、何がしかが近づいてくる音を鋭敏に察知したようで、彼らは一様に自身の得物を構えようとしていた。
「人じゃない、たぶん魔物ね。火を消すのは早まったかも」
サクラさんはそう言って、今まさに自身が消した焚火の跡を見て溜息一つ。
ただいつまでも後悔ばかりをしてはいられないようで、彼女は腰に差していた短剣を抜き放った。
基本的には弓を主としている彼女だが、いくら広い空間とは言えここは洞窟内。取り回し易さを考え、近接武器を用いることにしたようだ。
ボクもまた肩から襷に掛ける鞄へ手を伸ばす。
流されていく中でも、辛うじて割れずにいてくれた薬品の数々。
当面はこいつの補給も儘ならないかもしれないが、出し惜しみしている余裕はないのかもしれないと、小さな小瓶を1つ取り出した。