地喰らい食らい 07
最初に女王が姿を現した時、どうして先に仕掛けてきたのか。
きっとそれは他の蟻が食われていくのを、看過できなかったからなのだと思う。
つまりサクラさんが感じ取ったように、ひたすら自我の薄い他のフォルミディオとは異なり、女王だけは高い知性を持っているため。
そしてこの事実を証明するかのように、女王は己が眷属を殺したサクラさんを仕留めんと、鋭い顎を向け迫る。
これまで見せていた不規則で狙い辛い動きは鳴りを潜め、感情のままひたすら真っ直ぐに。
「クルス君、あいつの動きを止められる?」
「……サクラさんの攻撃が当たるのであれば」
「なら大丈夫ね。これなら十分当てられる!」
その女王による攻撃を凝視するサクラさんは、静かに問いを口にした。
彼女の問いに肯定を返すと、ボクはすかさず鞄の中をあさり最も良さそうな効果を持つ道具を取り出す。
一方のサクラさんは迫る女王へと矢を射かけていく。
その矢はさっきまでと異なり、ことごとく女王の甲殻へと当たっていく。けれどやはり他の個体と異なり、女王の体表は相当に硬いようだ。
鏃が表皮を抉りはするものの、奥深くへまでは刺さらず致命傷には至れない。
しかしそれでも勢いを殺し、直進する動きを逸らすことは出来る。
彼女が女王の接近を阻んでいる間に、ボクは鏃のない矢へ取り出した物を仕込むと、頃合いを見計らってサクラさんへ手渡した。
その手にした矢を番え、何であるかを確認することもなく射放つ。そしてチラリとこちらを向いて……。
「で、今のって何?」
「そういうのは使う前に聞くものでは」
「信頼の表れと思って欲しいわね。いいから教えなさいって」
「見ていればわかります。ちゃんと効果があればの話ですが」
彼女の軽い言葉に苦笑いをしながら、ボクは女王へ視線を向ける。
既に命中したその矢は、鏃が付いていないことから当然威力らしきものはなく、女王も平然と接近を試みていた。
ただほんの僅かに後、女王の持つ羽が羽ばたきを止めるのが見える。
すると当然のように巨大な体躯は宙で支えられることなく、地面へ向け真っ逆さまとなっていった。
サクラさんへ渡した矢に付けた物は、別にボクが調合した薬品の類ではなくただの糊。
カルテリオ近郊に在る、"狂信者の森"に自生する木から採取した樹液で、空気に触れてから次第に固まっていく性質を持つ物。
野営時などに木の枝などを使い、簡易の竈を作ったりする際に使用しているそれだけれど、普通は魔物相手に使っても碌な成果は得られない。
ただ昆虫型の魔物が持つ羽の根元へ使うなど、特殊な用い方をすれば一定の効果を得られるのだ。
結果女王は体勢を崩し落下。グシャリと嫌な音を立て地面へと落ちる。
その墜落した女王へと、身体に小さな傷を負ったフォルミディオイーターは、ノソリと接近し舌を伸ばそうとしていた。
「はいはい、ちょっと待って。そいつを食べるのは止めておきなさい」
しかしサクラさんはそれを制止、食事は他の個体でさせようとする。
なにせ女王には糊がくっついているため、フォルミディオイーターが腹を壊してしまいかねないからだ。
サクラさんは御者役をボクへ譲ると、自身は短剣を手に地面へ。
そうして女王に近付くのだが、身体の大部分を落下の衝撃で潰すも、持ち前の生命力のせいかまだ息がある。
サクラさんはそのことを確認すると、迷うことなく短剣を頭部付近の関節へ振るい、即座に絶命させるのであった。
そこからは、ひたすら一方的な蹂躙となる。
女王を失ったせいなのか、あるいは元々混乱した状況に弱いせいか、フォルミディオはひたすらその場で蠢くばかり。
時々周囲に煙を置いて逃げられぬようにしておけば、完全にこの場はイーターの餌場と化した。
そうして数百に上るであろう魔物を、ものの数時間で食い尽くしていく。
まさか本当に全て食らうとは思っておらず、ボクは大きく腹を膨らませた魔物の傷を治療しながら、その大食漢ぶりに呆れるばかり。
もっとも王都には、こいつよりもさらに大きな個体が数頭居るのだ。さぞ餌の確保には苦労するだろうに。
「さて、一応目的は果たしたことだし戻りましょ」
草原の一角を黒々と染めていたフォルミディオの群れは、大部分がイーターの胃に収まり、あるいは踏み潰された。
高く聳える土の蟻塚は健在だけれど、こちらは後で騎士団が来て取り壊し、海水で地下の巣穴潰しを行う予定になっている。
その光景を前にし、サクラさんは腰に手を当て町へ戻ろうと口にした。
「それはいいんですが、こいつはどうするんです?」
しかし目下気になるのは、このフォルミディオイーターをどうするかだろうか。
今後もまたフォルミディオが発生しないとも限らないため、王都に連れて行かれては少々困る。
一応相当に満腹となっているようで、このまま渓谷に帰しても当分は生きていられるはずで、その点を心配はしなくても良さそう。
なので再び谷へ放し、元の暮らしに戻すべきだろうかと考えた。
ただサクラさんは問いに対し小首を傾げると、あっけらかんと言い放つ。
「どうするも何も、この子はカルテリオで飼うわよ。町長にも承諾はもらってるし」
「ほ、本気ですか!? ……っていうかいつの間に許可を」
「今後もこんな事が起きないとも限らないもの。それに周辺は餌が豊富なんだから、大食らいとはいえ1頭くらい余裕よ」
サクラさんの発した言葉に、ボクは目を見開き困惑する。まさかボクらの暮らす町で、魔物を飼うなどと言い出すとは思わなかった。
それも王都のような、飼育のノウハウを持つ人間が存在しない土地で。
ただ考えてもみれば、案外それは現実的と言えるのかもしれない。
なにせカルテリオの周辺に出没する魔物は、そのほとんどが昆虫型と呼ばれる類。
名の通りフォルミディオを好んで食すこの魔物だけれど、実のところ昆虫型の生物であればどれでも良いとも聞く。
故にカルテリオでは、冬季を除き餌が豊富にある。それこそいくらでも。
ボクは一応の納得をすると、フォルミディオイーターの背に乗ってカルテリオへの帰路に着く。
そうして徒歩よりはずっと早く、ものの数時間をかけてカルテリオに戻ると、当然のように騎士たちは唖然としていた。
彼らとしては、どうしても魔物であるという意識が先にきてしまうのか、中にはつい咄嗟に武器を手にする者も居る。
けれどサクラさんが事前に話を通していたというのもあって、意外にすんなりと都市外壁のすぐ内側で休ませてもらえることに。
とはいえその巨躯は遠くからでもよくわかり、ものの十数分も経てば住民たちは集まり、遠巻きながら物珍し気に眺めていた。
「おかえり。まさか本当に連れてくるとは思わなかったけど」
魔物と揃って小休止をしているボクらへと、近づいてくる人影は親し気に話しかけてくる。
その人、現在は勇者支援協会カルテリオ支部長であるクラウディアさんは、大きな魔物を見上げ嘆息する。
事前にこれが上手くいった場合には、連れ帰るとサクラさんからは聞かされていたはず。
それでも実際に目の当たりとすると驚きは隠せないようだ。なにせフォルミディオイーターが越えた都市の外壁は、魔物から護るために築かれたのだから。
「有言実行、ってやつよ。それよりこの子の餌なんだけど……」
「わかってる。他の勇者たちにお願いして、討伐した魔物をいくらか持ち帰ってもらうから。確か秋頃にたらふく食べさせておけば、冬の間は問題ないんでしょ?」
「お願いね。たぶんフォルミディオを狩る以外にも、農耕への利用も出来るだろうしさ」
なるほど、そういった目的もあったか。
基本的に農耕には馬や牛を用いるけれど、場合によってはそれ以上の力が必要となるのも珍しくはない。
そういった場合、大きな体躯と尋常ではない力を持つ、この魔物はとても役立ってくれるはず。
この建前を看板としてぶら下げておけば、たぶん町の人たちにも魔物を都市内に留まらせる説得は容易だ。
サクラさんとクラウディアさんは、そういった内容を騎士たちや近隣の住民へと話していく。
すると彼らは一気に、奇異や困惑に満ちていた視線に期待の色を滲ませていった。
目の前に居る魔物が、非常に温厚であるというのも、説得力に拍車をかけたのかもしれない。
説明を終え町の人々が三々五々に散ってから、フォルミディオイーターを騎士たちに預け、ボクらもまた家に戻るべく帰路に着く。
ただ途中まで同行するというクラウディアさんは、歩いている途中にふと思い出したように懐へ手を入れた。
「ところで、あんたたちに手紙が届いてるんだけど。一応新しい依頼」
彼女が取り出したのは、若干小振りな封筒。
それを何故だか妙に丁寧な動きで、ボクへと手渡してくる。
「なによ、また個人宛て? 内容によってはそっちの判断で断ってもいいのに」
どうやらまたも、どこぞやからの依頼が届いてしまったようだ。
サクラさんもそう考えたようで、ゲンナリとした様子で面倒臭さを強調する。
実際こういった依頼の数々から逃れるために、今回は調査や討伐を請け負ったのだ。
戻って早々にその厄介な依頼が再び目の前に現れ、またかとウンザリするのは当然と言えば当然。
けれどクラウディアさんは静かに首を横へ振り、自身の裁量でどうこうはできないと告げるのであった。
「流石にそうはいかないって。少なくともアタシじゃこれは開けられない」
彼女は困った様子で、封筒を指さす。
釣られて視線を落としてみれば、受け取った封筒の装丁は簡素ながら、非常に高価な紙が使われているのだと知れる。
繋ぎ目には蝋封。ただリングか印を使って押されたであろうその蝋には、どこかで見たような紋章が刻まれていた。
どこかで見たような気がし、首を傾げつつ何であるのかを必死に記憶を探る。
そうして歩きながら考えていると、ふとしたところで思い出す。
「あ、これって確か近衛隊の……」
「そう。昨夜騎士が飛竜に乗って、あんたたち宛てにって持って来た。アタシにはそいつを開く資格も無ければ、内容を知ることすら許されないってさ」
非常に珍しいこいつは、騎士団の中でも近衛隊が用いる印章。
一度くらい見かけたことはあっても、基本的に国王直下というのもあって、騎士団内でも別の命令系統で動くその集団。
なので一介の召喚士や勇者相手に、こうして手紙を出すなんてのは非常に稀だ。
一応近衛隊員であるユウリさんなど、直接の知り合いが居たりはする。
ただ彼女が個人的に、手紙を寄越して来たとは考えにくい。
きっとユウリさんはあまり頻繁に筆をとる方の人ではないだろうし、そもそも個人的な物ならば近衛隊の印章など使わないはずだし、そもそも貴重な飛竜を使って届けたというのがありえない。
……それにクラウディアさんが騎士から聞いた話から察するに、こいつが普通の依頼書ということはないだろう。間違いなく、平穏とは正反対な厄介事を招く代物だ。
「なんていうか、また面倒臭そうな。……見なかったことには出来ないのよね」
「まず無理でしょうね。こんな物を使ってくるあたり、たぶん逃げ出すのは許さないという意思表示ではないかと」
捺された印章が持つ意味を、推測を交えて伝える。
するとサクラさんは露骨にガクリと項垂れ、顔へ言葉通り面倒臭さを満面に浮かべる。
彼女の気持ちも理解はできる。けれど今回ばかりは回避がまず不可能と考えていい。
近衛隊の印章を用いているということは、おそらく依頼の大元は王城の中枢。つまりは国王や上位の貴族によるもの。
これから逃げるというのは、実質勇者としての活動を永久放棄すると宣言するにも等しく、得てきた信用やらなにやらを、一切合財捨て去るのと同義。
ひたすら厄介な気配を漂わせるそれを眺めるクラウディアさんは、「アタシの居ないところで開けてよね」とだけ告げ、そそくさと協会支部の中へ入っていく。
一方のボクらは受け取った封筒を見下ろし、緊張の面持ちで我が家へと戻るのであった。