地喰らい食らい 06
フォルミディオの外観を挙げれば、蟻をそのまま大きくしたものであると言っていい。
真っ黒な外骨格に、6本の細くも硬質な脚。そして2本の触角と刃物を思わせる鋭い顎。
まさしく大蟻そのもの。群れで行動するという習性も含めて。
しかし新たに蟻塚から現れたそいつは、他のフォルミディオと比べ、下手をすれば3倍以上とも言える巨体だった。
取り囲むように周囲には多くのフォルミディオ。加えて背には2対の羽。
これだけ見れば、あいつが何であるかなど言うまでもない。
「女王アリのお出ましね」
サクラさんは背から鏃が付いた矢を抜き放ちつつ、新たに出現したそいつを凝視し呟く。
間違いなく、あれはこのフォルミディオを統べる個体。
蟻という形を取った多くの魔物により護られた、巣という国における女王だ。
ひときわ大きく、他の個体よりもずっと太い脚や大振りな顎。そしておそらくは飛行可能であろう羽。
ただでさえ不気味なフォルミディオの中にあって、ヤツはなおどこか異質な気配を振り撒いていた。
「でもこの子は食う気満々みたい」
「物怖じしないのは助かりますね。女王を排除すれば当面は安全かもしれませんし、このままいきましょう」
しかし女王の出現という状況も、イーターと名付けられたこの馬だかアリクイだかの魔物には関係が無いらしい。
むしろ大きな体躯を持つ女王を、食い応えのある餌としか認識していないような素振りで、嬉々として足音を慣らし駆けた。
少々警戒感が無さすぎにも思えるけれど、どのみちアレを駆除しないことには、いずれカルテリオや周辺の都市が被害に遭ってしまう。
猛然と突進するフォルミディオイーターの背に乗り、真っ直ぐ女王と取り巻く群れに突っ込んでいく。
女王を護ろうとしているのか、さっきまではしなかった立ち塞がるという行動を取り始めた魔物たち。
ただ次々とそれらは薙ぎ倒され、あるいは舌に巻き取られて食われていく。
けれどその凶悪な突撃も、女王が居る場所へと辿り着く前に阻まれる。
いや、正確には女王へは辿り着いたと言えるのか。
「と、飛びましたよ!」
「案の定ね。クルス君、一応迎撃をするわよ!」
食われ潰されていく眷属の姿に怒りを覚えた、……ということはないだろうけれど、フォルミディオの女王はあるところで突如として羽を広げる。
そして低い呻り声のような羽音をさせ飛び上がると、急降下するようにこちらへ迫ってきた。
サクラさんは矢を番え、女王を射落とそうとする。
ボクもまた鞄へ手を突っ込み、動きを阻害するべく道具を取り出そうとした。
けれど女王の動きは思いのほか素早く、サクラさんが矢を射放つ前に降下、フォルミディオイーターの側面へと迫った。
ヤツは一瞬だけ大きな身体へ取り付くと、鋭い顎を突き立てる。
そして肉を僅かに裂くと、すぐさま羽を広げ再び空へと舞いあがっていった。
「マズイわね……。思いのほか素早い」
「それに無理に攻撃を続けようとしないのが厄介です。一撃離脱だなんて、虫とは思えないやり方を」
急速接近、攻撃、離脱。本能なのかこの流れを澱みなく、それも非常に素早く行うフォルミディオの女王は、巨躯のイーターに襲い掛かる。
女王蟻なんて普通は戦いに参加しないであろうに、ヤツはその例から漏れるらしく、どの個体よりも強い戦闘力を見せつけていた。
ボクがカルテリオの協会支部で見た資料には、女王についての記述が存在しなかった。
けれどフォルミディオイーターに手傷を負わせるような存在が、載っていないというのはむしろ不自然。
いったいどうしてと呟くと、サクラさんは番えた矢を射放ちながら、その疑問へと私見を述べる。
「たぶん過去にこの手段で駆除をしていた人たちは、あいつが出てくるほどには手を出さなかったのね」
「どういう意味ですか?」
「きっと女王が出張ってくる前に引き上げていたのよ。ある程度数を減らせば、女王は兵隊を増やすことに専念する。そうして巣の戦力が持ち直す頃には、冬が訪れるもの」
つまり強力な戦闘能力を持つ女王を刺激しない範疇で魔物を減らし、あとは冬の訪れに対処を任せるということか。
それらを行っていた人たちにとっては、常識に過ぎるあまり記載をしていなかったのかもしれない。
その先人たちが対処を行わなくなった理由は幾つかあるが、一つにはフォルミディオの個体数そのものが減っていったため。
そしてもう一つ、以前にはフォルミディオイーターが、この辺りにもそこそこ生息していたというのが理由。
けれど今は王都で交通機関として利用されるため、こちらの方が生息する個体数を大きく減らしているのだ。
結果長い年月をかけて数を増やしていったフォルミディオは、今年になってここまでの脅威へ成長したのだと思う。
「どのみちこの子も、女王だけはどうにもならないみたい。あっちは私たちが討つわよ」
「そこに異論はないんですが、具体的にはどうやって?」
さきほどサクラさんが射た矢は、飛行する女王の身体を掠めた。
彼女は勇者の中でも一部しか持たぬ、"スキル"と呼ばれる特別な能力が備わっている。
サクラさんの場合は、自身が放った飛行物の軌道を任意の方向へ修正するという、弓手としては喉から手が出るほど欲しい代物。
けれど彼女がそれを駆使しても、対象に掠らせるのが精一杯。それほどまでに空中での女王は素早く、変則的な動きでこちらを翻弄してきた。
ではいったいどうするのか。
ボクはサクラさんが口にする内容を遂行するべく、何を言われても行動できるように気構えをしておく。
「決まってるじゃない。気合で撃ち落とす」
「……真面目に聞こうとして損しました」
わざわざ弓に番えていた矢を収め、大きく胸を張りながら告げるサクラさん。
そのあんまりな適当さに、ついつい大きく張った胸にしては小振りであると、指摘したい欲求に駆られる。
ボクはなんとかその言葉を飲み込むと、肩を落として息を吐き出した。
「冗談よ。一旦引き返して加勢を求めるって案も考えたけれど、どうやら見逃してくれそうもないし、どの道ここで討つしかないのは確かね」
サクラさんは視線を鋭くし、再度空を見上げる。
そこには麦粒ほどの大きさとなった女王アリが、一か所で滞空したままこちらを見下ろしていた。
その姿はどこか、こちらを警戒しているというか、観察しているように思えてならない。
「私の直感だけど、あいつはかなり賢い。昆虫とは思えないほどにね」
「まさか、ヤツも黒の聖杯に取り込まれて……」
「たぶん違うと思う。あくまでも昆虫にしてはってところね、アレはもっと賢いというか、人と同程度の知能を持っていたから」
一瞬、サクラさんの言葉に嫌な感覚を覚える。
けれど彼女が感じた印象によると、あの魔物が黒の聖杯によって取り込まれ、高い知能を得たという可能性はなさそう。
とはいえ今もまだ空で様子を窺っており、サクラさんの言うように虫にしては賢いというのは否定できそうもない。
「ただ……」
そう言って、ジッと空の女王を凝視するサクラさん。
どうやら彼女はボクが感じたそれよりも、彼女はもっと別のものを察していたようだ。
「アイツはちょっとだけ、感情らしき物も持ち合わせてるのかも」
「感情……、ですか? 虫が?」
「気は乗らない手段だけど、試してみる価値はありそうね」
サクラさんが察したのは、あの女王に感情の片鱗があるのではというもの。
確かにヤツは賢そうではある。でも昆虫に人のような感情が備わっているものだろうか……。
けれどサクラさんは半ば確信を持っているようで、自身の予想が正しいかを探るように、ある行動へ移った。
まだ落としていなかった木の枝を持つと、大きく撓らせフォルミディオイーターの背に叩きつける。
それによって魔物は大きく反応し、呻り声を上げて周囲の蟻を踏み潰し始めた。
その間にサクラさんは素早い動きで背から飛び降りると、短剣を手に1匹のフォルミディオへと迫る。
そして瞬く間に6本の脚を切り落とし、間接に短剣を差しこんで持ち上げると、再び背の上へと舞い戻った。
「さあ、見なさい。お前の眷属が今からバラバラにされていくぞ!」
流石に言葉が通じるとは思えない。それでも大仰な身振りで挑発の言葉を口にし、サクラさんは持って上がった魔物へ短剣の刃を向けた。
するとどうだろう、女王はまるで激昂したかのように羽音をいっそう分厚く鳴らす。
空気中へ漂う、明確な怒気や攻撃の意志。それはさながら、サクラさんの予想を証明するかのようだ。
今すぐにでも降下し、巨大な顎でこちらを食らわんとする。
ただサクラさんはその前に、魔物を持ったままで再度背から降りると、今度は海へ向け駆けた。
群れるフォルミディオの背を踏み付けて進み、海が近づくなり短剣から引き抜きつつ、瀕死のフォルミディオ投げる。
放物線を描き、海面へと落ちる大蟻の魔物。
ヤツは自重が重いせいですぐに沈んでいき、間もなく息絶えていった。
きっとこの光景は、女王アリの魔物にとって到底黙ってはいられない事態だったに違いない。
それをしたサクラさんへ向け、これまでと異なり直線的な動きで降下し、鋭い顎を向けてくるのであった。