咎人と嘘つきと 09
ボクが次に意識を取り戻した時、最初に聞こえたのは数人が談笑を交わす声。
同時にパチリパチリと薪の爆ぜる音が聞こえるも、映る世界は真っ暗で、焚火の炎らしき明りは見えない。
もしや自分はあの時、何かの拍子で視力を失ってしまったのではという不安がよぎる。
けれどなんとか平静さを取り戻し思考してみれば、単純に自身が目を開いていないだけであると気付く。
我ながら失笑ものな混乱度合いだと思う。
ただそんな当然の事すらわからなくなるほど、燃える別荘の中で吸い込んだ薬物の影響は大きかったのかもしれない。
「ああ、ようやくお目覚めね」
自分自身に対し内心で溜息をつき、ゆっくりと瞼を開く。
すると映ったのは夜闇の中で眩く燃える焚火と、口元を綻ばせたサクラさんの表情。
目を開いたボクに気付いた彼女がかけた声には、強く安堵の色が滲んでいた。
「ここは……」
「見ての通り、森からはとっくに出てるわよ。というかあれからもう丸3日以上経ってる」
サクラさんのした言葉に驚き、キョロキョロと周囲を窺う。
彼女以外に見えるのは、その言葉に同意するように苦笑するタケルとソニア先輩。
後ろ手に縛られ馬車の荷車上で座る男たち。そしてボクのすぐ近くで、仰向けとなって寝息を立てるフェタリテの姿だった。
てっきり数時間程度と思っていたというのに、まさか3日もの時間が経過していようとは。
サクラさんのような勇者であればともかく、燃えて空気中へ大量に舞ったあれは、人の体にとって相当キツイ代物だったようだ。
いくらボクが半分は勇者の血を引いているとはいえ、基本的には常人と同等でしかないのだから。
「もちろん、クルス君が命懸けで確保した証拠もこの通り」
「では、あそこに居るのが」
「逃げ回っていた貴族ね。もっとも護衛連中は全滅したけどさ」
飄々と、さして気にした様子もなく告げるサクラさん。
この世界に来てそれなりに月日も経ち、そういった点に関してはもう慣れっこなのかもしれない。
ボクは再び、荷車の上で縛られたままの男2人へと視線を向けた。
見れば片方については、工房でボクと接触してきた遣いの男であるのがわかる。
ということはもう片方が、首謀者である貴族ということか。実際に見たのは初めてだけれど。
「アレを運んでるおかげで、移動中に交代で眠ることも出来やしない。おかげで行きよりもちょっとばかり時間はかかってるわね」
「王都まで、あとどのくらいですか」
「明日の夕方にはってところかな。まぁ……、運んでるのはあいつ等だけじゃないけど」
サクラさんはそう言って、横になったままのフェタリテへ視線を向ける。
彼女もまた負傷と吸い込んだ薬物の影響もあって、ここまでの道中ずっと眠っているのだと言う。
もっとも彼女は一度だけ目を覚ましたそうで、その時にボクが無事であるのを知るや否や、再び気絶するように眠ってそのままであると。
「いっそのこと、全員このまま置いていっちゃおうか。そうすれば明日の朝には着くし」
「また冗談を。そんなことをすれば、色々と怒られてしまいそうです」
カラカラとなった喉を潤すべく、差し出された水筒から水を煽る。
そうしてなんとか潤った喉で、サクラさんのした冗談とも本気とも取れる言葉に、呆れを含めた言葉を返す。
ただサクラさんはその反応が面白くないようで、身を乗り出してボクの鼻を摘まみ上げ、ニタリと笑みながら呟いた。
「完全に冗談ってわけでもないんだけどね」
「……ひ、| ひはなはっはほほにひまふ《きかなかったことにします》」
なにやら不穏な発言が聞こえる。
ボクは鼻を摘ままれたことによって、非常に聞き取り辛くなった声で、その発言を耳にしていないと返した。
そんなボクとサクラさんのやり取りを、タケルとソニア先輩は笑いながら眺める。
ただひとしきり笑い声を上げたところで、タケルはふと思い出したように、王都へ帰り着いてからの事を口にした。
「ところでよ、この件の報酬とかってどうなってんだ?」
「そういえば、ほとんど話を詰めてはいませんでしたねぇ。いくら放っておけなかったとはいえ、流石にタダ働きというのはぁ……」
「別に切羽詰ってないけど、無報酬はキツイぜ」
タケルとソニア先輩は異口同音に、散々苦労しての結果が報酬無しではシャレにならないと口にする。
言われてもみれば、この件を主導するクレメンテさんとは、これといった報酬に関する約束を交わしていない。
勇者稼業は騎士団の管理下で行われてはいるけれど、だからといってひたすら命令に従うだけの立場ではないのだ。
確かに忙しなさから交渉どころではなかったとは言え、相応の金銭を要求する権利くらいはあるはず。
「お、お前ら! わたしの護衛として雇われぬか!」
ボクがそんなことを考えていると、こちらの話す内容が聞こえていたらしく、拘束されたままの貴族が急に口を挟んでくる。
切羽詰った様子で身を乗り出し、荷車の上から落ちそうになりながら。
王都へ辿り着けば確実に投獄されてしまうコイツからしてみれば、ここで逃げ出さねば明日は無いのだろう。
少なくとも貴族としての地位や私財は没収、場合によっては命すら失うかもしれないのだから。
「貰えるとも知れん報酬より、わたしに付けば良い思いをさせてやる。あそこ以外にも隠れ家がある、そこにはそれなりに金が――」
「ちょっと黙ってろオッサン。今の俺たちはどっちかってーと、金よりも評価の方が欲しいんだよ」
更に口を開き捲し立てようとする貴族。
しかしそれを遮ったのはタケル。彼は若干迫力のある声色で制すると、きっと貴族では用意の出来ぬ報酬を欲していると告げる。
なるほど、タケルがなんだかんだでここまで協力してくれたのには、こういう理由があったようだ。
実際には見ていないけれど、サクラさん曰く彼の勇者としての実力は決して低くはないと聞く。
でもここまで勇者稼業をしてきて、実のところタケルの評判というのは風の噂でも聞いたことがなかった。
地位や金銭への欲求というのは、どんな綺麗ごとを並べても大抵の人が持っているモノ。そして名誉欲も。
それは勇者や召喚士だって例外ではなく、他が手に入るほどに渇望は強くなっていくのが普通。
タケルの装備を見れば、それなりに上手くいって懐具合も悪くなさそう。それは高額な宿に泊まっていたことからも明らかだ。
つまり金銭は持っていても、目に見える派手な成果を上げてはいない2人は、金銭よりも"解決に尽力した人物"という評価を欲していたということになる。
「なんていうか、思いのほか生々しい話を聞かされた気がする……」
「嫌な目で見るなよクルス。お前だって気持ちくらいはわかるだろ?」
「それはまあ。別にそこを責める気はないし」
たぶんボクが同じ立場だと、やはりそう考えたはず。
なのでタケルやソニア先輩を責める気など毛頭ないし、むしろここまで協力してくれた理由に納得したくらい。
逆にこれによって、彼らが求めるものを報酬として渡せそうだと安堵したほどだ。
「そういう訳だから悪いなオッサン。大人しく牢へ入ってくれ」
カラカラと笑うタケルは、そう言って貴族から視線を逸らす。もうお前の話を聞く気はないとばかりに。
無礼者、下賤な異界の男めと喚く貴族を無視し、彼は焚火の上にぶら下げられたポットから湯をカップへ注いでいく。
彼もまた初めて会った時とは随分異なる、図太さを手に入れているようだ。
「あんなヤツは放っておくとして。クルス、お前はあっちを見てやった方がいいんじゃないか」
「……あっち?」
タケルの対応に呆れとも感嘆とも言える感想を抱く。
そうしていると彼は指先を他所へ向け、ボクへと意味深な視線を送ってきた。
どうしたのかと思いそちらを向くと、そこにはいつの間にか目を覚まし、キョロキョロと周囲を窺うフェタリテの姿が。
彼女は意識が戻ったばかりで思考が働かず、今の状況が飲み込めないらしい。
そこでボクもまだフラつく身体をなんとか御し、フェタリテの横へと移動する。
「大丈夫?」
「あ、ああ……。あたしは問題ないさ」
近付き声をかけると、困惑しながらも頷くフェタリテ。
彼女は傷を負った腕が治療されているのを見て、次いで自身の胸へと手を当てる。
そして確かに動いているそれを確認すると、ホッとしたように息を吐いた。
「これはお前が……。いや違うな、最初に目を覚ました時、お前はまだ眠っていた」
腕に巻かれた包帯を目にし、一瞬だけボクが治療をしたのかと考えたようだ。
けれどすぐさま、自身が先に意識を取り戻していたのを思い出したらしく、大きく顔を振って言葉を否定する。
「感謝なら皆に。明日には王都へ着く、そこでちゃんとした治療をしてもらおう」
「そうか、もう明日か……」
おそらくはサクラさんかソニア先輩がしたであろう応急処置。
それは適切にしていそうではあるけれど、可能なら医師に見せてから、安静にしていてもらいたいところ。
そのくらいフェタリテの傷は深いように思えたし、負傷による発熱をしていないのが不思議なくらい。
なので王都へ戻るなり、すぐ治療をと口にする。
けれどフェタリテはどこか乗り気でないというか、王都に近付くのを嫌がっているような雰囲気すら発していた。
どの程度減刑をされるかはわからないけれど、王都へ戻れば一旦投獄されるのは間違いない。
「結局、本当に逃げ出さなかった。一縷の望みに賭けると思っていたんだけど」
「万に一つも逃げられるわけがないさね。あんたはともかくとして、勇者2人を前に逃走なんて無謀そのものだ。それに……」
ボクは彼女をジッと見て、逃走を考えなかったのかと問う。
けれど苦笑を浮かべるフェタリテは、大きく首を振ってありえないと口にした。
確かに現実的に考えれば、彼女の言うように無謀そのものだ。
「それに?」
「……いや、なんでもない。クルス、世話になったな。あんたの前途を祈ってやるよ」
例え好まざるとはいえ、王都へ向かうのは避けられない。
彼女はその点を既に諦めているせいだろうか、焚火に照らされ明るく染まった顔を、少しばかり痛々しい表情で無理やり笑む。
そして言いかけていた言葉を引っ込めると、きっと偽りはないであろう意志を言葉にしていた。