生命の値 08
破られた扉から差し込む夕日だけを光源とし、赤く照らされる倉庫の中。
そこに居たのは、縛られた亜人の少女が一人。そして同じく縛られ倒れている男が一人。
ボクはその姿を目にすると同時に、少女の名前を叫んで駆け寄った。
「アルマ……!」
いったいどうしてアルマが医院の倉庫に。そしてどうしてサクラさんがそれに気付いたのか。
ただ当然それらが気にはなるものの、とりあえずは少しでも早くアルマを助けようと、近寄り拘束した縄をナイフで切り落とす。
眠っているのか気絶しているのか、意識はないようだが脈を診ると正常。
これといった負傷も無いようであるし、とりあえずは無事であると確認できて安堵する。
そのままアルマを横たえると、次は倒れた状態で背を向けている男へと向かう。
アルマの無事だけ確認してそれで終わりという訳にはいかない。男も同様に被害に遭っている人なのだろうから。
ただ男を揺すると、こちらもまた意識はなく反応を示さない。
脈を診てから様子を確認しようと顔を覗き込むのだが、その男はボクらの見知った顔であった。
「オスワルド……、さん?」
アルマを連れ去ったと確信し探していた彼が、どうしてこんな場所に。
何故拘束され、こんな物置で倒れているのか。
ボクは後ろを振り返りサクラさんにオスワルドのことを伝えようとするのだが、彼女は外で倉庫へと背を向けていた。
サクラさんの眼前には焦燥を顕にし、白衣の下に隠し持っていたのであろう抜身の短剣を構えた女医。
そしていつの間に現れたのか、同じく手に武器を携えた数人の男たちが居た。
オスワルドがこうなった経緯や置かれた立場はまだ何とも言えないが、流石にここまでくればボクにもわかる。
人身売買に手を染め、アルマをここに監禁したのは女医の側であるのだと。
そして武器を持つ男たちは、その女医に協力する人間だ。
さきほどまでの真面目そうな様相とはうって変わり、女医はギラリとボクらを睨み小さく舌打ちをする。
「あらあら先生、さっきまでとは随分印象が違いますけど。化けの皮が剥がれるにも程がありませんか?」
「……五月蠅いわよ、黙りな」
「本当に嫌ね、相手次第で態度を変える人って」
サクラさんは明確に女医を嘲笑う表情で、くすくすとおかしそうに笑みを漏らす。
おそらく挑発することによって、冷静さを失うよう誘導しようとしているのだとは思う。
化けの皮という点では、人のことを言えた義理じゃない気もするけれど。
武器を持っているとはいえ、おそらくこの奴隷商たちは碌に訓練を受けた経験は無さそうに見える。
サクラさんのような勇者が持つ高い身体能力からすれば、この人数ならば油断さえしなければ傷一つ負うことなく鎮圧できるだろう。
当人もそれがわかっているからこそ、こうして余裕で挑発をしているのだ。
しかしだからこそボクには、幾つか気がかりなことがあった。
「殺りな!」
言葉を継ぐサクラさんを無視し、既に言い訳などする意志はないとばかりに、男たちに向けて攻撃を指示する女医。
同時に一人がナイフを持ってサクラさんへ斬りかかるも、その刃筋はアッサリと空を切る。
斬りかかった男の腹へ彼女が拳を叩きこむと、男は手にした武器を落として吹き飛び、医院の壁へと叩きつけられた。
「……え?」
叩きつけられ意識を失う男と、自身の拳を交互に見て少し呆然とするサクラさん。
今までは魔物を相手に、それも弓で戦っていたため当人は気付かなかったのだろう。
これが気がかりなことの一つ、勇者の持つ力というものは、この世界に暮らすただの人間に対して振るうには強すぎるということだ。
コップを持ったりするのとはわけが違う、意志を持って振るわれた力は、容易に人を死に追いやりかねない。
ついさっきサクラさんが蹴破った扉だって、簡素な作りながら頑丈そうであり、ボクが体当たりした程度で簡単に開くような物じゃなかった。
なにせアルマはともかくとして、大の男を監禁する場所に使われているのだから。
「気を付けて、次が来ます!」
しばし双方共に呆然としてはいたが、気を持ち直した奴隷商たちは再び手にした武器を携え攻める。
ボクの叫び声に反応したか、同時に斬りかかってくる攻撃を回避するサクラさん。
もう一つ気がかりなこと、それはサクラさんが間違いなく、人を害したことがないという点。
サクラさんたち勇者の故郷が、かなり平穏な土地であったのは間違いない。
きっとサクラさんは喧嘩くらいならしたことがあっても、真正面から相手を拳で殴ったことはない。
その証拠と言っていいのか。さきほどの光景が頭をよぎるのもあって、一向に反撃をしようとはしなかった。
「構いませんサクラさん、遠慮せず殴り倒してください!」
「……そんなこと言われたってさ」
相手は奴隷商とその一味、本来であれば容赦などする必要はない。
一応ボクは騎士団の一員であるため、拘束し然るべき場所に引き渡すべきなのだが、向こうが始末する気である以上それはもう例外。
まず間違いなく、ここでこいつらが死んでもボクやサクラさんにお咎めは無い。
むしろ報奨金すら与えられる状況。ここはそういう世界であり、そういう国なのだから。
ただサクラさんにとって、そんな言葉は気休めにならないのかもしれない。
反撃の力加減を計りかねているようで、振り回される刃物を避け続けるばかりであった。
ならば彼女に頼ってばかりではなく、ボクが動かなくては。
そう思いまずアルマを背負うと、この場から脱出するべく倉庫から立ち上がる。
「そうはいかないわよ」
アルマを背負い、どうにか気づかれぬよう脱出しようとはしたがそうはさせて貰えない。
倉庫の扉をくぐって外に出ようとした所で、早々に女医に見つかってしまう。
彼女の手に握られているのは、陽射しを受けて鈍く光る短剣。
「通して下さい。これ以上罪を重ねても……」
「今さらこれ以上罪が重くなりはしないわよ。どうせ捕まれば死罪なんだから」
「それがわかっていて、よくこんな大それた真似を」
どうしてこんなことをと問うてみると、女医はすぐさま鼻で笑い飛ばし、ただ一言金が目的だと言った。
金が欲しくてこんな危ない橋を渡っている、その事実にボクは驚愕する。
金銭欲を否定する気はないが、それにしたところで他に取る手段はないのだろうか。
奴隷売買は利益が大きい代わりに、受ける刑罰はあまりにも重いというのに。
「私はこんな所で終わるような、三流の医者じゃないんだ。王都に戻ればもっと上にいける、そのためには金が要るんだよ!」
「本当に……、下らない理由だ」
目を血走らせる女医の言葉からは興奮の色は滲むものの、迷いや躊躇いといったものを感じられない。
あくまでも自身にとって、それが本当に必要であると感じて行っているようだ。
どうやらボク等を始末して事を隠す、あるいはアルマあたりを人質にして逃亡を計ろうとしている。
話せばわかってくれる、あるいは説得して罪を償わせる。
そんな都合の良い展開を今の時点で期待するほど、ボクも子供ではない。
「……ごめんねアルマ、ちょっとだけ待っていて」
背負ったアルマを地面に横たえ、ローブの下に隠していた短剣を抜き放つ。
それを逆手に握ると、女医の前に立ち姿勢低く構えた。
教官から一通り習った戦い方だが、ボク自身はかなりこういった物の成績が悪い方だ。
ただ幸運にも、女医もまた荒事には素人同然だったようで、時折繰り出す牽制へ面白いように引っかかり、ビクリと身体を震わせていた。
間合いを取ったまま少しずつ移動し、倉庫の外へと出たところでボクはサクラさんへと視線を遣る。
その周囲に立つのは2人。なんとか数人を無力化したようで、男らは気絶し苦悶の表情を浮かべて地面に転がっている。
サクラさんの表情がなんとか平静である様からして、ようやく加減が掴めてきたのだろう。
「選んだらいいよ。自分の結末を」
「なんだって……?」
「一つ、大人しく投降して処罰を待つ。一つ、この場で斬り捨てられる。一つ、ここから逃げ出して兵士に捕まる。どれがいい?」
短剣を持つ手を伸ばし女医へ突き付け、揺さぶりをかけてやる。
ただ既に平静ではない女医にしてもわかっているはずだ。そのどれもが、自身の死という結果にしかならないことを。
そして自分に残された道が、そのいずれかしか存在しないと。
多勢に無勢で有利と思っていた状況から一変し、今では自身が追い込まれているということもあるのだろう。
そう思考したことで、張り詰めていた女医の思考は遂に限界を迎えた。
「うあああぁぁああぁぁぁあ!」
女医は震える手で短剣を構え直し、奇声を上げながらボクへと向けて突進してくる。
今まで以上に技術もなにもない、ただ一か八かの攻撃だ。
がむしゃらに突っ込み向けられる短剣の一撃を、ボクは逆手に持った自身の短剣で払い落とす。
その後容赦なくすれ違いざまに腹部へと膝を叩き込むと、女医は息を詰まらせ崩れ落ちて苦悶の声を漏らした。
こうも激情に任せた単純な攻撃であると、ボクのような騎士団員としては拙い技量であっても対処は容易。
白目を剥き崩れ落ちる女医。手から零れ落ちた短剣を蹴り飛ばし、サクラさんの方を見る。
「お疲れ様。なかなかやるじゃない」
「運が良かっただけですよ。それにほら、手が震えてしまって……」
丁度サクラさんも残る男たちの鎮圧が済んだようで、安堵の表情で歩み寄ってくる。
根本的に戦いの能力が高いサクラさんのことだ、そもそも心配などする必要はなかったか。
ただ彼女からしてみれば、ボクは到底戦いなどできる人間とは思っていなかったようで、少しばかりの驚きがあったらしい。
「こいつら、どうしようか?」
「兵士に引き渡します。尋問はそちらに任せてしまっていいでしょうし」
奴隷売買の多くは、組織ぐるみで行われると聞く。
おそらくは騎士団へ引き渡した後、尋問をし背後関係や関わる業者などの情報を聞き出してくれるはず。
ただそこはもうボクらの関わる範疇ではない。
ひとまず気絶した女医と男たちを、倉庫内に転がっていたロープで拘束し一か所へと集めておく。
オスワルドは……、申し訳ないがまだ事情が定かでない以上は、少しだけそのままで居てもらおう。
この場の監視とアルマの様子を見ていてくれるよう、サクラさんにお願いしたボクは、応援を呼ぶべく医院の敷地から出ると、暗くなり始めた市街地を走っていった。
その後、連れてきた騎士たちによって奴隷商らは、カルテリオにある騎士団の詰所へ移送された。
当事者であるボクらも事情を聞かれ、おおよその説明が終わった辺りで、もう一人の当事者であるオスワルドが目を覚ました。
目が覚めたみたら、自身が牢の中に入れられている状況に混乱していたが、この扱いは仕方がない。
事情がわからない以上、ひとまずは犯人に準ずる扱いをしなくてはならなかった。
「いや本当にご迷惑をおかけしましたです、はい」
「ですが疑いが晴れて良かったです。すみません、ボクらもてっきりオスワルドさんが奴隷商かと……」
ただ騎士たちが聴取を行ったところ、オスワルドさんは奴隷商たちに脅迫され、アルマを連れ出しただけと判明する。
アルマを連れ出した後は自身も拘束、女医に何がしかの薬品を投与され、今まで意識を失っていたのだと言う。
その点は意識を取り戻した奴隷商たちから聞いた話と矛盾しなかったので、晴れて彼も自由の身だ。
釈放されたオスワルドさんと共に、無人となった医院へ立ち寄り彼の馬車と荷物を回収する。
そこで一息ついた彼は自身の馬を撫でつつ、もうこりごりだとばかりに肩を落とした。
「お二方にそう思われても、仕方がないのでしょうね。はい」
「ですがこっちも希薄な根拠で、そう確信してしまいました。申し訳ない限りです」
「いえ、振り返ってみれば、そう疑われるに足る理由はあると思いますので……」
扱う荷を教えてくれなかったり、アルマを度々観察していたりと疑わしい点は多々あった。
そういった点から奴隷商であると予測したのだが、結果それは大きな勘違い。
ボクらの勇み足であったのだが、だからこそ余計に色々と疑問が残る。
いったい彼はどうしてアルマを気にし続け、何を扱っているのか。
それが気になって仕方なかったようで、サクラさんは思い切って疑問をぶつけた。
「それで、結局貴方は何を扱っているの? いい加減教えてくれてもいいんじゃない?」
そこはボクも知りたいし、彼自身がこれ以上あらぬ疑いを持たれぬ為にも、白状して欲しいものだ。
するとオスワルドさんは観念したのか、渋々と言った風に自身の鞄から、緻密な装飾が施された小振りな木箱を取り出す。
それをサクラさんに渡すと、おずおずと口を開いた。
「それは扱う商品の一つです。主に王都へ住まわれる貴族の奥様方やご令嬢に、大変ご贔屓にしていただいてまして。はい」
サクラさんは箱を受け取るなり、躊躇なく蓋を開く。
だが中を見るなり、一瞬だけそれが何なのかを計りかねたような顔をするも、すぐさま驚きに目を見開き視線を泳がせる。
心なしか、若干顔が赤いように見えなくもない。
貴族の女性方相手の商品であると言うが、いったい何が納められているのだろうか。
そう思いボクも箱の中身を覗こうとすると、サクラさんは荒々しく蓋を閉め、オスワルドさんへ突き返した。
「どうしたんです? いったい何が入って……」
「き、聞かないで」
ボクが質問を言い終わらぬうちに、サクラさんは声をかぶせるように拒絶する。
片手で顔を抑えているのは僅かに赤い顔を隠すためか、それとも若干引きつった表情を隠すためか。
どちらにせよ彼女からは聞き出せそうもなく、次いでオスワルドさんへと顔を向けると、彼は開き直ったかのように自身の扱う商品について説明を始めた。
「私は貴族の女性がお使いになる、"張形"を扱っているのです」
「は、はり……、かた?」
「左様です、こういった物になりますね、はい」
そう言ってオスワルドさんは、再び開かれた箱を差し出してくる。
ただ箱の中へと納められた代物は、どこかで見た様な、というよりもある意味とても馴染のある形状をしたモノ。
……なるほど、これは確かに聞かれても説明するのが憚られる。
「存外こういった需要もあるもので。方々の町に腕の良い職人が居りまして、顧客の希望に沿った形状を絵に起こし、それをもとに高級な素材を彫ってですね――」
「わかりました、わかりましたから!」
一旦暴露してしまうと、もう堰を切ったように言葉が飛び出てくる。
もしかしてこれは営業をかけられているのだろうか。少なくともボクには必要ないのだが……。
「助けて頂いたお礼に、今回は原価でご提供いたしましょう。お一人で使われるのもいいですが、お二人でそういった際にお使い頂くのも……」
「結構です!」
「要らないわよ!」
完全に商売をする姿勢となったオスワルドさんの喋り。
だがこういった物を売りつけられては叶わぬと、ボクとサクラさんの断固とした拒絶の声が、無人となった医院の中へ響き渡った。