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蠱惑の兎 08


 酩酊状態にも似た、覚束ない足取り。

 加えて砂漠地帯で水を求めるような、渇きと錯覚するような飢餓感や渇望。

 あの店で口にした菓子に含まれる薬物によって、ボクはこの夜、またもや息も絶え絶え宿に戻るのであった。


 しかし前日に比べれば、まだ症状は軽い方。

 事前に飲んでおいた、毒性のある物の症状を和らげ素早く輩出するという、お師匠様直伝の薬の効果だ。

 こいつがなければ、たぶんもっと帰るのに苦労したろう。なにせ機嫌を良くしたあの女によって、結局計3つもを食べさせられたのだから。



「クルス、本当に大丈夫かよ?」


「……辛うじて。でも昨日よりはずっと楽、これ以上摂取したら厳しいけど」



 なんとか宿の玄関部分は平静を装い、部屋に辿り着いたところで一気に脱力する。

 昨日よりは軽いとは言え、流石に2日連続となれば身体への負担が多少なり圧し掛かってくる。

 そんなボクへと近づいてきたタケルは、心配そうに肩を貸してくれた。


 彼に支えられ、部屋のベッドへと腰かける。

 出来るだけ毒素を早く輩出させるべく、湯冷ましを何杯も飲まされたところで、サクラさんが部屋へと入ってきてボクの前で腰を屈めた。



「悪いけれど、早速経過を聞こうか。大丈夫?」


「は、はい。寝たら記憶が抜け落ちそうなんで、今の内に話しておきます」


「……悪いわね。でも辛かった言いなさいな」



 思いのほか体調が思わしくないボクの様子に、彼女は行かせたことを後悔し始めたのかもしれない。

 でも行くと決めたのは自分自身。ここで役割を果たさなくては、立つ瀬がないというもの。

 それに元々あまり効果が長続きしない薬物であるためか、徐々に体調は戻りつつある。

 もっともこの効果が表れている時間の短さこそが、発見され辛いという点において、この薬物をより危険足らしめていた。


 ボクは軽く深呼吸をし、サクラさんへと見聞きした出来事を伝えていく。

 客たちの様子や、最初と異なり相当額を要求されたという話。そしてもちろん、悪事への協力を持ちかけられたことも。



「なるほどね。他の都市への移転か……」


「聞き出した感じでは、いつまでも店の持ち主である勇者を騙し続けられないようです。その前に密かに拠点を移し、表面上は元の酒場に戻すつもりのようで」



 ボクが店であの女に持ちかけられたのは、店で密かに行われているそれの機能を、他の都市に移すための手伝い。

 つまりは薬物汚染の発信地の引っ越し作業だ。

 具体的にどうこうとは言われなかったけれど、召喚士という方々への移動が容易な立場を利用し、拠点の構築などをさせようという魂胆に思えた。



「ということは、持ち主である勇者たちはこの件に無関係ってことね。なら誰が」


「そこまでは。おそらく知っているのは、あの中でもごく一部の人間ではないかと」


「そう……。流石に引き入れたばかりの人間に、そこまでは話さないか」



 とはいえわかったのはそこまで。

 詳しい計画や首謀者の名も定かにはならず、ボクは成果の少なさに気落ちしそうになる。

 ただサクラさんは気にしないよう口にすると、もう1杯の水を差し出してきた。



「順調にいっていれば、今頃クレメンテさんに手紙が届いてるはず。向こうの対応次第で撤収しないと」


「騎士団の本部に任せるということですか?」


「あっちは本職だもの、私たちはあくまで協力するだけ。だからあまり突っ込み過ぎない方がいいかも。今さらだけどさ」



 サクラさんは少しばかり思案しながら、知り合いの勇者に託した手紙の事を告げる。

 あの人が寄り道せず真っ直ぐ王都に向かっていれば、おそらく今頃は王都内の宿にでも泊まっている頃。

 もしその前に手紙を渡してくれていれば、事態はクレメンテさんに伝わっているはず。


 あの人がこの件をどの程度、これを深刻に捉えてくれるかはわからない。

 けれどすぐさま騎士団を動かしてくれるとすれば、そちらに任せボクらは姿を消すというのが無難なのかも。



「とりあえずクルス君は休みなさいな。こっちは少しばかり頭を働かせた後で眠るから」



 サクラさんはそう告げると、トンと身体を押す。

 突然のことに反応できずベッドの上に倒れると、まるで子供を寝かしつけるかのように、彼女はボクの上に毛布を放るのだった。

 ここまで動き身を危険に晒したボクの役目は終わり。あとは休息に当てるようにという意図だ。


 ちょっとばかり寂しような気はするけど、こればかりは仕方ない。

 今回の役割は、タケルが探りを入れるのに向かないうえ、サクラさんとソニア先輩が女性であるという理由で担ったに過ぎない。

 そもそもただでさえ身体がボロボロな状態。いくら自ら志願したとはいえ、いい加減もう休むよう言われるのも当然と言えば当然だった。



 ボクは一応痛み止めの薬を呑んでから、身体の力を抜き瞼を閉じる。

 ただ休めとは言われるも、薬の影響で若干の興奮状態であるのに加え、サクラさんたちのする話し声がどうしても耳に入る。

 他の部屋で相談をすればいいという考えもあるけど、部屋の並びの都合上、ボクが使うこの部屋が一番他の部屋に声が漏れ難いのだ。



「そろそろクルス君にばかり潜入させるのも、心苦しいんですよねぇ。連日連夜行くのも怪しまれかねませんしぃ」


「つっても俺は演技とか出来ないぞ。かといって二人が行く訳にも……」



 ソニア先輩とタケルは、ボクの負担についてを口にしていく。

 しかしやはり問題となるのはこの点。客として潜入するためには、男であるほうがずっと都合が良い。

 なので消去法で代わりはタケルだけど、当人も言うように演技の類はあまり得意ではないようだ。

 ただサクラさんは、別方向からの手段も考えているらしい。



「いっそクルス君を変装させてみようかしら。今度は従業員として」


「それはちょっと……」


「あれでなかなかのものよ。見事なまでに女の子を演じてみせるんだから」



 なにやら、あまり好ましくない内容が聞こえてくる。

 サクラさんは今度は客としてではなく、変装をさせ別の役割で送り込もうという考えのようだ。

 ただこれまで2度やってその女装だけれど、正直もう勘弁してもらいたい。

 ボクは起きて断固とした拒絶をしようとするのだけれど、その前にタケルから助け舟が出された。



「それは流石に可哀想だろ……、ていうか休ませるって趣旨に反するし。さくらが男に変装すりゃいいんじゃないか?」


「一瞬それも考えたけど、たぶん見破られるわね。曲がりなりにも、向こうは男を接待するプロなんだから」



 どうやらサクラさんの案は、本気であるとは言い難かったらしい。

 タケルのした反論を受け、これといった抵抗をすることもなく話を流していく。


 そのことに安堵するも、ならば今度はどうしたらいいのだろうかという話に。

 ボクは眠りにつくのも忘れ、ベッドの上で眉を寄せ思案する。

 しかしボクもサクラさんたちも、明確に結論を出すことは叶わなく、この夜はこれで解散となるのだった。


 とりあえず明日も、ボクが行くハメになりそうだ。

 そればかりは仕方ないと思い、身体の力を再び抜いて眠りに落ちようと試みる。

 ただソニア先輩とタケルは部屋を出て行くも、サクラさんがまだ近くに居る感覚が。

 そこで寝返りを打ってソッと目を開くと、彼女は椅子に腰かけたまま、ボクの方をジッと眺めていた。



「ゴメンねクルス君。騎士団が来てくれたら、流石にもう私たちは手を引きましょ。今度こそちゃんと休まないと」



 サクラさんはボクが起きている事に、とっくの昔に気付いていたらしい。


 今はもう平気だけれど、口にした薬物の影響というのは多少なりと存在する。

 健康面では害が無くとも、精神的な依存を心配しているらしき彼女は、ここまでにない程に申し訳なさそうな声を出す。

 こうして身体を休めている姿を見て、色々と思う所があったのかもしれない。


 でもなんだかんだ言って、この件に首を突っ込みたがったのは彼女だけではないのだ。

 次第にボク自身もそうなっており、サクラさんが謝るいわれなどないはずだというのに。



「ボクは……、サクラさんがしたいことに付き合います」


「その気遣いが逆に重たいわね。でもこっちこそが私の意志、今度こそちゃんと休息を摂りましょう」



 もう眠っているフリをする必要もなく、しっかりと目を開き呟く。

 すると彼女はそう告げると、小さく笑んで立ち上がりボクへ毛布をかけた。

 今の時期には少々それは暑い気もしたけれど、なんだか嬉しくなってしまい、気恥ずかしさを隠すためもあって頭にかぶる。


 ここで今夜のやり取りは終わり。

 サクラさんは静かな足取りで、自身の部屋へと帰って行こうとする。

 しかし突然扉がノックされる音が響き、ボクは再び毛布から顔を出すのだった。



「あの、お客様……」



 ベッド上のボクに代わって出るサクラさん。

 彼女が開いた扉の向こうに現れたのは、ソニア先輩やタケルではなく、宿の従業員らしき中年の女性。

 もう随分と遅い時間であるというのに、いったいどうしたのだろうか。



「どうしたんです。なにか問題でも?」


「いえいえ。実は今玄関に、お客様とお会いしたいという方が……」



 小首を傾げるサクラさんの問いに、女性は申し訳なさそうに頭を下げる。

 その彼女が口にしたのは、現在この宿に、ボクらを訪ね何者かが来ているという話。


 けれど現在ボクらの知る限り、この町にはこれといって知り合いが滞在してはいないので、尋ねてくる人など居ないはず。

 そんな中で頭をよぎるのは、あの店の関係者が押し掛けたのではという可能性。

 ボクの正体を疑ったか、裏切らぬよう念押しをしに来たのではというものだった。


 サクラさんと顔を見合わせ、ベッドから起き上がる。

 そして緊張しながら部屋を出て、人が待っているという宿の入口へと向かった。



「あの人ね。見覚えは?」



 静かに廊下を歩き、ソッと角から玄関の方をを窺う。

 サクラさんは視線の先に居る一人の人物を確認すると、ボクに知った顔であるかを訪ねてきた。


 ボクもまた気付かれぬよう覗く。

 立っていたのは女性。一瞬ボクに協力を持ちかけてきたあの女かと思うも、あの人より線は細く大人しそうな印象を受ける人物だ。

 ただよくよくその人を観察してみると、やはりどこかで見覚えがあるのに気付く。



「……あります。あの店に居た従業員ですね、話をしたことはありませんが」



 ボクは潜めた声で、サクラさんの問いに返す。

 間違いなく覚えがある。ついさっき店に行った時、彼女を確かに見ている。

 加担をさせられていた店の女たちの中にあって、あの人は特に嫌々加担させられているであろう表情が印象に残っている。


 まさかあの女からの遣いだろうかと疑う。

 でもなんとなく、あの人物からはそういった不穏な雰囲気が感じられない。

 そこで意を決して姿を現し、彼女に尋ねてきた事情を聞くことにした。



「何用ですか? 貴女は確か、あの店の」



 彼女は現れたボクとサクラさんの姿に、ビクリと身体を震わせる。

 怯えたような印象を受けるも、逆にどこか縋るような、あるいは安堵したような空気。

 ボクは彼女がいったいどういう心情なのかを計りかねる。

 ただサクラさんが落ち着かせようと1歩前へ出た瞬間、女性は大きく頭を下げ懇願を口にしたのだ。



「お、お願いします! わたしを……、わたしたちを助けてください」



 彼女は頭を下げたまま、宿中に響きかねない声を発する。

 ボクらはその声に驚きながら、いったい何がどうなっているのか困惑しつつも、つい咄嗟に彼女の口を塞ぎ部屋へ運んでしまうのだった。


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