蠱惑の兎 07
結局サクラさんが書いた手紙は、王都へ向かう勇者に託すこととなった。
偶然知人の勇者が町に滞在しており、その人が翌日には王都を経由して居を置く都市に戻るとの事だったので、クレメンテさんへ直接渡すようお願いしたのだ。
カルテリオに居るオリバーやまる助と比較してしまえば、特別親しい相手という訳ではない。
けれどここまで接した限り、善良そうな人物であるという印象を抱いていたため、ここは信用して手紙を任せたのであった。
そして保養地"ユノサト"へ滞在して3日目の夜。
ボクは変わらず必要な杖を突き、三度目となる件の酒場へと足を踏み入れようとしていた。
"隠れ兎の跳ね音亭"と名付けられたその店を前に、ボクは怪訝さを小さく呟く。
「いったいこれのどこが隠れてるんだか……」
この日も相変わらず派手な壁面を見上げ、口角を上げて笑う。
ウサギという部分は、中に居る女性たちの格好を表しているのだと思う。
ただこれだけ目立つ外観をしていれば、隠れるどころかその存在を主張していると言わんばかり。
ただ隠れている点があるとすれば、中で行っているであろう悪事か。
この店を作った勇者たちが、このことを知っているかどうかは不明だけれど、そこは確かに表に出せないもの。
今からボクはその、隠れ兎の跳ね音亭が隠したがっている部分を掘り起こすのだ。もちろん向こうには気取られぬように。
「あら、今日もいらしてくれたのね。嬉しいわ」
ボクは軽く深呼吸をすると、分厚い木材で作られた扉を開く。
するとすぐさま人が現れ出迎えてくるのだけれど、姿を見せたのはこれまで接客していた女性。
あくまで偶然なのだとは思うけど、よくよく縁のある人だ。あまり嬉しくはないが。
彼女はこちらを見るなり、常連と化しつつあるボクへと歓待を告げる。
ただなんとなくだけれど、昨日までとは接し方が違うように思えた。
最初と前回は、丁寧で親しみを込めた接客であった。けれど今はどことなく適当というか、嘲りを含んだものへと変わっているように思えてならない。
「すっかり味を占めたみたいね。さあ、早く入って」
「あの菓子は……、ありますか」
「もちろん。でも欲しいなら大人しく席に着きなさい」
ボクは招き入れる彼女の後ろを歩きながら、前回食べさせられた"チョッコレイト"とかいう菓子が出されるのかを問う。
今回危険を冒してまで再度来店したのは、アレが現在も配られているのかを知るため。
もしまだ客たちに出されているのであれば、その被害は加速度的に広がっているに違いない。
しかし問いに対しすぐさま返されたのは、なんともぞんざいな言葉。
やはりこの人にとってボクは既に、客から獲物へと扱いが変じているようだった。
「とりあえず何か頼みなさい。一応は酒場なものでね」
バニー服姿の女性は、ドサリと荒くソファーに腰かける。
そして置かれていた酒瓶の線を開け、自分用に酒を注ぎ始めていた。
ボクは促されるがままに軽めな酒を頼みながら、ソッと周囲を窺う。
見ればまだ他の客たちも来たばかりであるせいか、前回見たようなある種の退廃的な空気は感じられない。
テーブルの上にも例の菓子は出ていないようだし、案外今の時点では、ただの酒場として機能しているのかも。
ただ客たちが、昨日見たのとそう変わらない顔ぶれであるのに気付く。
もしや今日は入れる客を選んでいるのかもしれず、それによって女性たちの態度が、客に対しての物とは思えないものとなっているようだった。
たぶんこの店で行われている事を、外に漏らさないようにするために。
「さあ、お待ちかねの物が来たわよ」
ボクがこっそり店内の様子を探っていると、女はニヤリと呟く。
視線を辿って見てみると、店の奥から女たちが紙の小箱を持って出てきた。
昨日見たのと同じそれ。間違いなく、あの中には人を虜とする危険な代物が混ぜ込まれているに違いない。
その薬物入りのチョッコレイトを運んでくる女たちは、一様に乾いた表情をしている。
これが危険な物であると知りながら、虜となっていく男たちの姿を、出来るだけ見ないようにしているかのように。
もっともその中で一人だけ、まるで泣きそうな表情をしている人に気付く。
「よ、良かった。もう我慢が出来なくて」
運ばれてくる危険な菓子を見て、ボクは精一杯喜んでいるフリをする。
今回は危険とわかっていつつも、中毒となっているよう見せかけるため、あえてあれを口にするつもりだ。
今回ボクは事前に、お師匠様がくれた手帳へ記されていた薬を調合し呑んでいる。
それは体内に入った毒性があるものの吸収を阻害し、通常より早く体外に排出するという効果を持つ物。
なので昨日ほどには、渇望し狂うような感覚にはならないはず。もちろん多少なりと影響はあるだろうけど。
しかし女は置かれた菓子に伸ばそうとしたボクの手を阻む。
そして数字が書かれた小さな紙片を取り出し、ニタリとした嫌な笑みを浮かべるのだった。
「すっかり味を占めたものね。でも残念ながら今回は有料、1個欲しければこれだけ払ってもらうわ」
「……こんなに?」
「嫌なら別にいいのよ。欲しがる客は他にいくらでも居る、こいつがあんたの物にならないってだけ」
紙によって提示された額は、目の玉が飛び出るほど。
下手をすれば、ただでさえ物価の高いここ"ユノサト"で丸一日遊べるだけの額。
しかもそれが1箱ではなく、小さなチョッコレイト1個の値段であるというのだから驚きだ。
女は強気な態度で箱を取り上げると、買わないならそれでも構わないと口にした。
こいつはわかって言っている。一度あれの味を占めた後は、財布の中身を空にしてで得たいという欲求が抑えられないと。
ボクがこうして自制心を保てているのは、これが非常に恐ろしい代物であると知っているのに加え、悪事を暴こうとしている側であるという自負があって。
あとは……、もし屈したりしたらサクラさんからのお仕置きが待っているという理由か。
だが他の客たちは、アッサリこの欲求に負けてしまうかもしれない。
案の定周囲では、自ら財布を丸ごと女たちに預け、貪るようにチョッコレイトに手を伸ばす姿が散見された。
「わ、わかりました。買います……」
「いいわ。とりあえず今日は1個だけ売ってあげる、もっと欲しければ精々稼いできなさい。もちろん誰にも告げず」
ボクが観念したフリをすることで、女は満足したように箱を差し出す。
ただ取り出したのはチョッコレイト1個だけ。そいつを摘まむと、グイとボクの口へ当て押し込んだ。
どこか加虐的な性癖を感じる行動に困惑しながらも、与えられたそいつを咀嚼し呑み込む。
おそらく1つだけを与えることで、より飢餓感を煽ろうという腹積もりに違いない。
案の定女は菓子を胃に納めたボクを見て、勝ち誇ったように品のない笑みを浮かべていた。
「そういえばアナタ、確か召喚士だったわね」
「……ええ。一応は」
「見た感じ、療養目的ってところかしら。ということは近いうちに他の町へ帰るし、いろんな土地へ移動するって事よね?」
幸いにも呑んでおいた薬が効いているのか、菓子を口にしても前回ほどの酔いは回らない。
そのことに安堵していたのだけれど、そんなボクをジッと凝視する女は、妙な質問を経てなにやら思案を始める。
善からぬことを企んでいるような、嫌な感じを強く受けてならない。
いったい何を考えているのか。
ボクが不安感に身体を硬直していると、そんなことをまるで気付きもしないのか、女はグッと顔を寄せてきた。
まるで耳へ口づけでもしかねない距離に口を近づけ、囁くようにとある提案をする。
「もっとコイツが欲しいでしょう? ならちょっと私の提案を聞きなさい、協力するならタダであげてもいい」
「協力、ですか?」
「そう、協力。わたしたちがもっと稼ぐために、もっと男たちを虜にするための手伝い」
耳元でささやく女の声に、つい口元が綻びそうになってしまう。
ただなにも色香に惑わされたという訳ではない。
探りを入れようとしていたのだが、思いがけず向こうから関わりを深めようとしてきたことが、好機と思えたためだ。
女の側から見れば、ボクが秘密を他言しそうにない気弱な人間に見えたのかもしれない。
だとすれば若干面白くはないけれど、これはこれで好都合。
一連の悪事を行う集団において、この人がどれだけ高い地位かはわからない。けれど少なくともここで働く女たちのなかでは、最も上に居るのだと思う。
そんな女の悪事へ加担するフリをし、ボクは薬物の影響を受け必至となった演技を交え、彼女の腕を掴んで懇願する。
「本当ですか? ならやります、やらせてください!」
「随分簡単に引き受けるのね。まだ何をするかも言っていないのに」
「1個だけじゃ全然足りない。もっと、もっと、もっと欲しい。あれが手に入るなら、なんだって!」
今のボクは薬物に狂い、ただひたすらにそれに縋る人間に見えているはず。
とはいえおそらく事前に呑んだ薬がなければ、これを本心として言っていたかもしれない。
それほどまでの危険性を秘める物であり、その効果を既に知っているであろう女は、ボクの演技を疑ってはいないようだった。
「いい子ね。では手伝いなさい、もちろん裏切りは許さない。もし裏切ったら、永久にコレが手に入らなくなるのだから」
女は恍惚の表情でボクの顎へ手を当てると、もう1つ菓子を手にし口へ押し込んできた。
冷や汗掻きながらそいつを咀嚼しながら、女の言葉に耳を傾ける。
そしてどうやらこの女の後ろには、他に誰かが居るであろうことをそれとなく聞き出した。
ただそこで限界。2つもの菓子を口にしたことで、遂には身体に影響が出始めてきたようだ。
ボクは徐々に表れてきた薬の効果に酔い、思考を白濁させていく中、女へ服従するかのように姿勢を崩していった。




