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蠱惑の兎 06


 市街の中心部に建つ例の店から出たボクは、身体の痛みすらよくわからない思考のまま、杖を突きなんとかこの宿へと辿り着いた。

 そして宿の廊下を歩くボクは、あてがわれた客室の前で息を整える。


 ただその頃には、店を出た時に我が身を襲っていた状態はほとんど鳴りを潜め、一見して普段と変わらぬ体調へと戻っていた。

 おかげで出迎えてくれた宿の人からは、これといって不信感を持たれずに済んだ。

 けれどそう自己診断をしたのだけれど、サクラさんには異変を察知するに十分であったらしい。



「クルス君、なにがあったの?」



 部屋の扉を開き、中へ入るなりサクラさんから発された言葉は、そんなボクがただならぬ状態であったと確信するもの。

 同じく部屋に居たタケルやソニア先輩は、彼女の発言にキョトンとしている。

 なので異変を感じ取ったのはサクラさんだけのようだ。



「なにが……、と言われましても。なにもありませんよ」


「嘘をおっしゃい。目の焦点、ちょっと定まってないでしょ。けれど酒に酔ってのものとは違う気がする」



 ボクはつい咄嗟に、誤魔化しを口にしてしまう。

 しかしサクラさんからは、半ば確信を持っていると思える反論が返されてしまった。

 確かに体調はほとんど戻っている。でも目は僅かに霞んでいて、若干足元が覚束ない。

 ここまで1年少々を共に過ごしてきた彼女は、ほんの少しの異変を目敏く察知してしまうようだ。


 そこで仕方なく、店であった出来事を話していく。

 普段であれば、こんなことを隠そうとはしないはず。

 それでも伝えるのを躊躇ってしまったのは、きっとあの"チョッコレイト"とかいう物に混ぜられていたであろう、ある薬品の影響であると思えた。



「それってよ、麻薬とかの類じゃないのか?」


「おそらくそうね。でもこうも速攻で中毒に近い状態にするなんて、余程強いヤツを使われたみたいね」



 ボクの話を聞くなり、サクラさんとタケルはすぐさまある結論に達する。

 お師匠様から以前に聞いた限りだけれど、一時期シグレシアの各地で、そういった代物が大量に流通したことがあったとのこと

 結果多くの被害者が出て、国が禁制品に指定したというのは、ちょっと調べればわかる話。


 彼女らがそれを知っていたのかと思うも、口振りからするとそうではないようだ。

 向こうの世界にも、このような作用を引き起こす代物が存在するようで、この結論に辿り着くのは容易であったのかもしれない。



「とりあえず水を飲みなさい。どれだけ効果があるかはわからないけど」



 サクラさんはそう言って、部屋に置いてあった水を差し出してくる。

 食べた直後であれば、吐き出すというのが一番手っ取り早い。

 ただもう既にそれなりの時間が経過している。今はもうなるべく多くの水を飲み、自然に任せる他なかった。


 ボクはその水を、無理やりに流し込んでいく。

 その間に彼女らは思案をし、こちらの証言を元に事態を推測していくのだった。



「ようするに、客を中毒状態にすることで、継続的に来させようって魂胆ね。随分とケチなやり口だこと」


「次に行ったら、値段が跳ね上がってんだろうな。でも中毒になってるから金を払い続けるってか」


「まさかバレンタインを利用されるとはね。チョコレートがこっちのも存在したのは意外だったけど」


「っつーかよ、こんだけ雑だとすぐにバレるんじゃね?」



 向こうの世界での出来事と照らし合わせてか、サクラさんとタケルは侃々諤々とやり合う。


 この一軒、誰が首謀者であるかは定かでない。

 ただボクにはサクラさんの言うように、確かにやり口がケチ臭いと思えてならなかった。

 それにやたら悪巧みの仕方がザルというか、これだけ大規模にやっているにしては、なんだか穴が多すぎるような気がしたのだ。


 ボクはそんな考えを振り払い、進む話へ耳を傾ける。

 ただ同じく横で聞いていたソニア先輩は、おずおずと小さく手を上げると、本来であれば目下必要となる行動を確認した。



「騎士団への通報……、はやっぱりダメなんですかねぇ」



 本来ボクらが真っ先にしなくてはいけないのは、騎士団に知らせるというもの。

 町の治安維持を担う彼らが対処をすべきで、ボクらはあくまで情報提供者でいいというものだ。

 でもたぶん、縋るようなソニア先輩の想いは打ち払われるはず。



「クルス君の話だと、騎士団の一部を抱き込んだって話だったけれど、ここまで堂々とやっているとね……。たぶん騎士団の上の方がグルなんだろうし、となればもう当てには出来ないと思う」


「だな。他の客も薬を欲しがって、通報しようとはしねぇだろうし」


「でもでも、ならいったいどうするんですか? 騎士団を通さずにどうにかしたら、捕まるのはこっちですよぉ」



 実際のところ、勇者でもない連中をどうこうするというのは簡単。

 サクラさんとタケルが、素手でもいいから店に乗り込み、誰が首謀者かを吐かせ退治してしまえばいいのだ。


 でもソニア先輩が言うように、それを行ってしまうというのは非常にマズイ。

 騎士団の一員とは言え、基本的に勇者と召喚士は対魔物を担う立場。

 なので一介の勇者と召喚士がその真似事をするのは許されず、あくまでも騎士団の要請という体裁があってこそ、ボクらは悪党をどうこうできるのだ。



「では、ゲンゾーさんに助けを求めますか?」


「あまりあの人の手を借りたくはないのよね……」


「とは言いましても、他に頼れる人も居ませんし」



 この状況で頼りになるとすれば、王都で要職に就くゲンゾーさんだろうか。

 そこでボクは彼の名を挙げる。彼や相棒のクレメンテさんに頼めば、たぶんマトモに動ける騎士たちを派遣してくれるはずと考えて。


 ただサクラさんは、あまりゲンゾーさんを頼りたくはないようだ。

 でもその気持ちも少しは理解できる。あの人はつい最近、自身の親友を己の手で討ったばかり。

 今頃はその件の残務処理も終え、当面の休息に入っているはず。事情を理解した王の指示によって。



「ゲンゾーって、もしかしてあのか?」



 タケルは驚いた様子で、ボクらの話す間に入る。

 彼はボクらがゲンゾーさんと知り合う前に別れたので、あの人と繋がりが存在することを知らなかったらしい。

 この国では知らぬ者の居ない人物なだけに、余計に衝撃が大きいようであった。



「なんていうか、スゲーな……」


「偶然知り合っただけよ。今じゃ色々と面倒事を押し付けてくる、厄介なお得意様ってところね」


「でもこれで助けの目途はついたな。その人はダメでも、召喚士の方は問題ないんだろ?」



 ゲンゾーさんとの関係を知ったタケルは、感嘆しつつもすぐさまニカリと笑む。

 勇者と繋がりがあるという事は、その相棒である召喚士とも一定の繋がりがあるも同義。

 なのであの人と組んでいる、召喚士のクレメンテさんであれば、抱き込まれていない騎士を派遣してくれるのではと考えたのだ。


 サクラさんもそれには同意したようで、静かに頷く。

 そして立ち上がると部屋の隅へ移動し、引き出しから紙と筆記具を取り出す。



「王都からそこまで離れていないのが救いね。クレメンテさんの手元に届くのが2日後くらいとして、早ければ5日後あたりに調査のために人を寄越してくれるかも」



 彼女はテーブルに戻ってくると、紙を広げペン先をインク壷に浸ける。

 そのまま慣れた調子でペン先を奔らせ、スラスラと流麗な文字を綴っていった。

 以前はこちらの文字をまるで解さなかったというのに、この1年で随分と慣れたものだと思う。


 彼女が今書いているのは、王都に居るクレメンテさんへ宛てた手紙。

 内容はここ"ユノサト"に在る、勇者たちが作った店で起きている出来事について。

 ただこれだけで騎士団を動かすことは叶わない。なので一旦人を寄越し、事実であると確認が取れてからになるはず。



 サクラさんはしばし口を噤み、手紙を書くのに専念する。

 要点を簡潔に述べた内容の手紙を書き終えると、しっかりとした紙製の封筒に納め、さらに布の袋に入れて蝋封を施した。

 あとはこいつを王都の騎士団宛てに送るだけなのだが、手段については問題があるかもしれない。



「誰か他の勇者に頼むか、もしくは……」



 サクラさんは出来上がったそれをヒラヒラと振りながら、送るための手段を考える。

 本来であれば騎士団宛ての手紙を送るとなれば、騎士に頼んで運んでもらうというのが普通。

 けれどここ"ユノサト"に居る騎士が、どの程度抱き込まれているかがわかったものではない。


 となれば行商人などに依頼をし運んでもらうのが無難かと思うも、それはそれで危険に思えてならなかった。

 単純に信頼性の話もあるし、万が一向こうがこちらの動きに勘付いていた場合も考えると、その行商人が危険かもしれない。



「ならあたしが行きましょうか? ここではやれることも無さそうですしぃ」



 ではいったい誰に頼むべきかと考えていると、手を挙げたのはソニア先輩だ。

 彼女はここまでサクラさんと一緒に、宿で留守番をしていた。

 なのでこの先も別段担う役目が無いと判断したようで、自身であれば問題なく手紙を運べると考えたらしい。


 確かに彼女であれば、王城の騎士団が管理する区画へも一応は入れるはず。

 なにせ召喚士も騎士団の一員であるのに変わりはないし、たぶんボクらの名前を出せばクレメンテさんとの面通しも叶うはずだから。

 けれどサクラさんは首を横に振ると、それは好ましくないとの意見を口にする。



「出来れば待機しておいて欲しいのよね。なにせこっちは動ける人間がたったの4人だけだし」


「そうですね。もし助けが必要になった時、大いに越したことはありません。それに先輩であれば頼りになります」



 サクラさんとボクは、揃って彼女を使いに出すことを反対する。

 理由は口にした通り、なにせ味方の数が心許ない。

 こう言ってなんだけれど、ソニア先輩はボクの知る限り特別体力があるわけでも、突出した技能があるわけでもない。

 それでもここまで1年以上、勇者と共にやってきた召喚士というだけで、人並み以上の胆力があるのは間違いなかった。


 それに彼女は、決して旧知の相手を裏切るような人ではない。

 そういった点を確固として信頼したボクは、ソニア先輩の力が必要になると口にする。もちろん、道中の身の危険という問題もあって。

 すると彼女はちょっとだけ意外そうな顔をした後、嬉しそうに目元を綻ばせるのだった。



「人を寄越してもらえるまで、下手に動かず大人しく宿でのんびりしてるって手もあるんだけどね。でも……」



 そんなソニア先輩を見て苦笑するサクラさん。

 ただ彼女は小さく咳払いをしてから、今度はボクの方を見て言い澱む。

 いったい何を言おうとしているのかと思うのだが、サクラさんはこっちへ指を向けながら、タケルとソニア先輩へ困ったように告げた。



「なんだかクルス君はやる気満々なのよね」



 サクラさんの言葉からは、"療養目的でここに来たのを忘れていない?"と言わんばかりの空気が溢れている。

 言われてみれば、怪我を治し旅をするだけの体力を取り戻すために、バカ高い宿泊費なこの町に来たのだったか。


 けれど今頃になって、ボクは菓子に薬を盛られたことに対し腹が立ち始めていた。

 なのでこのまま安穏と助けが来るのを待つ気はなく、ちょっとした報復をしてやりたいという、なかなかに過激な考えすら置きつつある。

 なのでサクラさんが呆れた様子となるのも当然。

 ただこの件に首を突っ込むのは、彼女自身も乗り気であったろうにと、ボクは表情だけで不満を露わとするのであった。


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