蠱惑の兎 05
昼間はノンビリとくつろぎ、町中の共同浴場や食堂を巡り骨休め。
ここ"ユノサト"へ来た本来の目的を果たすべく、ボクは極力身体を酷使せぬよう努めた。
そして夕刻。今度は宿の温泉に入ってサッパリし、町で買った清潔な衣服に着替える。
木の板と編んだ布によって作られている履物に足を突っ込み、ボクは宿を出て石畳の大通りを歩く。
ただカランカランと軽快な音を立てる履物に反し、気分の方はあまり盛り立っていなかった。
杖を突き向かうのは、昨日行った"バニーさん"とやらが居る、勇者たちによって作られた店。
ただ今回はタケルが同行しておらずボク一人で、それが余計に緊張を高める要因となっていた。
「い……、行くしかないか」
握る杖に少しばかりの力を込め、立ち止まったボクは決意を固める。
目の前には昨日も行った店が、同じくケバケバしさすら感じる佇まいで、強烈な自己主張を発していた。
やたら町の景観に合っていないそこだけれど、意外にも流行っているのか、さっきから何組もの客が入っていく。
ボクはこれからこの店に入り、他に不審な点が無いかを探るのだ。
負傷しているという事もあって、少々目立つ出で立ちであるため、ボクがやるというのは不安がある。
けれど実際不審を口にしたのが自身なのだから、文句の言いようがなかった。
「あら、昨日の召喚士さん。今日も来て下さったんですね」
意を決して扉を開け、店の中へと入っていく。
するとすぐさま店の女性が迎えに現れるのだが、その人は昨日も出迎えてくれた人物。
まったく同じ意匠の"バニー服"とやらを纏った彼女は、ボクの顔を見るなり意外そうにするも、すぐさま歓迎の笑顔を浮かべるのだった。
やっぱり杖を突いてまで来る客という事で、すぐさま覚えてしまったらしい。
「ええ、すっかり気に入ってしまいまして。もしかしてお邪魔でしたか?」
「そのようなことは。むしろ来て頂けるなら、毎日でも精一杯の歓迎を致します」
「それは良かった。貴女のように美しい女性へ会いに来れないなんて、この町に逗留している意味が失われますから」
「あらあら、悪いお方。相方の勇者さんは女性なんですよね、そんな調子の良いことばかり仰って、愛想をつかされても知りませんよ?」
我ながら歯の浮くような台詞を口にしながら、迎えてくれた女性を伴い席へと移動する。
このくらい調子の良いことを言っておいた方が、遊び慣れしている人間に見られ、こういった店に入り浸っていても不思議はないと思われるために。
けれど彼女もなかなかに鋭いだけに、これが通用しているかどうか。
なにせ向こうは本職だ。こっちの虚勢くらい看破されていてもおかしくはなかった。
実際彼女の言うように、サクラさんに呆れられてもおかしくはない状況。今はその彼女の了解のもとに来ているのだけれど。
「最初は果実酒でよろしいです?」
席に座ったボクは、女性から早速酒を勧められる。
とりあえずほどほどに、けれどそこまで安くもない酒を注文すると、運ばれてきた瓶の口を開けグラスに注いでいった。
その間にそれとなく周囲を窺うと、店内には既に多くの客が居り、バニー服姿の女性たちからの接待を受けていた。
かなり繁盛しているようで、従業員たちが引っ切り無しに行き来している。
閑散としていては目立って仕方ないため、注意が分散するというのは救いかもしれない。
「ああ、そうだ。まずはこれをお渡ししておこうかしら、お客様全員へ配っているの」
ただボクが視線を巡らせていると、酒を注ぎ終えた女性は、傍らから小さな小箱を取り出す。
紙で出来ていると思われるその箱をボクへ向け、客として訪れた人間への贈り物であると告げた。
いったい何であろうかと思い、受け取ったそれの蓋を開ける。
すると中には茶色をした、得体の知れぬ物がいくつも並べて入っており、型に入れて作ったであろうその固形物に、ボクはつい首をかしげてしまう。
「召喚士さんは既にご存知かもしれませんが、勇者たちの生まれ育ったニホンという国では年に一度、とある時期に"チョッコレイト"という甘い菓子を贈る風習があるとか」
「あちらの世界の風習……、ですか」
「本来は意中の相手に贈るそうですけれど、"義理チョッコ"とかいう物もあるそうで、今回お客様たちにそちらをお配りしようかと」
あちらの世界についての話は、サクラさんから世間話がてら幾度となく聞いている。
けれどそんな行事ごとがあると聞いたのは初めてで、ついつい無意識に感嘆の声が漏れてしまう。
ただあちらの世界は、どうにもこちらと比べかなり平穏であるらしく、こういったノンビリした気風の祭りが多いのかもしれない。
「本命のそれが欲しいというお客様も多く居らっしゃいますが、その場合は……」
「欲しければもっと通え。ってことですね」
「意中の女の子を射止める為に、沢山顔を見せて頂ければ幸いですわ」
ニコリと音がするような笑顔を向け、こちらの言葉を半ば肯定するバニー姿の女性。
彼女は箱の中にある、"チョッコレイト"とかいう菓子を1つ摘まむと、ボクの口へと優しく放り込むのであった。
いったい何を原料に作っているかは知れないけれど、甘くほろ苦い独特な風味を持つ、なかなかに上等な菓子だ。
なにやら思考すら蕩けさせるようで、義理でこれであるのなら、きっと"本命"の方はもっと美味しいのだろうと思わせられる。
……サクラさんは、コレをボクにくれたりはしないのだろうか。
ボクはそこから彼女の酌を受けながら、店内の様子を探り続ける。
もちろん下手に歩き周ったりはできないので、それとなく出入りしている人の話を聞いたりするくらい。
とはいえあまり不審に思われる訳にもいかず、突っ込んだ内容に踏み込めないため、進捗は微々たるものだった。
「さ、もう一杯」
焦れる手掛かりの収集作業に、つい肩を落としてしまいそうになる。
そんなボクの目の前へ置かれたカップには、次々酒が注がれていく。
けれどなんだろう、さっきから少しばかり、実際に呑んでいる量以上に酔いが回っている気がした。
「いえ、もう……。ちょっと呑み過ぎたみたいで」
「あらそれは大変。ではお水を持って来ますわね、それまでさっきのお菓子でも」
「そ、そうですね。食べれば酔いも収まってくれるかも……」
バニー姿の女性は、立ち上がると酔ったボクのために水を取りに行く。
ただそんな彼女が告げた、菓子を食べて待っていて欲しいという言葉。
それに対し自分が返した内容が、我ながらおかしな理屈を口にしているとわかる。
でもボクはおかしいと思いつつも、無意識にテーブル上の菓子へ手が伸びていた。
さっきからずっと頭に浮かぶのは、このチョッコレイトとかいう菓子の存在ばかり。
もっと欲しい。身体が熱い。精神が昂る。冷静な思考が出来ない。
けれどどこか心地よく、欲求を掻き立てる渇きにも似たその感覚に、ボクはついテーブル上に置いた菓子の箱へ手を伸ばす。
「あらあら、どうされました。そんなに美味しかったのですか?」
戻ってきた女性は、水を差し出しながらも笑顔だ。
なんだか彼女の妙に違和感を感じてならない表情を眺めながら、ボクは渇望するがままに菓子へ手を伸ばす。
早く、速く、ハヤク。あの甘さが、脳を弛緩させるようなそれが欲しい。
しかし箱の中身は既になく、指先は虚しく空を切る。
既に菓子箱が空となっていることに絶望し、ボクは隣へ座るその人を見上げ懇願を呟いた。
「も、もっと……。もっと欲しいんだ!」
「申し訳ありません、今日お客様にお渡しできるチョッコレイトはこれで全部。ですのでまた明日お出で下さいませ、その時にはもっと甘美な時間を過ごせるはずですわ」
縋るも、彼女は笑顔のままで首を横に振る。
しかし思考を混乱させるボクは、この女性の表情を見て背筋を凍らせた。
張り付いた笑顔。その下にある彼女の眼が非常に冷たく、蔑みや侮蔑の色を強く滲ませているのに気付いたから。
そういえば……、この人の声、聞いたことがある気がする。
店に入って出迎えてくれた時や、横に腰かけ触れんばかりの距離で囁いていた時のそれとは違う。
嘲笑の声から感じる、客に対してのものとは思えぬ声色は、手洗いの中から聞こえた女の片割れとよく似ているように思えた。
「さあ、そろそろ時間よ。また明日おいで下さいませ、"お客様"」
ボクは財布を開き、彼女に言われるがままの額を出すと、フラリと立ち上がる。
最初に迎えられた時とは違い、少々乱雑の手の引き方で店の外へと導かれていった。
ただ痛む身体のままで、なんとか杖で身体を支えて店内を見る。
大勢いる客たち。そのほとんどがボクと似たような状態であり、一様に目の前の卓には同じ紙の箱が。
しっかりと確認する間もなく、放り出されるように店の外へ。
周囲の人々から向けられる視線はぬるい。たぶんただの酔っ払いが出てきただけに見えているのかも。
再度振り返るも既に扉は閉められ、足元にはいつの間にか落としてしまった杖が、今までの時間が幻覚であったかのように転がっていた。
「どうしたんだ、いったい。……なんでこんな」
つい今の不可解な状況への疑問が口をつくも、ボクはこの感じにどこかで覚えがあった。
いや、自分自身で体験した訳ではないけれど、知識として知っていると言うか。
この状態というか症状、お師匠様から教授を受けている時に聞いた、とある薬物によるものとよく似ている。
短時間で効果が現れ、中毒症状に陥るのが早く、一度だけの使用で虜になる者が後を絶たない。
あまり有名な存在ではないけれど、シグレシア王国どころか、多くの国で禁制の代物となっているある薬物の効果にソックリであると。
「あの時聞いた話は……、これだったんだ」
霞がかった思考でも、そのことにすぐさま気付く。
ボクはすぐに知らせようと、荒い息遣いで宿への道を歩く。
しかしこの話、本当にサクラさんたちにしてもいいのだろうか。
きっとアレが碌な物ではないというのはわかるし、間違いなくサクラさんに知らせれば、少々強引な手を使ってでも潰しに行くはず。
でもそうなってしまうと、もうアレを口に入れる事が叶わなくなるのでは……。
欲しい、欲しい、欲しい。
ボクはその一点のみを呟きながら、陽の落ち街頭で照らされた市街を、宿に向けゆっくり進んでいく。