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蠱惑の兎 02


 上着やズボン、纏う衣類の全てを脱ぎ捨て、用意されている籠の中に。

 痛みに堪えながら真っ裸となったボクは、杖を突きながら扉へ向かう。

 その扉を開いた先に広がるのは、真っ青な空と僅かな緑、そして満たされた豊富な湯。

 ただなにも人目がある屋外に出たと言う訳ではない。確かに屋外ではあるけれど、ちゃんと外とは壁に寄って隔離された場所だ。


 ここは小都市"ユノサト"の郊外に建つ、比較的小ぢんまりとした宿に併設された温泉。

 小さくはあるけれど、かなり高級な部類に入るこの宿へ入り記帳を済ませた後、すぐさま一風呂浴びようと浴場へ向かったのだ。



「ちょっと……、いやかなり恥ずかしいかも」



 ただボクは誰も居ないその場所で、小さなタオルを手に顔を赤く染める。

 前回来た時には、湯浴み着を纏っての入浴だった。

 けれど今回泊まるこの宿は、オーナーであるというとある勇者の意向により、全裸での入浴が義務付けられているのだ。


 公衆浴場でも全裸というのが、勇者たちの祖国ニホンの流儀だとは聞く。

 けれどやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいし、慣れるには少しばかり時間が要りそうだ。


 とはいえいつまでもこうしていては、身体を冷やすばかり。

 そこで掛け湯をしてから、ゆっくり湯の中へ足を差し入れていくのだけれど、うっかり体勢を崩し転倒しかけてしまうのだった。



「っと、危ない。やっぱりサクラさんに付いてきてもらえば良かったかな……」



 なんとか杖を支えにし、寸前で体勢を立て直す。

 それによって身体へは強い痛みが奔るも、転んでしまうよりはマシというものか。


 今回ボクは特別に許可を得て、浴場で杖を使わせて貰えている。

 けれど実のところサクラさんは、当初一緒に付き添おうかとすら言ってくれていたのだ。怪我の癒えていないボクだけでは、危険であるという理由で。

 けれど裸で入るのがルールである以上、そこだけは断固として断った。……以前に見られてしまっているとはいえ。



「熱っつ。それに痛い……」



 再度ゆっくりと、身体を湯に沈めていく。

 熱が身体へ沁み込んでいくことで、内にある傷が疼くような感触を持つ。

 けれどボクはすぐにその感覚にも慣れ、身体を覆っていく温かな気怠さに身を任せた。


 ああ……、やっぱりこの熱い湯という欲求には抗い難い。

 旅の道中には、見つけた小川等で水浴びをすることはあるけれど、それとは別格の気持ち良さ。

 特にこういった、広い場所で浸かるのが最高なのは言うまでもない。

 もっともカルテリオの我が家にある掘っ立て小屋の風呂も良いもので、サクラさんが無理をしてでも建てたのは、やっぱり正解だったのかも。



 思考を蕩けさせるような感覚によって、次第に身体の痛みを忘れていく。

 ただこのまま眠ってしまいそうな心地で居られたのも束の間、脱衣所の方からガタガタと音がするのに気付く。



「誰か入ってきた? ……もしかしてサクラさんが」



 この宿は高級であるというのもあって、王都の大商人でもそう易々と泊まりには来れない。

 そのせいか一日に受け入れる人数には限りがあり、確か最大でも10人程度であると、宿の従業員が話していたはず。

 とはいえ春の盛りで人も多い今の時季、少しくらい他の客が居てもおかしくはなかった。


 ボクは扉を開け入ってくる人影に、挨拶をしようとする。

 顔は湯気でよく見えないけれど、ずんぐりした体形ながらガッシリしているため、おそらくは勇者。

 なんだかゲンゾーさんを少し小柄にしたような人物に、軽く挨拶をするのだった。



「ああ、先客が居たんだな。ちょっと失礼するぜ」



 その人物はザバリと身体に湯を掛けると、軽い口調で返事を返しながら湯に入ってくる。

 勇者というのは普段苛烈な戦いに身を置く反動か、こういった軽いやり取りをする人が多い。

 今まで見てきた勇者たちとよく似た雰囲気に、ボクはこの人が勇者であるという確信を強めた。

 ただ……、なんだろう、どこかで聞いた声な気がしてならない。



「あんた、いつ来たんだい?」


「えっと、ついさっきです。部屋に荷物を置いてすぐ」


「気持ちはわかるぜ。この町に来たらまず温泉、俺たちも来てからすぐ風呂に行っちまった」



 どうやらかなり親しみやすい性格らしき勇者は、少し離れたところで腰かけ話しかけてくる。

 なんだか旅の醍醐味のような出会いに、気を良くしながらボクも話を続けていった。


 そんな時、不意に気持ちの良い風が吹き、火照った顔をほど良く冷やしてくれる。

 その風によって、風呂を覆っていた大量の湯気が流されていく。

 さてさて、いったいどんな人なのだろうか。

 ほんの少しだけ気になって彼の方を窺うボクなのだったが、晴れた空気の中で見えたその顔に、目を見開き唖然とするのだった。



「ん? ……誰かと思ったらクルスじゃねーか。お前なんでこんな所に」


「それはボクの台詞だよ。"タケル"こそどうして」



 姿が露わとなったのは、ボクの記憶に色濃く残っている人物。

 今からほぼ丁度1年ほど前、サクラさんを召喚してからネドの町を拠点に活動し始めた頃に知り合った相手。

 勇者支援協会のネド支部へ入ったボクとサクラさんに、今にしてもよくわからない、妙な洗礼をしたのがこのタケルだ。


 ほんの数日だけの接点。けれど当時はまだ懐が寂しかったこともあり、彼とは同じ部屋で寝起きした。

 それによってある程度気心が知れ、ボクにとっては数少ない友人の一人であると言える相手だ。



「俺はちょっとばかり小金が入って、ソニアを連れて来たんだよ。一昨日な」


「ボクの方は……、療養かな。もちろんサクラさんも一緒に」



 突然に互いが知り合いであるとわかり、ボクとタケルは困惑する。

 とはいえすぐ再会の喜びが勝り、ボクらはここユノサトへ来た理由を説明し合うのだった。


 ソニアというのは彼を召喚した召喚士の女性で、ボクにとっては先輩の召喚士であり、騎士団の訓練施設へ居た時などは度々接点のあった人だ。

 ボクは少しばかりの懐かしさや想い出を含んだ話をし、タケルは笑いながらその話に耳を傾ける。

 けれどすぐにこちらが言った言葉へ怪訝そうに首をかしげると、タケルはしばしボクを見てハッとする。



「療養……? そういえばお前、その身体どうしたんだよ。めちゃくちゃ酷い有様じゃねえか」



 立って近寄り、見下ろしてくるタケルの視線の先には、あちこちに青い痣が色濃く残るボクの身体が。

 外傷によるものではないけれど、自分自身の行使した力の負荷に耐えきれず瓦解した筋肉や骨は、修復へ至るにはまだしばらくの時間を要していた。

 確かに見た目からして、相当に痛々しいのは否定できない。

 前衛として戦う勇者であればともかく、召喚士がこの状態というのは、限りなく心配になる状況であるのは確か。


 変な勘違いをされても困ると、ボクはあったことをそのまま話していく。

 こうなった原因など、諸々は王都に住む人間であれば大抵は知っている。

 なのでどこを拠点に活動しているか知らないけれど、タケルに話しても問題はないはず。



「なんつーか、クルスも大変なんだな」


「生きているだけ救いだよ。死んでしまえばこうして温泉にも入れない」


「言えてら。俺も時々酷い目に遭うけど、その度に美味い物食って生きてるのを実感するぜ」


「どこも同じってことだね。……ところでさ、そろそろ湯に浸かったらどうかな。あまり見せつけられても困るし」



 ボクらは軽い笑いを交えながら、人が聞けば頬を引き攣らせるようなやり取りを行う。

 ただ視線を彼の方に向けてみると、そこにはあまり直視したくない代物が。

 さっき立ち上がったまま、延々口を開いているタケルは、自身の格好を失念しているようだった。



 その後、ボクらはしばし風呂の中で談笑を続けていく。

 ネドの町で別れてからの出来事や、どういった魔物と遭遇したのかを。もちろん言える範疇の内容に限定して。

 そうして徐々にのぼせていきそうになったところで、揃って風呂から上がり宿の廊下を歩き自室へ向かった。


 ただ談話室か休憩室であろう部屋の前に差し掛かると、中から人の声が聞こえてくる。

 開きっぱなしであった扉から中を覗いてみれば、そこに居たのはサクラさんともう一人の女性。

 その人の顔を見て、彼女がソニア先輩であることに気付く。



「クルスくーん。お久しぶりだねぇ」



 久しぶりに会ったソニア先輩は、依然と変わらぬ気怠い口調で喜びを露わとする。

 どうやらボクがタケルと風呂で出くわしたのと同じく、彼女もまたサクラさんと会えていたようだ。


 彼女らも既に、ここまでの近況を話しているらしい。

 ボクの顔を見るなり立ち上がって近付くと、ソニア先輩は労をねぎらうように頭を撫でてくるのだった。

 どうやら彼女にとって、ボクは幼い後輩感覚のままであったようだ。

 ちょっともどかしい気もするけれど、これはこれで懐かしくて悪くない気にさせられる。



「そういえば聞いてるぜ"黒翼"の噂は。方々で暴れ回ってるらしいじゃ――」



 タケルはタケルで、サクラさんへ向くとニカリと笑んで話しかける。

 しかし彼が選んだ話題は、あまり適した物とは言えないようだった。

 言葉を言い終えるよりも先に、サクラさんの振り上げた脚が強かに、タケルの頭へ強烈な一撃を見舞う。

 見事なまでに、まさに問答無用だ。



「実はその二つ名、あまり気に入ってないのよね。出来ればもう言わないでくれると、咄嗟に手が出たりはしないはず」


「……そういうのはもっと早く言え! ってか手は出なくても脚が出てんじゃねえか!」



 このタケル相手に対し、容赦のない感じも相変わらず。

 ただ顔面へ食らったはずのタケルは、すぐさまサクラさんへ食ってかかるも、どこか楽しそうにすら見える。

 やっぱり彼はこういう趣味なのだろうか……。


 ただ2発目を食らうのは勘弁して欲しかったようで、タケルはサクラさんから逃走を図る。

 彼は自身だけで逃げるのがちょっとばかり寂しいのか、杖を突き立つボクを抱えると、速攻でその場から逃げ出した。



「相変わらず暴力的なババアだ。よく平気で居られるよな」


「タケルが不用意な発言をするのが悪いんじゃないの?」


「今のは別に俺は悪くないだろ! 知らなかったんだからよ。……まあいい、折角会えたんだ、ちょっと遊びに行こうぜ」



 ボクを抱えたままで宿を飛び出すタケル。

 抱えられて運ばれるのはサクラさんで慣れっこなボクは、そんな彼と平然と会話をする。

 ただタケルは走りながら不満を叫んだ直後、不敵な笑みで誘いを口にするのだった。



「遊びに? この町で温泉と食事以外となると……、何があったっけ」


「他の勇者の話だと、この町はどんどん色んな遊び場が出来てるらしいぜ。一昨日来てから、ずっと目を着けていた所があるんだ」



 どうやらここまで我慢をしていたであろうタケルは、ついでとばかりにこのまま遊びへ連れ出す気満々らしい。

 彼は有無を言わさずボクを抱えたまま、砂埃を立て町の大通りを疾走していった。


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