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蠱惑の兎 01


――――――――――


拝啓 お師匠様


 怪我というのは、なかなかに厄介な物です。

 まず第一に召喚士としての活動ができませんし、食事するのだって儘ならない上に、用を足しに行くのだって一苦労。

 もっとも今回は、大怪我で済んだのが不幸中の幸い。

 油断などはしていないつもりでしたが、それでも強大な敵を前にし、生きて帰れただけでも喜ぶべきなのかもしれません。


 ただお師匠様から伝授された製薬の技術によって、療養期間が短くなるのは救いでしょうか。

 サクラさん曰く、「温かな湯にでも浸かっていれば、もっと治りも早いんじゃない?」とのことです。


 という訳で、ボクとサクラさんは王都での騒動を経て、そこから半日ほど行った先に在る温泉地へやって来ました。

 なかなかの出費ではありますが、これも療養のためという大義名分によって。


 しかしボクとサクラさんのどちらかは知りませんが、騒動を引き寄せてしまうという宿命を持って生まれたようで。

 この地でも結局、療養どころではない事態に巻き込まれてしまったのです。


――――――――――



 徐々に速度を落としていく馬車は、町の入り口である小ぢんまりとした門をくぐっていく。

 その門を過ぎて少し、幾台もの馬車が停まる門傍の一角で停車すると、ボクは開いた扉から入る空気を大きく吸った。


 片手に持った杖へ身体を預け、悪戦苦闘しながら座席から立ち上がる。

 そしてゆっくり荷車の上から降りようとするのだけれど、杖を突く先をしくじってしまい、大きく体勢を崩してしまうのだった。



「っと、危ない。気を付けなさい」


「す、すみません……」



 馬車の上から地面へ真っ逆さま。

 という事態になりかけたボクを支えたのは、咄嗟に腕を伸ばしたサクラさんだった。

 彼女は片腕だけでボクの全体重を支えると、ゆっくり地面へと下ろす。とても優しく。


 王都での一件によって、ボクの身体はこれ以上ない程にズタボロ。

 実際ほんの少し歩くだけであったり、馬車が小石を撥ねる衝撃だけで身体に痛みが奔る。

 ただ王都で2週間ほどの療養を経て、脚の方はなんとか杖を使って歩けるまでに回復していた。

 もっとも利き腕である右などは、攻撃を行った際の衝撃によって骨が折れたままであり、まだ当分の間は使い物になりそうもない。



「これ以上療養期間を長くするのは勘弁してよ」


「わかっています。それを少しでも短くするために、こうして温泉地に来たんですから」



 ボクへと転がった杖を渡すサクラさんは、困ったものだと言わんばかりに肩を竦める。

 彼女にしてみれば、痛みを堪えるボクを苦労してここまで連れて来たのだ。その先で怪我などされては、堪ったものではないと言うところか。


 それでもサクラさんと共に半日の移動に耐えたのは、行った先に在るそれが、傷付いた身体を癒すのに効果があると踏んで。

 シグレシア王国の王都エトラニアから、南へ街道に沿って少し行った先に在る小都市。

 "ユノサト"と名付けられたその町は、この世界へ召喚された勇者たちの有志によって開発された、温泉完備の保養地だった。



「ほら、いいから宿へ行くわよ」


「は、はい。えっと、かなり良い宿を取ったんですよね」


「かなり奮発したのよ。今回の迷惑料の内、2割くらいがフッ飛ぶ額ね」



 杖を突くボクは、荷物の全てを持ってくれるサクラさんの後ろをゆっくりと歩く。

 ここでしばしの期間を療養に当てるため、サクラさんは相当に奮発して高価な宿を取ってくれていた。

 元々勇者や王都の富裕層、それに貴族などが多く利用するこの保養地は、基本的にかなり物価が高い傾向にある。

 その中でもさらに豪勢な宿となれば、いったいどれだけの金額が消えていったことやら。


 でもサクラさんは具体的な額を口にせず、ボクに羽を伸ばせと告げてくる。

 たぶんボクの事を気遣ってだろうけれど、彼女の向けてくるそんな優しさは、身体の痛みを一時的とはいえ忘れさせてくれるものだった。



 そんなボクは、保養地ユノサトの市街をのんびり進みながら、数か月ぶりに訪れた町並みを眺める。

 前回はゲンゾーさんと、彼の相棒であるクレメンテさんに連れられて訪れた。

 ただその時は真夏であったためか、今よりも立ち並ぶ出店の数が少々少なかったように思える。



「今は春の盛りだもの、行楽にはうってつけね。……もうちょっとしたら、また夏が来るけれど」



 ボクがさり気なくその事を口にすると、ほんの少し前を歩くサクラさんは、穏やかな気候を肌に感じながら同意する。

 ただそれによって、目の前に迫りつつある季節の事を思い出したらしい。

 ウンザリとした様子で呟くサクラさんだけれど、気持ちはわからないでもない。ボクらの家があるカルテリオは大陸の最南部、海風や都市の構造もあって夏は酷く蒸し暑いのだ。



「こう言っては何ですが、カルテリオは夏が厳しいですからね」


「逗留の期間を延ばそうかしら。夏が終わるくらいまで」


「費用が尋常ではなくなるので止めておきましょう。アルマも待たせていますし」



 こんな町に長居しては、たぶん財布がいくら分厚くても足りやしない。

 それに第一、カルテリオで預かって貰っているアルマのことが心配。もう既に、かなりあの地で留守番をさせたままなのだ。

 とはいえボクは今の状態で、まだカルテリオまでの数日に及ぶ長旅に耐えられるかが不安なところ。

 一応アルマには手紙は送っておいたし、もうしばらく耐えてもらうしかなかった。


 軽く咳払いをするボクは、再び町並みを眺めつつ歩く。

 サクラさんもまた、自身の突拍子もない発案を打ち消すべく周囲に視線をやるのだけれど、彼女は目に移る光景に食欲が刺激されたようだ。

 屋台の正面で歩を止めると、串に刺し焼かれていく肉を前に言い訳を口にする。



「でもその前に、少し買い食いでもしてから行く? 食事時まではまだ時間があるし」


「最近妙に食欲有りますよね。乗合馬車の中でも果物を食べてましたし」


「クルス君のためを思って言ってるのよ。少しでも栄養とって、早く治そうっていう」



 なんだか妙に苦しい理由づけにも思える。けれど今の言い訳、サクラさんに当てはめてもいい気がした。

 彼女もまたボク程ではないにしろ、それなりの傷を負ってしまったのだ。

 ならそんな言い訳へあえて乗り、揃って休息を摂るのも必要かもしれない。


 ボクは苦笑しながら屋台へ向かうと、そこで2人分の串焼きを購入する。

 極々低級な、過食に適した魔物を使ったその肉を手に、適当な広場へ移動し腰を下ろし頬張った。


 ここ最近は忙しさにかまけ、あまりこういった時間が取れていない気がする。

 ボクが怪我をしてようやく得られた時間のありがたさと、串焼きの肉を噛みしめていると、サクラさんは辺り一帯を眺めながら口を開く。



「前に来た時は、そこまで時間が無かったせいで気付かなかっただけかも知れないけど……」


「なにか面白い物でも見つけましたか?」


「面白い物っていうか、あんな施設もあるんだなってさ」



 なにかを発見したであろうサクラさんの視線を追い、ボクは前方を見る。

 その先に在ったのは、外壁へなかなかに派手目な装飾を施された、宿を少々大きくしたような建物。

 おそらく、いやまず間違いなく男性向けの歓楽施設だ。



「前は……、たぶん無かったのでは。たしかここも通っていますし、あれだけ派手なら気付くはずです」


「ならあの後に出来たのね。ほんと、こういう点まで向こうの温泉地と似てる」



 サクラさんは小さく苦笑しながら、その派手な建物を眺める。

 この口振りからすると、サクラさんら勇者の故郷に在る温泉地も、こういった施設がつきものであるようだ。


 そういえばカルテリオにも、この手の施設が出来つつあるのだったか

 現在あの町は多くの勇者が居を置くようになったため、町の規模を拡大している真っ最中で、再開発によって町の一角へちょっとした歓楽街が整備されつつあった。

 それはここ"ユノサト"も同じのようだ。単純にこの町を運営している勇者たちが、そういった物を欲しているだけかもだけれど。



「なんにせよ、私たちには関係ないわね」


「そ、そうですね……」


「クルス君、もしかして興味が?」



 串焼きを食べ終え、立ち上がるサクラさんは宿へ向かおうとする。

 ただその際口にした言葉へ、若干どもりながら同意するボクへと、彼女はジトリと視線を向けてくるのだった。


 いや、別に密かに行こうなどと考えているわけではない。

 ただボクも男である以上、多少なりとそういったモノに関心があるはずなのに、サクラさんが一切そうと考えていなかった点が引っかかったのだ。

 けれど上手くそのようには捉えてくれるはずもなく、サクラさんはなんだか呆れたようにボクを見下ろす。



「でも仕方ないか。怪我をしてるせいで、自分ではデキないんだし」


「……何の話をしてるんですか急に」


「別に? ただちょっと、利き手が使えないのは不自由だなって」



 それだけ口にすると、フイと余所を向いてしまうサクラさん。

 何気に下ネタ気味な内容で話を逸らされているけれど、彼女の機嫌が少しばかり悪くなったのは間違いない。

 そこでボクは痛む身体に鞭打ち、杖を使って急ぎ立ち上がると、歓楽施設に背を向けるように歩く。

 そんな姿を見てか、サクラさんは口元を僅かに綻ばせた。


 完全に振り回されているのを自覚しながら、歩き始めるサクラさんの後ろに続く。

 ただ彼女の歩調は変わらずゆっくりで、ボクの身体を気遣ってくれている様がありありとしていた。

 サクラさんの気まぐれに付き合うのも大変だ。そう思いつつも、ボクは杖をなんとか前に進めつつ、その背中を追いかけるのだった。



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