甘き記憶 04
冷たい春の雨が降りしきるその日、王都ツェニアルタは喪に服した。
魔物と化し、暴走の果てに多くの犠牲を出したカラシマさんではある。けれどこれまでの功績もあって、国葬が執り行われたのだ。
突如として見舞われた、国が誇る英雄の死。
多くの王都住民たちは困惑し、その裏に在るであろう事情を邪推する。
ただそれもすぐに払拭された。騎士団が大々的に、黒の聖杯による身体の乗っ取りが原因であると公表したからだ。
普通であれば、こんな情報は隠し通したいはず。
それでもあえて公表したのは、既に彼が魔物と化したという話が、人の噂に上り始めていたため。
人の口に戸は建てられないと言うが、騎士団も思い切ったことをしたものだと思う。
「痛った! ああ、もう。ちょっと身体を動かすだけでこのザマだ……」
そんな国葬が行われる王都。
けれどボクはそれに参加することなく、ひとり寂しく宿の一室で、ベッドに横たわり悪態ついていた。
というのも先日の一件によって、ボクの身体はボロボロになっているため。
あれから既に数日が経過しているけれど、いまだ動くだけで身体は悲鳴を上げ、水一杯飲むのだって一苦労。
正直なところ、口を開くだけでも痛みが響く。
自作の痛み止めを呑もうとしたのだけれど、薬の過剰投与は危険とのことで、騎士団の医師から待ったを掛けられてしまった。
ただその痛みに震える自身の身体を眺め、小さなため息交じりに呟く。
「……こんな力、人の身でどうにかできるのか?」
まさかボクの中に、本当に勇者としての血が生きているとは思ってもみなかった。
父親が召喚された勇者である以上、頭の片隅にそれはあったけれど、今まで実感をしたことがなかったためだ。
けれど黒の聖杯によって見せられた幻が切欠なのか、その片鱗が突如として顔を出した。
もっともそのおかげで、今の身動き一つ出来ない状態があるのだけれど。
「もしこいつが自在に使えて、身体が追いつくのなら……。あの人の横に立てるかもしれない」
ボクの中へ半分流れる、父親から引いたあちらの世界の血。そいつはどうやら、勇者に迫る恩恵を与えてくれる。
身体の強度そのものはこの世界の住人と同じ。けれどもしそこがどうにかなれば、サクラさんを今よりもずっと助けられるのではないか。
一瞬そんな思考に浮足立つも、この体たらくでは現実的とは言えそうもない。
そもそも次に使おうとして、自由に発揮できるとも限らないのだから
どうやら勇者たちが日頃みせている人の域を越えた能力、この身体で御するのは相当に難があるようだ。
ボクはそんなことを考え、グッと拳に力を込める。
ただそれによって再度全身へ痛みが奔り、遂にはコッソリ鞄に忍ばせていた痛み止めに頼ろうとしたところ、コンコンと扉をノックする音が。
「ただいま。クルス君、調子はどう?」
扉を開き顔を覗かせたその人、サクラさんは状態を問いながら近づいてくると、ベッドのすぐ横に腰を下ろす。
彼女は今の今まで、王都中心部で行われていた国葬に参加していたのだけれど、それを終え戻ってきたようだ。
そのサクラさんは腰を下ろし、チラリとベッド脇に置かれた鞄へ視線を向けると、中から一本の小瓶を取り出してくれた。
どうやらボクが何をしようとしていたか、速攻で勘付いたらしい。
「これ一本だけね。ここまで散々強い薬を使ってるんだから、これ以上は本格的に身体をダメにしてしまう」
「了解です。当面は痛みを堪能するとしますよ、慣れれば案外退屈しのぎになるかもしれません」
「退屈しのぎというか、退屈する余裕もないってのが正解ね」
痛みを堪えながら、サクラさんの手渡してくれた薬を飲んでいく。
色々と使う機会が多いし、使う材料も比較的手に入り易いため、痛み止めそのものは簡単に作れるしそれなりに持ってはいる。
けれどサクラさんからこう言われてしまうと、コッソリ隠れて飲むのが憚られてしまう。
身体を気遣って言っているであろう彼女は、ボクが着ている寝間着の袖をまくり、肌に刻まれた負傷の跡を見る。
そして眉を少しだけ顰めると、柔らかに腕をさすった。
「当分はお休みが必要ね」
「命があっただけまだ救いですよ。何人もの勇者がこの件で命を落としましたし、それを思えば幸運でした」
「それはそうなんだけどさ……。私に続いて君まで大怪我をして、改めて危険な稼業なんだって思い知らされる」
肉体の損傷が露わとなったボクの腕。
そこへと優しく触れるサクラさんは、しばしの休養は避けられないと断じるのだった。
以前に彼女が大きな負傷をした時もそうだった。
そういえばその時も場所は王都で、負傷させた相手はやはり元勇者。
大抵来るとゲンゾーさんから厄介事を頼まれるというのもあって、やはりボクらにとって王都という場所は、限りなく相性が悪いらしい。
「でも勇者としての活動そのものは、サクラさんだけでも続けられますよ。この世界にも随分と慣れてきたみたいですし、ボクなんて元々オマケみたいなものですから」
ただなんとなく、ボクは強がりと僅かな僻みが混ざった言葉が口を突く。
自分自身ではここまで実感していなかったけれど、案外痛みやしばらくの活動が不可能というのもあって、少々弱気になっているのかもしれない。
サクラさんはそんなボクの言葉を聞くなり、ジッとこちらの目を凝視する。
もしも彼女の口から、これに同意する言葉が吐かれたらどうしよう。
そんな不安を抱きながら言葉を待つのだけれど、サクラさんはこの時に関して言えば、かなり優しさに溢れていたようだった。
「なに言ってんのよ。魔物を狩って報酬を貰って、独りで祝い酒をしろっての? それはちょっと寂しいじゃない」
照れた様子で、サクラさんは早口でまくしたてる。
少なくとも、ボクが居なくても大丈夫だと言う気はさらさないようだった。
ボクそんな彼女の声に安堵しながら、「ボクが居ないと寂しいんですか」と、ちょっとだけ意地悪く問う。
するとポカリと頭を小突かれてしまうのだった。
「調子に乗らないの。けれどこれから先も君の助力が必要なんだから、お互いに辟易するまで付き合ってもらうわよ」
小さな衝撃が全身に響き身悶えする。けれど痛みの中にも、どこか嬉しさを感じてならなかった。
決して、痛みを喜んでいるわけではないけれど。
ただ彼女はそこで小さく咳払いをすると、一転して神妙な表情となり、ボクへ一つだけ忠告をするのだった。
「……でもさ、出来ればアレはもう使わないでもらいたいかな」
「アレ、と言うとやっぱり、この大怪我の原因になったやつですよね」
「ハッキリと言うけれど、たぶん君の身体では扱い切れないと思う。私と一緒に戦いたいと言ってくれるのは、正直嬉しいと思わなくもないけどさ」
どうやらさっきの独り言、扉越しに聞かれてしまっていたらしい。
サクラさんはそんなボクの心情は理解しつつも、無茶をするのは勘弁してほしいと言っているのだ。
「約束してくれないかな。あまり過度の心配を掛けないって」
「……わかりました。どのみち使おうと思って自由に使える類ではなさそうですけどね」
「なら幸いね。いや、これはこれで不安だけれど」
ボクはそんな彼女のする、心配そうな顔へ頷く。
魔物化したカラシマさんとの戦いを終えた後、重傷であったボクを医師たちの居る陣に運ばれた時に見せた、サクラさんの表情。
朝日を浴びたことで目に見えて明らかになった身体の状態に、彼女が顔を青くしていたのは強く印象に残っている。
たぶんサクラさんには相当に心配をかけたはずだし、案外そのままボクが死んでしまうとすら思ったかもしれない。
彼女がボクを気に掛けてくれるというのは嬉しい。けれどあの顔をもう一度見たいかと言えば否だ。
これ以上サクラさんに不安そうな顔をさせたくはない。ならもし仮に自在に使えるとしても、この力は収めておく方が良い気がした。
なんだか納得したような、安心したようなサクラさんの表情。
彼女の見せたそれにボクもまた、動きは伴わないがホッと胸を撫で下ろす。
そしてふと思い出したことがあり、話をちょっとばかり変えるのも兼ねてゲンゾーさんについてを尋ねてみた。
「葬儀の最中は気丈だったわね。流石にあの辺りは、勇者の監督役を任せられるだけはある」
「最中は……、ってことは終わってからは違ったんですね」
「終わった後に人目のない所で話したけれど、やっぱり意気消沈してたかな」
どうやら葬儀後、ゲンゾーさんはかなり憔悴していたようだ。
無理もない。ボクらはごく短い時間だけの接点で、カラシマさんとは特別の思い入れが無かったけれど、彼は永年の付き合いがあったのだから。
それにいくら仕方がないとは言え、自らの手でトドメを刺したのだ。
いくらゲンゾーさんが図太い神経をしていると言っても、親友を討ったという事実は、流石に堪えているというのは想像に難くない。
「……たぶん、あの時に見せられた幻も影響してると思うけど」
「黒の聖杯が見せた幻のことですね」
「あの場に居た私たち3人、それぞれが異なる過去の光景を見せられた。内容によっては、心理的に大きな負担を強いるわね」
どうやらゲンゾーさんは、勇者らの世界に残してきた家族の姿を見せられたらしい。
それによって彼はカラシマさんについて、「ヤツの気持ちもわかる」と口にしたのだと。
ボクなどは比較的穏やかな内容だった。
けれどサクラさんたちは、相当に苦痛というか、苛烈とも言える内容を見せられたらしい。
結果彼女の言う心理的な負担とやらによって、しばらくの休養は避けられそうもなかった。
ボクはそう口にするサクラさんの顔をジッと見る。
視線にたじろぐ彼女が困惑するところへ、これ幸いとさらに質問をぶつけた。
一度話してくれると了解をしてくれるも、いまだ聞くことの出来てはいない、彼女が見た過去の記憶についてだ。
「後で話してくれるって言ったじゃないですか。あれからもう何日か経ってますよ」
「……秘密」
「秘密って。……仕方ないですね、ならもう聞くのは止めておくとします」
ただサクラさんは、少々これを話すのに抵抗があるのかもしれない。
ならこれ以上聞くべきではないのかも。そう考え引っ込めようとするのだけれど、それはそれで向こうも面白くはないようだ。
話をする対価だと言わんばかりに、サクラさんは指を一本立て提案をしてくる。。
「じゃあ、クルス君がどんな幻を見たか話してくれたら教えてあげる」
「わ、わかりました。……ボクのだけ聞いて、やっぱり無しはダメですよ?」
ボクが話をする。たったそれだけで彼女は満足らしい。
ならば少々気恥ずかしいけれど、誘いに乗るのも悪くはないかも。
若干挑発的な表情を浮かべるサクラさんへと、起きたことを思い出すボクは、覚悟を決めて口を開く。
そしてゆっくり沈んでいく陽射しが王都を赤く染める中、サクラさんと古い記憶の中へ眠っていた、思い出話をしていくのだった。