妄執の人 07
5人、6人、7人。そこまで確認したところで、ボクは数えるのを止めた。
指折り数えていたのは、この真っ暗な閉鎖区画で倒れていた勇者たちの数。
確認した勇者たちの内、半分ほどは息があったけれど、残り半分は既に物言わぬ骸となっている。
「ダメです。この人も……」
遥か次元を超えた異界に放り出され、誰に看取られることなく傷を負い死していく勇者たち。
きっと彼らもこんな結末を望んでいたわけではない。
けれど今まさにここへ広がる現実は無情で、ボクは丁度呼吸を止めた勇者の瞼をソッと閉じると、サクラさんに向き直って頷いた。
「完全に分断されたみたいね。上手く各個撃破されている」
「知能が残っている、ということでしょうか?」
「おそらくね。黒の聖杯そのものだって知能があるんだし、あの人の身体を使っているそいつの頭が回ってもおかしくはない」
サクラさんは歯痒そうに、倒れた勇者から視線を逸らす。
彼女と共にこの区画へ入っていった勇者たち。その多くが戦闘不能となり、半分ほどが既に命を落としている。
基本的に関わることが無い相手とは言え、同郷の仲間である勇者たちが次々と倒れていくというのは、やはりサクラさんにとっても精神的に堪えるものがあるらしい。
ただそんな彼女は、ふと何かに気が付いたようだ。
ボクの背を指先で小突くと、僅かに気を抜いた声を発した。
「でも状況は動き始めたかも」
「なんです?」
「見て御覧なさいな。向こう」
サクラさんはそう言って、背後の方を指さす。
なんだろうと思い振り返って見れば、遠くにポツリポツリと小さな火が灯っているのに気付く。
それは徐々に数を増やしていき、終いには100では足りぬ数が、人の居ない閉鎖区画を照らそうとしていた。
「騎士たちが動いたみたいね。進展しない状況に焦れたんだと思う」
「良いんだか悪いんだか。大丈夫なんでしょうか……」
「その点は望み薄かもね。あの人が理性を保っているならともかく」
これで多少なりと、明りがあることで他の勇者と合流し易くなるかもしれない。
そのような安堵感を覚えると同時に、反面加勢に来てくれた騎士たちが危険なのではという不安に襲われる。
サクラさんもまた同意見のようで、騎士たちが無残に蹴散らされる可能性を否定はしなかった。
考えてもみれば、そもそも彼は一度自身を家に送り届けてくれた騎士を切り殺している。
それまでは勇者だけを標的としていたのに反し、あの時ばかりは鉄則とも言うべきそいつを破った。
おそらく辛うじて抑えていた、最後の一戦が破られた瞬間だったのかもしれない。
「でもおかげで、合流の切欠にはなったかも」
そういう彼女は、騎士たちによって作られたかがり火が見えるのとは、反対方向を向く。
ボクもまたそちらを見てみると、走ってくる人の姿がうっすらと見え始めた。
散り散りとなった勇者は、大急ぎで駆けて来るなり小さいながらも簡潔に口を開く。
「無事だったか」
現れたのは、ここ王都で再会した勇者のコーイチロウ。
ゲンゾーさんを慕う彼は、この危険な討伐作戦に自ら志願し、サクラさんらと一緒に閉鎖区画へ入っていった。
途中で襲撃に遭ったことではぐれたようだけれど、なんとか無事でいてくれたようだ。
その彼は加勢に来た騎士たちに、あまり踏み込まぬよう忠告をするため戻ろうとしたらしい。
「って、なんでお前まで居るんだよ!?」
「この子ったら、私の事が心配になって飛び込んできたらしいのよ。無謀にも」
「そいつはまた、無茶したもんだな」
コーイチロウはボクを見るなり、素っ頓狂な声を上げる。
それも当然だ。基本的に戦う能力を持たない召喚士は、この区画に入らず外で待機している。
彼の相棒もまた同じように、どこかの陣で後方支援に徹しているはずだった。
そんな言葉に返したのはサクラさん。彼女はボクの頭を小突きながら、無謀という言葉を繰り返した。
そう言われても仕方がないだけに、返す言葉もない。
けれどどこか、彼女の声からは嬉しそうな色が覗いているように聞こえる。
さっきは罵倒されたというのに、今は若干機嫌が良さそうにも思えた。
「ともかくおっさ……、源三さんと合流しないと。あの人が居ないと戦うのも儘ならない」
コーイチロウと合流できたのは良かった。
とはいえ彼には申し訳ないけれど、これだけの戦力ではまだかなり心許ない。
そこでサクラさんは、どこかに居るであろうゲンゾーさんを探そうと口にするのだけれど、すぐさまコーイチロウは待ったをかける。
「ああ、それなら探す必要はないぜ」
「どういう意味よ?」
「あの人は集中して狙われてるみたいでな、決まったルートを移動しながら逃げている。俺はその間に、生き残っている連中と合流する役目だ。たぶんそろそろあの辺りを……」
コーイチロウはどうやら、ゲンゾーさんと離れる直前に多少のやり取りをしていたようで、おおよその行動を把握していた。
彼が前方を指さしてしばし、路地の向こうに在る大きな通りへと、ずんぐりしたゲンゾーさんの影が横切るのに気付く。
そしてゲンゾーさんの少し後ろを、彼よりもずっと大きな、カラシマさんであった魔物の影がよぎった。
おそらく下手に四方八方へ逃げるよりも、他の勇者へおおよその位置を知らせた方が良いと考え、こうして同じ道を逃げ続けているのだ。
捜し歩いていた自分たちが、なんだか少々間抜けに思えるけれど、こうして位置が知れた以上好都合。
サクラさんはその姿を捉えるなり、グッと地面を蹴って追いかけた。
「俺は援軍を呼んでくる、アイツに無茶をさせんなよ!」
猛烈な勢いで駆けるサクラさんは、反撃しながら移動するゲンゾーさんのもとへ。
コーイチロウはさらに助力を呼ぶべく、反対方向へ走っていく。
ボクはどちらに着いて行こうかとも思うも、一瞬迷ってサクラさんの方へ。
戦力になるかと問われれば、否と返す他ないけれど、それでも囮くらいにはなれるのではと思ってしまったために。
少しばかり遅れて路地から飛び出ると、そこでは既に戦いが始まっていた。
移動を止めたゲンゾーさんを前衛として、サクラさんが後ろで矢を射るという、前回と同じ構図だ。
ただゲンゾーさんを見れば、彼の身体は傷だらけなのに気付く。
纏っていた鎧などもボロボロで、幾度となく刃を受けたのか、使い物にならない箇所を破棄しているようだった。
「まったく、とんだ化け物になったものね……」
そんなゲンゾーさんを援護するサクラさんは、対峙する相手を見上げ、冷や汗混じりに悪態つく。
彼女の視線の先に居るカラシマさん……、だった存在は、さっき見た時よりもさらに巨大化しているようだった。
愛用の槍は腕に埋没し、既に身体の一部と化している。
ただその代わりにとばかりに腕から生えた鋭い刃は、黒い体色の中にあって鮮烈に赤く、異質な禍々しさを放っていた。
暗い中でも爛々と光る大きな単眼は、こっちを見下ろし無機質な視線を向けている。
慣れた目もあって、これだけ近づけばその威容がよくわかる。
サクラさんが言うように、人であった頃の名残りなどまるで感じさせない。まさしく魔物、化け物の類だ。
「唐島よ……。このような姿になりおって」
ゲンゾーさんもまた、人の姿を失った親友に憐憫の視線を向ける。
ただ彼はもう割り切っているのか、それとも討つ事こそが救いと考えているためか、迷いなく愛用の大斧を構えた。
今楽にさせてやる。そんな言葉を呟き、ゲンゾーさんは斧を振りかざして突進した。
接近し、振り回し、分厚い刃を黒い体躯にめり込ませる。
一応相応の効果は現れているのか、切り裂き体色と同じく黒い体液を撒き散らすのだが、ゲンゾーさんもまた反撃を食らってしまう。
爪の一撃を肩に貰い鮮血を撒き散らしながらも、サクラさんが射た矢によって得られた隙を利用し、なんとか後方に飛び退る。
「……ワシの血すら欲するか」
ゲンゾーさんの傷そのものは、大して深いわけではなさそうだ。
それはいいのだけれど、彼に傷を負わせた鋭い刃に付着した血を、ヤツは顔の一部を割り小さな舌を出すと、堪能するように舐め取っていく。
元親友の取った狂気の姿に、ゲンゾーさんは険しく眉をしかめる。
「ちょっと、下手に血を与えないでよ。どういう理由かは知らないけど、ヤツは勇者の血を欲してるんでしょ?」
「そんなことを言われても知らんわい! 好きで負傷しとるんじゃない」
血を舐めている姿を前に、サクラさんとゲンゾーさんは侃々諤々とやり合う。
勇者であるゲンゾーさんの血を摂取することで、ヤツに何かしらの変化が起きるのではと懸念したためだ。
カラシマさんは確か、勇者の血を得ることによって黒の聖杯は、"失った家族の幻"を見せてくれると言っていたか。
黒の聖杯がそういった対価を差し出してまで、勇者の血を欲していたというのは気になるところ。
より生命力が強い者の血を得るというのが、いったい何を意味するのかはわからない。
けれど丁寧に丁寧に舐めていくその姿は、どこかおぞましさとは別な、否応もなく嫌な予感をさせるのだった。
「だが今の内だ。一撃でも多く……」
ともあれゲンゾーさんは、今こそ攻撃の好機と考えたようで、再度斧を振りかざそうとする。
しかし彼は突如として、平衡感覚を失ったかのように足元をフラつかせた。
まさか思った以上に深手を負っていたのだろうかと思う。
けれどどういう訳だろうか、離れた場所で矢を射ていたはずなサクラさんまでも、同じように体勢を崩し地面へ膝をつく。
ボクは困惑しながら彼女へ駆け寄る。
サクラさんの肩へ触れ、崩れ落ちそうな身体を支えるのだけれど、彼女は唖然とした表情で声を震わせて口を開いた。
「なによ、これ。……私の家? どうしてあっちの光景が」
「家? どういうことですか!?」
目の焦点が定まらず、どこか呆然とした様子で呟く彼女の言葉に、ボクは無意識に首を傾げる。
"あっち"というのは、どこを指しているのだろうか。
普通に考えれば、家と言えばカルテリオに得たボクらのそれを指しているはず。
でもなんだかそれとは異なるようで、サクラさんの定まらない視線はずっと遠く、王都やカルテリオすら超えた遥か彼方を見ているように思えた。
見れば地面に崩れ落ちたゲンゾーさんも、うわ言のように何かを呟き続けている。
まさかヤツによって、妙な幻覚でも見せられているのではないだろうか。
その可能性はある。なにせカラシマさんにも、失った家族の姿を見せていたのだから。
これは非情にマズイ。そう考えたボクは、ひとまずサクラさんを引っ張り路地に逃げ込もうとする。
けれどさっきまで普通に見えていた目は急激に霞んでいき、脚には力が入らずつい膝を着いてしまう。
もしかしてボクもまた、2人と同じ事態に陥っているのか……。
「ここは……、日本?」
そんな状態になったボクの耳へと、サクラさんの驚くような声が伝わる。
ニホン。彼女ら勇者の故郷であるかの国の名を聞くボクは、何がどうなっているのか知れぬ混乱の中、倒れ迫る地面を見つめていた。




