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妄執の人 04


 彼、カラシマさんが"黒の聖杯"と遭遇したのは、奥さんや相棒の召喚士を病で失った時期であった。

 喪失感から自暴自棄となり、使用人達を全員別の場所へやって、ただ一人広い屋敷で打ちひしがれていた時。

 暗い屋敷の中で座っていた彼の前に、前触れなく黒の聖杯が現れたのだと言う。


 カラシマさんも最上位に位置する勇者だけに、これまで何度か黒の聖杯と遭遇し破壊を成してはきた。

 けれどその時に現れた"そいつ"は、今まで見てきた物とは異なるように思えたそうだ。



「あの時目の前に現れた"ヤツ"は、私を誘っているように見えた……」


「誘うだと? あの物体が意志を持っているとでも?」


「お前とて一度くらいそう感じたことがあるだろう。ヤツは外見に反して意志を、知恵を持っている。ただの魔物や自然現象とは異なる次元の存在だ」



 不審さを露わとするゲンゾーさん。

 けれど直後にされた指摘に、彼だけでなくボクとサクラさんも二の句を告げない。


 サクラさんも何度か、鉛色をした杯という見た目のそいつ破壊してきた。

 その時の光景を思い出すと、確かにカラシマさんが言うように無機物の外見に反し、アレには意志や知性が存在していると思えてならない。

 なにせこちらを嘲笑うように動き、駆け引きの類すらしてくるのだから。


 ともあれどういう訳か、突然王都のど真ん中に在る屋敷へと姿を現した黒の聖杯。

 魔物を召喚するでもなく、ただ目の前で浮遊していただけのそいつへと、カラシマさんは半ば無意識のうちに腕を伸ばしたのだと口にした。

 まるで誘いの言葉を掛けられたかのように。



「気が付いた時には、私の身体はこのようになっていた。今見せたのは腕だけだが、服の下はほぼ全てがこうなっている」


「影響は……、ないのか」


「もちろんあるさ。具体的にはそうだな、時折自我が残ったままで、身体が支配されるといったところか」


「……それはつまり」



 ゲンゾーさんとカラシマさんのするやり取り。

 それを横で聞いていたボクは、彼が言わんとしている事を理解した。

 自我の喪失と、他者による身体の支配。つまりは自らの意志とは別の行動を取らされるというもの。

 なのできっと勇者殺しと称される凶行を行ったのがその状態であり、自身の意志によるものではなく、黒の聖杯に取り込まれてしまった影響なのだと。


 黒の聖杯による身体の支配は主に深夜。けれど波打つように、時間によって強弱が在るのだと言う。

 今はその支配が弱まっている状態で、この機を利用しボクらに話をしようとしたそうだ。


 一瞬、ボクにはこれが自らの行いを正当化するものであるのかとも思った。

 けれどカラシマさんの纏う空気は真剣そのものだし、ボクは騎士に支えられて屋敷へ戻る彼の袖から、黒いモノが見えたのを覚えている。

 なのでたぶん、あれが黒の聖杯の影響によるものなのは間違いない。

 結局あの時に見たのは、ボクの気のせいなどではなかったようだ。



「俄には信用できないわね、それに血を抜いた理由も。黒の聖杯が血を欲しているとでも?」


「……血を欲しているのは、ヤツであり私自身でもある」


「どういう意味?」



 横から口を挟むサクラさんは、怪訝そうに首を傾げる。

 自分自身でもあるということは、勇者を襲うという行為そのものとは別で、その後はカラシマさんの意志が介在しているという事か。


 ただどうやらそれは、おそらく取り込んだというか憑依した黒の聖杯そのものの嗜好。

 ヤツは生命力の強い者、つまりは勇者の血を欲しているのだと。

 なぜそのような事がわかるかと思うも、どうやら意志は明確に感じ取れるらしい。

 そして突き動かされがままに血が得た……、つまり勇者の血を飲み干した時、黒の聖杯はカラシマさんにとある対価を与えるのだと言う。



「血を啜った後、ヤツはこれが報酬であると言わんばかりに幻を見せる」


「幻だと?」


「病に倒れた相棒を、妻を、そして幼い頃に失った我が子を。鮮明に目へ映してくるのだ、まるで生きているかの如くな……」



 苦悩するように頭を抱えるカラシマさんは、血を求める理由を口にした。

 それを聞くなり、ゲンゾーさんは悲痛な表情を浮かべる。



「だから……、ワシにも相談しなかったのか?」



 おそらく本来の彼であれば、このような状況になったら真っ先にゲンゾーさんへ相談し、場合によっては自身を討つよう告げたに違いない。

 それが勇者としての責務であるのだから。

 けれど黒の聖杯が見せる幻、カラシマさんの言うところの対価を求めているからこそ口を噤んだ。これが彼の言う自らの意志。


 以前隣国であるコルネートで、ボクとサクラさんは黒の聖杯によって、町一つに及ぶ大規模な幻覚を見せられた。

 ゲンゾーさんは半信半疑のようだけれど、そういった経験を持つこちらとしては、むしろ言葉が本当であると思える理由となっていた。

 その時のことを考えれば、人ひとりに幻を見せるのくらい訳はないはず。



「最近では、日本に残した両親や兄弟たちの姿まで見せてくるのだ。ヤツは私の願望をよく理解している」


「まさかお前は、それを見たいが為に受け入れたというのか!」


「笑いたくば笑え。王国の両翼とまで言われた私だが、その実は手の届かぬ者への未練から、同胞を殺すことすら厭わなくなったただの鬼畜だ」



 激昂するゲンゾーさん。そして平然と、自身を卑下するカラシマさん。

 共に立ち上がった両者は、ジッと互いを睨みあう。


 そうか、屋敷の私室に置いてあった木人形。あれはきっと彼にとって家族の幻を重ねるための物だったに違いない。

 例え体温や質感を伴わぬものであっても、触れられるというだけで実際に居ると感じられるのだから。

 あるいはそういった感覚も、黒の聖杯によって補われていたのかも。


 ともあれその幻を見たいが為に、彼は凶行に奔る自身の身体を捨て置いた。

 毎夜のように王都へ出没し、罪のない勇者を襲いその血を啜るという狂気の沙汰を無視してでも、手の届かぬ人たちの幻を追い求めたのだ。



「つまり唐島、お前自身にも罪があるということでいいのだな」


「そうだ、早々にお前へと伝えなかった私に、罪が無いということは決してない。どうする、私を討つか?」


「無論。それがワシの役割だからな」



 当然、彼はそれが重い罪であると認識している。

 そしてゲンゾーさんに討たれるならば本望とばかりに、武器を握ることなく両の腕を広げ、無防備な姿を晒した。

 今すぐにでも、自身を討ってくれと。


 ゲンゾーさんは迷いなく、自身の大斧を振りかざす。

 いくら操られていたとはいえ、付き合いの長い親友にこれ以上の罪を与えないために。

 たぶん公な裁きを受けさせても、碌に法への適応はできないのもあって。

 しかし無防備な姿に振り降ろされた斧の刃先は、肉へ食い込むほんの少し手前で停止、斧は下ろされ床を叩いた。



「嬢ちゃん、悪いが代わっちゃくれないか」


「……わかった。下がっていて」


「すまんな、嫌な役目を押し付ける」



 けれど結局、ゲンゾーさんには自身で手を下すことは出来そうにないようだ。

 もしも自分が親友を、例えばベリンダやオリバー、あるいはまる助を手に掛けろと言われれば、無理であるのと同じように。

 ゲンゾーさんはそれが出来ぬと理解し、サクラさんに託すことにしたようだ。


 もちろんサクラさんとて、好んでやれるはずはない。

 しかし彼よりはまだ心情的にマシと、渋い表情を浮かべながら弓を番えるのだった。



「君にも迷惑をかける。先日は申し訳ないこともしたしな」


「気にしないで、……人を殺めるのは初めてって訳でもないもの。それより本当にいいの? 死ねばもう幻も見れなくなる」


「もう十分、とまでは言わないが、これ以上長引かせたところで未練が募る。いっそ家族や親友のもとへ行くのも悪くはあるまい」


「そう……。なら向こうでその人たちと会えるよう祈っているわ」



 少しばかりのやり取りを交わす両者。

 餞別の言葉か、あるいは遺言にすら思えるカラシマさんの言葉に頷いたサクラさんは、少しばかりの迷いを経て矢を射放った。


 瞼を閉じ死を待つカラシマさんの頭蓋へ、一撃で仕留めるべく勢いよく飛ぶ矢。

 さほど広くもない部屋の中で、埃を巻き起こしながら進む強靭な矢は、カラシマさんの頭を穿つ。……はずだった。



「うそ、まさかこのタイミングで!?」



 矢を射た動作のまま硬直するサクラさんは、咄嗟の出来事に目を見開く。

 彼女の放ったはずの矢は、頭部を貫こうとする直前、カラシマさんの手によってガシリと掴まれていたからだ。

 最初に勇者殺しと遭遇した時、サクラさんの矢が防がれたのと同じように。



「奴さんが現れたようだぞ!」



 ゲンゾーさんはそう叫び、床へ下ろしたはずの大斧を再度振りかぶる。

 そして今度は迷いなく振り降ろすと、カラシマさんの脳天へ向け一撃を見舞うのだった。


 けれどその一撃は、横から薙がれた槍によって阻止される。

 ボクはそこでようやく理解した。さっきまで自我を保っていたカラシマさんは、再び黒の聖杯に支配されたのだと。

 彼の動きからは迷いなどは一切感じられない。

 ただ衝動の赴くがまま、勇者であるサクラさんとゲンゾーさんを狩らんと、槍の穂先を繰り出していく。



「どうするの、こんな場所じゃあ」


「……一時退却だ。確実に仕留めるためにも、増援を呼びたい」



 突然に、再び黒の聖杯によって支配されたカラシマさん。

 サクラさんはすぐさま対峙しようとするも、すぐさま矢を収める。

 動かない状態の相手を射るだけであればともかく、こうなっては自由の効かぬ狭い室内というのは、弓手にとって不利にしか働かない。

 ゲンゾーさんだって扱う武器は大斧。ある程度広い空間でないと、その効果を発揮することが叶わなかった。


 そこで彼は、より確実に討つための戦力を確保することも考え、撤退を口にしたようだった。

 その言葉に頷いたボクは、鞄の中に入っていた目晦ましに使えそうな薬品の小瓶を取り出し、勢いよく投げつけた。



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