妄執の人 03
上がった息をなんとか落ち着かせるべく、ボクは膝に手を着き大きく呼吸を繰り返す。
最近は鍛錬の甲斐もあってか、力などは随分と付いてきた気がするけれど、こと体力面ではまだまだ。
そうとわかっていても全力で走ったのは、廃墟となった市街を駆けるサクラさんとゲンゾーさんに置いて行かれぬように。
対峙したカラシマさんが2本持つ槍の内、ゲンゾーさんは片方を使用不能とした。
それによって形勢不利と判断したか、王都の再開発区画であるこの明り一つない中で逃走を計り、現在は追いかけっこの真っ最中。
その追いかけっこが数分間にわたって続いた結果、ボクは地域で最も大きな屋敷へと辿り着いた。
「ふ、2人はどこに……」
とはいえ勇者である彼女らに対し、ボクはあくまでも一般人。
全力で走っても追いつくはずはなく、悪い視界の中で辛うじて見えた、サクラさんの姿を捉えこの屋敷へ入ったのだ。
今もまだここに居るとは限らないけれど、とっくに見失ってしまった以上はここを探す他ない。
サクラさんがボクを抱き抱えて運んでくれれば、もっと楽に追えたろうにと、少々情けない考えをしながら屋敷の中を歩く。
幸いにもランプは手元にあるため、近い範囲であれば照らすことができた。
そのランプで照らしながら歩き見てみると、屋敷の中はガランとしていて、調度品や家財の一切合財がなくなっている。
それも当然か、前々からこの地域は再開発が決まっていたのだから。
もしくは空き家となった後、窃盗にでも遭ったのだろうかと思いながら、壁の方へとランプの明りを向ける。
しかしボクは明りの向く先を見て、跳ねる心臓に反し体の動きを止めた。
視線の先には、壁に背を預け腕を組む一人の人物。
黒いローブを纏ってはいるけれど、今はフードを被らず顔を露わとしているその人は、ボクらがまさに探している相手であった。
「か、カラシマ……、さん」
彼の姿を見るなり、無意識に名が口からこぼれる。
ボクを見るカラシマさんは壁から離れるなり、ゆったりとした歩調で近づく。
どうしよう。彼を捕らえる為に来たとはいえ、ボクでは勝ち目など万に一つもありはしない。そもそもあの人は勇者の中でも特段強い人物なのだ。
……かと言って逃げたって無駄。確実に追いつかれる。
ならば僅かでも抵抗の意志を示して時間を稼ぎ、隙を見て大声を上げサクラさんたちに気付いてもらう。これしかない。
そう考えたボクはなんとか決意を固め、震える手で武器を手にする。
けれどそんなこちらの覚悟を砕くかのように、彼は敵意を感じさせぬ声を発した。
「君一人だけかね?」
ボクはカラシマさんのした問いに、一瞬短剣を握る手が緩みかけてしまう。
ついさっきこちらと対峙した時の雰囲気とは、あまり随分違うような気がしてならなかったために。
一言も発さず冷徹に槍を振るっていたのとは一変、今は最初に会った時と同じく、穏やかさすら漂わせた雰囲気だ。
少しばかり憔悴しているようにも思えるけど、それでもボクが想像する彼の姿そのままと言っていい。
まさかこれは何かの罠だろうか。あるいは襲撃してきた勇者殺しは別人であったのか。
でも背には1本だけとなった槍を差しているし、格好だってまるで同じ物。同一人物であるのに疑いはない。
「どういうつもりですか?」
「……こっちに来るといい。こんな場所で話すよりも、せめて腰くらい下ろしたい」
その意図を問うも、カラシマさんは疲れたように大きく息を吐くと、ノソリと背を向け屋敷の奥へ歩を進めた。
いったい彼が何を考えているかなど、ボクには推し量れない。
しかし敵意めいたものは感じないし、こちらを騙そうとする理由が向こうには存在しないはずだった。
「信用しろとは言わん。どうしても不審だと思うならば、そこで源三らと合流してから来るといい」
「い、行きます!」
「こっちだ。一か所だけ、椅子が残されている部屋がある」
カラシマさんは一瞬だけ振り返ると、来るも来ないも自由であると告げる。
ただ強い好奇心と、たぶん危害は加えられないだろうという妙な確信もあって、ボクは短剣を仕舞い後に続くことにした。
ほんの少しだけ廊下を進んでいくと、他の部屋よりは若干こぢんまりとした扉が見えてくる。
そこを開いたカラシマさんが入っていくので、ボクもまた彼に続く。
唐島さんは小さな燭台へ火打ち石を向け、灯された明りによって室内がうっすらと照らされる。
するとそこには確かに、数脚ほどの古びた椅子が残されており、ある程度くつろげるようにはなっていた。
カラシマさんはその内の一脚へ荒く腰を下ろす。
薄い照明の中でも疲労の色は色濃く見えるけれど、これが激しい戦いを経てなのか、もしくは別の要因なのかすらわからない。
そんな彼へと早速、ボクは意を決し最も引っかかる件を問い掛けた。
「なんで……、どうしてあんな真似を」
何を差し置いても聞かねばならないのは、やはりこれだ。
ボクはこのよくわからない状況をこれ幸いと、彼が勇者殺しと称される凶行に出た理由を尋ねる。
長年の親友である、ゲンゾーさんですらまるで理解不能なのだ。おそらく理由を知るのは当人だけ。
「さて、いったいどうしてなのか」
「ふざけないでください! ゲンゾーさんは悩んでいます、貴方の考えがまるで理解できずに」
「アレはああ見えて生来が生真面目な男だ。私がこうであれば、思い悩むのも当然か」
ただ真剣な問いを向けるも、カラシマさんは軽く笑う。
ボクは少しだけ激昂し、ゲンゾーさんの状況を伝えると、一転し彼は少しだけシンミリとした様子を見せた。
「事情を話すのはやぶさかではない。そのためにここへ招いたのだから」
「では……」
「だがその前に、全員が席へ着いた方がいいだろうな。人数分はある、入って来るといい」
少しだけとぼけるカラシマさんだったけれど、話してくれる意志そのものはあるようだ。
けれど彼は視線だけで窓を見ると、その先に居るであろう人たちを呼ぶのだった。
「相変わらず勘の鋭いヤツだ。いつから気付いておった」
その窓からヌッと顔を出したのは、一足先に屋敷へ飛び込んだはずのゲンゾーさん。
後ろからはサクラさんも顔を覗かせており、揃ってこちらの様子を窺っているようだった。
2人は窓を開き身体を滑り込ませる。
そして睨みつけるようにカラシマさんを凝視し、警戒感を散らすことなく問うていた。
「ほぼ最初から。私の変わり様を警戒して、しばらく遠目で観察していたでしょう源三」
「ああ、気配から何からまるで違うからな。いったいどういう状況なのか、ワシにはサッパリ理解できん」
「そこも含めて、これから彼の質問に答えるところだったのですよ」
サクラさんとゲンゾーさんが来たことで、ボクは少しばかり安堵する。
カラシマさんの意図はまだわからないけれど、これでようやく話ができる前提になった気がしたため。
そこでようやく椅子に腰を下ろすと、サクラさんとゲンゾーさんも警戒は解かぬまま、少し離れた場所へ座るのだった。
「さて、何から話したものか」
「まどろっこしいのは好かんぞ。要点だけを話せ」
「貴方という人は、昔から変わらない」
自身も宣言通り腰を落ち着けているカラシマさん。
なんだか追う者と追われる者の間に流れるには、一見して妙にも思える空気だ。
けれどそんなことはお構いなしに、彼はノンビリと昔を懐かしむように穏やかな表情を浮かべていた。
……この人が勇者殺しであるというのが信じられぬほどに。
「ワシらが聞きたいのは、どうしてあんな行為に及んだのかだ。返答次第では……」
「私を斬り捨てますか?」
「お前とは無二の親友であると思っておる。だがこの王都を護る立場である以上、そうする他ない」
「至極当然な答えです。もし私が貴方の立場であれば、同じ言葉を返したと思いますよ」
「では早速話して貰おうか。どうして勇者を狙い、あのように血を奪ったのか」
問い詰めるようなゲンゾーさんの、覇気ある言葉。
それに気圧された訳ではないだろうけれど、カラシマさんはゆったりと立ち上がり少しばかり前へ進むと、纏っていたローブを脱ぎ捨てた。
そしてシャツの袖をまくり、自身の左腕を曝け出す。
いったいなんだろうかと思い凝視していると、彼の腕が小さな明りの下にあるにしても、やけに黒く見えているのに気付く。
「……なんだ、そいつは」
「我々にとって忌むべき対象、黒の聖杯ですよ」
「ど、どういう意味だ!?」
困惑するゲンゾーさんに返した内容、それは思考を一瞬停止させてしまいかねない程のものだった。
サクラさんたち勇者にとって、最大の討伐対象である黒の聖杯と呼ばれる、現象だか魔物だか。
おそらくアバスカル共和国で最初に召喚されたそれは、この大陸に厄災をもたらす存在として、多くの勇者たちに狙われるモノだった。
彼はその黒の聖杯と、自身の黒く染まった腕が同一であると言う。
ただボクには彼の言っている意味がわからず、その場はただ困惑し、相棒であるサクラさんの周辺へ視線を泳がせるばかり。
そして彼女もまた、眉をしかめその意図を計ろうとするのだった。