妄執の人 02
光の一つすらなく、ひたすら静まり返った町並み。
聞こえるのは夜行性な鳥の鳴き声と、風が吹き抜ける音くらいのもの。
そんな人の気配すら感じない、ここが王国最大の都であると信じられぬ場所は、王都の西端にひっそりと存在していた。
実際誰一人として暮らす者のないここは、国によって指定された再開発地域。
新たに住宅地として整備される予定であり、現在は全ての住民が移転を行い、工事開始を待つ状態であるとのこと。
もっともその計画は、予算不足のため昨年の半ばから止まったままらしいけれど。
「まさか王都に、こんな場所があるだなんてね」
「どのみち観光で歩くような区画じゃねぇからな。元々本当に住居しかない場所だ」
人が住まないが故に、当然のように明りが無い地域。
そこを歩く3人、ボクとサクラさんにゲンゾーさんは、手に明りすら持たず歩いていた。
小さな声で言葉を交わし、地面を踏む足音すら忍び、夜闇と同化するように進んでいく。
どうしてこんな場所へ来ているのかと言えば、ゲンゾーさんの推測に基づいて。
騎士殺害後に行方を眩ましたカラシマさんが居るとすれば、おそらくここではないかという彼の予感によってだ。
本当にここへ居るかどうかはわからない。けれど今のところ手掛かりが無い以上、藁にもすがる想いでゲンゾーさんの直感にすがった。
「ところでゲンゾーさん、本当に明りを持たないのって効果あるんですか? もし本当に居たとして、向こうには月明かりだけで十分丸見えだと思うんでけれど」
しかし歩く最中、ボクは幾度目かとなる転倒の危機に晒される。
もしカラシマさんがここに居たとすれば、こちらの姿を見るなり逃走を図ると考えたため、ランプは携行していても使用してはいなかった。
けれどこれではいつか必ずボクは痛い思いをするし、たぶん勇者であれば明りなどなくても普通に見えてしまうはず。
それにたぶん、小さな話し声だって聞こえてしまうに違いない。
我慢できずそこを突っ込んでしまうと、しばしの沈黙を経て、ゲンゾーさんは気まずそうに肯定するのだった。
「実はワシも同じ事を思い始めてな……」
「……では点けますよ」
「考えてもみれば、ワシがこうして見えているのだから、あやつも同じ条件なのだな」
今の今まで気付いていなかったのか、しまったとばかりに肩を落とすゲンゾーさん。
ソッと隣を見上げてみれば、いつ言おうか迷っていたであろう、サクラさんの微妙な表情が浮かんでいた。
ボクはようやくこの不便から解放されると、鞄からランプを取り出し火を灯す。
小さな明りが周囲を照らし、なんとか問題なく歩ける程度に足元を照らされたことで、ホッと胸を撫で下ろした。
ただ考えてもみれば、普段のゲンゾーさんであれば、こんなウッカリなどせず最初からランプを点けていたはず。
そうでなくても、今の言葉へ笑いながら返してきたのではないか。
「やっぱり、相当に参ってるみたいね」
「ですね……。それだけ衝撃が大きかったんだと思います」
サクラさんは前を歩くゲンゾーさんを見据えながら呟く。
ゲンゾーさんも本心では、カラシマさんが勇者殺しであると否定したいはず。
でもアレを見てしまったことで、彼はなけなしの希望を捨てざるを得なかったに違いない。
カラシマさんの私室で、壁に穿たれていた大きな亀裂。そこに見つけた、墨で染め抜かれたような壁。
あの後もう少しだけ調べようと、ボクは壁の黒く染まったその個所をナイフで削り、回収しようと試みた。
けれどそれをする直前、掻き消えるように色が抜けてしまい、本来の白壁へと戻ってしまったのだ。
こんな現象が起きるとすれば、ボクには心当たりが一つしか存在しない。
サクラさんとゲンゾーさん、2人とも揃って一致した見解は、これが"黒の聖杯"というある種の魔物に相当する現象によるものであるというもの。
それがカラシマさんの件と、どう繋がるのかはいまだ不明。けれど彼があのような凶行に出たのと、無関係ではないはずだった。
「しっかりとせねばな。いつヤツが現れるとも知れんのだ、こうしている間にもすぐ近くに――」
自身の頬を叩き気合を入れ直すゲンゾーさん。
この中で最も強いのは彼であるし、年長者や人を率いる立場というのもあって、動揺している場合ではないと考えたようだ。
ただゲンゾーさんは自身の言葉を言い終えることなく中断し、通りの中ほどで立ち止まる。
「どうしました?」
「ワシの勘は当たっていたようだ。来るぞ!」
立ち止まった彼の姿に、猛烈な悪い予感が背筋を奔る。
半ば無意識のうちに理由を問うてしまうのだけれど、直後にゲンゾーさんからは、予期していた嫌な言葉が吐き出されるのだった。
ボクはその言葉に反応し、すぐさま自身の鞄を開く。
隣を歩いていたサクラさんも弓を構え、ゲンゾーさんもまた愛用の戦斧を構え迎え撃つ体勢に。
そこから間髪入れず、彼は轟音響かせんばかりに大きく斧を振り回した。
鋭く、激しく呻る戦斧。
ボクにはその強靭な刃が、暗闇を切り裂くように見えた。けれど発生したのは、鈍い金属同士の打ち合う音と黄色い火花。
僅かに明るさを持ったそれは、暗闇の中に潜むその人を一瞬だけうっすら浮かび上がらせた。
「お前たちは下がれ! やる事はわかっておるな」
「当然。クルス君、後ろで援護するわよ」
襲撃者、つまりは顔こそ見えていないけれどカラシマさん相手に、武器を交えながら指示を飛ばすゲンゾーさん。
一方のサクラさんもその意図をすぐさま理解し、ボクの腕を掴むと少しばかり距離を取った。
突然の襲撃にも動じぬ勇者2人に流されるように、ボクも戦いの準備を進めていく。
役割としてはゲンゾーさんが前衛。サクラさんが後ろから矢で、そしてボクは機があれば薬品を投擲して援護だ。
なのでやる内容そのものは、前回遭遇した時と同じ。
「とはいえ速いわね……。ああ、もう。狙いを付けるだけでも精一杯だってのに!」
早速援護として矢を射るサクラさん。
ただカラシマさんもだけれど、ずんぐりとした体形であるはずのゲンゾーさんにしても、やはり最上位の勇者らしく動きが非常に俊敏。
スキルの効果もあってほぼ百発百中なサクラさんだが、縦横無尽に動く対象は捉え難いようだ。
それに互いに接近し斬り合っているため、とことん狙いが付け辛い状況となっていた。
なんとか矢で狙い撃っても、今度は武器によって弾かれてしまう。
ランプの明りでうっすらと浮かび上がるカラシマさんを見れば、持っている武器が2本の大きな槍であるのに気付く。
前回使っていた短剣とは異なり、今回のはおそらく愛用の代物。
葬送の死神というシャレ交じりな二つ名の元にもなったそれで、迫る矢をアッサリ切り払ってしまうのだ。
けれどこれによって、彼の正体が白日の下に晒されたと言っていい。
「でも隙を作る役には立つはずです」
「そうね。おっさんが一撃でも与えられれば……」
サクラさんの放つ矢そのもので傷を負わせられなくとも、ゲンゾーさんが攻撃する隙を生み出すことは可能かもしれない。
そう考えサクラさんは矢を射るのだけれど、立ち回りの上手さからか、易々と隙は与えてくれそうになかった。
それにゲンゾーさんとカラシマさんは、王国で双璧を成すと言われるだけあって実力的には伯仲している。
けれど前に聞いたように、相性と言う面ではカラシマさんに分があるらしい。
聞いた話によれば、真正面から打ち合うのを得意とするゲンゾーさんに対し、カラシマさんはからめ手を得意としている。
なのでゲンゾーさんにとって少々苦手、というよりもまさに天敵と言って過言ではないそうだった。
とはいえそこを埋めるのは、近年の戦闘頻度による差だろうか。
騎士団内で事務方に近い立ち位置のカラシマさんに対し、ゲンゾーさんは度々第一線へ出ている現役だ。
「小僧、なんでもいいから手を貸さんか!」
「そんなことを言われましても……」
その優位性を生かしほぼ互角となったゲンゾーさんは、一瞥をくれることなくボクも援護に参加するよう促す。
サクラさんの矢は、それなりに戦いの一助となっているのは疑う余地もない。
しかし問題はボクの方だ。持っている薬品の数々は、強靭な肉体を持つ勇者に対し効果が薄い。
勇者の中でも更に上であるカラシマさんに対し通用しないのは、先日深夜に遭遇した時に骨身に沁みていた。
とはいえこのまま、自分自身を置物と化すのも口惜しい。
ボクは何か良い物はないかと鞄を探り、数枚の紙片が納められた小瓶と、砂状の物が入った瓶を手にし投げ放った。
「ゲンゾーさん、目を閉じて!」
ボクはそれを投げるなり、ゲンゾーさんに咄嗟の対処を告げる。
直後先に地面へ落ちた瓶からは、軽く小さな砂が舞うように零れ、僅かな月明かりを受けてキラキラと輝き漂う。
そこへ空気に触れると発火する作用を持つ薬品が沁みた紙片の瓶が割れ、すかさず炎を撒き散らした。
と同時に待っていた砂粒に引火、視界の一切を奪いかねない光が、廃墟となった市街を真っ白に照らす。
とはいえそれはボクの頭の中にある光景。実際にはその直前、自身も目を強く閉じている。
でも間違いなく、そういった光景が繰り広げられるはず。
撒いた砂は、カルテリオ付近の海岸から採取した砂を、お師匠様直伝の薬品に数日間浸した物
火に触れることで表面の薬剤が燃焼し、強い光を放つという性質だ。
けれどこれそのものには威力などなく、ほぼ目晦まし程度の効果に過ぎない。なので用途は主に魔物の撃退用。
当然こんな物が、彼に対し通用するとは思えない。
けれどボクが所有する最も強力な薬品は、それこそ勇者ですらアッサリ死へと至らしめかねず、こんな接近戦で使えるような代物ではなかった。
「よくやったぞ坊主!」
ボクが目を開けようとした頃、ゲンゾーさんの叫びが聞こえる。
開けてみると、彼は丁度自身愛用の巨大な戦斧を振り、カラシマさんの持つ槍の一本を砕いたところだった。
どうやらボクのした目晦まし、一応の成果は出てくれたようだ。
しかしそれによってか、向こうは形勢不利と判断。
懐に仕込んでいたナイフの数本を投げつけ牽制すると、踵を返し夜闇の中へ走るのだった。
「待たぬか唐島!!」
そんな彼の後姿を、ゲンゾーさんは必死に追いかける。
旧友に起きた事態を知るべく、凶行を止めるべく、強く地面を蹴って同じく闇の中へ飛び込んでいく。
サクラさんもまた彼らを追って、自身の大弓を背に負って走る。
ボクはそんなサクラさんたちの迷いない動きに慌てつつ、ランプを拾い直すと意を決し、廃墟へと恐る恐る足を踏み出すのだった。