血洗いの園 07
石畳に身体を打ち付け、転がる事で皮膚を裂く。
猛烈な衝撃と痛みに襲われるボクだが、それら一切を無視してなんとか顔を上げた。
そこで視界に映ったのは、短剣から細かな火花を散らし、暗闇から伸びる刃を打ち払うサクラさんの姿。
次々と襲い掛かる銀光はサクラさんへ、そしてコーイチロウへと襲い掛かる。
彼女らは自身の持つ武器で何とかそれを防ぎつつ距離を取ると、揃ってボクのすぐ近くへと立った。
「大丈夫クルス君。ゴメン、咄嗟だったから」
短剣から急ぎ大弓へ持ち替え、サクラさんは視線を向けることもなく告げる。
どうやらさっき吹き飛ばされたのは、彼女によって体当たりをかまされたからのようだ。
身体中が痛みを覚えるけれど、実際それで助かったのは事実。
たぶん一番弱いボクが真っ先に狙われ、反射的にサクラさんによって守られたのだ。
突如として襲い掛かってきた、"勇者殺し"の凶刃から。
「悪いけど、後衛は私に任せてもらうわよ。本来短剣は門外漢なのよね」
「わかってるっつーの。俺だって伊達で勇者やってんじゃねぇ」
勇者殺しはフラリと、夜闇の中からその姿を露わとする。
ただやはり昨夜と同じく、全身へローブを纏っているせいで、顔や詳しい体形などは窺い知れない。
昨夜カラシマさんが与えたという傷も見当たらないので、ご丁寧に新品のローブへ着替えて来たのかも。
そんな勇者殺しを凝視しながら、サクラさんとコーイチロウは即座に役割分担を行った。
自身の得意分野、つまりサクラさんは後ろで弓を、コーイチロウは前で小剣を使うというもの。
下手をすれば王国内でも5指に入るかもしれない敵だ、最大限の力を発揮しなければ、こちらがやられてしまう。
「クルス君、君にも少し身体を張ってもらうわよ」
「ち、ちゃんと守ってくださいね。サクラさんが抜かれたら、ボクなんて一撃なんですから」
「……善処してみる」
ボクは緊張に息をのみながら、鞄の口を開く。
視線の先にはぬらりと輝く短剣を手にし、命を刈り取らんと小さく歩を進める勇者殺しの姿。
勇者ですら苦戦する相手、一般人に毛が生えた程度な召喚士では、速攻で切り伏せられるのがオチ。
なのでコーイチロウとサクラさんが突破されればボクは終わり。
そんな強い緊張感に晒されながら、鞄の中にある幾つかの薬品へ触れる。
ただそれを取り出す間もなく、勇者殺しは地面を蹴ると、一気にコーイチロウとの距離を詰めた。
流れる短剣の動きはボクの目で捉えられない。しかしコーイチロウはなんとかそれが見えたのか、辛うじてその一撃を受け止める。
「援護して!」
切り結ぶも元の膂力が違うのだろうか、容易に押されてしまうコーイチロウ。
そんな彼を援護するべく、サクラさんは矢を射放ちながら叫ぶ。
サクラさんは瞬時に悟ったようだ、勇者2人だけではこの勇者殺しに対抗するのは難しいと。
「息を止めてください!」
ボクはその言葉に反応し、お師匠様直伝の痺れ薬を取り出す。
そして吸い込まぬよう注意だけを発すると、迷うことなくコーイチロウの足元へ投げつけた。
回転し飛ぶ瓶が石畳の地面に落ち、軽い音を立てて割れる。
と同時に中に入っていた粉末が撒き散らされ、路地に流れる空気に乗って撒き散らされていく。
一方コーイチロウは口元を押さえながら、小剣を勇者殺しへ振っていた。
「効いてないわね……。やっぱり勇者には効果が薄いのかしら」
「少し後退しましょう。逆にボクが吸ってしまいそうです」
「そいつは困る。でも一応他のも試して頂戴」
しかし痺れ薬を吸い込んだはずの勇者殺しは、まるで意に介さずコーイチロウへ短剣を向け続けていた。
普通の人間であれば、とっくに身体の自由を失っているような量。
これまで試した事が無いのだけれど、案外サクラさんの言うように、勇者はこういった面でも耐性が強いのかもしれない。
となればもっと強力な薬を使う必要がありそうだ。
鞄の中からもっと強い薬品を探りながら、ボクらは路地の中を少しばかり後退していく。
その間もサクラさんの矢を切り落とし、コーイチロウの牽制を回避しながら追ってくる勇者殺しは、背筋を寒くするような圧力を発していた。
せめてもう何人か加勢が欲しいと思うも、南の地区に居るゲンゾーさんには助けを求められないし、東側に居るカラシマさんはもっと遠い。
「ほどほどのところで撤退しては!? たぶんもう今夜は大人しくするでしょうし」
「根拠に乏しい気がするけれど、なかなか魅力的な提案ね! このままだとジリ貧だものね……」
幾つ目かの薬品を投げつけたところで、ボクは遂に撤退を口にする。
他の種類やより効果の高い薬品を試してみたけれど、どれも勇者殺しには通じている気がしない。
より強力な薬品も持ってはいるが、そいつは流石に市街地で使う訳にはいかない代物だった。
とはいえサクラさんとコーイチロウは、……いやボク自身もか、勇者殺しが易々と逃がしてくれないと理解している。
昨夜カラシマさんを相手に逃げ出したというのは、彼がそうさせるだけの実力を持っていたから。
「なら撤退してもらう理由を作るしかないわね」
「でもいったいどうやって。人を呼ぶにもどこに勇者たちが居るか……」
「探す必要なんてないわよ。来てもらえばいいんだから」
ならばどのように逃走を計ろうかと、少しずつ移動しながら思案する。
ただサクラさんはそう口にするなり、ボクの鞄へと手を突っ込み、一つの代物を引っ張り出した。
ゴツゴツとした、乾燥している固い木の実。
濡らすことで膨張し、強い破裂音を発生させることで魔物を追い払うというそれ。
とはいえ流石に勇者殺し相手には効果が無いと考え、ここまで使おうとしていなかったそいつを、サクラさんは近くにあった公衆の水場へ浸した。
すかさず彼女は、それを勇者殺しにではなく上空高くへ投げた。
勢いよく暗い空へ飛ぶそれは、少しして落下しながら破裂、轟音とも言える破裂音を夜闇へ響かせる。
するとサクラさんは勇者殺しへ向き直り指差すと、堂々たる様子で語りかけるのだった。
「ここまで見てきた限り、異常性に反してあなたがちゃんと思考を持ってるのはわかる。だから一つ提案、ここは大人しく引いてくれない?」
「……」
「なんであなたが勇者を襲うのか、血を奪っているのかは知らない。けれどそれをしている間に、間違いなく加勢が来る。もし私たちを仕留めたとしても、少なくともそれをしている暇は無いはずよ」
サクラさんは努めて冷静な声で、勇者殺しへ一時の撤退を勧めた。
確かに勇者殺しが見せた戦い方などは、冷静さや経験に基づいた計算を感じさせた。
それにおそらくだけれど、勇者殺しが使っている短剣、あれは本来あいつが使い慣れている武器ではない。
であるにも関わらず、こちらを危機的なまでに追いこんでいる。
なのでサクラさんが言うように、勇者殺しはその異常性に反し、思考そのものは冷静であるに違いなかった。
「さあ、どうする? あまり悩む時間はないわよ」
グッと、サクラさんは一歩前へ出る。
それが功を奏したかどうかはわからない。けれど思いのほか強気なサクラさんへ反応するように、勇者殺しは軽くステップを踏んで飛び退るのだった。
夜闇の中へと再び消えていく勇者殺し。ボクらはしばし、静まり返った路地で息を呑む。
そこから少しして、さっきの破裂音を聞きつけてくれたか、騎士たちの鎧を鳴らす音がガシャガシャと市街に響いた。
大勢の人間が近づくその音に、誰からともなく深い息を吐く。
「い、生き残れたんです……、よね?」
「だと思うぞ。俺もまだ自信はないが……」
地面へとへたり込んだボク。それに民家の壁へ身体を預け脱力するコーイチロウ。
危機を脱した実感を再確認するように、揃って疑問を口にし合う。
それにしても、想像以上の難敵だった。
昨夜見せた実力は、まさに勇者殺しの片鱗に過ぎぬものだったようで、たぶん準備もなしに戦えば速攻で命を落としていたはず。
サクラさんも辛うじて繋いだ命を実感するように、胸に手を当て深く呼吸をしていた。
「君たち、無事かね!?」
張り詰めた精神をようやく弛緩させたところで、金属の音を鳴らし騎士たちが到着。
一団を率いていた壮年の騎士は、脱力するボクらの姿を見るなり、怪我がないかと心配の声を上げていた。
ボクらはその彼に、勇者殺しと遭遇したと告げる。
するとこちらの労をねぎらうと同時に、詳しい話が聞きたいと返すので、コーイチロウが騎士団の詰所へ行き経緯を話す事にした。
もっとも彼は抜け目がないようで、少しばかりの酒を要求していたのだけれど。
その場を調べる騎士たちを残し、ボクらはひとまず路地から出る。
広い夜空の下に出ると、周囲の民家からは小さなざわめきが漏れており、今しがた起きた騒動によって多くの住民たちが動揺している様子が知れた。
「結局当たりましたね、サクラさんの"直感"」
「嫌味ばかり一丁前になって。労いの言葉を先に欲しいところなんだけど」
「でしたら根拠くらい聞かせて下さいよ。そうしたら限界まで誠意を込めて言ってあげますから」
星空を見上げながら、ボクは少しばかり棘のある言葉を発する。
案の定それはサクラさんから溜息を引き出すのだけれど、今回はこれで引き下がるつもりなどない。
あえて当初の予定とは異なる西側の地区を選び、本当にそこへ勇者殺しが出現した。
サクラさんが何か手がかりを見つけているのは確かで、ボクは相棒としてそこを聞いておく必要があると考えたために。
「わかったって。でも前もって言っておくけど、明確な根拠じゃないからね?」
追及を逃れられないと判断したか、肩を落とすサクラさん。
彼女は自身の予測が、まだ想像の域を越えないと前置くと、耳打ちするように話す。
ボクは耳元で声を発する彼女に、つい胸が高鳴ってしまう。
しかしサクラさんの告げたその想像は、ボクにとって到底信じられぬものであり、別の意味で動機を激しくするものだったのだ。