血洗いの園 05
肌へと張り付く冷気の中を飛ぶ小鳥が、小さな鳴き声で朝の訪れを告げる。
ボクとサクラさんは澄んだ空気と薄い靄の中、細い裏通りを歩きながら大きく欠伸をした。
結局昨夜は"勇者殺し"を取り逃がし、正体を掴む切欠すら得られず散々な有様。
ただ襲われていた勇者は辛うじて命を繋ぎ、現在は王都にある最も大きな医院で、集中治療の真っ最中。
もっともまだ予断を許さず、どうなるかは断言できないようだけれど。
「囮の続きは、また明日以降ですか」
「明日っていうか、今日の夜ね。でも囮としての役目は期待薄かも」
「姿を見られちゃいましたからね……。こっちからは見えなかったですけど、向こうはボクらの顔を覚えたでしょうし」
何度となく欠伸を繰り返しつつ、愚痴めいた言葉を溢す。
なにせ囮としての役割を担うはずなのに、たぶん囮としての価値を早々に失ってしまったのだ。
これまで狩ってきた勇者たちよりも、サクラさんがより強いというのは向こうにもわかったはず。
だとするともう、夜中に出歩いても襲ってきたりはしないかも。
ではいったいどうしたものかと、ボクは思案しながら宿への帰路に着く。
しかしサクラさんもまた夜通し動き回っていたのに加え、騎士団を呼ぶため全速力で走っていたせいか、随分と疲労の色が濃い。
そろそろ町中に露天が出る頃だし、労いも兼ねて甘い物でも買って帰ろうかと考えていると、路地奥の小さな広場が前方に見えてきた。
「帰る前に小休止していきませんか。何か適当に食べる物でも買ってきますし」
「戻ってすぐ寝た方が良さそうだけど……。でも宿まで遠いし、それも悪くないか」
確かに宿へ戻ってそこでしっかり朝食を摂り、柔らかなベッドで眠る方がずっと回復する。
けれど安全性を考え王都の中心部に宿を取ってしまったため、戻るのが少々手間なのだ。
サクラさんはその距離を考えゲンナリすると、ボクの提案を受け入れこの広場で休憩を取ることにした。
ボクは広場に出ると、早速露天を探すべく適当な道へへ入ろうとする。
けれどその前に視界へ飛び込んできた人影に、ハッとし足を止めるのだった。
「あれは……」
「どうかした? って、唐島さんじゃない。なんでこんな場所に」
広場の片隅に居たのは、つい先日ゲンゾーさんの紹介で会ったばかりのカラシマさん。
王国最強と呼ばれる勇者の片翼である彼は、広場の隅に設置された公衆水場で、顔に水を浴びていたところだった。
彼もまた夜通し警戒に当たっていたためか、眠気を覚ますためこうして顔を洗っているのかもしれない。
騎士団において別の役割もあるというのに、大変なものだとは思う。
そんな彼の近くへ移動したサクラさんは、カラシマさんに挨拶をする。
「ああ、君たちか。今帰りかね」
「ついさっき騎士団の詰所から解放されたばかりです。お互い苦労が絶えませんね」
振り向いたカラシマさんは、手にした布で顔を拭いつつ笑顔を向ける。
彼の表情からも若干だけど疲労が窺える。やはりカラシマさんもまた、夜の間中勇者殺しを追っていたようだ。
ただサクラさんはそんな彼を見て、一瞬だけ怪訝そうな表情をしスッとカラシマさんを指さす。
いったいどうしたのだろうと思うも、それは彼の着ている上着の一点を示しているようだ。
見れば彼の黒い上着には、あまり目立たないが小さな染みが。おそらく血によるもの。
「これかい? なに、返り血を浴びてしまってね」
「返り血ですか……。もしかしてそちらも」
「ああ、私もヤツに遭遇したんだよ。しかし恥ずかしいことに取り逃がしてしまってね」
勇者殺しと出くわしたのは、ボクらだけではなかったようだ。
カラシマさんもまたヤツと遭遇し対峙したそうだけれど、例の逃げ足の速さで見失ってしまったのだと。
上着に付いている血は、彼自身の物ではなく勇者殺しへ与えた小さな傷による物らしい。
カラシマさんは勇者殺しを逃がしてしまったと恥じながら、上着を脱ぎその血を水で濡らした。
彼はゲンゾーさんと並び、シグレシア王国で最高位に位置する勇者。
そんなカラシマさんが捕まえ損なってしまうような存在となれば、間違いなくこの世界へ召喚された勇者。
やはり、一筋縄ではいかないようだ。
ボクはグッと拳に力を込め、正体の不明な存在への警戒に緊張を高める。
ただ横に居るサクラさんを見てみれば、どういう訳か血を水で落としているカラシマさんを、どこか怪訝そうな視線で眺めているのだった。
「ところで君たちは、今夜も勇者殺しを探しに出るのだろう? どの区域を周るつもりだい」
「えっと、次は北部の重点的に周ろうかなと。続けて同じ場所には出ないと思いますし」
サクラさんの妙な視線に気付いているのか否か、カラシマさんは洗った顔に微笑を浮かべ、ボクらに今夜見回りを行う場所を問う。
昨夜勇者殺しが現れたのは、王都の南側に位置する職人街。
連日同じ場所に出没するとは考え辛い。なにせカラシマさんみたいに強力な勇者と遭遇したのだから。
そこで今度は都市の反対側、北に在る住宅地の多い地区を周るという予定を口にする。
「そうか……。気を付けるといい、もし遭遇しても無理はしないように。可能な限り応援を呼ぶんだ」
彼はそう忠告を口にすると、濡らした上着を小脇に抱え立ち去ろうとする。
おそらくこのまま一旦戻って仮眠を取り、そこから騎士団の仕事を片付けた後、再び夜の街を警戒に歩くに違いない。
「私は東側を見回る予定だ。ではまたな」
カラシマさんは振り返ることなくそう告げ、路地の角へと姿を消していく。
とんでもない労に、ボクは自然と頭を深く下げて見送っていた。
その彼が見えなくなったところで、ボクらは広場から大通りに向けて歩を進める。
何か軽く朝食でも買おうと思っていたけれど、カラシマさんとのやりとりによって、少しばかり眠気が覚めたためだった。
ただ人通りの少ない路地を歩いていると、サクラさんが急に歩を止めるのに気付く。
どうしたのだろうと振り返って窺うと、彼女は小さな声で呟くのだった。
「東側……、ね」
「カラシマさんのことです?」
「ええ。どうしてあんな事を言って去ったのかなって」
「たぶん万が一の時には、助けを求めてきなさいって意味では?」
最後にカラシマさんが告げたのは、おそらくそういった意図があって。
なにせ彼ですら取り逃がした強者だ、サクラさんでも対処するのは難しいと踏んで。
もっとも王都北部と東部ではかなりの距離があるため、仮に助力を求めに行ったとしても、戻ってくる頃には勇者殺しも姿を消しているだろうけれど。
もしくは戦力に不安があるなら、同じく東側に来いという意味かもしれない。
「本当にそうなのかしらね……」
ただサクラさんは、ボクとは異なる印象を受けたのかもしれない。
再び歩を進めながらも、なんだか難しい表情を浮かべていた。
「……でもたぶん気のせいね。神経質になってるだけかも」
「今日の見回りはお休みさせてもらいますか? 囮としての役割はもう果たせそうもありませんし」
「大丈夫よ。少し休めば体力の方は回復するし、ほとんどの勇者が外に出ようとしないんだもの、私たちが協力しないと」
苦笑し首を振るサクラさんは、抱いたものが気のせいであると結論付け、自分たちがやらなければと口にした。
最初こそ面倒臭がっていたけれど、今はこの事態を解決するのが優先と考えているようだ。
単純にこれを解決すれば、当面またノンビリできるだけの額が転がり込むかもしれないという、打算もあるとは思うけど。
彼女がいったい何に引っかかっていたのか、それはボクにはよくわからない。
けれど大抵サクラさんがこういった反応を示した場合、なにかがあるという場合が多いような気がする。
なので案外カラシマさんも、さっきの発言には別の意図するものがあったのかも。
そんな内容を話しながら、ボクとサクラさんは王都内を走る交通機関へと乗り込む。
世にも珍しい、温厚な魔物を使役して動かしているそれに乗って、宿がある王城周辺の区画へと近づいていく。
視界に大きな宿の姿が見え、ようやくベッドで休めるかと思い気を抜きかけるボクなのだけれど、脱力するのはまだ早いとばかりに降りかかる声。
「おお、ようやく戻ってきたか。聞いたぞ、災難だったようだな!」
宿へ入ろうとするボクらを呼び止めたのは、快活な声と表情をしたゲンゾーさんだ。
彼もまた徹夜明けであろうに、こちらと違って随分活力に溢れている。
つい最近あれだけ疲労困憊そうだったのに、ボクらやカラシマさんが加勢に入ったおかげか、それなりに休息を摂れるようになったのかもしれない。
「災難って……。確かに肝は冷やしたけれど、そもそも私たちはそういう役目じゃないの」
「すまんすまん、そうだったな。ついさっき騎士連中から、お前らが早速勇者殺しに遭遇したと聞いてな」
カラカラと笑うゲンゾーさんと、肩を落とすサクラさん。
毎度の光景ではあるけれど、ボクは少しばかり緊張し周囲を見渡してしまう。
勇者殺しの存在は公然と知られているけれど、ヤツが襲った勇者の血が抜かれているというのは、まだ知らされていない内容。
そのことに話が及んでは、大事であると考えたために。
ただ周囲にはあまり人の姿もなく、2人もそこまで突っ込んだ話はしないらしい。
ボクがホッと胸を撫で下ろしたところで、サクラさんは自身の言葉で思い出したのか、ついさっきの出来事を口にした。
「肝を冷やすと言えば、さっき唐島さんと会ったわよ。あの人も南側の見回りに出ていたのね」
「……唐島のヤツがか?」
「向こうは成果なしで逃げられた私たちと違って、多少の手傷を負わせたみたいだけど」
偶然に出くわしたカラシマさんについてを告げるサクラさん。
しかし彼女の告げた内容に、ゲンゾーさんは怪訝そうにする。まさに先ほど市街の広場で、サクラさんがしていたように。
「はて、ヤツの受け持ちは南だったか……」
「なによ、さては物覚えが悪くなった?」
「寄る年波には勝てんよ、最近どうにも記憶力が……。って余計なお世話だ!」
ただ案外これは本当に、ゲンゾーさんの記憶違いであったのかもしれない。
彼はサクラさんとのやり取りを経て、カラカラと笑うのだった。
「とりあえず、お前さんらも夜まで休むといい。今夜ワシは王都の南側を見回る予定だ、お前さんらはそこ以外の区域を頼んだぞ」
「了解了解。もし勇者殺しに出くわしても無茶しないでよ、傷だらけの老体を見るのは耐え難いもの」
「抜かせ小娘」
2人は軽口を叩き合いながら、背を向け別れる。
軽く頭を下げたボクはサクラさんに続いて宿に入ると、ひとまず朝食を摂るべく食堂へ。
奥まった場所の一角を確保して腰を下ろし、宿の人に朝食とほんの少しだけのお酒を頼む。
「ゲンゾーさんが王都の南で、カラシマさんは東。で、ボクらは北側ですか。西側が空きますけれど、上手くバラけましたね」
「そっちは騎士団に任せるとしましょ。私たちは予定通り北を――」
数人の宿泊客が居る食堂。そこで声を潜め、今夜の予定についてを話す。
なのだけれどサクラさんはふと言葉を止めると、なにかを思案するような素振りを見せた。
そしてどういう訳だろうか、唐突に自身の言葉を打ち消す。
「……いいえ、やっぱり西を見回るわよクルス君」
「どうしたんですか、急に」
「ちょっとした勘ね。構わないでしょ、あの2人と被らないのには違いないんだから」
なんだか含みすら感じる、サクラさんの穏やかな笑み。
彼女の向けてくるそれに、ボクは少しばかり嫌な感じを受けながらも、否定する理由がなく頷き返すのだった。