血洗いの園 04
まだ深夜と呼ぶには少々早い王都の夜。
だというのに王都市街の中心を貫く大通りは、まるで音という音を砕いたかのように静まり返っていた。
ボクとサクラさんは揃ってそこを歩き、極力平静を装う。
「本当に誰も居ませんね。人っ子一人として」
「流石に酒と命だと、命の方が大事だもの。狙われるのが確実に勇者だけとは限らないんだし」
普段であれば、多くの酔客たちによって騒がしい一角だ。
けれどこうも皆潜むように静かであるのは、言うまでもなく現在王都へ現れているという、"勇者殺し"のせい。
おそらくその姿を見たのは、殺された勇者たちくらいのもの。
けれどまだ見ぬその姿を想像する住民たちの頭には、それこそ化け物の如き姿が映っており、余計に恐怖感を増していた。
当然、こんな状況で酒を呑みに出る者などなく、酒場のほとんどは閑古鳥どころか店を閉めてしまっている。
「間違いなく目立ちますよね、今のボクらって」
「囮としては最大の効果だと思うわよ。もっとも見る人間がほとんど居ないけどさ」
誰も居ない大通りを歩きながら、ボクは極力周囲を窺わぬよう前を向きながら呟く。
つい昨日ゲンゾーさんから頼まれた役割、それが今まさに行っている夜歩き。
つまりは結局のところ、彼が頼みたかったのは囮役だ。勇者殺しの目を惹き、現れるよう促すという。
確かに子供でも理解できる内容。もっとも子供でも出来るとは言っていないのだけれど。
「目立つのは構わない。ただ問題があるとすれば、姿を現したそいつに勝てるかって点ね……」
「もしかして自信が無いんですか? これはまた珍しい」
「私だって無条件で自信満々なんじゃないわよ。会ったことが無いだけで、もっと強い人は他にも大勢居る。例えばおっさんなんて私よりずっと実力者だし、唐島さんもそうね」
そんな状況に、さしものサクラさんも若干弱気だ。
王都に住む勇者と比較しても、たぶん彼女は相当に強い部類に入るのだとは思う。
けれど殺された勇者たちだって、それなりに場数を踏んだ歴戦の猛者。そんな相手を易々と殺せるなんて、確かに気の抜ける相手ではない。
ゲンゾーさんはこれまで、5度黒の聖杯破壊に成功している。対してカラシマさんは4つと、現在のサクラさんと同じ。
ただあの2人が直接対峙すれば、ゲンゾーさん曰く7割方カラシマさんが勝つらしい。
それは実力が上というよりも、単純に戦法というか戦い方の相性が悪いためだそうであった。
どちらにせよそんな2人を前にし、サクラさんは世の広さを再認識したのだと呟く。
「なんにせよ、もし遭遇して勝てそうになかったら逃げる。こればかりはどうしようもないもの」
「強敵に打ち勝つ姿を見れるかと期待はしているんですが」
「そんなことを言われても無理なものは無理よ。私は吟遊詩人の唄に出てくる英雄じゃない、根が臆病だし――」
夜闇の中をゆっくりと歩きながら、サクラさんは万が一の事態についてを口にする。
おそらく勝てないと踏んだ時には、たぶん彼女はまずボクを逃がそうとするはず。
サクラさんの近くで手を貸したいとは思うも、実際のところボクに出来ることと言ったら、素早く逃げ出し彼女の負担を軽くするくらい。
ならばみっともない姿を晒してでも、精々上手く逃げてみせよう。
そう考えるのだけれど、冗談めかして了解を返そうとした矢先だ、唐突にサクラさんの言葉を遮るように、男の悲鳴が夜の市街に響いたのは。
「こっちを狙ってはくれなかったみたいね。行くわよクルス君!」
サクラさんはそう告げるなり、ボクを抱えて大きく跳躍する。
通りに沿って建つ家々の屋根を伝って走り、声が聞こえた方向へと一目散。
都市内に在る職人街の方向へと、一直線に向かうのだった。
これまで勇者殺しは、相手が複数であろうと構わず襲い掛かっていた。
なのでこうして一緒に目立つようひと気のない場所を歩いていたのだけれど、逆にそれが勇者殺しを警戒させたのかも。
「……見えた。クルス君、途中で下すから援護を」
「は、はい!」
飛ぶように走るサクラさんの腕の中、ボクは彼女の声に反応し進む先を見る。
その先へ見える道の上に小さな明りが灯っており、薄らと人が倒れている姿が。
ただよくよく見れば、倒れている人間の上に何かが覆い被さっているのに気付く。
真っ黒な影。たぶん全身にローブか何かを纏うそいつは、まさに倒れている勇者を捕食しているかのように見えた。
その姿を捉えたサクラさんは、ボクを間近の建物の上へと下ろす。
自身はそのまま止まることなく飛び降り、落下しながらも構えた大弓から、鋭く矢を射放つのだった。
警告すらなく射られたそれは、猛烈な勢いで影へと迫る。
けれど矢が影に突き刺さる直前、それは突如としてその勢いを急停止させた。影の伸ばした手によって、掴まれたためだ。
「そんな……!?」
ローブから伸び矢を掴んでいる手は、まさに人のもの。
これまでもサクラさんの矢を避けた存在や、食らっても大きな傷を負わなかった魔物は居る。
他にも触手で絡め取って落とした魔物も居たが、人の手で掴み取った相手は初めてだ。
「確かに、こいつは確かに化け物かもね。……とりあえず聞いておくけれど、アナタって何者? どうしてこんな真似を?」
矢を防がれたサクラさんは、少しばかりの困惑を露わとする。
けれどすぐさま気を取り直し、倒れた男の側で立ち上がったそいつに対し声を掛ける。
しかしヤツは直立したままで微動だにしない。
地面に落ちたランプの明りで照らされるも、目深に被ったフードの下は暗く、顔すら碌に窺えなかった。
いったい何を考えているのか。得体の知れぬ薄気味悪さに、ボクは屋根の上から静かに状況を見守る事しか出来ない。
「ま、答えてくれるとは思っていなかったけどさ。だから力づくで聞き出させてもらう」
サクラさんは言葉すら発さぬ勇者殺しに向け、強い敵意を漲らせる。
建物の屋根に居るボクですら感じるそれは、夜闇に漂う空気をビリビリと震わせるようで、つい後ずさりそうになってしまう。
けれど勇者殺しは一切動じない。
そんなヤツに対し、サクラさんは再度弓を構えようとするのだけれど、矢を番えた瞬間、勇者殺しは大きく跳躍し逃走を計ったのだ。
「は、早く追いかけないと!」
「……もう無理よ。なんって逃げ足の速い」
こっちに身体の前面を向けたままで飛び退る勇者殺しは、瞬く間に夜闇の中に消えていく。
咄嗟にボクは屋根の上から追いかけようと口にする。
しかしサクラさんは弓を下ろして肩を竦め、もう遅いと諦めの言葉を吐いた。
ボクにはよく見えないけれど、どうやら相当な逃げ足であったらしい。
ともあれ勇者殺しが去ったことで、建物から降りサクラさんのもとへ行く。
そして彼女の隣に立つと、地面に倒れ血を流している勇者を見下ろした。
「それにしてもこの人、こんな状況だってのにどうして外に」
「お金目当てじゃない? 聞いたところによると、勇者殺しには相当額の賞金が掛かってるみたいだし」
勇者殺しが王都に潜んでいる現状、多くの勇者たちはあまり夜に外を出歩こうとはしない。
けれど中にはこのように、金銭を求めてか無茶をする人間が居るようだ。
というのも現在勇者殺しは、サクラさんの言うように膨大な額の賞金首であるため。
ただこれは王や騎士団によるものではなく、勇者殺しを捕らえたり解決すれば名を売れると考えた、一部の商人たちによるもの。
なんともはた迷惑な話ではあるけれど、この賞金に釣られた勇者や、一部無謀な一般人が後を絶たないらしい。
「ともあれ騎士団を呼びましょ。……朝になる前に、この惨状をどうにかしないと」
「そうですね、今回は妨害に合ったせいで血が吸えなかったのか、酷い有様ですし」
勇者殺しを逃したのは痛いけれど、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
倒れている勇者へ再度視線を向けると、肩口へ突き立てられたナイフによってか、大量の血を撒き散らしている。
とんでもなく陰惨な光景であるだけに、朝になって住民たちが出てくる前に、騎士団を呼んで大量の血を片付けなくては。
そこ考えたボクなのだけれど、ふとその勇者が僅かに喉元を動かしたように見えた。
しゃがみ込んで脈を診てみると、弱々しいながらもまだしっかりと伝わってくる生命の振動が。
「サクラさん、この人まだ息があります」
「本当に? 助かりそうなの?」
「かなり血を失ってはいますが、運が良ければ」
これまで勇者殺しに襲われた勇者たちは、例外なくその命を落としていた。
そのためてっきりこの人もそうだと思っていたけれど、意外なことにと言うか幸運にもと言うか、まだ辛うじて命を繋ぎ止めているようだ。
しかし多量の出血により、命が危険であるのに変わりはない。
急いで適切な処置をしなくては、それこそ確実に命を落とす。まさに綱渡りの状態だ。
「騎士団には医者も居たわね。ちょっと行ってくる、その間に出来るだけ手を打っておいて!」
サクラさんはそう告げると、さっきの勇者殺しが逃げた速さとそう変わらぬ勢いで、近場にある騎士団の詰所へと駆けた。
確かに急ぐのであれば、足の速いサクラさんが行くのが一番。
それにボクの方はお師匠様直伝の薬を持っているし、応急処置などに関して多少心得がある。
倒れた勇者と2人だけになったボクは、自身の鞄を開き中から薬や止血帯を取り出す。
まずは止血。血を取り戻すなんて薬は流石に持ち合わせていないため、ここは当人の体力に任せる他ない。
せめて痛みによって動き回り血を減らさぬようにと、ボクは取り出した薬の中から、かなり強烈な鎮痛剤が入った小瓶を取り出すのだった。