睨む黒 06
大きな屋敷すら踏み潰してしまいそうな魔物の巨体。
それを支える6本の四肢は強靭で、体躯に似つかわしい太さを誇っていた。
対して単眼を湛えるヤツの顔面から生える触手。こちらはあまりにも細く、おそらく1本1本はボクの小指ほどの太さすらない。
つまり尋常ではない巨体を持つ魔物が体外で扱うにしては、あまりにも細かい器官であるように思えてならなかった。
飛来する矢を絡め取るなどという、非常に器用な真似を行えるのに加え、切り落とされた時の反応からして、かなり痛みを感じているようだ。
それを見て、あの触手内はかなり密に神経が張り巡らされているのでは。ボクはそう考えたのだった。
「サクラさん、ミツキさん! これを!」
そんな思考をしたボクは、叫び前で戦う勇者たちを呼ぶ。
彼女らはその声に反応し、一瞬逡巡しながらも後退し近くへと移動する。
「……これは?」
「こいつを武器に塗って、あの触手を切って下さい。おそらく効果が出るはず」
近寄ってくれたサクラさんへ渡したのは、何重にも布で撒いた小さな瓶。
他の薬品類よりも、遥かに厳重に梱包しているそれは、ボクが持つ中で最も危険性の高い代物だった。
おそらくあの触手、神経が束となって緻密な動きをしているように思う。
そんな物を傷付け、危険すぎて使うのが憚られていたこの薬品が入り込めば、多少なりと効果があるのではと。
「わかった。触手を斬ればいいのね?」
「でも気を付けて下さい。逆に自分を切ってしまえば、いくら勇者と言えどタダでは済みません」
「そいつは恐ろしいわね。で、他には?」
「そうですね、まず――」
残る僅かな勇者たちが足止めをしている間、ボクは想い付いた限りの手段を伝えていく。
これが効果を表してくれるか。それは正直なところ、何とも言えなかった。
それに目が弱点であるという、大前提の部分が間違っていたとすれば、いとも簡単に瓦解してしまうような策だ。
けれど今は他に打てる手段がない。これでダメなようなら、逃げ帰る他ない。
思い付いた策を伝えると、2人は大きく頷く。
サクラさんは少しばかり緊張した面持ちで、包んでいた布を解き小瓶の蓋を開けると、ゆっくりと自身の短剣へ中の液体を垂らした。
ドス黒い、黒の聖杯が生み出す粘性のそれと似た毒が、ゆっくりと短剣を濡らしていく。
「そんじゃ、作戦通りに。もし間違っていたらお仕置きよクルス君」
「了解です。その時は大人しく受け入れますよ」
真剣な表情をしつつも、戦い前に緊張感を解さんと冗談を口にするサクラさん。
彼女は毒に塗れた危険な短剣を慎重に構えると、グッと沈み込み前へと駆け出した。
ミツキさんもそんな彼女に続いて駆け、自身の大槌を腰だめに構える。
単眼の巨大な魔物へと肉薄したサクラさんは、すぐさま極太の四肢と、無数の細い触手に襲われる。
真上から、そして横から襲い掛かるそれを掻い潜り、器用に短剣を振り回すと、数本の触手を切り裂いていった。
するとやはり魔物は悲鳴らしき呻き声をあげ、尚も暴れんと四肢を振り回す。
周囲の岩が次々と砕かれ、舞い飛ぶ破片にボクらは襲われる。
そのせいで負傷した召喚士のひとりを助け起こしつつ、触手を切り飛ばしていくサクラさんへ視線を向ける。
「ね、ねぇクルス。本当にアレで大丈夫なの?」
「……たぶん。もし効いてくれないようなら、もう打つ手がない」
負傷した召喚士に肩を貸しつつも、不安気に問うベリンダ。
けれどサクラさんに使って貰った薬物は、お師匠様直伝な物の中でも、とびっきり危険度の高い物。
試しに少量だけ調合してみたのだけれど、あまりに危険なため、ほとんど使い道がないとすら思えたような代物だ。
普段携行している薬品のほとんどが、麻痺であったり睡魔を呼び起こすなど、直接の危険性はない物ばかり。
けれどアレは違う。お師匠様からもらった手帳に記されていた中でも、群を抜いて強力。
試しに少しばかり大きな魔物に対し、一滴だけ使用してみたところ、少ししてのた打ち回り泡を吹いて絶命してしまった。
あんまりな劇薬っぷりに、調合し終えたそれをどうやって破棄するか悩んでいたくらいだ。
「お願いだから効いてくれよ……」
負傷した召喚士を連れ後退しつつ、ボクは祈るように小さく呟く。
いくら強力な薬品であっても、あれだけの巨大な体躯だ、不安はどうしても拭えない。
サクラさんは回避し触手を切り続けるけれど、魔物の側はそれによる痛み以上の反応が見えなかった。
やはりダメなのだろうか。ボクは半ば、諦め交じりにそんな事を考える。
けれどその直後だった、魔物の身体がゆっくり動きを止めると、直後に大きな呻り声を上げ始めたのは。
「クルス、もしかして……」
「ああ、ようやく効いてきたんだ」
魔物はしばし硬直したまま呻るも、すぐさまとてつもない轟音の悲鳴を上げる。
身体は振り回され、さらに周辺の岩は砕かれ、誰かを狙った攻撃などではない、ただの暴走状態となる。
相当に苦しんでいるに違いない。神経の集中した触手を、毒が蝕んでいるのだから。
「ミツキ! 足を狙って!」
そんな魔物の近くからなんとか逃げ出し、サクラさんは大きく叫ぶ。
彼女の声に反応し、ミツキさんが大槌を振りかぶって接近、暴れる魔物の軸足部分へと突貫を仕掛けた。
けれど大暴れする魔物のせいで、なかなか近づくことが出来ない。
そこでボクは咄嗟に鞄から小瓶の一つを取り出すと、半ば無意識でミツキさんを助けるべく、魔物へと投げつけた。
いわゆる火事場のナントカというやつだろうか。非力な筈のボクにしてはしっかり高く放られたそれは、身体へぶつかって割れると炎を撒き散らす。
空気に触れることで酸化し発火にまで至るそれは、当然攻撃のための物ではない。
驚かせたり、意識を逸らせられれば十分。
一瞬だけ怯んだ魔物の隙を縫うように、ミツキさんの爆発するような強い攻撃が炸裂する。
と同時に魔物の巨躯はグラリと傾き、岩ばかりの地面へ崩れていくのだった。
「い、今だ! 俺たちも突っ込むぞ」
倒れ込んだ魔物の姿に、息も絶え絶えであった勇者たちも奮い立つ。
その頃には魔物も細かな触手を動かす余力などなく、身体を痙攣させ倒れ込むばかり。
サクラさんは危険物と化した短剣を鞘に納めて地面へ刺すと、大弓を構えて矢を射放つ。
今度は遮る物などなく、易々と眼球を穿つそれに続けとばかりに、勇者たちは魔物の目へ殺到するのだった。
「斬れ、斬れ! 休むな!」
矢が、大剣が、槍が、ミツキさんの大槌が。次々と振るわれ魔物の目を抉っていく。
なかなかに陰惨な光景にも思えるけれど、今はそんなことを気にしている場合ではなく、勇者らは一心不乱に魔物を仕留めんと攻撃を繰り返した。
体表などとは異なり、やはり眼球は強度が相当に落ちるのか、すぐにボロボロとなっていく。
そこへ近づいて行ったサクラさんは、トドメとばかりにもう一つ渡しておいた劇薬の蓋を開け、小瓶ごと投げつけるのだった。
急所であろう傷付いた眼球に、神経を侵す猛毒が流れ込む。
その頃には既に息も絶え絶えであった魔物も、徐々にその動きを止めて行った。
正直目を覆いたくなる光景。けれどここまで割り切ってやらねば、どうしようもない魔物であったのは否定できない。
「……な、なんとかなったわね」
「でもまだだよ。こいつを召喚した、大元を探さないと」
「そっか、黒の聖杯……」
深く息を吐き、ベリンダは固い地面にへたり込む。
未知の巨大な魔物に遭遇し、同じ町で活動する見知った勇者を2人も失ったのだ、心身ともに疲労の色は濃い。
けれどこいつを討ったからといって、まだ安心はできない。なにせ同じ魔物を召喚するかもしれない、根本的な原因が存在するはずなのだから。
「そ、そうだ。行くぞお前ら、黒の聖杯を破壊するんだ!」
ボクの言葉にハッとしたか、勇者たちは慌てて周囲の探索に向かう。
もしこんな魔物がもう一度召喚されようものなら、今度こそこちらは壊滅するし、領都だって破壊されるに違いない。
そうなる前に黒の聖杯を発見し、早々に破壊しなければ。
「私も彼らと一緒に探しに向かうわ。クルス君たちは負傷者を連れて、一旦町まで引き上げて頂戴」
「わかりました。……もう一度さっきのを作る必要があるかもしれませんし」
気だるげに弓を肩へ乗せるサクラさんもまた、我先にと黒の聖杯探索に向かう勇者たちに続こうとする。
ボクはそんな彼女へと、領都へ戻ってから、再度同じ劇薬の製造に取り掛かる旨を口にした。
正直作るだけで戦々恐々とするため、勘弁してほしいというのが本音ではあるけれど。
「必要ないことを祈るばかりね。あとついでに、こいつも頼んでいいかしら?」
「あ、短剣……。流石にコレはもう使えませんし、処分しておきます」
「ゴメンね、折角もらったのに」
ただサクラさんは捜索へ向かう前にそう告げると、ソッと鞘に納められた短剣を手渡す。
さっき毒を纏い使ったこいつは、ボクがサクラさんを召喚した翌日、装備を整えた時に買って渡した物。
今の彼女にとってはただの安物でしかないそれだけれど、ここまでの1年近く、ずっと大切に使い続けてくれていた物だった。
けれど刃が毒に塗れ、きっと鞘から抜く事すら相当に危険を伴うはず。
もったいないけれど、どこか安全な場所へ埋め毒性が消えるのを待つ他無さそうだ。
「気にしないで下さい。また、一緒に買いに行きましょう」
「そうね。また選んで頂戴、長く使えるやつをさ」
ボクがそう告げると、少しだけ寂しそうな表情をするサクラさんは頷き踵を返す。
そして大弓を握ったまま駆け、黒の聖杯捜索に加わるのだった。
「クルス、さっきのは?」
サクラさんが走っていくのを見送り、ボク自身も町へと戻ろうと振り返る。
すると負傷の痛みで気絶をした召喚士を支えるベリンダが、僅かに顔を顰めているのに気付いた。
なんだか妙な気配で、今のやり取りについてを訪ねる彼女へと、受け取った短剣についてを話しながら歩く。
ベリンダはその話を聞くと、一応納得したように頷く。
ただその直後に見せた表情がどこか寂しそうで、ボクは具体的にどうこうではないものの、なんだかベリンダに悪いことをしてしまったような気になるのだった。