睨む黒 01
年始の忙しなさも一段落。
ざわめき、中央を空け割れる人混み。
突然現れ突っ切っていく馬によって大通りは騒然とし、祭の盛り上がりは春だというのに冷たい水を差されていた。
ボクとベリンダはそんなツェニアルタの住人たちが作った道を、走って領主邸へと向かう。
息を切らせて進み、やはり困惑の色が浮かぶ警備の騎士たちを横目に正門をくぐると、すぐさまさきほどの馬が玄関先に立つのが見える。
余程急ぎ走って来たのか、馬は荒く息を弾ませ身体からは熱気が立たせていた。
「いったい何事ですか?」
同じく混乱する使用人達を尻目に、ボクらは屋敷の中へと入っていく。
すると屋敷内の一室には数名の騎士たちと、いつの間に戻ってきたのかサクラさん、それに執事のリガートさんまでも集まっていた。
彼女らも突然の状況に異変を察し、屋敷へと駆け戻ってきたようだ。
「魔物だってさ」
「魔物……? もしかして国境付近にですか?」
「そう、突然に発生したみたいよ。おかげで潜入役が足止めを食らってる」
深刻そうに顔を寄せ合うサクラさんらへ、戻ってきたことの挨拶も省略し状況を問う。
すると返されたのは、現在国境突破中である密偵たちが、突如として現れた魔物によって行動が阻まれているという内容だった。
そういうことも、案外あるのかもしれない。
なにせ魔物を生み出す黒の聖杯は神出鬼没。人の有無などに関わらず、多くの魔物を召喚するのだから。
けれどボクはここまで考えたところで、少々気になることが頭をよぎる。
「でも行く人たちも、それなりに手練れな筈では?」
曲がりなりにも、他国へ潜入し情報収集をしようという人間だ。
騎士団の中でもそれなりの実力者が選ばれるだろうし、案外その人員というのは、元勇者といった常人を超越した人間かもしれない。
ちょっとやそっとの魔物であれば、少なくともやり過ごすくらいは出来るはず。
「数が尋常ではないのです。この地域は普段であれば、数体同時に発生すれば多い方。しかしどういう訳か今回は、20や30で済まない数が……」
代わりに答えたのは、この時期にしては随分と薄着をした男。
玉の汗をかいている彼は、ついさっき馬に跨って大通りを突っ切っていった騎士だった。
彼はいつもであれば絶対に発生しない数の魔物に、動揺の色を隠せないようだ。
「魔物の大量発生ですか……。カルテリオとかでは度々ありますけれど」
「そういった話は聞き及んでいます。しかしここいら一帯に出現するのはほとんどが大型、早々大量繁殖するような類の魔物ではありません」
思案し、ボクらが暮らす町などではよくある話であると口にする。
彼もまたそれを知ってはいたようだけれど、この地に関しては少々事情が異なるようだ。
魔物の大量発生というのは、大抵の場合が既に存在する魔物が季節の変動などによって繁殖し、一気にその数を増やしたという状況。
周辺に発生する魔物が昆虫型で多数占められるカルテリオなどは、特にそういった事態に遭遇し易い。
でも確かに、ここツェニアルタ周辺地域へ現れる魔物は大型のものが多く、大型の生物は大概多産ではないはず。
「それに、こんな時に限ってなど……」
「やっぱり引っかかるのはそこね。いくら何でも発生する状況が最悪に過ぎる」
青褪める騎士の言葉に、サクラさんもまた同意をする。
そうだ、この件で最も肝心なのは、なぜ魔物が大量発生したかではない。何故こんな最も最悪な時であるのかだ。
とはいえそれだって、今は気にしていても仕方がないのかもしれない。
今はまず国境付近へ現れた魔物を排除するなりして、密偵をアバスカル共和国へ送り込まなくては。
ならば早速町を出て、魔物の駆除に乗り出そうかと考えたところで、背後からは困惑気味な声が漏れ聞こえる。
「ねえ、さっきから何の話をしてんのよ?」
その声にハッとし振り返る。当然そこには、起きている事が理解できず眉をしかめるベリンダが。
そして彼女の隣には、相棒であるミツキさんも。
彼女らにしてみれば、魔物の大量発生そのものは大事であると理解しつつも、ボクらがまた別の問題に頭を悩ませているであろう事が不思議であるようだった。
なにせベリンダ達はこの日行われている祭が、他国への密偵潜入という目的のものであると知らないのだから。
ボクはサクラさんへ、そしてリガートさんへと視線を向ける。
国境に出現した魔物の発生原因は、この際他所へ置いておくとして、まずはそいつらを排除しなくてはいけない。
そしてミツキさんは、この地で大型の魔物を相手とするのに慣れている。協力して貰うというのが最善に思えた。
「……よろしいでしょう。ではお二方、今から話す内容は他言無用でお願いいたします」
この場の責任者、実質的な領主であるリガートさんは渋々ながら、ベリンダたちへ事情を話すことにしたようだ。
他言無用と前置きし、彼女らへと要約したものながら事情を説明していく。
「なんって、面倒臭い」
「言いたい事はわかるよ。そこは否定できないし」
「全然知らなかった。いったい何人くらいが知ってるのよ、これ」
諸々の事情を説明されたベリンダは、呆れ気味に言葉を吐き出した。
このバランディン子爵家が、そもそも存在しない偽貴族であるということ。そしてサクラさんがこの土地へ来た理由などを聞いた直後にだ。
ただベリンダがそう思うのも無理からぬこと。ボクが逆の立場であったなら、きっと同じ反応を示しただろうから。
「ここに居る人間だけで全てですな。あとは王都に居るお歴々が幾人かといったところでしょうか」
「まったく、厄介なことに巻き込んでくれて。……でも」
この件を知る人間は数少ない。ここを統括するリガートさんに、王都から派遣され監視任務に従事する一部の騎士たち。
そして王都で騎士団の上に立つ人間たち以外だと、半ば巻き込まれた形になるボクらくらいのもの。
基本的には秘匿された事情に触れたベリンダは、関わったことへの後悔すらしているようだった。
けれどそんな彼女はチラリとボクの方を窺う。
すると一瞬何かを言い澱む素振りを見せると、小声で問いを向けてきた。
「クルス、あんた自身はアタシたちに協力してもらいたいの?」
「え? そ、そりゃもちろん。一刻も早く魔物を排除しないと、全部無駄になってしまうし。ベリンダたちが手伝ってくれるなら、すごく頼りになる」
ベリンダがした問いに、ボクは迷うことなく肯定を返す。
大型の魔物が20や30で済まない数となれば、サクラさんであっても駆除には時間を要するに違いない。
ならばそういった大型魔物との戦いに慣れた彼女らが居てくれれば、より早く済むというのは言うまでもなかった。
ボクのした返事を聞くなり、ベリンダは視線を床へ向ける。
何かマズイ発言でもしてしまっただろうかと不安になるも、一瞬見えた横顔からは、むしろ機嫌の良さすら窺えるかのようだった。
「……ならいいわ。手を貸してあげる、その代わりちょっとくらいは報酬を出してもらうからね!」
「そこはボクに言われても」
「いいや、あんたが払うのよ。あんまり多くは要求しないから安心しなさいって」
そう告げるベリンダは顔を上げると、ミツキさんの手を取る。
そして戦うための準備をすると口にし、そそくさと屋敷を出て行ってしまうのだった。
なんだかよくわからないけれど、ともあれベリンダとミツキさんは協力してくれるようだ。
色々と黙って居たとは言え、そこは気にしないことにしてくれたであろう彼女らへ密かに感謝しつつ、こちらも戦いの準備を進めるべく自室へと向かう。
「では我々は、他の勇者さんにも協力の要請をして参ります。皆様は一足先に」
リガートさんの言葉を聞きながら、走って上階にある自分たちの部屋へ。
そこへと置いてあった武具一式を纏い、ボクは諸々の薬品類が詰め込まれた鞄を襷に掛けた。
祭の準備をする最中は、延々暇を持て余していたため、その間にこれ幸いと補充した物だ。
急ぎ準備を済ませ部屋を出ると、廊下にはサクラさんが既に準備を終え立っていた。
彼女は今まで着ていた高級な布地の服から、普段通りな旅装と軽装鎧、そして愛用の大弓を手にしている。
貴族のお嬢様という出で立ちから、完全に戦う姿へと変貌した彼女の表情は、鋭く引き締まっていた。
「行きましょ。少しでも早く片付けないと、下手をしたら町にまで被害が及びかねない」
サクラさんはそう言って、小走りとなって廊下を進む。
彼女の背について階下へ降りると、そこには既に騎士たちの姿が無かったため、彼らもまたとっくに行動を開始しているようだ。
本来の目的である、祭をアバスカル側の人間が偵察しに来る隙を見て、密偵を送り込むというのは難しくなったのかもしれない。
けれど代わりに、魔物の大量出現という混乱に乗じることは可能なはず。
きっと騎士たちは魔物の討伐はこちらに任せ、国境突破の好機を窺うに違いない。
「あんたたち、サッサと行くわよ!」
そして屋敷を飛び出し、戦いの準備をしに戻っていたベリンダとミツキさんもまた、再び屋敷へと来ていたようだ。
既に鎧と武器を纏っている彼女らは、屋敷の正門傍へ立ち、戦いを前にした鋭い眼光を湛えているのだった。