親友 04
コツリ、コツリと紙の上を叩くペン先。
バランディン子爵領の領都ツェニアルタ。その一角に建つ大きな領主邸の一室で、ボクは頭を抱えていた。
毎度のようにお師匠様への手紙を書き終えたボクは、続いて協会本部へ出す報告書の作成を行うべく紙へ向き合う。
召喚士は協会本部へと、定期的に活動状況の報告を行う義務が存在するためだ。
けれどいったい今の状況を、どう報告したものやら。
よもや国境地帯でサクラさんが偽の貴族を演じ、お嬢様らしく豪遊しているなどと書けようはずがない。
「もういっそ適当にでっち上げちゃえばいいのに。カルテリオで英気を養っていますとかさ」
「いいんでしょうか……。そんなちょっと調べればわかる嘘を」
「問題ないって。なにせ提出先である協会のお偉いさんの命令で、こうして遥々来てるんだから」
しかし頭を抱えるボクに反し、サクラさんはソファーへ寝転がった状態で、ノンビリと告げる。
確かにそれ以外ないのかも。現に今の状況を、ありのまま報告など出来やしないのだから。
ゲンゾーさんは騎士団の要職に就いていると同時に、勇者支援協会の幹部相当の立場でもある。
彼の相棒である召喚士のクレメンテさんも同様で、たぶん虚偽の報告書を書いたとしても、正式の物として受理するよう働きかけてくれるに違いない。
なにせ事情が事情だ。
「なんだかここ最近、一気に汚れていく気がしてなりません」
「実に素晴らしい。これでクルス君も悪い大人の仲間入りね」
「あんまり嬉しくありませんよ。っていうかボクはとっくに大人だって言ってるじゃないですか」
仕方なしに、日々平穏という嘘の報告をするためペン先を奔らせる。
あまり褒められた行為とは言えないけれど、公に出来ないのだから仕方がない。協会でこれに目を通す人の中には、事情を知る権限の無い人間も居ることだし。
そんな事を考えながら、ボクは一度筆が乗ってしまったのを幸いと、一気に書き上げるべく速度を上げる。
サクラさん用に用意されていた私室に置かれている紙は上等で、ペン先が引っかかることも無く滑らか。
流石は貴族の家、こういった物に至るまで何から何まで物が良い。
この紙を何枚か持ち帰っても許されるだろうか、などと善からぬ思考が浮かんでは消える。
その時背後のソファーで伸びていたサクラさんが、ふと小さな声で怪訝そうに呟くのが聞こえてきた。
「それにしても、急に貴族の娘になったなんて言って、地元の人たちが歓迎してくれるとは思えないけど……」
ダラリとソファーの上でうつ伏せとなり、到底貴族のお嬢様らしからぬ堕落した状態な彼女は、気難しそうに疑念を口にした。
サクラさんの言わんとしていることはわかる。
自分たちの住む土地、突然見たこともない人間が、次期領主でございと乗り込んできたのだ。住民たちに反発心の一つも芽生えてもおかしくはない。
けれどサクラさんの方へ身体を向き直るボクは、あっけらかんと楽観的な観測を返す。
「大丈夫だと思いますよ。サクラさんを見たら大抵の人は納得してくれるかなと」
「どうして言い切れるのよ。まさか見目麗しい私の姿を見て、万人が納得してくれるとでも?」
「突然反応に困る自画自賛をされても……。そうではなく、サクラさんを見れば一目で勇者だとわかるからです」
おそらくこの件に関しては、住民たちの間で問題にはならないと思う。
なにせ彼女ら勇者は戦力であると同時に、多くの知識という恩恵をもたらしてくれる存在なのだから。
召喚された勇者らによって、こちらの世界へ伝えられた技術や知識は多岐に渡る。
ガラスの製法やより高効率の燃焼を行う油の開発、鉱山の掘削技術など高度な知識を要する物から、新しい料理法など日常に直結するもの。
果ては役人たちが使っている利便性が高い帳簿の仕組みなんてのも、元は召喚された勇者が持ち込んだものだ。
そのため勇者たちは、行く先々の町で歓迎される。もちろん魔物という脅威への戦力という意味も含めて。
現にサクラさんもカルテリオでは、時折商店の店主らから相談を持ちかけられる事があるくらい。
逆に高い武力を持つ勇者を恐れ排除しようとする地域も、一部には存在したりするけれど。
屋敷の使用人たちにしてもそれは同じで、サクラさんを見た目には若干の安堵が灯っていた。
勇者の特徴である黒髪を目にすれば、多くの人たちはその点でこう思うはず。自分たちの領地へと、新たな恵みをもたらしてくれるのではと。
「そういう話は時々聞くけれど、流石に領主となると別じゃないの?」
「少なくともゲンゾーさんやリガートさんは、問題ないと判断したみたいです。ボクもですが」
「……得なんだか損なんだかわからないわね勇者」
「総じて見れば得だと思いますよ。そのおかげで厄介事も多く舞い込んできますけれど」
サクラさんもここまでの1年近くで、自身を取り巻く人の目というのは理解している。
けれど実感としてはあまり認識していなかったらしく、ボクの告げた内容にやれやれと息吐き、ソファーの上で仰向けに転がるのだった。
「気晴らしに町へ繰り出してはどうですか。外出は制限されていませんし」
「ボロを出さないとも限らないでしょ。見知らぬ土地で迷子になって、助けてくれた人につい口を滑らすかも」
「……子供じゃないんですから。それにボロとは言っても、ここに来た本当の目的を隠すだけですしね。そう気難しく考えずとも」
ボクはそんなサクラさんへと、楽観を表に出して外出を促す。
実際のところ今回彼女が担うのは、祭りの主役となって人の目を惹くことくらい。
それだけこなせば、あとは再びカルテリオにでも戻って、勇者としての活動を再開して構わないとさえ言われている。
養女となった件云々は折りを見て解消し、代わりに次代の領主を演じる役者を連れてくればいいのだと。
そのためボクらは何日かツェニアルタへ留まって、間諜が国境越えを成功させるのを祈るばかりという、気楽な依頼となっていた。
第一今から緊張し通しでは、身体が持たないというものだ。
「そうね……、気分転換に外へ出てみるとしようかな。町中の観光を済ませたら、外で魔物を狩ってもいいし」
「たまには勇者の本分を果たすのも悪くはないですしね」
手にしていたペンを箱に納め、インク壷の蓋を閉める。
そして立ち上がると、薄手の上着を羽織って置いていた短剣を差し、諸々薬品の類が入ったカバンを肩へ下げた。
サクラさんも高価な部屋着を乱雑に脱ぐと、いつも着ているような動き易い衣服へと着替え、壁に立てかけていた大弓を手にする。
ボクが見ているというのに、下着姿になるのもお構いなしだ。
家族も同然であるためと言えば聞こえはいいけれど、男として意識されていない切なさに襲われる。
「メイドさんメイドさん、ちょっと出かけて来るわね」
「お噂通り、活発なお方ですわね。承知いたしました、お夕飯までには戻られて下さいね」
「ごめんなさいね、大人しくドレスを着て微笑んでいるのは性に合わないの」
着替えたサクラさんは、部屋から出てすぐに出くわしたメイドさんへと外出を告げる。
サクラさんよりも少々年上だろうか、メイドさんはそんな様子に苦笑すると、問題はないと頷くのだった。
どうやら前もってリガートさんにでも、度々外出するかもしれないと聞かされていたようだ。
ボクらは使用人たちに見送られ屋敷から出ると、揃って領都ツェニアルタの市街を進む。
見物がてら大通りを歩いていると、サクラさんは少々小腹が減ってきたのか、屋台で適当に買った揚げ物をその場で頬張っていた。
到底お嬢様らしくは見えないけれど、変に取り繕ったって無駄かもしれない。
「それにしてもさ……」
「なんですか?」
「ものの見事になにもない町ね。別にそれが悪いとは言わないけれど」
揚げ物を熱そうに頬張るサクラさんは、それを飲み下すなり人に聞かれぬよう小さく呟く。
彼女の視線は町の中へ、そして周囲の山々へと向けられており、どこか殺風景さすら感じる埃っぽい街並みを緩く眺めていた。
言わんとすることはわかる。つまり観光をして面白そうな場所が、まるで見当たらないということだ。
「大昔はゴタゴタした国境地帯。そして現在は鉱山の町となると」
「観光資源に乏しいのは当然、ってことね」
「国境の砦とかもほとんど廃墟らしいですし、遠方から行楽目的で来る土地とは言い難いです」
町中を歩いている人間のほとんどは、おそらく鉱山で働く人々。
ただでさえ極少数な物見遊山をする人間が、この町では一切見られなかった。
そもそもここは鉱物資源を取り合い、大昔はアバスカルと睨み合っていたような土地だ。ある意味でそれは当然か。
ただ目ぼしい観光地が無いという点では、ボクらが家を持つカルテリオだって似たようなもの。
あの町だって観光めいた行動をするには不向きで、やって来るのは行商人くらい。
最近は勇者が増えたおかげで、移り住む人間も多少なりと居るけれど。
「なら外に行くしか暇を潰せそうにないか。酒場に繰り出すのも悪くないけど、こういった所のって常連ばかりで下手すると居心地悪いし」
「というか立場的に自重してください。流石にリガートさんから怒られそうです」
「それじゃやっぱり魔物を相手にお金を稼ぐしかないわね。この辺りって何が出るんだっけ……」
暇をつぶす手段に悩んだサクラさんは、結局都市外の魔物討伐という案に行きつく。
確かこの近隣に出現する魔物は、比較的大型のものが多かったはず。
ただ強力というよりは、大型ながらそこまで脅威の度合いが高くはないという類。
もっとも魔物から採取可能な素材も、特別高額で売れたりはしないというのもあって、勇者たちからはあまり人気が無い土地だった。
それでも問題なく生活していける程度には稼げるし、王都に比べればずっとギスギスしていない。
なので扱う武器の類によっては、悪くない土地だとは聞く。例えば戦斧や大型の槌のような、対大型魔物向きの獲物を使う人には。
知り合いでそういった武器を使うと言えば、真っ先に思い浮かぶのはゲンゾーさんだろうか。
あとはそう、もう1年近く会ってはいないけれど、ボクと同期の召喚士見習いであった"彼女"が召喚した勇者も、その類の武器を使っていたのだったか。
「例えばそうですね、あんな感じの武器だと有利でしょうか」
ボクは大まかな魔物の特徴を口にし、偶然大通りを歩いていた、最も都合が良いと思われる武器を背負うツェニアルタの勇者を指す。
魔物を狩り終え戻って来たであろう勇者の姿を眺め、ちょっとだけ感傷に浸る。
背に負った大きな戦闘用の槌。細身な女性が扱うにはかなり重そうに見えるのも、あの勇者と同じだ。
隣に並んで歩く召喚士の娘もまた、記憶に在る彼女の姿とソック……リ。
「ねぇクルス君。あの後姿ってもしかして」
偶然町中で見かけた勇者と召喚士の姿は、記憶を鮮明に呼び起こすほどに、見知った知り合いとよく似ていた。
けれどあまりに酷似しているその姿に、ボクは首を傾げてしまう。
そしてサクラさんもまた同じ感想を抱いたようで、まさかと言って追いかけるのだった。
「ちょっと待って、そこの2人!」
駆け出したサクラさんは、前を行く勇者と召喚士を呼び止めようとする。
けれど大勢が歩く中で声がかき消されているのか、それとも自分たちの事だとは思っていないのか。
彼女らは振り返るどころか反応する様子も無く、揃って楽しそうに会話をしながら歩いていた。
「待ちなさいって、美月、ベリンダ!」
業を煮やしたサクラさんは、大きな声で知った名を叫ぶ。
すると遂に、彼女らは振り返り見せたのだ。ボクの知っている、少しばかり懐かしい顔を。