親友 03
乗合馬車を何度となく乗り継ぎ、王都エトラニアから約5日。
徐々に日没の足音が近づきつつある頃、ボクらはその土地へと降り立った。
バランディン子爵領、領都ツェニアルタ。人口にして4万弱という、カルテリオよりは少々大きいといった規模の都市だ。
馬車から降りるなり周囲を見渡してみるも、あまり緑豊かな光景であるとは言い難い。
けれどその代わり山々の中腹へ見られるのは、いくつも開いた穴。この地域でよく産出される、鉄や銀の類を採るためのものだ。
どうやらシグレシア国内ではそれなりの規模を誇る産出地であるらしく、この地の主要な財源となっているのだと聞く。
ただそんな光景も、今のサクラさんには大して響かないらしい。
隣に立つ彼女をチラリと見上げてみれば、表情からはゲンナリとした様子がありありとしていた。
「行きたくないわぁ……」
「今更逃げられませんよ。というか既に迎えの人も見えてますし」
現在のサクラさんが抱える心情を言い表せば、"面倒臭い"という一言に尽きるだろうか。
ボクなどは今更と思ってとっくに諦めているけれど、サクラさんの方はそうもいかないらしい。
なにせ彼女にとっては、今から憂鬱な役割が待っているのだから。
馬車から降り立ったボクらの前へは、小奇麗な執事服を纏った人物が。
壮年の域に差し掛かっているであろう彼は、齢を感じさせぬ軽快な動作で一礼をし、こちらへ微笑みかける。
「ようこそお出で下さいました、サクラ"お嬢様"」
出迎えてくれた人物、おそらくバランディン子爵家に仕える執事の男性は、サクラさんへ向け歓迎の言葉を次げた。
けれどそれを聞いたサクラさんの方は、不満気に口元を歪ませる。
「お嬢様……、ね」
「おや、何かご不満でもございましたか? 当家の大切な大切な一粒種、敬意を払うのは当然かと」
「そこまでくると逆に嫌味では」
「これは失礼を。わたくしも久方ぶりにこのように重要な役回りを頂きまして、若干舞い上がっていたようです」
執事はどこか芝居がかった口調で、不満気なサクラさんに再度頭を下げた。
齢の割にははしゃぎ気味なようで、当人も言うように少々浮かれてしまっているのかもしれない。
サクラさんの方は、お嬢様と言われるのに相当な抵抗があるようだ。
確かにお嬢様という言葉から漂う雰囲気は、もっと幼い少女に対し使うものといった印象。
サクラさんのように成熟した大人の女性へ対し使うのは、なんだか似つかわしくないような気はした。
そんなボクの思考を読みとったのか、さり気なく足を踏んでくるサクラさん。
彼女はジッと執事の目を見据えると、諸々の役割を担う前に、確認しておくべきとばかりに問いを投げかける。
「ところで念の為に聞いておくけれど、貴方はどこまで知っているのかしら?」
「そうですな……。簡潔に言えば、バランディン家や今回の件に関わるほぼ全てを、といったところでしょう」
「なら安心ね。お世話になる人まで騙し続けるのは、流石に気が引けるもの」
執事が意味深に呟く言葉に、サクラさんはようやく安堵の色を見せる。
彼女が安堵したのは、この執事がボクらのことだけでなく、この地を収める領主であるバランディン子爵家に至る全てのことを言っているため。
元来騎士団が様々な任務を行うに当たって用いる、架空の貴族家であるバランディン。
当の領主は専任の役者であり、執事を除く使用人達は全員その事を知らず働いていると、出発前にゲンゾーさんは言っていた。
さきほどからの意味深な言動は、これらを表しているものだ。
「では"お嬢様"に"従者"殿、館の方へご案内をさせて頂きます」
リガートと名乗った執事は馬車を廻してくると、ボクらが座るのを確認し、御者台へ腰かけ手綱を握る。
そしてボクらがこの地で演じなければいけない役割で呼ぶと、領都ツェニアルタの大通りをゆっくりと走り始めた。
真っ直ぐに続く大通りの先には、少しばかり小高い場所に大きな屋敷が見える。
あそこがこの地を収める領主の館。つまりはサクラさんが名目上の養女として迎え入れられる家だ。
隣へ座るサクラさんを見てみると、やはり近付きつつある屋敷を目にし、なんとも微妙そうな表情を浮かべていた。
「この地でバランディン家の素性について知ってる人って、他にどれくらい居るの?」
「そうですな、わたくし以外ですと領主役の役者夫妻、それに王都から連れて来た騎士数名といったところですか」
「たったそれだけで、よく回していけるものね」
「領地運営そのものは、正体を隠していても行えますので。それに知る者が少ないからこそ、問題なく隠していける。コツは自分を本物と思い込むことですな」
サクラさんは御者台へ顔を出し、執事のリガートさんと小さな声でやり取りを行う。
カラカラと笑うリガートさんは、暢気な調子で肩を揺らしていた。
だが楽観さとおふざけが表に出ている彼だけれど、ゲンゾーさん曰く実のところ相当な古強者であると聞く。
長年騎士団で野盗討伐などの第一線に立っていたそうで、勇者らを除けばシグレシア王国内でも五指に入る実力者であると。
そのリガートさんによると、彼は現在この地で国境の監視任務及び、子爵家領の統治を行っているそうだ。
表立っての領主夫妻は、住民たちにそう見せるために居る専任の役者。
けれど実質的な領地運営は彼。つまり事実上リガートさんが領主であると言っていいのかもしれない。
そんなリガートさんの繰る馬車に乗り、ボクらは屋敷の門をくぐっていく。
出迎えてくれた幾人ものメイドたちによって案内され、屋敷内の奥まった一角へと案内されると、そこは応接間ではなく暖炉の置かれた小さなリビング。
サクラさんは名目上ここの養女となっているのだから、客人ではなく家族として迎え入れようということらしい。
「ようこそいらっしゃいました、勇者サクラ殿。それに召喚士のクルス殿でしたな」
そのリビングでメイドたちが茶を用意し、全員が引き払った後、笑顔で部屋へ入ってきた人物は近づき手を差し出す。
柔和そうな笑みを湛えた老年の男性。彼がこの地を収める領主、……という役を演じる人物なのだろう。
となるとその横に立っているのは、夫人役の役者か。
なるほど、両者ともにそれなりの高齢なようだ。
養女という形で人を迎え入れても、おかしくは無さそうに思える。
「お初にお目にかかります。"お父様"、とお呼びすればよろしいので?」
「そう呼んで頂ければ幸いですな。……なにせ人の目があります故」
手を握り返したサクラさんは、その人物へと苦笑しながら関係性を表す呼称を口にした。
偽物の領主に偽物の執事、そして偽物の娘。
多くが偽りで構成されたこの地ではあるけれど、屋敷のメイドや住民たちは本物だ。
そんな人たちの前では、サクラさんはバランディン子爵家の養女となった人間として振る舞う必要があり、それこそが今回彼女がやらねばならぬ役目。
座るよう促す領主役の人物の勧めに、ボクらは揃って腰を降ろす。
いかに騎士団所有の偽貴族とはいえ、流石に置いてある家具は上等であるようで、柔らかな座り心地につい頬が緩んでしまう。
「それで早速お聞きしたいのですけれど」
「なんなりと。必要な情報は全てお話しいたしますとも」
「私たちはこの地でどうすれば? 向こうではただ、"貴族のフリをし、指示に従えばいい"としか聞いていませんもので」
置かれていた茶に手を伸ばしつつ、サクラさんは当面自身が担う役割についてを問う。
出発前にゲンゾーさんから説明されたのは、この地で貴族家の養女として振る舞い、その都度される指示に従えばいいというものだけ。
たぶん秘密裏に進めたいからだろうけれど、具体的になにをするかなど、ボクらは一切知らされていなかったのだ。
ただサクラさんがした質問に答えたのは、領主役の老人ではなくリガートさんだ。
彼はやれやれとばかりに首を振ると、同じくソファーへ腰を降ろし話し始める。
「あの男も相変わらずですな。とりあえずこの地でサクラ嬢にお願いしたいのは、祭りに参加してもらうという一点になるかと」
領主役の夫妻が座る横に腰かけたあたり、リガートさんの立場は対等に近いようだ。
その彼が口にしたのは、聞いただけではよく理解の出来ぬ内容。
祭りに参加する。ただそれだけで良いと口にするのだが、いったいそれはどういった意図であるのか。
祭りと言えば、つい最近コルネート王国で春の大祭を見てきたばかり。
見物というか祭りを混乱させるために参加したそれだけれど、今回もあれと似たような真似でもしろというのだろうか。
「ゴメンなさい、ちょっと意味がよくわからないのだけれど」
「バランディン子爵家に養女として迎えられた貴女が、初めて領地を訪れたことを祝う祭りですな。そこで数万の住民たちへ顔を見せるというのが、今回の依頼内容です」
「……やっぱり意図するところが理解できないわね」
怪訝そうにするサクラさんだけれど、ボクもまたリガートさんの意図がよくわからない。
ただの顔見せというだけであれば、ゲンゾーさんも休暇がてら行って来いと言えばいいだけ。
それに彼はちゃんと報酬を払うと言っていた。ということは、これに相応の理由があるに違いない。
第一"嘆きの始祖塔"で発見した物とのつながりも、イマイチよくわからなかった。
リガートさんはゲンゾーさんに対し、「そんな話すらもしておらんのか」と呆れを吐き出す。
そして前提となる話すべきであると考えたか、ゆったりとした口調で口を開くのだった。
「ここ領都ツェニアルタの北には、かつてアバスカルと領土を巡って争っていた頃の砦が在りましてな」
彼が話していったのは、この土地の歴史から。
大陸中へ魔物が出現する以前、バランディン子爵領となる以前のここいら一帯は、アバスカル共和国との最前線であったという。
当時使っていた砦は、今でこそ廃墟になっている。けれど実際には、日々数人の騎士たちが常駐し、現在も監視任務に就いているとのことだった。
その数名というのが、バランディン子爵家の正体を知っている残りの人たちであると。
「後日到着する人員をアバスカルに送り込むため、国境を突破せねばなりません。しかし……」
「当然向こうにも、監視の目があるわよね。それを逸らすための祭り?」
「いえいえ、"都合良く"お嬢様がようやくお出でになられましたので、歓迎の宴を開く必要があるだけで」
「今更そういう白々しい建前を……」
つまりは国境監視をしているであろう、アバスカル共和国の軍人たちの目を、一時的に散らそうという目的。
本来祭りなどない今の時期に行う事で、状況把握のための監視の人手を足りなくさせてやろうというのだ。
けれども怪訝そうにするサクラさんは、ここで当然のような疑問を呟く。
「普通に国境を越えるんじゃダメなの?」
「アバスカル共和国はコルネートや他の国と違って、勇者以外であっても国境越えが困難なんです。相当に煩雑な手続きをしないと、行商人も行き来できないらしいですよ」
彼女の口にした問いに、ボクは横から答えを返す。
かの国はどうにも秘密主義というか排外的というか、積極的に他国との国交を保とうとはしていない。
別に断交などはしていないけれど、厳しい審査を経て出ないと行き来が出来ず、あちらに在る勇者支援協会も半ば独立した組織となっていた。
おそらくゲンゾーさんは、最初に会って話をした時点で、ここまで想定したに違いない。
なんだか納得したような、まだ不満が残るような気配を発するサクラさん。
そんな彼女に苦笑をするリガートさんは、具体的に今後の計画を告げていくのだった。