理想高く 02
「ボクが召喚の儀式を……、ですか?」
「そうだ。急な話で悪いとは思うが」
長年待ち望んでいた勇者召喚の儀。それは行う機会は思いのほか早く、そして突然に訪れた。
教官に呼び出され、何かお小言でももらうのかと覚悟していたのだが、告げられた言葉は「本日、お前の勇者召喚を実施する」というもの。
同期の中には既に召喚を果たした人も多く、それどころかボクは後輩にまで先を越され始めていた。
だが先を越した後輩たちは皆、その中でも優秀と認められた人たちばかり。
そのためそれなりの力を持った勇者の召喚を行えるであろう、一水準の魔力を持つに至っていないボクやベリンダは、出番が来るのはまだ先の話になるだろうと考えていたのだ。
「最近また魔物の発生率が増加しててな。戦力となる勇者の数は、慢性的に不足している」
「近隣の国から応援などは……」
「状況は近隣諸国共に変わらん。貿易相手としての繋がりはあっても、他国にまで貴重な戦力を分け与える余裕はない。故に自分たちの国は己で護る必要がある」
「それじゃあ、僕の呼び出した勇者を」
「今のお前が持つ魔力では、強い勇者を呼ぶのは難しいとは思う。だがそれでも召喚後、すぐ魔物討伐に出てもらわねば」
「そんな……」
勇者として呼び出す人たちは、ほぼ例外なく非常に高い身体能力を持つ。
そのため"ニホンジン"と呼ばれる彼ら彼女らは、ボクらこの世界に生まれた者よりも遥かに戦いに長けている。
でも勇者たちの多くは、召喚された時点で戦闘経験どころか武術の心得も皆無。
故に本格的な魔物対峙を開始する前、準備期間として一定の訓練を受けるのが一般的だった。
ただ教官の言い様からすると、その時間さえも今回はなさそうに思える。
冗談ではない、というのが正直なところだ。
勇者召喚の儀式を行えるのは、一生の内で一度だけという制限がある。そんな生涯唯一の相棒である勇者を、捨て駒のように使われるのは勘弁ならなかった。
「教官、どうにかならないんですか!?」
「お前の気持ちは解るがなクルス。上の意向だ、俺らには逆らえん」
「そんな……」
「如何に強力な勇者とて、訓練も無しに放り込むのは無謀だとは思う。……お前も聞いたことがあるだろう、俺の呼び出した勇者が実力も付けない内に飛び出し、分不相応な魔物に挑んで命を落とした話を。その二の舞にさせたくはない」
ジッとボクの目を見る教官は、少しばかり寂しそうに、そして力強く告げた。
人伝に聞く限りでは、そういった勇者は案外多いのだという。
理由は定かでないけれど、召喚された勇者たちは魔物討伐に乗り気な者も多く、喜び勇んで戦いへと赴く傾向があるそうだ。
ただいくら強力な勇者と言えど、戦闘の訓練さえも碌に受けたことのない人たち。
こちらの制止も聞かず魔物へ突っ込んでいき、最初の戦いでアッサリと命を落とす例は枚挙に暇がない。
元召喚士である教官が呼び出した勇者も、そんな中の一人であったと聞く。
僕の呼び出す勇者がどんな人なのかはまだわからない。でも同じ目に遭わせたくはないというのは、教官にしても当然の想いだったようだ。
「今回召喚を行うのはお前だけではない、ベリンダも今頃は儀式の真っ最中だ」
次いで教官が口にした内容に、驚きと困惑で押し黙る。
ベリンダも今日召喚の儀を行うだなんて初耳。とはいえボクも当日急に言われたのだ、彼女もそうであったのかもしれない。
となるとやっぱり彼女の呼び出す勇者も、同様に訓練も無しで戦わされるんだろうか。
「時間はもうないが、気持ちの準備だけはしておけ。どんな勇者が呼び出されるにせよ、そいつはお前の分身も同然なのだからな」
教官はそれだけ言って立ち上がると、すぐさま移動するように促してくる。
ということはこれからすぐに儀式の準備を行い、勇者を召喚しようということだ。
あまりに突然に進んでいく事態に、ボクは不満を口にする間も無く流されていく。
儀式に必要な礼装を渡され、着替えてから速攻で普段使っている屋内の訓練場へ。
到着するなり資料を押し付けられると、教官たちを含む数人で床へ召喚用の陣を描いていった。
あれよあれよと準備は済んでいき、訓練場はあっという間に儀式の場へと様変わりする。
灯されていた明りは落とされ、薄暗くされた訓練場に残されたのはボクと教官の二人だけ。
そして中央に描かれた召喚陣の中央で、ガチガチに緊張し立ち尽くす。
「いいかクルス、落ち着いてやるんだぞ」
「そ、そう言われましても……」
「大丈夫だ、説明した通りにやればきっと上手くいく」
ずっと憧れていた瞬間とはいえ、いざその時となると自信の無さが表に出る。
励ます教官の声は聞こえるけれど、それによって自信まで得ることは難しく、本当にボクの実力で成功できるのかと不安ばかりが押し寄せてきた。
呼び出した勇者の力に高低はあれど、これまで召喚そのものに失敗した人は居ないと聞く。
他国ではどうか知らないけれど、少なくともこの国ではそうだ。
だがもしも、もしもボクがその最初の一人目となってしまったら……。
「召喚の儀そのものは、一人でやらなければならん。故に俺が手伝えるのはここまで、健闘を祈るぞクルス」
教官とて心配なのだとは思う。
しかしだからと言って手伝うこともできず、他人の魔力が介在しては陣が上手く発動しないため、この場に残ることは叶わない。
緊張し固まるボクを一人残し、教官は部屋から去っていった。
不安に押しつぶされそうになる。だがここからは一人。
やっぱり怖いからヤダという訳にはいかない。それに召喚を終えるまでは、たぶんこの部屋から出してもらえないだろうし。
「……よ、ヨシ!」
たった一人の静まり返った空間。少しでも緊張を和らげようと、杖を突いて体重を預け深呼吸をしてみる。
ただ空気を吸い込むばかりであったせいか、何度か繰り返す内に肺が一杯になり、むせ返ってしまった。
咳込み、治まったところで気を取り直して再び息を整え、覚悟を決め頬を叩くと、儀式に必要な呪文を口にしていく。
どれだけそれを続けていけばよいのか。呪文を何度も何度も繰り返す。
繰り返す度に、床に描かれた召喚陣からは僅かな光が発せられ、放つ光も次第に強さを増していく。
確かこの光が最高潮まで達した時、勇者の召喚が成されると教官は言っていた。でもそれがどのタイミングなのかはわからない。
「マズい、もう、限界……」
ただ幾度となく繰り返していく内に、自身の魔力がどんどんと削られていくのに気付く。
それは精神を、体力を抉り取っていくようで、終いには生命そのものを喰らいつくされるようでもあった。
脚は次第にガクガクと震え、呂律も回らなくなっていく。
玉の汗は礼装をぐっしょりと濡らし、黒炭で描いた足元の魔方陣へ滴り滲ませていった。
それに酸素が足りていないのか、視界も徐々に霞がかってきた気がする。
過酷であるとは聞いていたけれど、想像以上に消耗が早い。
このままではじき体力も尽き、昨日のようにここで倒れ伏す破目になってしまう。
ボクには勇者を召喚するなんて、荷が重かったんだろうか……、と弱気に支配され始めた時だ。
召喚陣から放たれる光が、一気にその勢いを強め始めたのは。
「な、なに!?」
噴出するかのように湧き起こる光の渦に呑み込まれ、驚き後ろへと倒れ込む。
広い室内の全てを光が覆い、耳を劈く高いキーンという音が鳴り響く中、その光と音から逃れようと瞼を閉じ耳を塞ぐが、どういう訳かまったく防げない。
瞼を越えて眼に光が刺さり、光の奔流に自身の存在そのものが押し流されるかのような錯覚さえ覚える。
その出来事に一瞬だけ意識を失っていたのか、次に瞼を開けた時には光の渦も高音も収まっていた。
汗に濡れた礼装を探り身体を見るが、怪我らしいものは見当たらない。
ただ尻餅をついて、腰を抜かしかけているだけだ。
「し、召喚は!?」
自身が怪我をしていないことだけを確認するなり、ハッと気付き視線を上げ叫ぶ。
だが目に映るのは、普段の様子とまるで変わりない訓練場の風景。
床の中央へと描かれた召喚陣は何故か消え失せ、ボクだけがポツンと残されていた。
「失敗……、か」
ガクリと肩を落とし、俯いて小さく呟く。
ボクがシグレシア王国で初めての、いやあるいは世界で初めてかもしれない、勇者の召喚を失敗した人間になってしまった。
その事実に頭を抱えると同時に、自身の立場に対する不安が目の前へちらつく。
失敗はノーカウントで、また召喚に再挑戦できるんだろうか。そんな希望的観測も頭によぎるが、首を横に振って打ち消す。
そんな美味い話はないだろう、きっとこれが最初で最後のチャンスだったんだ。
では勇者を得られなかった召喚士のボクを、騎士団は必要としてくれるのだろうか。それにお師匠様になんて言えば……。
項垂れたままでつくため息は、重い。
だがそんなボクの吐いた息へと被さるように、突然どこからか別の声が聞こえたのに気付く。
「痛ったぁ……」
一瞬、無意識に自分がそう言ったのかと思った。
だがちゃんと自身の吐いたため息も聞こえたし、二つの声を同時に口にするほど器用な真似も出来ない。
何事かと思いキョロキョロと周囲を見回す。
するとボクが背を向けていた側の壁際へ、布に包まった一人の人物が倒れているのが見えた。
呆然としながらも、何も考えずとりあえず近寄り、その人の腕へ触れ揺り起こしてみる。
教官が出て以降、この部屋にはボク以外に人は入って来なかったはず。という事はつまりこの人は……。
「ここ、ドコ?」
揺り起こした僕へと、倒れている人物は視線を向け呟く。
その声は高い、女性だ。いまいち齢の頃はよくわからないけれど、ボクよりも幾分か上だろうか。
彼女は身体は全体的に細身で、見たことのないような生地で作られた、黒と白の服を纏っていた。
長い黒髪の間から覗いている、顔についた輪っかみたいなものはなんだろう。細い棒状の物が耳の上へと繋がっている。
女性は混乱しているのだろうか、周囲を見回し次に自身の身体をペタペタと触ると、再びボクの方をジッと見つめてきた。
ボクは動揺しているであろう彼女を驚かせぬよう、極力優しい声になるよう抑えて問う。
「えっと、もしかして貴女が勇者ですか?」
「はい?」
「ボクの、ボクの召喚に応えてくれたんですよね?」
立ち上がらせるために手を差し伸べると、彼女は困惑しながらも手を取ってくれる。
手を引き立ち上がった彼女の背は、僕よりもずっと高い。
元の身長も高いんだろうけれど、穿いてる靴の踵が少しだけ高くなってるせいもありそうだ。
妙な格好をしているとは思う。それに想像していたような、屈強な戦士でも流麗な美男子でもない。
だがここに居るという事実そのものが、この女性を勇者であると証明している。
間違いない。彼女はこの世界の住人ではなく、異界から来たニホンジンと呼ばれる存在。
ボクは失敗なんてしていない、勇者の召喚に成功したのだ。
「えっと」
感動に打ち震えているボクを見下ろし、呼び出した勇者は何がしかの言葉をかけるべく口を開こうとする。
「ここ、ドコ?」や「はい?」などの、会話とも言えないような言葉は無効だ。
彼女の口から紡がれようとしている言葉は、きっと大きな意味や意志が込められたものに違いない。
召喚に成功し名実ともに一人前とされる召喚士になったボクへと、相棒たる勇者がかけてくれる最初の言葉。
さあ、勇者はいったいどんな言葉をかけてくれるのだろうか。
まさに感動の邂逅だ。ボクはきっとその言葉を、人生最後の瞬間までハッキリと覚えているに違いない。
「…………なにこのクソガキ」
"なにこのクソガキ"。
それが一人前の召喚士? になったボクへと、勇者が最初にかけてくれた言葉だった。