手紙 07
港町カルテリオの中心部にほど近い、比較的立派な家々が建つ住宅地に、ボクらが居を構える家は存在した。
そこの裏手に在る庭の一角、木材を組んで造った簡素な小屋の窓からは、白いものが空へ立ち昇る。
とは言ってもこれは火事などではない。ただ単に小屋の中にこしらえた浴槽から、湯気が発生しているだけだ。
「湯加減はどうです?」
「ちょっとだけ熱い。茹でダコになりそう」
「了解です。火を弱めますね」
その浴室とも言える小屋の中、湯に浸かるサクラさんは問いかけにノンビリとした言葉で返す。
浴槽の下で焚かれる火の番をするボクは、小屋の小窓を介して彼女と言葉を交わすと、鉄製の鋏を使って燃える薪の数本を取り出した。
指し水は要るかと問うも、サクラさんからは適当な返事しか返ってこない。
まさかもうのぼせてしまったのかと思うも、直後にボクはある心当たりに思い至る。
「もしかして中で読んでるんですか? ふやけちゃいますよ」
「大丈夫だって。持ち込んでるのは本物じゃなくて、書き写したやつだからさ」
「ならいいんですけど……」
どうやらボクのした予想は当たっていたらしい。
彼女は浴室へと持ち込んだそれ、"嘆きの始祖塔"で発見した、塔の主が記した文書を眺めているようだった。
ボクらが"嘆きの始祖塔"より帰還して、あれからもう3日が経つ。
結局それらしき収穫と言えば、アバスカル共和国の首都リグーを描いた絵に仕込まれていた、1枚の紙片のみ。
塔の持ち主であった元勇者が残した、未来の誰かに宛てた手紙。
しかしそいつはサクラさん曰く、彼女たちの母国で用いられている言語ではなく、異界に在る他国の言語で書かれていたようだった。
となると読むのは困難だろうかと思うも、サクラさんは一定の水準で習得しているとのこと。
もっとも随分長く触れていないため、怪しい個所が多々あるらしい。
手紙を読んだ時にサクラさんの表情が険しかったのは、単純に読むのに難儀していたからであった。
「で、読み方は思い出せましたか」
「もうサッパリ。簡単な単語くらいはわかるけど、こいつはワザと癖の強い言い回しで書いてあるみたいなのよね。私の語学力じゃ全然ダメ」
「困りましたね。肝心のオリバーは遠出をしていますし」
湯船の中で気を落ち着けても、サクラさんの語学力に付着した錆は落ちてくれないようだ。
一応現在カルテリオに居る他の勇者たちにも聞いてみたけれど、結局誰一人として読むことが叶わなかった。
そこで頼みの綱となるのが、ボクらと同じくカルテリオを拠点とし活動する勇者のオリバー。
彼もまた異界の出身だけれど、他の勇者たちと異なりニホンという国の出ではない。
そして今回問題となっている、エイゴとかいう言語を使う国の出身であるらしく、彼に翻訳を頼むのが一番無難であると思えた。
しかしオリバーは現在、相棒の召喚士であるカミラと共に、協会に届いた依頼を片付けるべく町を離れている。
さて、彼が帰ってくるのはいつになるだろうか。
そう考えていたのだけれど、今日のボクらは少々運が向いているらしい。噂をすればなんとやら、話題の人物による声が庭へ響いて来た。
「お邪魔スルよー」
このどこか変わった発音の喋りかたは、間違いなくオリバーだ。
協会支部の主であるクラウディアさんに、戻ったらこちらを尋ねてくれるよう言付けておいたのを聞き、早速来てくれたようだった。
ボクらが招き入れる言葉を発する前に、平然と庭へと踏み入ってくるオリバー。
相棒であるカミラを伴った彼は、土産らしき果実が入った袋を抱えたままボクへ手を振っていた。
「クラウディアから聞いたんダけど、君たち始祖塔をクリアしたんダッテね」
「ええ、でもちょっと問題があって……」
「そっちも聞いてる。君らの役に立てるのナラ、喜んで引き受けるってものサ」
オリバーは手土産を適当な場所へ置くなり、揚々と近付きボクの手を握った。
普段からそれなりに交流を持っている相手ではあるけど、こうして頼るという行為には縁が無かったように思える。
彼からしてみれば、案外それが嬉しいのかもしれない。
とはいえいくら親しい間柄であっても、タダでやるというのは彼の心情に反していたようだ。
「でもちょっとは見返りが欲しいカナ」と口にし、ニタリと笑む。
そんなオリバーへと、浴室内で湯に浸かったままであるサクラさんが、小窓越しに姿も見せず提案を口にする。
「好きな時にこの風呂を使えるってのはどう? もちろん薪代くらいは貰うけど」
サクラさんは適当な調子で、あまりこちらにとって痛手の無い報酬を提示した。
ただこいつはなかなかに魅力的であったようで、すぐさま提案に飛びついてくる。特にカミラが目を輝かせながら。
「んで、どいつを読めばいいんダイ」
「これ。私にはもう全然だから、後は任せたわよ」
「湯気でふやけちゃっテルじゃないか。……まあ、読めるケドさ」
小窓から腕だけを出し、オリバーへと手紙を渡す。
浴室内に篭った大量の湿気によって、張りを失ってしまった紙にゲンナリするオリバーだけれど、とりあえずインクが滲んで読めないということはないようだ。
受け取るなり小屋の壁に身体を預けて座るオリバーは、サクラさん曰く読み辛いという文章の翻訳にかかった。
「なんなんだい、この滅茶苦茶な文章ハさ」
「文句言わないの。何十年も前の日本人が書いたのよ、それもこの世界に召喚されて随分と経ったような人が。むしろよく忘れていなかったと感心するくらいね」
「なんであえて英語で書いたんダカ。ちょっと待ってクレよ、こっちもしばらく英語はご無沙汰なんダカら」
受け取った手紙を睨むオリバーは、呻りながら翻訳を進めていく。
ただ相当な悪文のようで、最もその言語に精通しているであろう彼にしても、少々難解な内容となっていたらしい。
ボクはその間、時折火の様子を見ながら、カミラさんと一緒に薪を割っていく。
そして数日分は十分に使えるであろう量をこなした頃、サクラさんに問うて火の調整をしていた時だ。オリバーの様子がおかしくなったのは。
非常に険しい表情をする彼は、普段の軟派な様子を一変、緊張感すら滲む気配で立ち上がり小窓へ近づいた。
「おおよそ翻訳は出来たヨ」
「流石。それで、なんて書いてあるの?」
「…………この状況で話す内容ジャないな。出て来てから、腰を落ち着けて話そう」
珍しく鋭い剣幕を露わとするオリバー。
いくら親しい仲であっても、小窓越しでは失礼だったかと思うも、どうやらそういった理由ではないようだ。
どこか動揺しているようにすら思える彼は、手紙を握ったままカミラと共に屋敷の中へと入っていった。
そんなオリバーの様子を、明らかにおかしいと感じたサクラさん。
彼女は急いで湯から上がると、半分濡れたままで着替え、急いでボクを伴い屋敷の中へと入る。
リビングへ入ると、そこには置いてあった紙とペンを用い、再び紙片に向き合うオリバーの姿。
ソッとその対面へ座ると、彼は丁度書き終えたとばかりに紙を差し出し、サクラさんへ「読んでくれ」と簡潔に呟いた。
怪訝そうにするサクラさんは、受け取ったその紙へ目を通していく。
だが少しして彼女もまた、オリバーのように表情を険しくするのだった。
「決して貴方を疑う訳じゃないけど、この内容で間違いはないの?」
「ああ、保証するヨ。少し翻訳に苦労したケドね」
「そう。……参ったわね」
おそらくサクラさんの生まれた国、ニホンの言語へと直されたそれ。
一読した彼女はソファーへ深く背を預け、平静さを保とうとするかのように深く息を吐き出す。
彼女らの様子を見るボクとカミラは、いったいどうしたものかと再度顔を見合わせる。
手元を覗き込んでも、書いてる文字は向こうの物であるため読めないし、どうしたのか問いたくもそんな空気ではない。
「これを書いた昔の勇者が、妄想に囚われてイタって可能性もあるケドさ」
「にしては厳重に隠していたけどね。……もし仮にこれが本当だとして、私たちの手に負える話じゃない」
「どうするんダイ、王都に送って報告を?」
「伝書鳥を使うのは不安ね。騎士団の竜騎兵を借りる……、ってのも止めておいた方が無難かも」
翻訳した紙へ視線を落としながら、サクラさんは目頭を押さえる。
彼女が発した、手に負えないという言葉。そしてオリバーの口から吐かれた、王都への報告という言葉に息を呑む。
それほどまでに重大な内容が書かれていたようで、心臓は自然と早鐘を打っていく。
「なら直接行く方が無難ダろうさ」
「それしかないか。つい数日前に戻って来たばかりだってのに」
「おいらたちが代わりに行こうか? 代行費用はいただくケドね」
「冗談を。そもそもは私が受けた依頼なんだし、最後までやるって」
サクラさんはそう言って、手にしていた紙を卓の上へ置く。
とはいえそもそも今回の依頼、塔を探索し戻って来た時点で終了していると言っていいし、この段階で微量ながら報酬も貰っている。
なのに王都まで行き何かをするというのは、余計に事態の深刻さを表しているようだった。
サクラさんがそう判断するのであれば、きっと必要なことに違いない。
とはいえ早速出立の準備を始めようとしていた彼女へと、流石に何も知らず同行は出来ないと、ボクは意を決して問うのだった。
「えっと、つまりどういう事です?」
「人に言伝を頼める内容じゃないから、直接王都へ行くって話。持ち帰った絵も一緒にね」
「いえ……、そうではなく書かれていた内容の方ですよ」
一応嘆きの始祖塔からは、手紙が隠されていた絵も持ち帰ってはいる。
今は何気に我が家の玄関に飾られているそれだけれど、持っていくの自体は問題ない。
けれど肝心な質問には答えて貰えず、ボクは少しばかりの不満を顔に表した。
するとサクラさんは「ゴメンゴメン」と苦笑しながら口にし、なにやら不穏な気配の漂う、そしてボクら勇者と召喚士にとって、息を呑む内容を告げるのだった。
「"黒の聖杯"、正体が掴めたかもよ」