手紙 04
半分朽ち、崩れかけた木製の扉。
錆びた蝶番が鳴る嫌な音を響かせ、塔の1階部分への入口は開かれていった。
何十年も昔、この世界へ魔物と呼ばれる存在が現れ始めた初期。
その頃に召喚された最初の者たち、通称"始祖の戦士たち"と呼ばれる勇者の一人が晩年を過ごした、"嘆きの始祖塔"と呼ばれる建築物。
そこへと足を踏み入れたボクら3人は、思いのほか整然とした様子に意外さを口にした。
「もっとこう、荒れ果ててるものだと思ったけど」
「意外に片付いていますね。もちろん埃は積もってますし、……魔物の糞も落ちてはいますが」
中へ入ってみると、これまた朽ちてはいるが棚が置かれ、そこには古い本が並べられていた。
棲んでいる魔物の食べ残しや排泄物が床に散乱しているものの、そこに目をつぶれば思いのほか小奇麗だと言っていい。
何十年も人が暮らさず、定期的に調査だけが行われているとは思えない程に。
「……むしろ、だからこそかも」
「と言いますと?」
「たぶん調査に来た人間が片付けてるのよ。なにせ私ら勇者の先達だもの、たまには多少の敬意も払いたくなるってことね」
サクラさんは棚に納められた本の一冊を手にし、埃を払ってから納める。
彼女ら勇者たち同士は、基本的に行動を共にすることは少ないけれど、密かに互いを尊重している。
おそらくそれは、二度と踏めぬ故郷を同じくする者同士であるというのが理由。
故にここ"嘆きの始祖塔"の持ち主であった元勇者に対し、調査に来た勇者たちは敬意を表し片付けているのだろうとサクラさんは告げる。
それは自分たちよりもずっと前、完全に手探りでこの世界を生きた先達に対する、一種の尊敬の念に近いのだと思う。
「単純に、何から何までひっくり返して探した後、そのまま帰るのが気まずかっただけかもしれないけど」
「かもしれませんね。なんていうか、元が片付いてるとどうしても」
「とりあえず上がりましょ。好都合にも魔物は留守みたいだし、たぶんここには何もないもの」
サクラさんの言葉に苦笑し、ボクとディノータさんは彼女に続く。
少しばかり奥まった場所に在る階段見つけると、壁面に沿って螺旋状に作られたそれを登っていく。
入ってみると、なかなかに広い作りだ。
遠目からは細く見えたけれど、思いのほかこの塔は巨大であり、捜索するにも随分と骨が折れそう。
この塔を建設させた始祖の勇者は、いったいどういった考えで、こうも巨大な塔を終の棲家に選んだというのか。
そんな思考を膨らませながら、次の階へと足を踏み入れる。
そこは1階部分とさして変わらぬ作りだけれど、魔物がほとんど上がってくることはないのか、下よりもさらに綺麗に保たれていた。
もちろん埃は積もっているし、魔物の代わりに入ってきただろう、鳥の羽などが落ちているのだけれど。
「クルス君、さっき君が言ってた疑問だけど」
「塔の名前ですか?」
「そう。どうやらこれが名前の由来になっているみたいね」
2階部分へ足を踏み入れたサクラさんは、ジッと壁の一点を凝視し、苦笑しながら告げる。
ボクとディノータさんも倣ってそれを見ると、壁にあったのは複雑な無数の線によって描かれたもの。
これは何度か見たことがある。勇者たちの故郷で用いられている異界の文字だ。
それが墨によって大きく壁に書き連ねられている。というよりも、書き殴られているという方が正解だろうか。
サクラさんはそれを読み、塔に"嘆き"などという名が付けられた理由を察したらしい。
とはいえボクらはそれを読むことが叶わず、メモ帳を手に内容を問うディノータさんの求めに、サクラさんは肩を竦め読み上げていくのだった。
「『我らは一介の道具なり。意志無く、魂も無く、明日への希望も夢も無い。羽虫より軽く、砂漠の礫よりも尚小さき我らが命は、籠の目から零れ落ちる泥水の如き。嗚呼、塵芥の者たちに、せめてもの誇りを。黒く染まりしその手に、祈りの言葉を刻もう』」
途中から、朗々と唄うように読み始めたサクラさん。
彼女の言葉が途切れ、苦笑しながらこちらを向くのだけれど、ボクにはなんとなくでしか意味がわからずにいた。
なんだか吟遊詩人の唄う英雄譚のようだと思っていると、サクラさんは再び壁の文字に向き直り浅く息を吐く。
「どうやらこの人がこちらの世界へ来た当時は、相当に酷い扱いをされていたみたいね」
「まあ、とんでもなく鬱屈してたってのは理解できましたが」
「おそらくこの人は召喚した連中から、完全に兵器として扱われていたんじゃないかしら。こいつはその鬱憤をぶつけた物、まさに溜まりに溜まった嘆きの発露ね」
やれやれと言わんばかりに、サクラさんはここが"嘆きの始祖塔"と呼ばれる理由を口にした。
前もって出発前に調べたところ、ここの主であった元勇者は、アバスカル共和国で召喚された人間であったらしい。
それが勇者を引退後、国境を越えてこの国にやって来て、ここに居を構えたのだと。
シグレシア王国の北東、コルネート王国の東側に位置する、大陸に覇を唱える大国の片割れがそのアバスカル共和国だ。
お世辞にも治安が良いとは言えない国であるらしく、シグレシアを含め各国で禁止されている奴隷売買が、公然と行われている数少ない国でもある。
そんなアバスカル共和国は大昔、勇者の扱いがそこまで良い方ではなかったとも聞く。
今でこそ改善したとも聞くけれど、それでもシグレシアやコルネートに比べ、勇者の地位が低いなんて噂は耳にしたことがあった。
「ここに来た勇者たちが、片づけをして帰った理由がコレですか~」
「感化されて、とまでは言わないけれど、こうも感情の発露を見せられると逆に平静になるもの」
ディノータさんの感想に、サクラさんは軽く笑いながら返す。
こういう事であれば、なんとなく気持ちはわからないでもない。
サクラさんはひとしきり納得すると、頷いてから手近な棚などを漁り始める。
今は亡き主の叫びを聞くも、これを目当てにここへ来たのではない。
本来の目的である、塔に貴重な史料となるものが眠ってはいないか。ひいては消えた財宝を探さなくては。
とは言うものの、何十年も探され続けたのに見つからなかったのだ、簡単に手掛かりが掴めようはずもない。
ボクらは2階に何も手掛かりが無いだろうと結論付け、壁の飾られた嘆きを背に、もっと上の階へと上がることにした。
「この階にもそれらしい物はないか……。もっと上を探すしかないわね」
「本当にあるんですか? なんだか本格的に疑わしくなってきました」
「少しくらいは夢を見なさいよ。もしかしたら、まだ見ぬお宝が存在するかも」
けれどいくつか階を重ねて探すも、目ぼしい手掛かりは得られない。
それにここも今まで多くの勇者によって、捜索の対象とされてきた。
ちょっと漁った程度で簡単に見つかるのであれば、とっくの昔に協会本部も探索依頼を出さなくなっているはず。
それでもサクラさんは諦めない。
実際に宝が見つかるかどうかは別問題。どうやら今は、半ば楽しんでやっているようにすら思える。
こうなった以上、もう適当なところで引き返すよう言っても無駄だと思え、ボクは嘆息しながらディノータさんと共に続く。
「ディノータさん、ネタ集めの方はどうですか? 良い具合に書ける材料が見つかったならいいんですけど」
「もうほぼ完璧に。むしろ最初にあった、壁の文字だけで十分ネタにはなりますよ~。でも折角ですから、一番上まで行きたいところですね」
長い螺旋階段を登る最中、一言の不満も漏らさぬディノータさんへ振り返り問う。
ただ彼女は不満どころか満面の笑みを浮かべ、手にしたメモ帳へ頬ずりせんばかりな機嫌の良さを露わとする。
今のところ塔内では魔物に遭遇していない。けれど彼女たち曰く"ロマン"とかいうものが漂うここで、故人の嘆きを見ただけで十分とのこと。
ここから上手く物語として脚色し、後日王都で演じられるに違いない。
「一番上……、ですか」
「どうされたんですか~? 上に行くのに問題でも?」
「いえ、そういう訳ではないんですけれど」
メモ帳にペンを奔らせながら歩くディノータさんは、機嫌の良さから笑顔を浮かべつつ、こちらの顔を覗き込んでくる。
ボクはそんな彼女に、何でもないと返しながら階段を登る。
彼女には何でもないと言ったが、ボクは階段を登っていく最中、とある妙な違和感を感じていた。
それは2階から3階へ、3階から4階へと階を登っていくにつれ強まっていく。
階段が、というよりは建物全体に対してだろうか。微妙な齟齬が生じているような、得も言われぬ気持ち悪さ。
「ようやく最上階ね。早く登っといでよ」
ただ先を行くサクラさんは別段なにも感じていないようで、最上階となる階層へ立ち手招きする。
小走りとなって上がってみると、そこは今まで経てきたどの階よりも、ずっと閑散とした状態。
ここまで階段を登るのだって一苦労だ、当然家具の類もほとんど置かれておらず、ほぼ何もない空き部屋も同然。
けれど一か所だけ、壁面に梯子が掛けられており、そこは屋上に繋がっているようだった。
「ここは流石になにも無さそうね。となると最後は屋上か」
そう告げるサクラさんは、迷うことなく梯子へ手を掛ける。
ボクも彼女に続こうとするのだけれど、やはりどこかおかしな感覚が拭いきれない。
違和感はより強く、より顕著に頭へ襲い掛かり、梯子を握る手を止めさせた。
「クルス氏、やっぱり調子が悪いですか?」
「い、いえ。そういう訳では……」
手と足を止めたボクを、梯子の下で待つディノータさんは怪訝そうに、というよりも心配そうに見やる。
体調そのものは悪くない。ただ単に、おかしな違和感に襲われているだけだ。
決して危険な予感を感じるとというのとは違うのだけれど、どこか拭い去れぬそいつに顔を顰めながら、ボクは梯子を握る手に再び力を込めるのだった。