手紙 03
2日後、ボクらは諸々の準備と僅かな休息を経て、王国西部地域へと出発した。
とは言っても、移動距離は徒歩でたった2日弱ほど。
王都へ行くどころか、最も近いそれなりの規模を誇る町へ行くことを考えれば、目と鼻の先とすら言える距離だ。
それでも入念な準備をし休息を取ったのは、今から向かう場所が一筋縄ではいかぬため。
"嘆きの始祖塔"と呼ばれるそこは、何十年もの間謎に包まれ続けている上に、魔物が棲み付いているという話を聞いたからであった。
「クルス君、まだ機嫌が治らないの?」
「別に機嫌を損ねたりはしていませんよ。ただちょっとだけ、気乗りがしないだけで」
「そういうのも機嫌が悪い内に入るのよ。いい加減観念しなさいな」
出発の翌日。麗らかな春の日差しを浴び、馬車を使わず徒歩での移動を行う。
その最中に隣を歩くサクラさんは、こちらの顔を覗き込み呆れ混じりに肩を竦めるのだった。
勇者支援協会カルテリオ支部に届いた、1通の依頼書。
嘆きの始祖塔の探査依頼であったそれだけれど、これはどうやら直近の町であるカルテリオだけでなく、方々に向け出された物であるらしい。
というのもこの依頼、何年かに一度思い出したように届くらしいのだけど、受けてくれる勇者が毎度ほとんど居ないそうなのだ。
「そりゃ確かに、あれだけ報酬が安いとね……」
「本部も依頼達成を本気で期待してはいないと思いますよ。一応まだ謎が残っているままだから、形として探査を依頼しているだけで」
「でもちょっとだけロマンがあって良いじゃない。私はこういうの嫌いじゃないかも」
"嘆きの始祖塔"探査は、何十年も前から繰り返し出されてきた依頼だ。
故に塔内部の探索そのものはとっくに終わっていて、今更行ってもお宝などはまず見つからないというのが大方の見通し。
そのためか協会本部もそこまで期待はしておらず、おかげで報酬は激安。
勇者として名を高めつつある今、ボクらにとってその提示された金額は、はした金どころではない額であった。
おかげで勇者たちはこの依頼が来ても、まず受けることがない。
それでもいまだ依頼が出され続けているのは、かつて塔の持ち主であった人物、この場合"始祖"と呼ばれる人間に理由がある。
この場合の"始祖"とは、世界に魔物が現れ始めた時代、その初期頃に召喚された勇者たちを指すらしい。
なので"始祖"と呼ばれる彼が、勇者引退後に暮らしていたその塔は、歴史の面で大きな史料となる可能性を秘めている。
というのが、長年依頼を出されている主な理由。
得る物を考えると個人的にあまり気乗りがしないけれど、いわば初代に相当する勇者の一人であり、サクラさんにとっては大先輩。
そんな人が晩年を過ごした場所を見るというのは、彼女にとってなにか思う所があるようだった。
「何十年もの熟成を経た謎を探る。素晴らしいですね~、英雄譚の一幕のようで」
そしてここにも一人、サクラさんと同じくロマンとやらに目を輝かす人が居た。
ボクらよりも数歩後ろを歩くのは、やはり取材目的で同行するディノータさんだ。
彼女は自身が着いて行くのにうってつけとばかりに、今回の嘆きの始祖塔探索に同行している。
どこかウットリとした様子で、遠くを眺めるディノータさん。
目が細められているためよく見えないけれど、きっとまだ見ぬその塔に思いを馳せているようだ。
「でも~、運よくお宝でも見つかれば、この上なくありがたいのですが~」
「史料以上に、見つかるかは望み薄だと思いますけどね」
「わかりませんよ~。なにせその"始祖"さん、当時は王国西部最大の富豪だなんて言われたそうですし、見つかっていない遺産が隠されているかも」
ディノータさんは僅かに目を開き、グッと拳を握りしめ力説する。
今でこそ勇者たちに見向きもされない塔だが、かつては大勢の人間が家財道具の一切をひっくり返し探索を行っていた。
というのもディノータさんが言ったように、件の人物が相当な資産家であったため。
ただ死後に遺産を漁ったものの、まるで何も残されてはいなかったのだ。浪費を繰り返すような人物ではなかったというのに。
という逸話もあって、ディノータさんは妙にやる気だ。
きっと宝の一つでも見つかれば、王都で吟遊詩人が今回の顛末を詠う時にも、相当に映えるであろうから。
「だというのに、クルス氏は何故か乗り気ではありませんね~」
「そうなのよ。こんな面白そうな話、むしろ男の子の方が好きだと思うんだけど」
今回の依頼に消極的な態度を示すボクへと、女性陣は不思議そうな様子で凝視する。
今ばかりは揃って同じ主張をする彼女らに、ボクは無意識のうちに歩く間隔を広げてしまう。
実のところ、彼女らの言わんとすることも理解できなくはない。
もし歴史的に貴重な史料が見つかったりしたら、気持ちは多少なりと沸き立つ。それにもし財宝など有ろうものなら、飛び上がって喜ぶはず。
けれどボクはどうにもこの話を聞いた時から、嫌な感じがしてならないのだ。
「確かに塔へは魔物が棲み付いてるとは聞くけど、気にしすぎじゃないの? 周辺に生息する、比較的弱いのが入り込んでるだけだって話だし」
「だと良いんですが……」
「警戒するのも大切だけど、気を張りすぎると逆に要らぬ失敗をするわよ」
奥底から感じる、ざわざわと掻き立てられるような感覚。
けれどそんな嫌な予感も、サクラさんにしてみれば根拠ない不安感であると思えたようだ。
……でも彼女の言う通りなのかもしれない。実際これまで幾度となく勇者が探索してきた塔だけれど、一度として犠牲者すら出ていないのだから。
ボクはそんなサクラさんの言葉に自身を納得させ、不安感を振り払う。
気を取り直して、使う人の少ない荒れ気味な細い街道を歩き、時折遠くへ見えた木々の近くへと立ち寄る。
折角王国の西部地域に足を踏み入れようとしているのだ、この機会に色々と採集をしておきたい。
「それって、例の木の実?」
「はい。カルテリオの近隣では、ギリギリ採れないんですよね。この辺りに来てようやく見つかるそうなので」
ボクが木に近寄って拾い上げたのは、掌へ一応収まるといった大きさをした木の実。
水分の抜けきって今にも崩れそうにすら思えるそれは、シグレシア王国の西部で自生する木に生っている物だった。
今は乾燥しているこいつも、一度水を含むと膨張、中の種子を遠くへ飛ばすために破裂する。その際に生じる大きな音が、魔物除けに効果があるのだ。
まだ雨が多く振るような時期には早いため、良い方向に考えれば今回の依頼も好都合だったのかもしれない。
「召喚士さんが戦うなんて、あまり聞きませんけどね~」
「ボクだってこういった知識を習うまでは、サクラさんの後ろで隠れていましたよ」
「クルス氏は戦い方を、お師匠さんに教わったのでしたか~。まさかこちらの世界の住人が、魔物に対抗する術を持つだなんて」
ディノータさんは簡単の声を漏らしながら、木の実を拾い集めていくボクを眺めた。
国内各地から諸々の情報を集め、吟遊詩人に歌わせることで王都の住人にそれらを伝える。
そんな商売の一端を担う彼女にしても、これは驚きに値するものであったらしい。
こちらの世界で生まれた人間は脆弱だ。サクラさんら異界の人間とは違って。
そして魔物に対抗できないからこそ、異界より勇者を召喚している。
そんな常識が支配する世にあって、お師匠様のように技術を用いて魔物を追い払う術を構築するというのは、ある種の異端とも言える発想だった。
「とは言っても、直接倒すには到底足りません。精々が追い払うだけ」
「それだけ出来れば十分ですって~。広めればかなり有難がられるかと」
「こいつならともかく、他の物はある程度の知識や技術が要りますし……。それにお師匠様の秘伝なので、あまり開示するのは」
ディノータさんはこの術を開示するのが有益であると口にする。
しかしボクがそう返すと、彼女はある程度納得はしてくれたようで「ふぅん」と呟き、手にしていたメモ帳にペンを奔らせていく。
「召喚士としての優位性ですしね~。そう易々とは教えられませんか」
「正直に言ってしまうと。勝手だとは思いますけど」
「いえいえ、別に責めてはいないんですよ。勇者や召喚士が競争し合っている以上、仕方ないことですから」
お師匠様が教えてくれた、自衛手段ともなる薬品類の製造法。これらが他者にとっても有益なのは、当然わかっている。
けれど今拾った木の実などはともかく、他の薬品類はお師匠様から伝えられた秘匿する代物。
魔物の被害が切実な問題である地域には悪いけれど、これはそう易々と教えることはできなかった。
「でもせめて、その効果を見るくらいは許してください~。あの塔で使う機会があるかは知りませんけど」
ディノータさんはそこを責めるつもりはなくとも、ネタとして見るという点では強く求めてくる。
そして細い街道が続く先を指さすと、少しだけ浮足立った気配を漏らしていた。
指が示す先へと、ボクも視線を向ける。
そこにはずっと遠く、まだ小さくしか見えてはいないものの、聳え立つ塔の陰が見えていた。
あれが今回の探索場所、"嘆きの始祖塔"と呼ばれる、初期の勇者が晩年を過ごした家だ。
たった1日と少しの移動距離。
けれど目的地が見えた時には毎度、どうしても安堵感と緊張感を同時に感じてしまう。
ただ今回は塔を見た瞬間、そんな感傷と同時にふとある疑問が浮かび上がった。
「あともうちょっとですね。……それにしても、どうしてこう妙な名前なんでしょう」
「そりゃクラウディアが説明したように、初期の勇者が住んでいたからで……」
「いえ、"始祖"の部分はわかるんです。けれど"嘆き"ってのはどうして付いたのかなと」
怪訝に呟くボクに、サクラさんは気楽に返す。
けれど近付きつつある、一見して何の変哲もない塔に対し付けられた異名が、"嘆きの始祖塔"とは随分と仰々しい。
普通に住んでいただけであれば、到底付けられぬであろうこの名前も、ボクが嫌な感覚を抱いた一因に違いない。
「言われてみれば。今まで探索に被害が出なかったにしては、嫌な名前が付いたものね」
「……案外探索をしても毎度空振りに終わる、勇者たちの嘆きだったりするかもしれませんが」
「その可能性は高いかもね。名前の理由は行ってみればわかるわよ、個人的には逆に楽しみになってきた」
ボクが不安感を煽られる言葉も、サクラさんにしてみれば逆の効果を発揮するらしい。
むしろ意気揚々と目を輝かせる彼女は、同じく強い興味に尾を振るディノータさんと共に、進む足を速めていくのだった。