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愛玩人形の空 11


 領兵によって築かれた検問を、到底無事にとは言えない手段で通過。

 その後1日ほどを経て、コルネート王国南部の国境地帯にほど近い地域へ辿り着いたボクらは、先行していたアルマとユウリさんに合流を果たした。

 ここに至ってようやく、念の為続けていた変装を解く。


 とはいえ検問以後は娼婦の格好ではなく、扮していたのは至って普通な町娘。

 娼婦よりはずっとマシだけれど、喉元を隠すスカーフを取り払った瞬間、ボクは身体の力が抜けていくのを感じた。



「さて、陽が暮れないうちに行きましょ」


「そうですね。とっくに例の貴族が治める領地は出ましたけど、万が一ってこともありますし」



 合流を果たしてから数時間後、ボクらはシグレシア王国との国境に建つ、コルネート側の砦前へと立っていた。

 普段通りの格好に着替えたボクらは、今から国境を越えようというのだ。


 もっともメイリシアさんだけは、法衣でなく町娘の格好をしたまま。

 逃走の最中に法衣を処分したというのもあるけれど、万が一この砦へと、教会の人間が通過したら止めるようにという内容の指示があった場合に備えて。

 その彼女は若干の緊張を纏い、国を跨ぐ最後の壁となる、関所の砦を見上げていた。


 ボクはそんなメイリシアさんの背へ軽く触れ、歩くように促す。

 すると彼女は一瞬だけ振り返り小さく頷くと、意を決して砦の中へ進むのだった。



「通行証を拝見いたします」



 砦の中へ入るなり、卓上に積まれていた書類を整理していたであろう騎士が、立ち上がって告げる。

 基本的に一般人には必要ない通行許可。けれどこの中で不要とされるのは、アルマとメイリシアさんだけ。

 逆にボクとサクラさん、それにユウリさんのように騎士団へ属する人間は必要となる。


 ボクは鞄から大切に仕舞いこんでおいた通行許可証を取り出し、大人しく騎士へ渡す。

 受け取った騎士はそいつに目を通し、一応隅々にまで目を通した後、紙のそれを畳み直して返してきた。



「……問題はなさそうですね。通って構いませんよ」



 この許可証自体は正規の代物なので、変に疑われたりはしない。

 なので大丈夫だとわかってはいたけれど、追手に迫られていた緊張からか、ついつい緊張してしまう。

 ボクは返されたその許可証を受け取ると、緊張感をなんとか内に捻じ伏せ、一礼して砦を跡にしようとする。


 しかし騎士が突然思い出したように発する言葉に、ボクはビクリと身体を震わせた。



「ああ、問題と言えば。貴方がたの中に教会の関係者はいらっしゃいませんよね?」


「えっと、……どうしてそのような事を」


「いえ、実は近領の領主から達しが来まして。もし通ろうとした場合、引き止めて欲しいと」



 やはり件の貴族、この国境にまで指示を飛ばしていたらしい。

 砦を出ようと奥の扉へ手を掛けていたメイリシアさんは、騎士の発した内容に身体を硬直させる。


 すぐさま否定を口にするも、もし騎士が強引に引き止めようとしたらどうしよう。

 よもや国境上の砦で暴れる訳にもいくまい。領兵たちが敷いていた検問であればともかく、この場所はシグレシア側にも関わりがあるのだ。

 下手をすれば国際問題一歩手前に至りかねないだけに、腰に差していた短剣へ手を伸ばすのも憚られる。


 しかしこの不安は杞憂であったようだ。

 騎士はどこかノンビリとした調子で、軽い笑いを上げる。



「もっともここは国王陛下直轄の砦、その命令に従う義務はありませんがね。とはいえ後で難癖を付けられては堪りませんし、形の上で聞いただけですのでお気になさらず」


「そ、そうなんですか」


「ええ。面倒臭いしがらみの一つと笑ってください」



 カラカラと笑う騎士は、行ってもいいと告げる。

 そもそも領主から届いた指示も、本当に遂行する気がまったくなかったらしい。

 それに考えてもみれば、今回メイリシアさんをシグレシア側に逃がすというのは、コルネートの騎士団、ひいては国の中枢による意思が介在している。

 国王直属の騎士である彼らは、事情を知らずともなんだかんだでこちらの味方であるはずだった。


 安堵するボクは会釈をすると、今度こそと取っ手に手を掛けて開く。

 暗い通路を通って砦を出ると、太陽が沈む少し前の赤い空と、強く照り付ける陽射しが目に飛び込んだ。

 ゴツゴツとした岩と僅かな緑ばかりな、特別広くもない一本道。

 両国の丁度中間に位置するそこを挟み、向こうには小さくシグレシア王国側の砦が見える。



「あの先が……」


「はい、ボクらの暮らすシグレシア王国です。もう少しですよメイリシアさん」


「は、はい!」



 これまでコルネート王国どころか、王都ラベリアからも出たことがなかったメイリシアさん。

 そんな彼女が、遂に他国が目の前に見える場所まで来たのだ。

 感慨と不安の入り混じった彼女に、ボクは励ますべく声をかける。


 ただもうとっくに覚悟は出来ていたメイリシアさんは、少しだけ上擦った声ながら、意気のこもった返事をする。

 彼女の言葉に反応し、僅かに先へ進もうとしたサクラさんは、微笑みながら振り返るのだった。



 既に馬車を近隣の町で売却し、身軽となったボクらは徒歩で進んでいく。

 アルマは楽しそうにメイリシアさんと手を繋ぎ歩くのだけれど、一方の彼女は表情が何とも言えない複雑さを湛えていた。

 決して異国に渡るのが不本意ということではない。おそらく生まれ育った国へ別れを告げる、一抹の寂しさを噛みしめているため。


 ただそんな表情も、すっかり日が沈んだ頃には鳴りを潜めたる。

 シグレシア側の砦へ辿り着き、許可証を出しての手続きを済ませ、遂には国境を越えたためだ。



「凄い、凄いです! これがシグレシアの空なのですね」



 遂に、シグレシアの国土へと足を踏み入れたメイリシアさん。

 彼女は砦から出るなり、完全に陽が落ちて真っ暗となった空を見上げ、大きく感嘆の言葉を漏らした。


 空には一面の星空。

 夜間でも建物の明りが見える王都とは異なり、ここでは砦から漏れる僅かな光のみ。

 殆ど遮るものなく広く降り注ぐ星の瞬きに、彼女は自身の目も輝かせていた。



「コルネート側とは、歩いてそんなに違わない距離ですよ」


「それでも凄いです! この世に、こうも広い空があるだなんて」



 ボクの目には、シグレシアもコルネートも空の景色が変わるようには思えない。

 けれどメイリシアさんは僅かに小走りとなって街道を進むと、大きく腕を広げ天を仰ぎ見ていた。


 普段の穏やかな様子とはうって変わり、幼子のようにはしゃぐメイリシアさん。

 きっと彼女が見ているのは、満点の星空ではない。空を通して自分自身を、そして自分がようやく解放された世界を見ているのだ。

 コルネートが不自由を強いる国とは思わないけれど、かの地から離れたことで、遂には本当の自由を手に入れた実感が得られたに違いない。


 持って生まれた類稀な容姿。そしてそれを食い物にしようとしていた教会と、下卑た欲望で手に入れようとしていた貴族。

 意志無き愛玩人形にされかけていたメイリシアさんは、ようやく自身の足で歩ける空の下へ立ったのだ。



「クルス君、私たちは少しだけ先に行ってる。後で追いかけてらっしゃいな」



 笑い声を上げるメイリシアさんの姿を見て、サクラさんはボクへ小さく告げる。

 なんだかいつもよりずっと優しい、彼女の表情と言葉。

 たぶん何か意図するところはあるのだろうけど、ボクはそれを考える間もなく、無言のままで頷くのだった。


 夜闇の中、ボクとメイリシアさんを置き先に進むサクラさんたち。

 残されたボクらは、腰に下げたランプへ明りを灯すこともなく、街道上でただ立って空を見上げていた。



「クルスさん、わたくしはこの国でやっていける気がしてきました」


「なら良かった。連れてきた甲斐があるというものです」


「全て皆さんの、特にクルスさんのおかげです。その……、それでですね」



 星空から視線を外し、ボクの方を見るメイリシアさん。

 彼女は礼の言葉を口にするのだけれど、続いて星明りでもわかるほど頬を染め、何かを紡ごうとした。


 けれどボクは、この時点で彼女が何を言わんとしているかを察する。

 基本的にボクは色恋の経験がなく、そういったものに敏感な方ではないと自覚している。

 けれどそんなボクでさえ、彼女が寄せる好意には気付けた。きっとそれは自惚れの類ではないはず。



「一緒にカルテリオへ着いてからなのですが、もしよろしければわたくしと――」



 意を決したであろう、メイリシアさん。

 真剣な表情で口を開く彼女が次に言おうとしている事が、ボクには明確にわかってしまう。


 気持ちとしては、嬉しいと思わないでもない。

 こんなにも美人で、穏やかだけれど本当は明るい気質で、人当たりだってとても良い。

 メイリシアさんのような人に好意を向けられるなんて、男冥利に尽きると言ってもいいくらいだ。

 けれどボクはそんな彼女に対し、ある意味で苛烈に突き放つ言葉を発するのだった。



「もちろんカルテリオに着いてからも、メイリシアさんとは良い"友人"になれそうです」


「え……」


「これからは同じ町で暮らすかもしれないんですし、たまには遊びに来て下さい。サクラさんとアルマと、一緒に待っていますから」



 ポカンとするメイリシアさんに、言葉を畳みかける。

 彼女はボクの発するそれを、しばし唖然としたまま聞き続けていた。


 けれどしばらくして、これが明確な拒絶の意味を含んでいると気付いたのかもしれない。

 肩と声を震わせ、「そう……、ですよね」と消え入りそうに小さく呟くと、先を行く皆を追って街道を歩き始めた。

 時折聞こえてくる嗚咽に、原因となったボク自身も、胃の腑へ鉛でも仕込まれたような心地になる。


 そんな状態で進み、ゆっくりと移動していたサクラさんたちに追いつく。

 メイリシアさんはこの時点ではもう嗚咽を収めていたけれど、俯いたままであり、泣き顔を人に見せたくはないという意思がありありとしていた。



「良かったの?」


「はい。これでいいんだと、……思います」



 サクラさんはソッと近づいてくると、困ったように囁き問う。

 聖職者であるからと言って、なにもそういった好意まで禁じられてはいない。

 むしろ司祭たちの中には結婚している人間もいるし、カルテリオに居る老司祭だってそうだ。


 ボクはメイリシアさんを決して嫌ってはいないし、むしろ好ましいとすら思っていたくらい。

 けれどどうしても、彼女の期待に応えてはあげられない。


 隣を歩くサクラさんを見上げてみると、彼女は少しだけ不憫そうに、無言のまま前を歩くメイリシアさんを見つめる。

 王都に居る時など、彼女がボクへ好意らしき素振りを見せていた時、サクラさんはあまり面白くなさそうな表情をしていた。

 きっとそれはボクがメイリシアさんの好意を受け入れてしまった場合、少し距離を置くことになる寂しさだったのかもしれない。

 でもボクはそんな彼女の表情がとても、とても嬉しかったのだ。



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