愛玩人形の空 10
ガラガラと激しく音を立てる車輪に、街道上の石を踏み大きく跳ねる馬車。
共に今にも壊れそうなそれを辛うじて御しながら、ボクは必死に馬車を走らせていた。
「クルス君、まだ使えそうな手持ちはある!?」
手綱を撓らせ、馬の駆ける速度を上げていく。
そんなボクの横では、後ろを振り返るサクラさんが手に荷物を握り、中を覗き込みながら問うのだった。
ボクの荷物であるその鞄は、中に諸々の薬品が納められている。彼女はこれらを使い、追手を排除できないかと告げていた。
「少しは。でも上手く当てる自信は……」
「いいから全部ぶち撒けてやりなさい。もし捕まったらどうなると思う?」
サクラさんの言葉を聞きチラリと背後を窺えば、数騎の馬が砂煙を上げながら追いかけてくる。
ついさっきボクらを買おうとした連中が、頭に血を上らせ追跡を試みているのだ。
もしも拘束されようものなら、娼婦に女装していた召喚士として、たぶん非常にみっともない扱いを受けるに違いない。
「……絶対に嫌です」
「なら是が非でも当てること! 男だとバレても君は容姿的にアレなんだから。捕まったら貞操の危機よ!」
「じ、冗談じゃない!」
サクラさんのする、全身を粟立たせる発言。
ボクはそれを聞くなり、絶対に捕まる訳にはいかないと手綱を撓らせ、馬の速度を上げた。
とはいえ連中はひとりが1頭の馬に跨り追いかけてくるのだ。
2頭で3人が乗る荷車を引いている以上、当然ながらいずれは追いつかれてしまう。
急ぎサクラさんから鞄を受け取ると、中から幾つかの薬品を取り出す。
少しだけ残った痺れ薬に、空気に触れると発火する紙。人に対してはともかく、馬には高い効果を発揮してくれるはずだ。
「……頼むから当たってくれよ」
小さく呟きながら手綱をサクラさんへ渡し、荷台へ移り手にした小瓶を構える。
向こうも移動しているため、狙いを定めるのが難しい。けれどこれが外れれば、ボクら全員がとんでもない辱めを受けてしまう。
呼吸を整え、激しく揺れる馬車の上で機を窺う。
そして好都合にも連中がひと塊になったところを狙い、当たってくれと願いながら小瓶を放り投げた。
急角度の放物線を描き、迫る酔っ払いの領兵連中へと迫る。けれど連中は酒に酔っているというのに、意外にも反応し勢いを緩め回避。
あえなく小瓶はその手前で落ち割れるのだけれど、連中は知らない、これが直接当たらずとも効果を発揮すると。
「お、おいどうした!」
「暴れるな! クソが!」
投げつけた痺れ薬の粉を吸い込む馬たちは、混乱したように暴れ始める。
流石に人とは違い速攻で効果は現れないけれど、少しして膝を折り地面へ崩れていった。
領兵の男らも鞍から投げ出され、今度は酒による影響か、受け身すら取れず石だらけの地面に叩きつけられる。
追手の数騎全てが離脱したことに、安堵の息を漏らす。
しかし追いかけてきた連中が消えても、ボクらに安堵の時は訪れないらしい。
視線の向こうからは、更に十数騎もの影が見え、こちらへ向かって来ていたのだから。
「ああもう! 仕方がないわね」
おそらく異常を察した検問の兵たちが、こちらへと向かっているに違いない。
サクラさんはそんな光景を見るなり、苦々しげな言葉と共にボクへ再度手綱を渡して、荷台へ移り下の板を2枚ほど引き剥がす。
そこへ手を突っ込み取り出したのは、彼女愛用の大弓。二重にした板の間に仕込み隠していた物だ。
こんなにも巨大な弓を引くのだ、連中には彼女が勇者であると気付かれてしまう可能性が高い。
それでも捕まるよりは余程マシと、サクラさんは狙いを定めて射ると、勢いよく飛ぶ矢は迫る馬の足元へと突き刺さった。
当然外したのはワザと。強靭な弓によって放たれた矢だ、普通に刺されば領兵は一撃のもとに命を落としてしまう。
「本当に、申し訳ありません……。わたくしがあんな真似を仕出かしたばかりに」
一応足止めとしての効果はあり、領兵たちの追跡は緩む。
けれど容易く諦めてくれるつもりはないようで、再度領兵は馬の速度を上げてきた。
苦々しい表情を浮かべ、サクラさんもまた次の矢を番える。そんな彼女の姿を見つめていたメイリシアさんは、強く自身の服を握り後悔を口にした。
「今更気にしなくてもいいって。それになかなか痛烈な一発だったし、私としてはいっそ小気味よかったわよ」
「だとしても、なんてはしたない事を。説教の場で、ああも爆発したわたくしに言う資格はありませんが」
サクラさんは矢を射ながらも、メイリシアさんに気にしないよう告げる。
けれど清貧と平穏、基本的にはこれらを是とする教会で育った身。
いくら酔って絡んできたとはいえ、男の急所へ一撃を見舞ったのは恥ずべき行いと考えているらしい。
加えて変装が全て無駄となり、逃走するに至った状況をだろうか。彼女は少しばかり顔を赤くしながら、感情の赴くままにした行動を恥じる。
けれどあの場では仕方ない。ああしなければ、実際天幕に連れ込まれていたかもしれないのだから。
なのでこういった状況になったのは不可抗力。現にボクも、領兵のひとりを殴り倒している。
そんなことを考えつつ、激しく揺れる馬車の御者台へ、メイリシアさんを移動させ呟く。
「むしろボクとしては、ちょっとだけ安心しました。王都の件とさっき、両方とも」
「安心……、ですか?」
「多少感情を表に出して素直になった方が、たぶん向こうでは生き易いと思いますよ。それに――」
いっそ個人的に、彼女はこれくらいで丁度良いように思える。
穏やかで、品行方正で、多くの人に優しく接する。そんな人はきっと理想像と言われるに違いない。
けれど王都で見たメイリシアさんのそんな姿は、どこか無理をして作り上げた、虚像のような気がしていた。
むしろ説教の場で司祭たちを断罪し、感情を発露させた時の方がよほど魅力的だ。
切羽詰った逃走の最中だけれど、メイリシアさんが気落ちし続けるよりはマシに違いない。
そう考え自身の抱いた感想を正直に伝えると、彼女は途端に顔を真っ赤に染め上げたのに気付く。
直後牽制として矢を射ていたサクラさんが振り返り、ジトリとした視線を向けてくるのにも気づいたのだけれど。
「み、みりょくだなんて、そんな……」
ただ褒めるのが過ぎたのか、メイリシアさんは呆然としてしまう。
そのせいで身体を支えていた手を放してしまい、直後に襲った揺れによって体勢を崩し、危く落下しそうになってしまう。
「クルス君、そういうラブコメは後にしなさい!」
「ら、らぶ……、なんですって?」
「いいから今は馬車を操るのに専念しなさいってこと!」
そのことで、サクラさんからは叱咤を頂戴してしまう。
言っている意味はよくわからないけれど、彼女は少しばかり不機嫌そうな様子を見せていた。
ボクとメイリシアさんは、鋭く飛ぶ声に無意識に背筋を伸ばす。
サクラさんの不機嫌さは射る矢にも現れているようで、さっきまで馬を驚かせるべく足元へ刺さっていたのが、今は領兵のすぐ脇を掠めるように飛んでいた。
実際ここまでの精度で調整しているのだから、冷静さは保っているのだろうけど。
「キリがない。クルス君、どこか街道から出られそうな場所はない?」
とはいえ追いかける領兵たちも意地が勝るのか、それとも矢が脅し以上の意味を成さないと判断したか。
追いかける馬の脚を止めようとはせず、ひたすら追跡を試み続ける。
このままでは延々逃げ回るハメになるし、そのうち牽制の矢だって底を付く。
ならば事態打開の一手を打つ他ないと、サクラさんはひとまず街道から逸れるという手を口にした。
「そうは言っても、こんな渓谷の中では」
「クルスさん、あそこはどうでしょう。勢いを付ければあるいは」
「本気です!? ……でも他には無いか」
高い岩に囲まれた渓谷の中、そう簡単に脱出は儘ならない。
けれど前方を凝視していたメイリシアさんは、半分立ち上がってずっと向こうに目を凝らすと、一点を指さす。
ボクもまた目を凝らしてよくよく見れば、ゴツゴツとした岩場ではあるけれど、若干なだらかな傾斜が見える。
あそこであれば、勢いが落ちなければ越えられるかもしれない。ただし相当な衝撃が襲うため、馬車が耐えられればの話だけれど。
しかし他に選択肢は無さそうだ。
ボクはメイリシアさんに頼み、自身の鞄から二つほどの瓶を取り出してもらう。
それをサクラさんに渡して狙いを口にすると、彼女は無言のままで大きく頷いた。
「かなり揺れますよ、しっかり掴まっていて!」
ボクはそう叫ぶなり、姿勢を低くし衝撃に備える。
サクラさんは弓を置いて手にした瓶を持ち、メイリシアさんは馬車の縁をしっかりと掴んだ。
意を決して馬に鞭打ち速度を上げる。馬たちは幸運にも恐れを露わとせず、まるで壁なのかと錯覚する斜面へ突っ込んでいった。
ズシリと強い衝撃が馬車を襲い、身体はグッと斜め上を向く。
縦へ横へと振られる振動に視界は回るも、ボクは着実に上っていく馬車の感覚を捉える。
しっかりと目を見開き、辛うじて馬車が通れそうな狭い個所へと馬を誘導。と同時にサクラさんへと合図をした。
「今です!」
「了解、任せなさいな」
サクラさんは返事をするなり、手にしていた2つの瓶を前へ勢いよく投げつける。
2頭立ての馬たちの間を抜け飛ぶそれは、岩に挟まれた狭い個所で壊れ、中身を撒き散らした。
片方は油。ランプの燃料などに使う、何の変哲もないそこいらの店で売っているような代物だ。
しかしもう片方は、お師匠様直伝の発火紙が詰め込まれた物。空気に触れると一気に酸化し、炎へと転じていく。
撒き散らされた油と、それに灯る炎。
一気に音を立て燃え盛るそいつの中に、驚く間もなく馬車は突っ込んでいく。
肌を焼き毛を焦がす炎を纏い、自身が炭と化していくような錯覚さえ覚えるも、すぐさま視界は開けた。
「追手は!?」
急な坂を登り終え、ボクはハッとし振り返る。
傾斜地の狭い岩の間はなおも燃え続け、立ち上がる炎の向こうには、馬の足を止める領兵たちの姿が。
その光景にようやく息を吐き出す。どうやら今度は、しっかりと足止めできそうだ。
馬も王都で目についたのを購入したのだけれど、どうやらしっかりと調教をされていたらしい。
ボクは混乱する事もなく応えてくれた馬たちへと、身を乗り出して柔らかく撫でる。
しかし次の問題、衝撃によって今にも壊れそうな馬車の存在に、再び神経を張り詰めるのであった。