愛玩人形の空 09
「そこの馬車、止まれ!」
コルネート王国南部。シグレシア王国との国境まで、順調にいけばあと1日少々という距離。
丁寧に整備された街道を馬車に乗って進むボクらは、地域一帯に広がる岩ばかりの渓谷内で、数十人の人間により作られた壁へ留められた。
到底豪奢とは言い難い、簡素な鎧に身を包んだ男たち。
けれど統率が取れ身なりの小奇麗な彼らは、野盗や山賊の類などではなく、おそらく領兵に違いない。
ユウリさんが伝書鳥によって知らされた、貴族の命令で設置されたという検問の存在。
メイリシアさんを逃がさぬという、貴族の見栄だかによって張られたその検問へと、ボクらは遂に遭遇してしまったのだった。
「どうしたんだい? 随分と物々しい様子だけれど」
領兵に制止されるなり、ボクは手綱を引き馬の脚を止める。
停止した馬車へ近づいてきた領兵へと、隣に座るサクラさんは怪訝さを満面に現す演技で返す。
普段であれば、こんな場所に検問など存在しない。なので驚くフリをしているのだ。
「臨時の検問を実施している。急ぐ道中申し訳ないが、協力してもらいたい」
「もしかして逃亡犯? 怖いわね、おちおち安心して旅もしていられないっての」
サクラさんは普段よりもずっと粗野な口調で、領兵の言葉に返していく。
なにせ今のボクらは外套こそ羽織っているものの、その下に着る格好はいかにも娼婦然としている。それは目の前の領兵も気付いているはず。
なのであえてそう思わせるため、こういった口調で話すことにしたのだ。
娼婦の中には高い教養を持つ人も多いと聞くけれど、こうしておいた方が、よほど娼婦らしいという印象のために。
「似たようなものだ。ともあれ全員の身を検めたい」
「あたいら娼婦の身を検めたいだなんて、もしかしてご用要りかい?」
「いや、そういう訳ではないのだが……。ともあれ降りて来るといい、2~3確認させてもらう」
きっと意識上の主導権を握るためか、サクラさんはちょっとばかりイヤラシイ笑みを浮かべ、挑発的に返す。
対して領兵は軽く咳払いをし誤魔化すと、ボクらに馬車から降りてくるよう告げるのだった。
主導権が握れたかどうかはわからない。けれど、まず間違いなく、名乗らずともこちらが娼婦であると認識してくれたはず。
ここまで荷台へ座り言葉を発していないメイリシアさんは、ボクと一緒に降りる。
領兵に案内され、街道の隅へ置かれた天幕の中へ。そこへ置かれた椅子へ腰かけると、一人の領兵が質問をしてくる。
意外なほど丁寧な対応に拍子抜けするのだけれど、ここからが本番だ。
ボクらはともかくとして、メイリシアさんを上手く誤魔化さなくてはいけないのだから。
「娼婦3人で旅とは珍しい。どこまで行くのだ?」
「このままもうちょいと南下して、街道沿いにダンネイアへ向かおうかとさ。闘技戦も終わってるし、娯楽に飢えた男連中が多いと見込んでね」
別段やり取りの内容を記録する気はないようで、領兵の男は対面へと腰かけ、さっきよりもちょっとだけ気楽な様子で問う。
それに対しサクラさんは、本当の移動先である国境ではなく、ボクらがコルネートで最初に向かった地を口にした。
娼婦が国境を越えてまで商売に出向くというのは、少々考え難いためだ。
あえてここでボクは口を開かない。この3人の中で、年長者であるサクラさんがリーダー格であると印象付ける狙いで。
もしボクまで積極的に話していれば、口を開かないメイリシアさんが逆に目立ってしまう。
それに人を煙に巻くのが得意なサクラさんに任した方が、きっと上手くいくはずだから。
「お兄さんたちも如何? 今なら旅のついでだし、安くしとくけど」
「勘弁してくれ。今はこっちも任務の最中だ、そんな状態で娼婦を買ったなどと知られれば、後でどんな処分を受けるか」
「そいつは残念。この人数を3人で片付ければ、割り引いても儲けが多いと思ったのに」
さもガッカリしたと言わんばかりに、サクラさんはとんでもない事を口走る。
とはいえこれは断られるのを想定済み。見たところ領兵たちは、ちゃんと統率された集団のようだ。
まさか部下の目がある所で、娼婦に金を払うような真似はすまい。
そしてこの挑発的な発言もあって、領兵はこちらが娼婦であると疑う余地が無くなったらしく、半ばもう身元の検めは終わったも同然という空気を発していた。
「手間を取らせたな、もう行ってもいいぞ」
完了を口にする領兵は、軽く微笑んで行って構わないと告げる。
ボクはその言葉へ密かに安堵するのだけれど、まだ完全に検問を抜けてはいないと、愛想笑いだけ浮かべ一礼した。
天幕から出て馬車に乗り込み、不自然にならぬ範疇で急ぎ手綱を握る。
そして走り出し領兵たちに見送られたところで、ようやく息を吐くのだった。
「なんとか上手くいきましたね。領兵たちも疑ってはいないようです」
「ざっとこんなもんよ。全然危なっかしくなかったでしょ?」
「ボクはヒヤヒヤし通しでしたよ。もっぱらサクラさんの発言が原因ですが……」
ようやく演技も終え、ボクとサクラさんは溜め込んだ緊張を吐き出していく。
後ろの荷台を振り返ってみれば、メイリシアさんも安堵の表情を浮かべ、グッタリと荷台の縁に身体を預けていた。
彼女もなんとか平然とした表情を崩さすに済み、緊張をようやく解放しているようだった。
「メイリシアもお疲れ様。よく耐えたわね」
「今にも叫びだしてしまいそうでした……。善良な方を騙すのは心苦しいですが」
メイリシアさんに労をねぎらうサクラさん。
昨日はなんだか妙な空気になっていたけど、ここに至ってはそれもなく、穏やかな空気が流れる。
領兵たちが探していたのは、王都から脱してきた女性の司祭。
まさか信仰のみに身を捧げてきた司祭が、娼婦に扮しているとは思うまい。
一言も発しなかったメイリシアさんは、司祭らしき雰囲気すら表に出さず、領兵を勘違いさせるのに成功した。
それに検問を敷くよう指示した領主とて、メイリシアさんがこの街道を通ると確信はしていないはず。
おかげで数十人の領兵もあまりやる気が無かったようで、誰一人として荷物の検査をしようとしなかったのも救いだ。
流石に法衣などは泣く泣く処分したとはいえ、私物の傾向からメイリシアさんの信仰心を察知する人が居ないとも限らないのだから。
「なんにせよ、これで最大の関門は突破しました。あとは無事アルマと合りゅ――」
目下最大の難関であった、貴族の敷いた検問。
ここさえ越えれば、あとはコルネート王国南端の国境地帯まで一直線。
ギリギリ2ヶ月という期限内に到着するであろう、本当の安堵が待つそこへの希望を口にする。
けれどボクがそれを最後まで言い終えようとした時、視線の先に数人の人影が映るのに気付く。
「あれは……?」
「たぶん領兵ね。まさかこの短距離でまた検問……、ってことはないと思うけど」
目に映ったのは、10人にも満たぬ数ではあるけれど、確かに領兵たちの姿。
さっきとまったく同じ鎧を着ているため、それは間違いないはず。
ただどうして、検問から少し離れた場所にと思っていると、周囲に幾つかの大きな天幕が設置してあるのに目が行く。
そういえばさっきの場所は、渓谷内の街道の中でも少し広い場所である代わりに、地面が岩だらけで宿営をするには不向きだった。
なのでちょっとばかり離れたここで、彼ら領兵は寝泊まりしているようだった。
徐々に近づいていくと、その領兵たちはこの日の役割を終えたのか、休息として食事を摂っているのが見えた。
多少なりと酒も入っているようで、愉快そうな笑い声も上げている。
酔っ払いであるのが怪しいが、流石に検問を越えた一見無為に見える旅人へ絡むほど、教育が行き届いていないという事はないはず。
けれどそんなボクの淡い期待などどこ吹く風、彼らはその教育の甲斐も無く、大きな声を発するのだった。
「お前ら、ちょっと止まれ」
こちらの姿を見るなり、男のひとりが起ち上がる。
そして強引に馬の鬣を掴んで止めさせると、酒臭い息を吐きながらジロリとボクらを眺めた。
……さっきの領兵たちはちゃんと統率されていたが、こっちはあまりガラは良くなさそうだ。
「なにか用かい? 見ての通り、あたい達は検問を通って来てる。文句ならおたくの隊長さんにでも言っとくれ」
けれどそんなゴロツキめいた態度も、サクラさんには通用しない。
彼女はまるで居に返さないように睨み返すと、堂々とした態度でこの場を通る正当性を主張した。
ボク自身は利用したことがないけれど、その風格は熟達した娼婦に抱く印象そのものだ。
「別にそいつはいいんだよ。そんなことより、お前ら娼婦だろ?」
「見ての通りさね。だからなんだって言うんだい」
「ならここでちょいと仕事をしていかねぇか。路銀は多いに越したことはない」
下卑た笑いを浮かべる男。そしてそいつの背後で酒を飲んでいた領兵も、同じくニヤニヤと口元を綻ばせていた。
一瞬酒に酔っての冗談かと思う。けれど連中の目は期待の色が浮かんでいるのが丸わかりで、本気で言っているのが明らかだ。
「さっきの人は、任務中に娼婦を買うことに抵抗があったみたいだけどね。至極真っ当な考えさ」
「あの堅物は気の抜き方ってもんを知らん。なに、領主も見ちゃいないんだ、少しくらい遊んだって罰は当たんねぇさ」
領兵たちも、なかなかに質の高低が激しいと見える。
こいつは与えられた任務への実直性などまるで感じさせず、すぐさまそう言ってボクらを値踏みし始める。
どうやら男たちは、本気でボクらを買おうとしているらしい。
「だがよく見てみりゃ、全員肉付きはイマイチだな。揃って男みたいな胸しやがってよ」
「……そ、それは悪かったわね」
「特にお前さんだな。なまじ身長が高いせいで余計に目立ちやがる」
ジロリと一瞥する領兵の男は、ゲンナリとした言葉を吐き出す。
サクラさんは若干の震えが混じる声でやり過ごそうとするのだけれど、男は指さしてまで彼女の胸元を指すのだった。
実のところサクラさんは、これでも下に布を仕込み底上げを計っているのだ。
けれどやり過ぎると不自然なため自重していたのだけれど、この事実を指摘され相当に頭へ血が上っているはず。
お願いですから、今はなんとしてでも耐えて下さい……。
「まあいい、俺はそっちのお嬢ちゃんにお願いするか。育ちの良さそうなのが好みでよ」
男はそう口にし、無理やりに荷台へと上がる。
すると突然の状況に困惑していたメイリシアさんの腕を掴み、そのまま引っ張って天幕へ向かおうとしたのだ。
当然彼女は抵抗する。妙に強引な酔っ払いに、連れて行かれようとしているのだから。
流石に見過ごせはしないと、ボクは止めるべく荷台へ移ろうとする。
しかし自身の腕もガシリと掴まれ、振り返ってみれば赤ら顔の領兵が、緩み切った目元のまま手を伸ばしていた。
途端に強烈な寒気が身体を襲い、振り払おうと抵抗する。
だがそいつは無理やりに抱き着いてくると、あろうことかボクにとって、触られては非常にマズイ部分へと手を伸ばすのだった。
「……ん? なんだ、コレ」
「いい加減に……、しろぉ!」
ボクが男性であると主張する箇所を握り、混乱する男。
遂にはボクも頭に血が上り、手の感触を確かめるべく視線を落とすそいつの顔面へ向け、肘鉄を見舞ってやる。
そして同じく限界を迎えたのは、メイリシアさんも同じであったらしい。
強烈な悲鳴を上げるなり、自身を引っ張る領兵へ向け足を振り上げ、形容するのも憚られる戦慄の"攻撃"を見舞ったのだった。
「ああもう、折角ここまで上手くいったのに台無し! 2人共そいつ等を振り落として、逃げるわよ!」
サクラさんも自身へ取りつく男を殴り倒すと、手綱を握り馬を走らせる。
ここまでくれば、大人しく娼婦のフリをして通り抜けるなど不可能。
強行突破以外の道はないと、荒れた地面に車輪を弾ませ、猛烈な勢いで馬を走らせるのだった。