愛玩人形の空 08
ドサリとベッド上へ置かれた、幾つかの衣服。
色合いも作りもてんでバラバラな、一見して今の時期には少々薄そうにも思えるそれら。
サクラさんはその内の一枚を手に取るなり、対面に立つメイリシアさんへと押し付けた。
「貴女はコレね。たぶん大きさは合ってると思うけど」
「ほ、本当にこれを着なければならないのですか……?」
「当然。自分で言い出したんだから、今更イヤだは無しよ」
それを受け取るメイリシアさんは、渋い表情を浮かべ手にした衣服を見下ろす。
見るからに気の進まないと言わんばかりだけれど、サクラさんは彼女の心情などどこ吹く風、早々に着替えるよう告げるのだった。
ここは街道を行くボクらが辿り着いた、都市と言うには憚られる規模をした町。
どうやら最初に辿り着いたこの町には検問が敷かれていないようで、これ幸いと宿を取った後でサクラさんは一人町中を歩き回り、見つけた衣料品店でこの服を手に入れてきた。
この先に待つであろう、検問を通るために必要な変装用の衣装を。
今はその翌日。宿で一泊して早朝、これから出発の準備をしようという時だ。
「教会の人が、この格好に抵抗があるのはわかるけどね」
「いえ、……これはこれで必要とされるご職業、否定するような気は」
サクラさんが持って来た服は、どれも露出の度合いが比較的高めな代物ばかり。
当初は男装をという話だったのだけれど、結局それはお蔵入り。
理由は単純で、女性的な仕草がしっかり身に付いたメイリシアさんでは、すぐ見抜かれるであろうという結論に達したため。
そこで代案として挙がったのが、娼婦に扮するというもの。
確かにそれであれば、まず彼女の正体が司祭であるとはまず誰も思うまい。
しかし問題があるとすれば、信仰に身を捧げた司祭であるメイリシアさんには、少々と言わずかなり二の足を踏む格好であるという点。
けれど当人はもうその覚悟を決めているようで、グッと拳を握ると、自身が着るそれを広げて見せた。
もっとも思った以上の露出度であったせいか、眩暈すらしそうな素振りで足元をフラつかせる。
「諦めて着ちゃいなさいな。クルス君だって付き合ってくれるんだから」
「そ、そうですよね。クルスさんだって、男性なのに同じことをするんですし」
「意外と似合っちゃってるのがスゴイのよね……。一応身体の線は隠すけど」
チラリと、揃ってこちらへ視線を向ける2人。
その好奇が混ざった目を受け、ボクは自身が着ると思われる服を手に、大きく息をつくのであった。
ここまでの道中、サクラさんが発した言葉からこうなることはわかっていた。
きっと実益半分、面白半分。彼女はボクに女装をさせたがるであろうと。
実際メイリシアさんひとりに変装させるより、こっちも揃ってやる方が、彼女の気も多少は楽に違いない。
「流石に腕とか出せないのよね、慣れた人が見るとすぐにバレるし。あとは喉元を」
「一応もう一度だけ異論を挟みますけど、ボクだけ普通にしてていいんじゃないですかね。ユウリさんも変装はしない訳ですし」
「私が変装するってのに、相棒の君が付き合わないなんて許されざるはず。それに勇者を同行していない召喚士なんて、怪しいことこの上ないわよ」
メイリシアさんのために、自身も変装すると断言したサクラさん。
そんな彼女にとってボクを巻き込むのは既定路線なようで、なけなしの期待を込めて発した言葉は、いとも容易く撃ち落とされてしまう。
「最近は生意気にも、腕とかほんのちょっとだけ筋肉質になってきてるのよね。……成長期かしら」
「いいじゃないですか。最近ようやく実感できてきたんですから、むしろ喜んでくださいよ」
「どうもこう、庇護欲がさ。細くて頼りないクルス君が良いのに」
嘆息するサクラさんは、たぶんボクが羽織るであろう薄手の上着を手にする。
なにやら妙な趣味を暴露されてる気がするけど、こっちとしてはなかなかに切実なのだ。
立場上は一応騎士団員であるというのに、元来のボクは下手をすれば女性よりも腕力が無い。
なのでサクラさんと一緒に行動するようになって以降、ずっと機を見ては鍛錬に励んでいた成果が、ようやく出始めているのだった。
ともあれ今更逃げられない以上、ここで粘っても時間を食うだけ。
そう考え意を決すると、手にしていた服を持って隣の部屋へと移動。厳重に扉の鍵を閉め着替えにかかった。
以前にシグレシアの王都でメイドに扮したけれど、メイドと娼婦の格好、いったどちらがマシだろうか。
そんな葛藤と服の着方への難儀を経て、ボクは隣の部屋へと戻る。
喉仏を隠すべく首元へスカーフを巻きながら入った途端、視界に飛び込んできたのは、ニヤニヤするサクラさんと唖然とするメイリシアさんの姿。
これまた以前も見た光景だ。
「娼婦だしちょっとくらい化粧もした方がいいわね。こっちにいらっしゃいな、適当にしてあげるから」
「どっちかと言えば、これが一番抵抗あるんですけどね……」
サクラさんはこちらを見るなり、手近に椅子を手元に寄せる。
そして一緒に買ってきたであろう、簡素な化粧道具を取り出すと、早速化粧に取り掛かった。
そんな様子をメイリシアさんはマジマジと見続ける。
幼少期よりずっと教会で育ってきた彼女は、おそらくこういった化粧などが物珍しいに違いない。
メイリシアさんが興味津々凝視する中、納得したように筆を置くサクラさん。
彼女は軽く頷くと、ボクの目の前に手鏡を差し出す。
「娼婦なら本当はバッチリやった方がそれらしいけど、クルス君はあまり派手なのが似合わないのよね。だから控えめに」
「……これで控えめなんですか?」
「十分に控え目よ。いいから次行くわよ」
早々に化粧を終えたボクは、小突かれるように椅子から立ち上がらせられる。
手鏡に映る自身は、なんだかまるで別人のようであり、服装の影響だけとは思えない変貌ぶり。
見ればメイリシアさんも、ボクの姿を見て呆気にとられているようだ。
そのメイリシアさんは、次にサクラさんの餌食になるべく椅子へ腰かける。
緊張の面持ちで身体を固くしているようで、腰かけるなりサクラさんに肩へ手を置かれ、コリをほぐすように軽く揉まれていた。
「さあ、どうしたい?」
「どうと申されましても……。わたくしはこういった行為に不慣れなもので」
「見た事くらいはあるでしょ。女性司祭の中には、日常的に化粧をしてる人とか居たんじゃない?」
困惑する彼女へと、サクラさんは後ろから顔を覗き込むように問う。
するとメイリシアさんは視線を落とし、なにやら思案するような素振りを見せる。
どうやらサクラさんが言ったように、教会内でも若干ながら化粧をする人間は存在したようだ。
ただそれらはどうも、彼女の嫌っていた堕落した司祭たちであったらしく眉を顰める。
とはいえ化粧が嫌だと告げるのも気が引けたか、顔を上げサクラさんを見ると、「お任せします」とだけ告げ瞼を閉じた。
そんな覚悟を決めたメイリシアさんへと、サクラさんは無言のまま筆を奔らせていく。
文字を書く時にはまだ若干たどたどしいそれも、こと化粧筆となれば軽快だ。
サクラさんは普段あまり化粧などしないはずだけれど、あちらの世界では日常的に行っていたようで、昔取った杵柄であると言い放つ。
「完成。どうかな、上手くできたと思うんだけど」
しばし集中していたサクラさんだが、納得したところで筆を置くと、ボクが持っていた手鏡をメイリシアさんへ渡す。
彼女は矯めつ眇めつ映る自身を眺めると、ボクの方を見てオズオズと尋ねる。
「その、どうでしょうかクルスさん?」
「とてもよくお似合いだと思いますよ。個人的には」
「良かった……。そう言って頂けるなら、少しは自信が持てそうです」
そう返すと、彼女はソッと胸を撫で下ろす。
どうやら自分ではよくわからないようだけれど、人から評してもらうことでようやく認められたようだ。
実際メイリシアさんは元が美人であるのもあって、化粧を施すことで余計に華やかになっている。なのでボクが褒めたのは、決してお世辞などではない。
「……納得したみたいね。それじゃ早速出ましょ、陽が暮れる前に」
照れるメイリシアさんの様子を横から眺めていたサクラさんは、勇者の特徴である黒髪を隠すカツラを被り、やれやれと言わんばかりに出発を告げる。
けれどなんだろう、彼女からはどこか不機嫌な気配を感じてしまう。
ボクはそんなサクラさんの素振りに背筋を寒くしながら、慌てて荷物を纏めた。
自身が女装しているという緊張を纏い、覚悟を決めて荷物を背に部屋の外へ。
階下に降りて宿の主人と顔を合わせると、こちらのことを訝しげに見てきたため、幾ばくかの金銭を握らせることにした。
金銭を受け取った宿の主人は、すぐさま自分は何も見ていないとわざとらしく告げ、その事に安堵したボクらは揃って宿を跡にした。
宿を出るとすぐ正面には、自分たちの乗ってきた馬車が。
そしてその側には新たに一頭の馬が居り、側には騎士装束のユウリさんと、小奇麗な格好をしたアルマが立っていた。
その2人に一瞥だけすると、馬車に乗って出発する。
「大丈夫でしょうか……」
「問題ないって。悠莉も一緒なんだし、もしも魔物に襲われても難なく対処してくれるはず」
「そっちもですけど、アルマが離れて寂しがらないかと」
アルマとユウリさんに言葉すら発さず、ボクらは別々に移動をする。
ボクらが娼婦に扮するのと違って、あちらは普通に移動し検問を突破するため、あえてここからは別行動を取ることにしたからだ。
アルマのような幼い子供が、娼婦と共に行動するという例は多々あるとは思う。職業柄そういう状態になる可能性は高いだろうから。
けれどアルマは亜人。触れられればそれはわかってしまうため、例えばサクラさんが実の子だと言っても信憑性は薄そうに思えた。
なのでユウリさんに預け、従者見習いという扱いで同行させることにしたのだ。
とはいえ普段はずっと一緒に居るだけに、アルマが寂しがりやしないかと心配にもなる。
「相変わらずの親馬鹿ね。あの子の両親が居ないとわかって、余計に拍車がかかったような」
「仕方ないじゃないですか。まだ落ち着くには早いと思いますし」
「言わんとしてるのは理解できるけど、あの子は存外気丈よ。それに国境を越えてから、離れていた分も可愛がってあげればいいのよ。私たちが親代わりとしてね」
砂漠の都市アルガ・ザラで、アルマは実の両親が既に亡くなっていると知らされた。
それを予感していたのか、聞いた時には意外にも取り乱さなかったけれど、だからといって大丈夫だとは思わない。
何処かで無理をしているのは想像に難くなく、ボクが心配に想うのも当然ではないか。
ただサクラさんの言うように、年の割には芯の強い子供であるのも確か。
ならば検問突破後に合流した時にでも、離れていた時間分可愛がればいい。そう長い期間でもないし。
ボクはそう自身に言い聞かすのだけれど、直後にサクラさんの言葉に妙な気配を感じる。
親代わりの部分を随分と強調しているように思え、ソッと彼女の方を見ると、何故だか不敵な笑みを浮かべながらこっちを向いていた。
そしてその言葉を聞いていたメイリシアさんは、サクラさんとボクを交互に見つつ反芻するように呟く。
「お、親代わり……」
愕然とすら言えそうなメイリシアさんの反応と、挑発的なサクラさんの発言。
なんだか不穏な気配すら漂う2人の空気に、ボクは御者台の上で、またもや背筋を震わせるのであった。