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愛玩人形の空 06


 陽の当たらぬ、ヒンヤリとした路地裏。

 春の鼻先へ触れているような時期だというのに、冷たい空気の満ちるそこで振るわれたナイフは、ボクの外套を浅く切り裂いた。


 路地裏で待ち構えていた、おそらく手慣れた裏稼業の戦士たち。

 そいつらは迷うことなく前に立つボクを狙ってナイフを繰り出し、命を刈り取らんとしている。

 ただメイリシアさんはその限りではないようで、彼女の方へは最初に一瞬だけ視線を向けたきり、後はもう一瞥すらしない。

 ひたすらに、ボクを切り刻まんとするばかりだ。



「クルスさん!」



 後ろへ下げさせたメイリシアさんは、震える脚のまま身体を壁に預け、ボクの名を呼ぶ。

 きっと心配を通り越し、今にも泣き出しそうに違いない。

 けれど正直彼女に安心するよう返す暇もなく、路地が部分的に狭くなっている場所を利用し、一対一の状況を作りだすと、鞄から小さな小瓶を取り出した。


 迷うことなく投げつけると、四散する瓶と共に黄色い粉末が周囲へ撒かれる。

 少しでも吸い込めば、身体の自由を一時的に奪う痺れ薬。そいつの中へと、男たちは躊躇することなく突っ込んでくる。

 しかし……。



「読まれてた……!?」



 しかし黄色い粉塵を突っ切る男たちは、口元へ手を当てている。

 中を通る時には目も閉じていたようで、これが何かしら身体へ影響を及ぼす効果を持つと、予測しているようだった。


 案外これまでにも、同じような戦い方をする人間が居たのかもしれない。

 それが連中にとって敵なのか味方なのかは不明。けれどボクにとってそれは、悪態つきたくなる忌々しい存在だった。

 こいつが効いてくれないとなると、採れる手段はかなり限られてくる。


 迫る男のナイフを、辛うじて短剣で弾く。

 召喚士という立場なれど、ボクだって立場的には騎士団員の端くれだ。普通の人間に後れを取る気はない。

 けれど流石に荒事を本職とする人間相手には分が悪い。特に人より優位に立つ手段である、痺れ薬のような物が効かないのであれば特に。



「クルスさん、逃げて下さい! ここはわたくしが……」



 自身の精神力によって、なんとか震えを抑えたか。

 いつの間にか背後へ来ていたメイリシアさんは、辛うじて男のナイフを弾いたボクの外套を握る。

 彼女もまた、男たちにとって自身が脅威に映っていないことを認識している。

 それにおそらく危害を加えないよう指示されていることから、自身を盾にすることでボクを逃がそうと考えたようだった。


 たぶん、この状況で2人とも助かるにはそれが一番無難かもしれない。

 けれどボクは自身に誓ったのだ、彼女を無事馬車が待つ場所まで連れて行くと。そして傷一つなく、シグレシアへの国境を越えると。

 だから彼女の言葉は聞けない。

 となればもう、ボクはこの手しか思い付かなかった。



「仕方ない……。ゴメンなさいメイリシアさん、謝罪は後でしますから!」



 手探りで鞄から取り出すのは、少しばかり大きな瓶。

 そいつを振り上げると、背後のメイリシアさんへ返事を求めぬ言葉を発し、勢いよく足下へ叩きつけた。


 怪訝そうに表情を歪める男たちを他所に、ボクは自身の短剣を鞘に納める。

 そして振り返り、背後に立っていたメイリシアさんの肩を掴むと、壁際に寄って姿勢を低くさせた。

 周囲には割れた瓶から撒き散らされた、赤い粒状の物が転がる。

 そいつは空気に触れるなり、粒の赤色よりも若干薄い色をした気体へ変わっていき、空気の流れに乗って瞬く間に路地裏を染めていく。



「な、なんですか!?」



 姿勢を低くさせただけのはずが、体勢を崩し転がってしまう。

 不運にも押し倒したような形となってしまい、メイリシアさんはすぐさま赤面し、慌てふためく。

 ただ不可抗力ではあるけど、これでいい。

 目的は立った状態で意識を失い、転倒時に怪我をしないようになのだから。



「おい、どうしたお前ら!?」


「しっかりしやがれ! チクショウ、なんだこれは……」



 ただボクらが壁際で転がっている頃、襲撃をした男たちには混乱が生じ始めていた。

 最初は1人が地面へと転がり、その様子に動揺した男もフラつき、遂には地面へと突っ伏す。

 そして最後の1人もまた、徐々に自身へ起りつつある異常に困惑しながらも、崩れ落ちていくのだった。


 さっきぶち撒けたのは、今回のため特別に調合した薬品の一つ。

 お師匠様が独自に生み出した製法によって作られた、吸い込むだけで即座に強烈な睡魔に襲われるという代物。

 ただ普通であれば、さっきのように口や目を閉じて防がれてしまう。

 しかしこいつは霧状になって広範囲に漂い、それもすぐに消えたりはしないため、どうしたところで吸い込むしかなくなる。

 案の定、男たちは速攻で意識を失いつつあるようだ。


 もっとも、これにだって欠点がある。

 広範囲に広がり漂うせいで、使った人間自身もその被害に遭ってしまうという、なんともお粗末な内容だ。



「く、クルス……、さん」



 地面に伏せていたため、少しばかり効果が出るのは遅れたのだと思う。

 けれどメイリシアさんは徐々に朦朧としていく意識の中、ボクの名を小さな声で呼ぶのだった。

 ……でもボク自身も、それに返すことは出来そうもない。徐々に白濁する思考の中、なんとか彼女の伸ばす手を……、掴み――






 白む思考と視界、そして身体に感じる振動。

 ボクが次に感じたのは、そんな先ほどまでとちょっと違う状況だった。

 せめて思考だけでも覚醒させようと頭を振る。するとすぐ真横から発せられたのは、少しばかり愉快そうな声だった。



「起きた? 思ったより早いお目覚めね」



 頭の真横から聞こえてきたのは、聞き慣れたサクラさんの声。

 ハッとして周囲を窺うと、ようやく目に映ったのは流れていく狭い路地裏の景色。

 見ればボクはうつ伏せの状態で彼女の肩に担がれ、麦束よろしく運搬されている最中だった。


 どうやら危険な状況からは、なんとか脱したようだ。

 あの後気絶したボクらの後ろから、サクラさんが追いついてきたのだろう。刺客がどうなったかは知らないけれど。

 ただそこまで考えたところで、唐突に肝心なことを思い出す。



「……め、メイリシアさんは!?」


「彼女なら大丈夫よ。左をよくご覧なさいな」



 今回の目的、メイリシアさんのことを慌てて口にする。

 呆れたように呟くサクラさんの言葉に従い、走り揺られながら頭だけで左を向く。

 そこにはサクラさんの顔があるのだけれど、更にその向こうへ、ボクと同じく肩に担がれたメイリシアさんが。

 彼女はまだ意識を取り戻していないものの、どうやら揃ってサクラさんによって運搬されていたようだった。



「まさか本当にアレを使うとは思わなかった。随分と思い切ったものね」


「使うしかない状況でしたから。……まさかあんな所に追手が居るだなんて」


「後日にでも騎士団長のおっちゃんに、文句を書き連ねた手紙でも送ってあげましょ。秘密の管理はしっかりしなさいって」



 サクラさんもボクが眠り薬を使うような事態になるとは、思っていなかったらしい。

 それもこれも、コルネートの騎士団がどこからか計画を漏らしてしまったが故。

 確かに文句の一つも言わねば。もっとも彼とは、今後会う機会なんて早々ないのだけれど。


 とはいえ想定外の難題も、事前に用意しておいた品とサクラさんによって越えられた。

 あとは待機している馬車と合流し逃げ出すだけで、ボクは情けない格好で担がれたまま安堵の息を漏らす。

 すると丁度、同じく抱えられたまま運ばれているメイリシアさんが、ようやく意識を取り戻した。



「ここは……?」


「貴女もご苦労様。もう少しで馬車の所まで行けるから、このまま大人しく運ばれてなさいな」


「……ああ、助かったのですね。クルスさんも」



 存外事態を把握するのが早いようで、メイリシアさんはボクらの顔と流れる景色を見るなり、安堵の表情を浮かべた。

 さっきは震える身体を見ずから御したり、こうして速攻で状況を理解したりと、なかなかに頭の回転が速く肝も据わった人だ。

 そんな彼女をちょっとだけ気に入ったのか、サクラさんは言葉に出さずとも愉快気にしていた。



「ですが、こうして合流できたということは」


「ええ、半ば王都からの脱出は成功したと見ていいと思います。上手く逃げ切れるんですよ」



 メイリシアさんは下りようとするのをサクラさんに制されながら、今の状況を口にする。

 ボクはそれを肯定し、おかしなことに抱えられたまま彼女の方に手を差し出し、サクラさんの顔を挟んで握手を交わすのだった。


 そんな少々滑稽な行為に、サクラさんは苦笑いを浮かべる。

 けれどすぐさまそれを収めると、左に担ぐメイリシアさんへ向き、心境を問うのだった。



「未練、やっぱりあるかしら? ずっと育ってきた土地なんだし」



 メイリシアさんは王都で生まれ育ったと聞く。

 孤児ではあるものの、物心ついた時からずっと教会で暮らしており、それなりに親しい人間も居たに違いない。

 なのでサクラさんが口にするように、未練めいた感情を持っているのはむしろ当然。

 けれど彼女は軽く首を縦に振るも、すぐさま力強い言葉を返す。



「……多少は。ですが大丈夫です、自身で決めたことですから」


「ならこっちも気が楽ってものね。さあ、もう少しで着くわよ」



 メイリシアさんの、ほとんど吹っ切れたと言わんばかりな言葉。

 これが完全に本心であるかはわからないけど、こうもハッキリ言うのであれば、ボクらはもう気兼ねすることなくあちらに連れて行くのみ。


 路地裏を抜け開けた場所へと出て、目の前に待機する馬車の姿を確認。

 ようやく辿り着いたことと、メイリシアさんの決意に安堵しながら、ボクはようやく地面を踏むのだった。



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