愛玩人形の空 02
ノックされた扉を開くと、そこに立っていたのは一人の男。
一見して何の変哲もない、都市住民たちが着るような衣服を纏ったその男は、部屋へ入るなり深々と一礼した。
どこか洗練された所作でされるその動きから、いかにも騎士といった空気を感じる。
本当ならもっと上手くそういった気配を隠せるのが理想だとは思うけれど。
彼は椅子を使うよう促すサクラさんに断りを入れると、立ったまま用件を口にしていく。
騎士団の上の方で話しあった結果、どうやら大勢人の目がある場で、メイリシアさんに諸々を暴露してもらうことにしたようだ。
そして彼女がその大役を担う日は、あまり遠くはないようだった。
「決行は春の大祭最終日、教会が住民たちを前に説経を行う時です」
騎士が持って来た伝達内容は、計画の内容と決行の日時。
現在町中で行われている、春の大祭の準備。その最終日に行われる教会主催行事で、連中の面子を潰す気のようだ。
具体的な手段としては、メイリシアさんが壇上に立った時、説経の代わりに教会の悪辣な行為を全部ぶち撒けるというもの。
今年は初めて彼女も壇上に立つようで、既にそのことは住民たちに知らされている。
人気があるというか教会の広告塔にも近い彼女目当てに、多くの住民たちが集まることは想像に難くなかった。
おそらくこれそのものは、元々考えられていた手段なのだとは思う。なにせ逃がす先のシグレシア王国から、ユウリさんという道先案内人まで招いているのだから。
ただどうやら騎士団に実行の許可が下りるのに時間が掛かったらしく、数日待たされたのはそういった理由のようだった。
「熱心な信徒は横の繋がりも強い。すぐに噂は広まるはずです」
「この手の噂は早いものね。来るのは大人しく教会の指示を聞く人間ばかりじゃないだろうし」
「だからこそ、この機を逃すつもりはない。そう騎士団長は仰っていました」
他にも好機はあるのかもしれない。けれど最大の成果を挙げられるのは、この時を置いて他になかったようだ。
しかし暴露を口にするメイリシアさんを、きっと教会の人間は制止に押し寄せるはず。
ボクらに任せられてたのは、殺到する教会関係者を足止めし、最後まで喋り終えたメイリシアさんを連れて逃走を計ること。
市街中心部を抜け出しさえすれば、騎士団によって馬車が用意してあるとのことで、乗って一路国境まで突っ走ればいい。
ただこんな事をすれば、当分の間は王都に近寄れそうもない。
少なくとも顔を忘れてくれるまでは、この地での観光はお預けになりそうだった。
「ところで一つだけ聞いておきたいんだけど。……なんで騎士団だけで実行しないの? 教会は武力を持っていないんだから、問題なく行えると思うんだけど」
サクラさんはおおよその計画を把握するも、少しだけ疑問を抱いていたようだ。
彼女の言うように、教会はその規模こそ大きいけれど、国から許されているのは信仰だけ。
武力を持つことは許されていないため、騎士団が出張ってくればそれだけで事は成せる。
「教会も騎士団が動いていることには気付くはず。影響下にある貴族を使い、妨害を仕掛けてもおかしくはありません。加えて表だってメイリシア司祭を連れ出しては、後々槍玉に挙げる口実となるそうで」
「だから余所者の私たちに、連れ去る役目を押し付けるって事ね」
「勝手なお願いとは重々承知しています……」
彼ら騎士団からしても、あまり他国の人間の力を借りることは本意ではないらしい。
けれど自分たちの立場を秤にかけた結果、より確実を期すためにこうするのが無難であると考えたのだと思う。
こっちとしてはもう今更と思う反面、結局荒事の気配は避けられそうにないという事実に、肩を落とすばかり。
とはいえ今更嫌ですとは言えず、諦め受け入れるのだった。
用を済ませた騎士は、あまり長居をせぬようすぐさま部屋を出て行く。
宿から去っていく彼の姿を、少しだけ開いた窓から見送ると、サクラさんは小さく伸びをしてやる気を口にした。
「それじゃ映画みたいに、結婚式の花嫁を連れ去る気分で挑むとしますか」
「……なんです、それ?」
いまいち理解の及ばない、サクラさんの持ち出した例え。
けれどなんとなくではあるが、やる気の程は伝わってくるような気がした。
ではそんなサクラさんの英気を養うべく、そしてアルマにも気晴らしをさせてあげるべく、ボクは立ち上がると小さなカバンを手に告げる。
「祭の最終日まで数日ありますし、こっちはこっちで用事を済ませますかね」
「用事? 何かあったっけ」
「観光をするんじゃなかったんです? 当面ここには来れませんよ、春の大祭が始まる前に済ませてしまわないと」
これが終われば、しばらくはこの地へ来ることが叶わない。
そもそも越境の許可を取るのだって大変なのだ、次にコルネート王国へ来れるのは、いったいいつになることやら。
サクラさんは何気に町中を周るのを楽しみにしていたのだから、そこに時間を割いてあげるのも悪くはない。
「気が利くじゃない。なら早速行きましょ」
「と言っても、下見も込みでですけどね。観光はそっちが済んでから」
「了解了解。ほらアルマ、起きて出かけるわよ!」
半分は当日の行動を速やかに行うための、下見が目的ではある。
けれどサクラさんはそれでも十分と考えたようで、ベッドの上でいつの間にか寝息を立てていたアルマを抱き起こし、自身の財布などを手にいそいそと準備を始めるのだった。
荷は宿の人に預け、軽装で外へ。
一応人に扱いを任せられぬ武器だけは持ち、ボクらはひとまず都市の中心部へと向かった。
辿り着いた大きな広場は、祭りの準備のため大勢の人でごった返している。
さっき騎士から聞いた話によれば、ここで教会が大勢の人間を相手に、毎年説教を行っているとのこと。
つまりボクらにとってみれば、計画の第一段階が行われる場だ。
「当日は最低でも、ここに1万かそこらの人が集まる。説教が行われる舞台は……、アレね」
広場へと出るなり、サクラさんは準備の進められていくそこを見渡し、一つ一つ確認をしていく。
とても広いそこだけれど、大抵は毎年教会の信者たちで埋まるそうだ。
そんな中で上手く壇上に立つメイリシアさんに近付き、彼女を護衛。そして連れ出すとなれば、なかなかの難題かもしれない。
「クルス君、牽制に仕えそうな薬品は、当日までのどの程度用意できる?」
「……3日もあれば、痺れ薬をある程度は。この町の商人がどれだけ原料を揃えているかによりますが」
「ならそっちも確認しておきましょ。逃走の経路を確認しながらでも」
それとなく広場や繋がる路地へ視線を向けながら、サクラさんは一応ボクにも期待をしているのか、確保できそうな薬品の量を問う。
魔物を倒すというほどではないけど、お師匠様から教えてもらった薬学の知識は、多少なりと役には立つ一助となっていた。
痺れ薬であれば、一般に流通しているような薬品の材料ともなるので、この町でもそれなりに確保可能なはず。
アルマの手を繋いで、物騒なやり取りをしつつ広場から伸びる路地へと入る。
逃走時に大通りを進むのは難しそうだからなのだけれど、幼いアルマと一緒にこんなやり取りをするというのは、教育上如何なものか。
とはいえ宿にひとり置いてもおけない。
「この辺りは、一切祭りの催しが見られませんか」
「好都合ね、逃走経路としては使えそう。当日に荷物が積み上がっていなければだけど」
大通りから少しばかり入った路地を歩くと、そこは閑散としていて、表の喧騒とは大違い。
道幅も特別狭っ苦しいという程ではなく、メイリシアさんを連れて逃げるにも、そこまで不都合はなさそう。
もちろん追手も通り易いということになるけれど、その場合は逆に薬品を撒いての妨害もまたし易いはず。
なんだか下見をしていく内に、ちゃんと上手くいってくれる気がしてくる。
でも油断や慢心は失敗を生むなんてのは当然で、ボクは緩みかけた緊張感を払うべく、自身の頬を叩く。
いったい何をしているんだと言わんばかりな、怪訝そうにするサクラさんの視線。
それを誤魔化すために軽く咳払いし、前を歩き路地を進んでいった。
大通りから逸れた場所の路地ではあったけど、然程入り組んでもおらず、思いのほかアッサリと市街地の外れへ。
馬車が待ってくれるという場所を確認すると、今度は大通りを歩き、別の経路の確認もしていく。
その後で薬草の類を扱う商人の店へ入り、ある程度必要量を確保したところで、夕刻も近くなったため宿へ戻ることにした。
碌に観光は出来なかったけれど、まだ明日もある。
そうして宿へ戻り、簡単に夕食を済ましてから自室へ。
ボクは戻るなり荷物の中から乳鉢やらを取り出すと、早速薬品の調合に取り掛かった。
「そういえば作るところを見るのは初めてかも」
「カルテリオに居る時は、サクラさんがお風呂に入っているか、就寝した後にやっていましたからね。この国に来てからは、まったく作っていませんし」
「もうほとんど無いって言ってたっけ?」
「ダンネイアとアルガ・ザラで、ほとんど使っちゃいましたからね。丁度良い機会です、乾燥の手間も省けたのでこの機に出来るだけ作っちゃいましょう」
商人から手に入れた薬草類を大量に広げ、ボクは手近なところから取り掛かる。
砂漠の都市アルガ・ザラで亜人たちと出会った時、彼らのために傷薬や滋養強壮に聞く薬品は、粗方使ってしまった。
それに痺れ薬や発火性のある物など、牽制に仕えそうな物もそこまででほぼ全て。
春の大祭でメイリシアさんを逃がす時、どれだけ必要かもわからないのだ。今の内に可能なだけ揃えておきたい。
ボクはそんな事を考えながら、鞄の中から小さな手帳を取り出す。
お師匠様がボクにくれた、調合法など諸々を記したそれだけれど、中には入手が難しい材料もあって全ては試せてはいなかった。
けれどさっきの商人が少々珍しい薬草を扱っていたため、いつか試そうと考えていながらも保留してきた、とある品が作れるかも。
「サクラさん、こいつなんですけど」
「……読めないわね。こっちの文字はかなり習得したと思ったんだけど」
「お師匠様、かなり字の癖が強いですから……」
ボクは慣れているけれど、サクラさんにはお師匠様の文字を解読することは出来なかったらしい。
縫い糸をばら撒いたような、お師匠様が急ぎ書き殴る時に見られる特徴的な文字。
けれど今回使うとすればそれなりに有効となるであろうそいつの、具体的な効果と問題点、そして意図を口にする。
「いいじゃない。期待してる」
ニカリと笑み、頷くサクラさん。
ボクはそんな彼女の乗り気な様子に心躍らせ、材料となる薬草へ手を伸ばすのだった。